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信仰と義(下)

 松ヶ島は城も町も復旧作業中である。しかし、どこから手をつけたらよいのかわからない状態だった。

「面倒な!いっそ更地ならよかったのだ」

「全く別の場所に一から新しく作った方がましだ」

 そんなことを口にする者もいるほど。

 そんな状況に、冬姫は毎日自ら手を出したくてならなかったが、懐妊中の彼女は、皆からじっとしていることを強いられ、何とももどかしい。

 忠三郎などはついに投げてしまったのか、今は不在である。

 実は世界の情勢を知ろうと、オルガンティーノを訪ねていたのだ。彼にとっては、己の領内も勿論大事だが、それよりも、日本全体の置かれている状況の方が気掛かりだった。

 忠三郎は受洗する少し前に、ポルトガルに枢機卿出身の聖職者の王が立ったことを知った。今では、ポルトガルがスペインに併合されたことも知っている。

 これは、六右衛門によってもたらされた情報ではなかった。忠三郎自身が、国内にいて知り得たことである。

 ポルトガルはジョアン3世の後、僅か3歳で王位に就いた孫のドン・セバスチャンが治めていた。幼少であったので、スペイン王室出身の祖母・カタリーナや、ジョアン3世の弟・ドン・エンリケの補佐を受けていた。

 しかし、青年になると、セバスチャン王はモロッコを手に入れようと、無理な戦をし、戦場で姿を消した。

 その遺体は見つからず、王は生きているとか、復活するなどと信じる者も多いのだという。

「最近特に、ポルトガル人達はそう信じる傾向にあります。信じたいのでしょう」

 オルガンティーノは他人事みたいに言ったものだ。

 セバスチャン王はまだ若く、独身だった。イエズス会の日本巡察師・ヴァリニャーノが東洋に派遣される前、謁見したのはこの王だった。

 王が後継なく亡くなったため、大叔父のエンリケ王が即位した。

 エンリケ王はセバスチャン王の祖父・ジョアン3世の弟で、枢機卿であった。聖職者だったので子はなく、しかも高齢だった。そのため、すぐに亡くなった。

 後継者候補は数名いたが、エンリケ王はそれを指名できないまま亡くなってしまった。それで、後継者争いが生じた。

 セバスチャン王のモロッコにおける敗戦によって、ポルトガルはかなりの財政難になっていた。そこに目をつけたスペイン王のフェリペ2世(母はジョアン3世の妹)は、貴族達に賄賂を渡すなどして後継者に名乗りをあげたが、金では地元の支持を得られず、アントニオ(ジョアン3世の甥)と対立。

 結局戦になった。フェリペ2世がリスボンを陥落させてアントニオを追い、スペイン王でありながら、ポルトガル王をも兼ねることになったのであった。

「そのような経緯で王となったフェリペ王は、ポルトガル人達に歓迎されているのでしょうか?」

 忠三郎は、セバスチャン王不滅を信じる者がいるという先程の話から、フェリペ王はポルトガルの人々に歓迎されていないのではないかと思った。

「歓迎されるわけないです」

 オルガンティーノは笑った。

 向こうでポルトガル人達が練習しているのだろう、先程から『クレド』がこちらにまで聴こえてきている。

 その荘厳な歌声に、神聖な心地になりながらも、忠三郎は気になることを躊躇いがちに訊いた。

「パードレ達の中にも、様々な国の方がいると思いますが、その、パードレ達はどうお思いなのでしょうか?」

「私達は人間です。自分の国には愛着がある。揉めないといいんですがねえ」

 イエズス会の伴天連、伊留満には、スペイン人もポルトガル人もいる。彼らの間に微妙な温度差が生じていることを、オルガンティーノも認めた。ポルトガル人にとっては、自国がスペイン人の支配下にあるのは面白くないものだ。

「では、フェリペ王になって、何かこの布教活動のあり方にも、変化はあるのですか?」

 ポルトガルはセバスチャン王の時代から、枢機卿のエンリケが補佐をしていた。その後、そのエンリケが王となった。イエズス会はそのようなポルトガル王室の保護下にあったのだ。

「変わらないと思います」

 フェリペ王は信心深い。カトリックの修道会は保護するはずだし、カトリックは世界に広がらなくてはならないと思っているはずだ。

「では……」

 さすがにその先は言えなかった。何度言いかけて果たせなかったか。

 ポルトガルに日本征服計画はあったのか、スペインにはそれがあるのか──オルガンティーノが部外者のイタリア人とはいえ、ポルトガル王室と深く関わっているイエズス会の司祭である以上、なかなか聞くには勇気と覚悟が要る。

(ここをどう聞き出すか。どう探るべきか)

 忠三郎は六右衛門がいてくれたらと思う。

(いや、六右衛門が向こうで答えを見つけてくるはずだ!)

 ローマに行けば、答えは見える。だから、彼を行かせたのだから。

「ところで、蒲生さま」

 オルガンティーノが急に眉を寄せ、悲しげな顔になった。

「妹様が殿下の淫乱の餌食になったとか。あまりにお気の毒なことです」

「それは……」

「殿下は美しいと聞けば、手当たり次第に、女の方を集めていると──蒲生さまの妹さまもその被害に遭われたと聞いて、悲しく思っております。蒲生さまは信長さまの婿、とても大事なお方です。殿下に蔑まれるようなことは許されません」

 オルガンティーノはとら姫の一件を勘違いしている。珍しく早口でまくし立てるので、それは誤解だと言う機を逃してしまった。

「蒲生さまは我等にとって、とても大事なお方。信長さまの後を継承すべきお方なのですから。それを秀吉殿は横から奪ったんです」

「信長公の後を継承?」

「そうでしょう?婿なら、資格があります」

「御本所(信雄)や三法師様がいらっしゃるのに……」

「いえいえ、我々の国ではよくあること」

 西欧では、婿が王位を継いだり、息子が母の実家の王家を継ぐこともある。

 日本でも婿養子というのはある。だが、それはあくまでその家に男子がない場合だ。

「フェリペ王だって、ポルトガル王室に男系の王子がいたのに、ポルトガル王になりましたよ。信雄殿に力がないなら、織田家の王には蒲生さまがなるべきです。次の天下様は蒲生さま」

 フェリペ2世がポルトガル王を兼ねることができたのは、そもそも王位を求めたアントニオが庶子だったからである。神の前で結婚を許された男女のみが正式な夫婦なのであり、その間に生まれた子以外は庶子になる。それは妾腹の子に限ったことではない。

 アントニオの場合は、父が独身であり、正式に結婚した夫婦の間にできた子ではなかったために、庶子なのである。

 オルガンティーノは、信長の息子は全て側室の子だから、後継者に該当する人はいないと思っているのかもしれない。ただ、ここは日本であり、日本には日本の風習があり、また、キリスト教が入ってきてまだ日も浅い。

 伴天連がどう喚こうが、日本の後継者の決め方に変わりはない。それでも、信雄を最初から過小評価しているのは事実である。信雄が美少年を愛玩すると、噂で聞いたせいかもしれないが。

 だから、オルガンティーノは自分達の感覚で、

「蒲生様が天下様。信長様の後継者」

と言ったのだ。

 困る。

 しかし、どうしたわけかこの時の忠三郎には、天下様という言葉がとても甘美に響いた。西欧だったら、当然織田家の後継者だというその言葉に、頭がじいんと痺れる。

(だからこそ、イエズス会総出で毎日デウスに祈りを捧げていたんですよ。あなたを我等に下さるようにと。信長の息子達が次々に消えて行ったのは、デウスの御摂理です)

 オルガンティーノは忠三郎という大魚を網にかけた日の喜びを思い出し、この聖なる教えを日本に根付かせるためには忠三郎が日本の王になるべきなのだと思った。

(レオさま、王者)

 レオはラテン語で獅子。獅子はイスラエル周辺では古くから王者であり、歴代のローマ法王もレオを名乗る人が多い。レオ1世といえば聖君で知られる。

 忠三郎にはそのレオが、洗礼名として与えられている。

「日本には辛酉革命という面白い伝統があると聞きました。前年の庚申から人の心が冷酷になり、辛酉に至ってついに革命が起こると。それを防ぐために辛酉には必ず改元してきたそうですが、永禄四年だけはしなかったとか?信長様の心が残虐になり、今川義元を討つという奇跡を起こしたのが庚申、翌年生まれたのが冬姫さま。信長様が天下を見たのは、庚申に強敵を討って自信をつけた、その翌年、辛酉でしょう。その辛酉の姫さまを得て、信長様の婿となられたのですから、蒲生様が信長様の後を継いで、日本の王様になるということです。デウスのご意志だってそうです。伊勢神宮を蒲生さまの手に渡して下さったことが、何よりデウスが蒲生さまをお選びになったという証拠」

 デウス以外の神──悪魔の社は破壊しなければならない。

 その中でも別格の、天皇にゆかりの伊勢神宮。そして、易姓革命防止のために行われてきた辛酉革命。それを唯一しなかった年に生まれた人の婿だから云々という、オルガンティーノの言わんとしているところの意味。

「伊勢。それについては、かなり難しいと思いますが」

「勿論。早急なのはよくありません。ゆっくり行って下さい。でないと、逆に迫害されて危険です。それに、蒲生様が手ずからなさらなくとも、デウスが地震を起こし給い、既に打撃が与えられています」

「先にパードレを派遣して頂き、城下に教えを広め、民の改宗を進めるべきでしょう。異教徒を迫害するやり方は駄目だ。パードレを派遣して頂けないでしょうか」

 忠三郎、甘美が過ぎて、ことの重大さにあまり気付いていない。

 彼がイエズス会に近付いた本来の目的を失念しかけるほどに、甘美で。そして、それほどまでに神の教えは尊く、いつの間にか引きずり込まれ、どっぷり浸かっていた。

 いや、家中の統合のため、家臣達に戦場で死ぬことを躊躇させないため、スペインの日本への姿勢を探るためであることは、忘れてはいない。だが、つい──。

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