阿弥陀と十字架
忠三郎と冬姫は、母と妹(実は叔母とされている親族)を訪ねた。
母の桐の御方のことは松ヶ島に迎えようと、すっかり準備を整えていたのだ。あとは桐の御方を連れてくるばかりという状態だった。そこを地震が襲い、未だ迎えられずにいる。
妹は秀吉に人質に差し出したもので、彼女は桐の御方とは別な所にいた。
最初に妹を訪ね、その後、桐の御方を妙心寺に訪ねて行った。
そこで数日過ごす間、忠三郎は一日、藪下だけを伴い、日野へ向かった。何の用事か冬姫にはわからない。ただ、故郷も地震の被害に遭っただろう。様子を見たいのかもしれない。
忠三郎が日野に行っている間に、藤掛三蔵の招きで冬姫は百萬遍知恩寺に行った。
知恩寺は秀吉が深く帰依しており、ここに於次の菩提寺を作ろうと、三蔵と相談しているという。
於次は総見院に埋葬されたが、考えてみれば、あそこは信長の菩提寺であり、於次個人のそれはない。いずれ知恩寺の境内を土御門辺りに移動、拡張し、その内の塔頭として創建することができればと、考えているのだ。
ただ、秀吉は於次の菩提寺を望んでいるが、最初はどこにとは決めていなかった。具体的にそれを百萬遍にと提案したのは三蔵だった。つまり、三蔵の発案で於次の菩提寺は知恩寺に内定したのだという。
「お身内が建てられるのが望ましゅうございます。ご養父様もよろしいが、蒲生様のご内室様は実の姉君にあらせられますれば、あなた様がご創建になるのが望ましいことと存じます」
住持の岌興(宝蓮社善心)はそう言った。
秀吉が創建するつもりなのかもしれず、いずれにせよ、忠三郎の判断無しに冬姫一人では決められない。織田家として創建するならば、信雄の意見も訊くべきだ。
彼女は即答できないと返答したが、於次のために何かしてあげたいとは思った。
知恩寺の創始は法然上人と賀茂上人こと源智だが、源智は平大相国清盛の孫・平師盛の遺児である。
織田家の祖は越前の剱神社の神官の養子である。実はその神官の養子は、近江の津田庄に隠れていた平資盛の遺児であった。師盛は資盛の弟であるから、源智は資盛の甥なのである。
百萬遍の号は後醍醐天皇より賜ったとされる。織田家は後醍醐天皇や吉野朝(南朝)にも敬意を持っていて、その末裔の外戚であるとか。
知恩寺は織田家の冬姫や於次にとっては、何やら縁があるように、冬姫は感じた。ここならば、北畠氏でもあった信雄の支援も、得られるような気がした。
その頃、日野へ向かった忠三郎は、その被害の実態を確認することができた。
確かに損壊家屋が点在している。崖などは崩れているところもあるし、地割れしている場所もある。懐かしい中野城の石垣も転がっていた。
しかし、伊勢亀山や近江長浜ほどの被害ではなかった。
それに、すでにきれいに片付いている。さすがは日野の衆だと、忠三郎はその甲斐甲斐しさを喜んだ。
一軒の職人屋敷を訪ねる。
藪下が作業中の主人に声をかけた。主人は手を止め、顔を上げると、慌てて戸口に出てきてぺこぺこ頭を下げる。
「すまぬ、仕事中に、邪魔をしてしまって」
「いえいえ、ようこそお越し下さいました」
しかし、主人は忠三郎主従を中に案内しようとはしない。
戸口から、中の作業場の様子は一望できる。大量の漆があって、椀が幾つも並べてある。
親しくしている塗師の家だった。
忠三郎は笑顔で、
「もう仕事ができているのだな?案じていたが」
「おかげさまで。それでも結構大変だったのでございますよ」
作業場はきれいに整えられている。しかし、地震の当初は物が散乱していた。
「とはいえ、すぐに再開できましたので。天に感謝しておりますわ」
塗師は当初の苦労もとうに忘れたように、明るく笑った。
「そうか。頼んでおいたものはどうだ?」
「はい。二つ三つ試してみましたが──少々お待ち下され」
塗師は一度作業場の奥に戻ると、五点ほどの椀を台に載せて持ってきた。
大ぶりなもの小ぶりなもの、朱色、漆黒。様々だ。
「ふむ、これはよいかもしれないな」
朱地に金粉を散りばめた物を指差した。
「どうぞ、御手にとってご覧下さい」
忠三郎は、しかし、漆黒の艶やかな無地の物を取り上げた。椀の中に彼の目が、きらりと光っている。
「何と美しいのだろう。私はこれが好みだ。だが──」
南蛮人にはわかるまい。地味としか思わないだろう。ローマ法王に贈るなら、金粉のだろうと思った。
「これをより工夫して、より大きな物で試してみてくれ」
忠三郎は再びローマへ使いを遣わすことを考えていた。
ローマ法王への献上品のうちに、日野椀をと考えている。ローマでは、磁器、茶碗は珍重されているだろう。一方で、漆器も喜ばれるはずだ。
忠三郎は全国から素晴らしい名産品を集め、六右衛門に持たせていたが、次の使節には、進化した南蛮人好みの日野椀を持たせたい。
漆器の産地なら、他にも幾らでもある。中には南蛮人の好みそうな華美なものを作る所もある。それを買って、法王へ贈ってもよい。しかし、献上品の中に、一つくらい自分の土地の名産を入れたいではないか。
「それと、もう一つの方はどうなっただろうか?」
別に注文していたものもあった。
「はいはい、それもできておりますよ」
塗師は椀を戸口近くの棚の上に置いて、再び作業場の奥へ行った。
「木地師が何やこれと言うておりましたっけ」
呟きながら、白い布に包んだ小さなものを、布ごと両掌にのせて、捧げ持ってきた。
「こんな物は作ったことがないであろうからな」
忠三郎が苦笑して応じる。塗師は忠三郎の前で、そっと布を開いた。
「おお!見事だ!」
その出来ばえに破顔した。
漆を施した漆黒の十字架である。
「こんなもん、見たことも聞いたこともありません。どうなさるんです?」
「これでコンタツ(ロザリオ)を作る」
「……こ?」
笑って忠三郎は手に取った。
「うん。上出来だ。これなら、阿弥陀様にも合う。ありがとう」
塗師に銭を払って、忠三郎は満足そうに懐にしまい入れた。
ロザリオは不足していた。キリシタンならば皆欲しい。聖像もである。
南蛮渡来のそれらを、伴天連から贈られることを、全てのキリシタンは望んだ。
伴天連も求める者には与えたいが、数に限りがある。ローマから送ってもらうのだ。届くまでにも時間がかかるし、そう大量には船に乗らない。
欲しがるキリシタンは数万といる。しかし、彼等全員に与えられるだけの量を、伴天連はとてもではないが確保できなかった。
忠三郎も欲しかった。聖像を掲げて、ロザリオを手に毎日礼拝したい。
しかし、伴天連くらいしか持ち合わせていないその稀少品を、困っている伴天連に無理に寄越せとも言えなかった。無いものは無い。
(そうだ!パードレを困らせるくらいなら、自分で手に入れればいいじゃないか!)
忠三郎は伴天連の手を煩わせず、自分で入手しようと、再びローマに使節を遣ることを思い立った。
法王にも謁見できるし、聖像も入手できる。ついでにあちらの武器だって購入できる。
だが、六右衛門でさえ未だ帰っていないのだ。今から派遣しても、聖像やロザリオが手に入るまでには数年かかる。
(その間は──作ればいい。自分で作ってしまえ)
忠三郎はロザリオくらいなら、作れるだろうと思った。
ロザリオは珠や玉、あるいは実を繋ぎ合わせれば作れる。あとは十字架を付ければよい。
十字架は銀や金、あるいは玉や象牙を削って作れば、それは美しいものができるだろう。しかし、忠三郎は木で作るという発想に至った。
(そうだ、漆だ。漆を塗ったらどんなコンタツができるだろう?)
十字架に漆を塗る。そう思いついたのは、おそらく子供の頃から件の阿弥陀像と厨子を持っていたせいだろう。
塗師の家を出た忠三郎は、故郷の山々を眺めながら懐に手を入れた。できたての十字架と阿弥陀像とを握り締める。
(主イエズスと阿弥陀が同居している……)
これは大罪だ。
阿弥陀は焼き捨てなければならない。
だが、これは冬姫からもらった物。捨てるのは妻の愛を捨てることだ。
ただ一人の妻を愛せと言う。その妻の偶像を捨てることは、それと矛盾する。絶対に捨てられないし、返却もできない。
(私は試されているのだ。捨てないようにと、悪魔が誘惑している)
捨てられない想いは悪魔の誘惑。誘惑に勝たなければならない。
(それでも捨てない!罪深いが……)
十字架と阿弥陀を同居させる道を行く。神の楽園には行けないと知りながら。
忠三郎は受洗直後にも日野に来ていた。その折、漆器の改良と十字架製作とを依頼したのだが、まだまだ日野に来る機会は多そうだ。六右衛門がイタリアの武器を持ち帰ったら、それを参考に、日野筒の改良もしなければならない。
(彼等職人を、松ヶ島に呼べないものか……)
十字架と阿弥陀を手に、そう思った。
京へ戻ると、冬姫のもとに三蔵が来ていた。彼は冬姫を代弁し、知恩寺のことを願う。
「於次さまのためなのです。何卒、お力添え下され」
於次の菩提を弔うための塔頭開基。冬姫の名で建てるにせよ、忠三郎の協力が要る。だが、忠三郎はキリシタンだ。キリシタンが寺院の建立に手を貸すなど、何を言われるか。伴天連達から、神を冒涜したと罵られ、神の怒りが下ると脅されるだろう。
冬姫は、だから、忠三郎には願えなかったが、三蔵は気にもとめない。
「関白殿下もお望みのことにござる。それに、知恩寺は蒲生家の菩提寺の信楽院と同じ浄土宗でござろう。あくまで貴殿ではなく、冬姫さまがご創建になるのでござる、異論ござるまい?」
「宜しいと思います。お力になれるところは、協力させて頂きます」
すでに阿弥陀と十字架を同居させている。忠三郎は於次の菩提寺建立に異を唱えなかった。




