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大地震(下)

 遅い夜明け。ようやく周囲が明るくなって、眼下を見渡すと、愕然となった。

「汚い……」

 率直に感じたことを言葉で表現すると、汚いだった。

 昨夜は気付かなかったが、城は天守が倒壊しているようだ。だが、城も城下町もちゃんと残っていた。とはいえ、全壊した家屋は多く、町全体が壊れている。

 津波は低いものだったようだが、海岸ばかりか町中にも瓦礫があふれている。城は海に引きずり込まれなかった。

 目立った火事は見当たらないが、幾棟かは燃えた家もあるかもしれない。

「めちゃくちゃではないか……」

 町の破壊された様に、忠三郎はしばし茫然とした。町は瓦礫にしか見えなかった。圧死した民は、津波に飲まれた民は、どれくらいいるのだろうか。

「これを片付けるのか?」

「しばし。海嘯がまだ来るかもしれませぬゆえ、もうしばらく、こちらにお留まり下さい」

 続々と町へ戻る人々。忠三郎も小者達等を城や城下に遣っていたが、次兵衛はまだ安心できないと言う。昼頃まで、そこに留まらせられた。


 午後、忠三郎は家族と城に戻ったが、なお大きな地震があって、いつ建物が倒壊するかわからない。子らは中に入れず、庭に居られる場所を設えて、そこに置いておいた。

 そして、忠三郎は城内の片付けに、冬姫は炊き出しに追われた。

 城下の整備に多数の兵を出したが、城もかなり損壊している。倒壊した建物さえあるのだ。女は城内の片付け、男は石垣の整備や瓦礫の除去をした。

 家臣達は自分の屋敷そっちのけで奔走している。

 冬姫も手が空くと、自然と庭の瓦礫の片付けてをしていたが、忠三郎が珍しく厳しく咎めるので、炊き出しだけをする。とはいえ、一度に二千人以上の食事を作り、さらに民のためにも作ったので、休む時間もなく、一日中炊事場は戦のような騒ぎだった。


 このような時でも、大名の役目はある。

 忠三郎は近江坂本にいる秀吉のもとへ使いを出した。とはいえ、途中で道はあちこち寸断されているだろうことが予想された。そのため、何組かに分け、別々の道を通って、それぞれ坂本を目指すよう指示した。

 伊賀を越えた者達は、途中で秀吉は都にいるとの情報に接する。海路をとった者達は、秀吉は大坂まで逃げのびたとの情報を得て大坂に向かい、秀吉と対面することができた。

 大坂城も相当揺れたが、倒壊することはなかった。ただ、秀吉は庭に金の屏風で囲いを作って、その中で数日過ごし、落ち着くまで中には入らなかった。

 一方、伊勢を北上して坂本を目指していた者達は、北伊勢の惨状に腰を抜かし、特に長島の状況を伝えようと、一人を松ヶ島に帰してきた。

 この者が松ヶ島に戻るよりも先に、親族で寄騎の関一政の使者が、伊勢亀山から松ヶ島に到着していた。

 使者は途中までは馬で来たが、すぐに崖崩れで馬では通れなくなり、道でない所を掻き分け掻き分け、這々の体で出てきたのだという。

 疲れ果てた使者は、忠三郎の安否確認に来たわけではなかった。

「亀山は壊滅的です。城も倒壊しました。何卒、お助け下さいませ!」

 救助要請の一政の使者だったのだ。

「松ヶ島よりひどい所が沢山あるようだな!」

 亀山の話に血相変えた忠三郎は、すぐにその場で食料などを大量にまとめさせ、三百人近い男女にそれを背負わせ、亀山に送り出した。

 そうしている間に、長島の惨状を伝える者が帰ってきた。

 長島城主は他でもない、信雄である。聞けば、亀山よりもさらに深刻だ。

 呼ばれて、冬姫もその話を聞くことになった。

 城は倒壊、焼失。民家も倒壊。さらに水没して、辺り一面、海・川と化した。城の北東の森嶋、符丁田、篠橋は水没してなくなり、また城の東の加路戸も千軒もの家があったが、水没して全てなくなり、人馬の屍で溢れている。

 さらに、近くの桑名城も倒壊した。

「幸い、兄上様はご無事にございますが」

と、途中から気分を悪くした冬姫に、この者は信雄の無事を伝えたのだった。

「天守の倒壊で済んで、まだ松ヶ島は被害が少ない方だったのだ」

 信雄が今でも松ヶ島にいれば、長島にいなければ──そんな考えさえ過るが、冬姫を休ませ、忠三郎は各地の被害状況を知ろうと、甲賀者を召し出した。

 調べにより、次第に各地の被害状況が明らかになっていく。

 十一月二十九日、亥の刻の地震は巨大なもので、伊勢や尾張、三河の辺り、つまり伊勢湾界隈に大きな被害をもたらした。余震も数知れず。

 さらに、二刻後の丑の刻にも巨大地震が起きた。地震は十二月に入っても収まる気配なく。一日、二日、三日それぞれにも大地震が発生。その後も二十日以上、連日発生した。

 巨大地震なので、連動、誘発地震も起き、複数の震源域がある。

 実は日本海側や、近江や飛騨などの内陸の被害も甚大だった。

 帰雲城は山体崩壊によって城ごと埋まり、周囲の集落も含めて全滅。佐々成政方として、秀吉方から攻撃を受けたが、ようやく和睦にこぎ着けたその矢先、帰雲城主一族郎党うち揃って全滅した。そこにせき止め湖までできた。

 大垣城は倒壊、焼失。

 近江長浜城も倒壊、周辺は液状化した。長浜城主・山内一豊は幼い娘や家臣を失っている。

 琵琶湖にも土砂が流れ、京にも被害があった。

 若狭湾周辺には津波が襲来して、多数の人々が溺死し、津波は陸上にあるものを悉く粉々にして海に引き摺って行った。あとに残ったのはへどろばかり。

 丹後、若狭、越前などは津波に襲われたが、これは二十九日亥の刻のものとは別の地震らしい。数日の間に、同時多発的に幾つかの震源域で発生した大地震のうちの、どれかだろう。

 佐々成政から分捕ったばかりの越中の被害も大きく、前田家に多大な損害をもたらした。特に、木舟城の倒壊によって、利家の弟・利継を失ったのは大きい。

 そして、この一連の地震は、太平洋側の広範囲にも津波をもたらした。伊勢湾が最も被害大きかったが、三河湾にも到達、さらに北へも至った。

 北伊勢沿岸部、つまり、伊勢湾の最奥の被害が最も大きい。長島の辺り。木曽川、長良川、揖斐川の河口付近。幾つもの川筋により、島が点在する低地、輪中が築かれている所である。

 長島は、もとは一向衆達が一揆を起こし、その特異な地形によって、大いに信長を苦しめた所だが、この地形が津波の影響を強く受けた。

 低地である上、地震で地盤沈下し、さらに大規模な液状化が発生した。そこへ津波が来たのだ。この津波で消えてしまった島もある。

 現在の長島城主は、つい最近秀吉と和睦したばかりの信雄。地震の被害は家康にも及んでいる。

 両者の地震による打撃は大きい。






***************************

 生きるのに精一杯な日々から、次第に他地域の様子もわかってきて、領内も片付いてきた頃。

 日常にはまだ戻れないが、一段落ついた頃というのは、余震にも慣れたものだ。ちょっとやそっとの揺れでは怯えなくなった。そうなると、油断が生じる。

 十二月中旬にもなると、つい高い台に物を置いたり、火の側から離れたりということが出てくる。

 その日も、厨で大鍋に汁物を沢山作っていた。

 ある女中が、一鍋できたので外に運ぼうとした時、急用ができた。彼女は火の側の台の上に、鍋を置いてその場を離れて行ってしまった。台には割れ物や汁物を置くなと冬姫は命じていたのだが、気のゆるみだろう。

 大鍋の汁は火からあげたばかりで、煮えくり返っていた。

 その時、運悪く大きな余震が起きた。

 慌てて皆、火の元に寄る。かなり大きく揺れるので、消火しようと必死だ。

 冬姫は火元から離れた場所にいたが、はっきり台の上の鍋を見ていた。鍋は大きく揺れ、煮えくり返る汁をぶちまけながら落下するに違いない。

 鍋の真下には女中達が三人がかりで必死に火を消している。頭上に気づく余裕はない。

「危ない!」

 叫びざま、駆け寄っていた。三人が大火傷を負うと思ったからだ。

 冬姫は必死だったので、足元の注意を怠り、鍋に手をかけた瞬間、ぐにゃりと捻っていた。それでも彼女の手は、袖口の上から鍋を抑えていた。

 鍋は三人とは反対側に汁を飛ばしながらも、どうにか落下はしないで台に留まった。おかげで火傷や怪我を負う者は出なかったが、冬姫はそのまま動けなくなってしまった。

「まあ!どうなさいましたか?」

 皆が駆け寄って来る。いつの間にか揺れは収まっていた。

「足が……」

 みるみる色が変わってくる。左足首をしたたか捻ったのだ。捻挫か骨折か。

 皆に介抱される。冬姫は情けなくなった。痛くて動けない。

「冷やしましょうね」

 侍女が濡らした布を冬姫の足首に巻きつけた時だ、忠三郎本人が厨に駆け込んできたのは。

「落ち着いて聞かれよ」

 忠三郎、まるで冬姫の姿が目に入っていないようである。彼女を凝視しているのに、足に気づかず、まくし立てた。

「今、丹波亀山から知らせが来て、去る十日、今月の十日、於次様が逝去されたと……」


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