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大地震(上)

「デウスを信じれば、永遠に生きられますよ」

 その後も、相変わらず忠三郎は冬姫に受洗を促しはしないが、代わりにそう言ってくる家臣が幾人かいた。侍の中にもキリシタンが増えている。

 しかし、冬姫には彼等の口振りが邪道に思われた。

「死にたくないから、永遠に生きたいからという理由で信仰を持つなぞ。信仰こそが最も大事なことだと申しますが、私はそれよりも生き方の方を、博愛をこそ大事にしたいと存じます」

 地獄へ行くなら、それでもよい。死後の心配より、今の生き方の方が余程彼女には重要だった。

 見ず知らずの人間であっても、己のように愛し、許し合って生きる。信仰を持たなくとも、そのように生きることはできる。死を恐れ、永遠の命を得たいと受洗するより、その方がいい。

 冬姫はキリスト教の説く愛に、以前から深く感銘を受けていたのだから。

 デウスを信じなければ地獄に落ちるなどと、脅迫じみた言葉で受洗を迫る者など、信用ならないと思っている。実はそういう薄っぺら──と冬姫は感じている──なキリシタンのいかに多いことか。

 そういう者が伊勢国に増えることが、いささか心配だ。

 忠三郎の信仰がどういうものなのか、どういう理由から信仰を持つことになったのか、冬姫は知らない。

 だが、部屋の隅で人知れず祈りを捧げている姿を、何度か目にした。きっと彼は心から神を信じ、愛している。彼には確かに信仰がある。

 だが、家中には、ただ受洗しただけという者がいる。

 最も大事なことは、神を愛することだという。信仰を持つこと。

 しかし、冬姫はキリシタンの家臣等の信仰にはいささか不信感すら抱いていた。そのためか、忠三郎の信仰心さえ、素直に応援できない。彼が受洗を促してはくれない寂しさも重なってのことであろう。


 すでに十一月の末。

 真冬だというのに、冬姫は外に出ている。月影はなく、暗い。伊勢は温暖とはいえ、寒いには違いない。

 忠三郎は夜更かしが常だが、今日はもう寝所の中にいる。

 冬姫は何だかそこへ行く気がしなくて、闇夜にぽつねんと佇んでいた。

 キリシタンはデウス以外は神と認めないというのに、忠三郎は冬姫が子供の頃に贈った彫漆の厨子に入った阿弥陀仏を、まだ持っている。

 あれはあげてしまったが、本当はとても大事なものだ。珍品だし、父が京土産だと言って、冬姫にくれたもの。父は亡く、形見になってしまった。

 キリシタンにとっては憎むべき偶像かもしれない。しかし、冬姫には父の形見、大事な宝物なのだ。

 忠三郎があれを焼き捨ててしまうこともあるのではないか。

 時折、神に祈りを捧げる彼を見て、冬姫は不安も覚える。

 人の気配がした。足音で忠三郎だとわかる。

「まだおやすみでなかったのですか?」

 冬姫は振り返らずに言った。

「いやいつまでも来ないから、どうしたのかと思って」

 忠三郎の声は心配そうで。

 キリシタンになってから、彼はそれまで以上に冬姫にやさしくなった。これがかの教えの影響であるのは明らかだ。

「ご気分でも?」

 背後からそっと冬姫の肩に手をやり、様子を窺いかけたその時。

「あっ!」

 地の底から轟音が届いたかと思うと、たちまち揺れ始めた。

「地震!」

「大きい!」

 揺れは想像を超えて大きく、激しさを増して行く。

「これはまずい!」

 最悪を直感し、忠三郎はすばやく冬姫を抱えると、頭上を確かめ、

「今だ!」

と庭に走り出した。

 庭に出てから、余計に強くなる。ずごごごごと相当大きな音がしている。

 激震に、心拍数が上がり過ぎて、冬姫ははあはあと肩で息をついていたが、頭にあるのは子供たちのことだった。

 城下の町からも悲鳴が聞こえる。城内も同様で、次々に老若男女、庭に転がり出てくる。

「あっ!屋根が!」

 その時、屋根がぐにゃりと崩れ始めた。

 夜目にもはっきり見えた。

 冬姫は真っ正面から見た。城の屋根がむなしく崩れるのを。

「このままでは、ぐしゃりと潰れましょう!」

 倒壊を予感した。

「鶴千代!籍!」

 青ざめて、忠三郎も叫ぶ。助けに行かなければ。

 一方で、

「殿!殿おっ!!」

と、城内のあちこちで呼び叫ぶ声がする。

「鶴千代を助けねば!」

 呼びかけにも応えず、裸足の忠三郎が駆け出しかけた時、ようやく揺れがおさまった。

 途端に悲鳴が増す。揺れている時は、地鳴りにかき消されていたのか。逃げるのに必死か、恐怖で声も出なかったのか、揺れがおさまってからの方が泣き叫ぶ声は高い。

 幸い子供たちは無事だった。忠三郎が行くまでもなく、乳母が抱いて出てきてくれた。

「鶴千代!籍!」

 忠三郎も冬姫も駆け寄り、泣く我が子を抱きしめる。

「大丈夫、大丈夫よ……」

 そう言っている間に、小さな余震が起きて、人々をますます恐怖に陥れる。

「この世の終わりか!?」

 そんなことを口にする者も少なくない。

 城も戸が飛び、壁崩れ、瓦が飛び散り、あちこち壊れてしまった。

「これは、城下の被害も大きいだろう……」

 城内のぱっと目に付く所だけでも、これだけ壊れているのだ。城下はいかほどか。

「誰ぞ城内の見回りをせよ!壊れて危険な所を図面に記し、怪我人を庭に運べ!」

 忠三郎は鶴千代を抱きながらも、すぐさまそのように指示を出し、自身は城下の見回りに出ようと、周囲の侍、中間達に話していると、丹波亀山から帰っていた次兵衛が転がり出てきた。

「なりませぬ!疾く高き所へ移られませ!城下の民は皆、高き丘に我先にと逃げて行きまするぞ!かなり揺れました!海が迫り来るかもしれませぬ!」

 織田家由来の家臣達には、尾張や伊勢出身者も多く、海辺育ちも少なくない。大地震の後には津波が来ることを、知っている。

 また、この伊勢は度々津波に襲われているから、津波のことは皆伝え聞いていて、民は続々高台に逃げていた。安濃津の津波による壊滅は、そう遠い昔ではなかった。

 蒲生家は内陸の地・近江の日野にあったから、津波をよく知らない。譜代の家臣、城内にいた近衆は日野周辺の出身者が多い。

 松ヶ島城はあまりに海に近すぎる。

 織田家由来の家臣達の指摘により、皆避難することになった。とはいえ、着の身着のまま。

 忠三郎でさえ、寝間着一枚に裸足なのである。それでも忠三郎はまだよいとして、城主夫人の冬姫をそのままの姿にしておくわけにはいかない。瓦礫が散乱しており、忠三郎とて、履き物は必要だ。

 夜遅いので、城内ではすでに寝ていた者もある。女衆は着替えたいと思う。

「なりませぬぞ!海嘯(津波)はすぐやってくるそうです、半刻もないうちに。身なりなぞ気にしている場合ではござらん!」

 着替えを取りに中へ戻ろうとする者達に、次兵衛が大声で怒鳴った。しかし、言うことを聞く者ばかりではない。

 中は障子も襖も倒れて、足の踏み場もないばかりか、家財家具が転倒し、割れ物の破片に溢れている。履き物なしでは危ない。次兵衛を無視して入った者達も、思うように進めない。

 続々と松明が灯され、明るくなって行く。それを手に、中へ入ろうとする者もいた。

 その時、今度はまた随分大きな余震が起きた。屋内は倒壊しそうなほど、ゆさゆさ大きく揺れる。

「ならぬ!火を持って中に入ること、許さぬ!」

 火事を危惧した忠三郎が指示を出すうちにも、また小さめの余震がある。さすがに小者も女中も恐れて、もう中に入りはしない。


 いったいどれが予震(前震)か本震か余震かわからない。それほど大きな地震が頻発している。

 十一月二十九日、亥の刻のことである。


 松ヶ島城は海辺にあり、しかも標高が低いため、津波を恐れて、忠三郎達は高台への避難を開始した。度重なる余震の中、子の刻には城内の老若男女、避難を完了していた。

「城下の屋敷におる者が登城せぬよう、真っ直ぐこちらへ来るよう、注意を促せ」

 そう命じて城下に見回りを出していたが、その見回りの衆以外は皆、一つ所に集まっている。

 屋敷にいた家臣やその家族たちも、続々集まってきていた。

 真冬の夜中は頗る寒い。領民達と混じって城の人々もいたが、焚き火せずには過ごせなかった。

 しかし、丑の刻頃に、本震と思しき二刻前のものに匹敵する規模の余震が起きると、野外とはいえ焚き火などしていられない。

 凍える中を、忠三郎は無数の人々と励まし合いながら堪える。だが、幼い鶴千代の体力を思うと、火の気の乏しい真冬の夜に放置しておけない。

「近くの小屋に──」

と、目を凝らしてみたが、来た時にはあった小屋の姿がない。

 烈しい余震で倒壊したのだ。

「かような状況で、建物の中にいるのは危険過ぎまする」

 次兵衛は野宿が一番だと言い切った。

「されど、いくら何でも幼子らには寒過ぎるだろう」

 たまたま足の悪い老女を輿に乗せて運んできていた。

「そうだ、あの輿に」

 忠三郎は子らを輿に入れておこうとして、側に呼んだ。

 さっきまで忠三郎や冬姫と焚き火にあたっていた鶴千代と籍姫。

 籍姫は眠っていたところを地震で起こされ、不機嫌になっていたが、今は寒さと恐怖で元気がない。

 鶴千代は最初はびっくりして泣いていた。そのうち、焚き火のぬくみでいつの間にか寝ていたが、今は余震の人々の絶叫で起きたらしい。起きたはいいが、無数の人間が群れているのが珍しく、それが楽しいのか、怖がる大人達の間ではしゃぎ、乳母の手を焼かせるほどだ。

「よくわかっておらんのだな」

 忠三郎は鶴千代の様子に安心した。

 子供二人を両手に抱えると、寒いから輿の中にいろと言う。

 鶴千代は元気に乳母に抱かれて連れて行かれたが、籍姫は首を強く振って傍らの冬姫にしがみついた。

「いやいや!」

 母の胸元で泣く。

 父母の姿が見えない輿の中では不安なのだろう。

 冬姫は背中をさすった。

「寒いでしょう。輿は暖かいのよ」

「いや!」

「ほら、鶴千代君も一緒……」

「母上も一緒じゃなきゃ、いやあ!」

 今にも大声で泣き出しそうなので、冬姫は困って忠三郎の顔を見た。

 家臣達の家族は言うまでもないが、ここには領民も沢山集まっている。中には幼子もいるのだ。皆怖くて寒い中を堪えているのに、城主の娘の我が儘な姿など見せられない。

 かといって、叱りつけるのも、どうも今の状況では気がひける。籍姫は普段は厳しく躾られ、領主の娘としての自覚が強く、聞き分けが良いのだ。それでも普段の矜持を忘れる現状。いや、大人だって烈震に、恐怖で我を失っているのに。

「仕方がない。御身が一緒に輿の中へ入られては如何です?」

 忠三郎はそう言うが、それは冬姫には気が進まない。

 領民も家臣も皆辛い時、城主夫人だけ悠然と輿の中に入るというのは──。

 勿論、誰も文句は言うまい。むしろ当然と思うだろう。しかし。

 不意にまた強い余震。近くにいる家臣達の集団の中の、幼い男子が声高に泣き出した。

 籍姫よりは四つ五つ大きいように見える。

 家臣になったばかりの若者・岡源八(左内)が、その子を叱りつけている。傍らの川副は逆に宥めていた。

 そう、皆こわいのだ。籍姫がむずかったら、ここに集う全ての幼子の心が壊れてしまうだろう。

「結構。籍殿はこのままここにいなさい。武門の子が、たとえ女とはいえ、これくらいのことに堪えられなくて何とします」

 冬姫はきっぱりそう言い切った。

 忠三郎が驚いて反論する。

「私は御身の体こそ心配です。二人で輿の中にいてくれた方が安心だ」

「いいえ」

 冬姫はなかなか頑固だ。籍姫もびくっとして、顔を上げて母の顔を盗み見た。

(母上が怒ってる……)

 そう思って、籍姫は目にいっぱい涙をためながらも、怖さと寒さに堪え、冬姫の膝の上で朝まで過ごした。


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