信仰と義(上)
藤掛三蔵は冬姫に対し、忠三郎が洗礼を受けたのは去年の閏八月であると言った。しかし、それは実は正確ではない。
忠三郎は当初からイエズス会に近づき、また、六右衛門をローマに派遣していた。ローマの出方を、イエズス会本部の方針をいち早く知りたかった。彼にとって、最近の戦乱や国替えは、時間の無駄で、やきもきさせられていたのである。
伊勢に入って最初の半年は身動きできない状態だったが、十一月に信雄が秀吉と和睦し、木造氏が開城して去ると、忠三郎は高山右近を訪ねていた。
領国経営と教会通いの日々。天正十二年末から翌天正十三年の三月まで続いた。そうした中で、秀吉の根来衆・雑賀衆討伐に参加していたのである。
彼は秀吉が関白になった時には既にキリシタンであった。賦秀を捨て、氏郷になる前に、すでにレオ(レオン)だったのだ。
冬姫は三蔵から聞かされるまで、何も知らなかった。
佐々討伐後、なかなか帰国しなかった忠三郎は、教会で洗礼を受けていたのではない。キリシタンとして教会に通い、そして、オルガンティーノに探りを入れていたのだ。
忠三郎は信長の娘である妻を、イエズス会の思惑やら何やらに利用されないようにと、冬姫には教会の話をしなかった。
最近、大坂城周辺は日々発展を続けている。諸侯の邸も次々に作られ、数万単位の人間が日夜土建作業に勤しんでいる。
さらに、秀吉は京にも巨大な邸・聚楽第を築くのだ。各大名の出費はいかほどになるだろう。
この分だと、蒲生家にも莫大な出費を迫られそうだ。大坂城に聚楽第に。松ヶ島城の補修などしていられないのではないか。
このような状況の中で、大坂に来ては、忠三郎はオルガンティーノや高山右近を訪ねてばかりいる。
キリシタンの妻は、自分もキリシタンになることが多い。しかし、忠三郎は冬姫を伴天連や伊留満に会わせようとせず、教会にも行かせない。
家臣達には、自らその教えについて話したり、受洗を促したりするのに、冬姫には一度も説教したことがないのだ。
忠三郎は冬姫にはとても優しい。だが、彼の愛情が、強迫観念さえ伴っての、無理矢理なものにさえ冬姫には思えた。熱心な信仰心ゆえの。
とら姫が秀吉の寵愛を受けたのが、忠三郎のとんだ情愛からだということを知れば、冬姫も少しは違ったのかもしれない。いや、かえって──
一方、男というのは、たとえ忠三郎のように細やかな人でも、妻の心の機微には鈍感なもので、何の疑いも抱かずに、益々の愛情を冬姫に注いでいる。
そして、彼女にキリスト教への入信を勧誘するのは、専ら家臣たちであった。
「これを差し上げます」
とて、『さんたまりやのらだにあす』(聖マリアの連禱)というものが書かれた料紙を手渡してきた者もいた。
縦書きで、全て平仮名のラテン語である。
──「きりゑゑれいそん
きりしてゑれいそん
きりゑゑれいそん
きりしてあうぢなうす……」──
等と書いてある。声に出して読んでみるが。
「……さんた、ちりにたす、うぬす……さんた、まりや、おらほろなうひす、さんた、でい、ぜにちりす……」
──「まてるぢびねがらしゑ 同
まてるぷりしま 同
まてるかすちいしま……」──
こんな具合に続いていて、冬姫が返事に困っていると、その者は、入信しないと地獄に落ちると言う。信仰は大事だとは知っているが、冬姫はそれを理由に受洗する気にはならない。
「殿は受洗せよとは仰せられませんが、生き方で示して下さっていると思うのです。
最も大事なことは、デウスを御大切に、信仰を持つことだと伺っています。しかし、永遠に生きたいという理由で信仰を持つならば。隣人を大切に思い、生きる方が、そんな信仰よりも大事に思えるので。それで地獄へ落ちるならば、それでも構いません」
「そこまで思われるなら、受洗なさっても宜しいのではございませぬか?すでに御心に信仰をお持ちになっておられまする」
冬姫は首を横に振った。
「殿は伊勢の地の敵としてやって来て、領主となられました。そして、まだ日も浅い。神宮を破壊するようなことがあれば、必ず暴動が起きましょう。また、伊勢国内だけでなく、全国から非難されましょう」
伊勢神宮は別格だ。忠三郎でも、破壊どころか保護しなければならない。だが、そのような事情を、忠三郎の神が許すであろうか。
「ここは私がキリシタンにならずに頑張るしかありません。私は悪魔で、殿に神宮の破壊をさせないよう、妨害しているのです」
そうなれば、神の怒りは冬姫に向けられ、忠三郎には及ばなくなる。
「さような馬鹿げたこと……」
全能なる神が、冬姫の思考を知らぬはずがないではないか。
しかし、この冬姫の発言に、家中は思うところあったのであろう。坂源次郎が、
「余計なことだ。出過ぎた真似をするな。無礼だぞ」
と諫めたこともあり、以後、冬姫に受洗を迫る者はいなくなった。
信仰については、正直、冬姫にもまだわからなかった。父の信長は決して魂の不滅など信じなかった。
伴天連は、仏教もあらゆる神話も、全て人間の思考が産み出した物であるが、唯一絶対なる神のみは実在し、その神の教えを自分達は説いているのだと主張している。
「しかし、父はそのデウスの御教えさえも、人間が考えたものなのだと思っていたに違いありません。実在のデウスが預言者に与えた教えではなく、人間の思考の産物だと」
冬姫は次兵衛にだけそう言った。
「死を恐れる人間の、永遠に生きたいという願望が、魂の不滅を説くデウスの御教えを産んだ……父なら、きっとそう思うのではないかと」
「そうですなあ。世のほとんどの人間は弱く、死後の世界の存在と魂の不滅を信じるものでしょう。御仏を信じる心もデウスを信じる心も、死への恐れ。死をも恐れぬ豪傑も、死後の世界の存在を信じてそこへ逃げているから、この世で死をも恐れぬ振る舞いができるのやもしれませぬ。魂の不滅を信じない者は、怖じ気づいてなかなか死ねないものでしょう。それでも潔かった上さまのような、心猛きお人は二人とおりますまい。姫さまは御父上の影響を受けて、神なぞお信じになれないのでしょう?」
「いえ……」
そうでもない。忠三郎の信じるものだからか、どこか信じる部分もあるし、父の影響か、疑う部分もなくもない。
「まあ確かに、そうですわな」
次兵衛は宗教とはそういうものだとでも言いたげに笑った。次兵衛の心も冬姫と同様なのかもしれない。
「それにしても、殿はどうして信じるようになられたのでしょうな?」
忠三郎が信仰を持つ理由。それは本当に謎だ。




