生母
戦の疲れがとれた頃、忠三郎が武芸を始めていると、賢秀が来て、
「母親を訪ねよ」
と言った。
「鶴千代を見せてやれ。あれも安心するだろう」
忠三郎はただただ驚いてしまった。
「ずっとずっと会わせたいと思っておった。そなたが子供の頃からな──すまなかった。ずっと我慢してきただろう」
忠三郎の目に、急にじわじわ溢れてくるものがあった。賢秀もつい喉を詰まらせ──。
「会ってこい。いや、会ってくれ。それが父の願いぞ」
忠三郎が左目から、ぽろっと一粒涙を落とした。賢秀は急に思い出したように苦笑いして、息子の肩を叩く。
「おいおい、母親に会った時、くれぐれも泣くなよ。大の男が、笑われるぞ。本当に儂らは困った父子よな」
くくくと肩を動かし、泣き笑いした。
忠三郎が母を訪ねて行ったのはその三日後で、姉婿の関一政や町野左近、藪下ら数名を伴っていた。
母・桐の御方は臨済宗の寺に身を寄せているという。そこの門に来た時、門前で掃除する若者の姿に、一政がおやという顔をした。
「おまえ、うちにおらなんだか?」
若者は一政と知って驚き、さらに忠三郎の姿に、慌てて箒を放り出してひれ伏した。
「はっ!山鹿六右衛門にございまする!」
「山鹿?……ああ、そうか」
一政はようやく顔と名が一致し、頷くと、
「我が家の人間でした」
と忠三郎に紹介した。
「ほう、関家の。どうしてここにいるのか?」
忠三郎は母が身を寄せている寺に、関家の家人がいることに奇縁を感じて、俄にこの若者に興味を持った。
「はっ、その──」
答えようとして、六右衛門は困ってしまった。どこから話せばよいのか。
「どうした、お答えしないか!」
一政に注意されて、六右衛門は最初から話しはじめる。
「それがしは幼い頃、伴天連様に育てられまして、南蛮の言葉や耶蘇の教えを教育されました。やがて、同宿となりまして、安土では宇留岸様にお仕えしていたのでございますが──ある時、後藤様の邸にお邪魔したことがありまして、たまたまですが。それ以来、蒲生様の母君様の御もとに度々参らせて頂いております……」
何故後藤家を訪ねたのか、その理由は言えなかった。
忠三郎は目を見開いた。
「母を?母の知り合いか?」
ひたすら驚いていた。一政も同様に。
「おまえは同宿をやめて、兄を頼ったのであったな?」
どうして同宿をやめたのかと一政は尋ねたが、六右衛門はうまく答えられない。
「何と申しましょうか……わからなくなったのです、伴天連様が」
その言い方に何事かを感じた忠三郎は、
「そなた、その話を後でじっくり聞かせてはもらえまいか?明日の朝、私を訪ねてきてくれ。詳しく聞きたい。よいか?」
と訊いた。
「はっ、では、参上つかまつります」
六右衛門は極めて正しい所作で平伏した。
兄のもとに身を寄せた六右衛門は、忙しい時など、度々関家に出入りして手伝っていたが、平生は特にすることもない。忠三郎の母堂が心配だった彼は、居所を調べて訪ねていたのだった。
理由は以前、安土で南蛮人のロルテスと共に冬姫を見かけて。それが後藤家のすぐ前だったから。離縁に泣く者を救って欲しいとロルテスに依頼されたからだ。
関家の家人でありながら、九州に渡り、教会に預けられた彼。関家が一時、信長の命で蒲生家に幽閉されたからだが、そのことに、後藤家の人間である忠三郎の母の桐の御方は、思うところある様子であった。
六右衛門は彼女の気に入りとなった。
そうしたこともあって、六右衛門は度々彼女を訪ねるようになった。そして、戦も一段落して余裕のある今は、この人手の足りない小さな寺の仕事を手伝いながら、桐の御方に仕えているのである。
忠三郎はこの六右衛門という若者との不思議な縁を感じた。
門前で出会って、そのまま立ち話していたので、まだ中へは取り次いでいない。しかし、小さな寺。十人以上で押しかけ、がやがや騒いでいたのだから、中にも聞こえたに違いない。堂の戸が開いて、女性が一人、様子を窺うように顔を出してきた。
瞬時にあっと思った。向こうも同様な様子で。いきなり女性は戸口から飛び出し、忠三郎に向かって駆けてくる。
「母上……」
忠三郎もふらりと数歩進んだ。
母には昨日のうちに使者を遣り、今日訪ねることを伝えている。母は昨日からこの瞬間が待ち遠しかったに違いない。
「鶴千代!」
すぐ目の前に至り、母は忠三郎をじっと見つめ、
「ごめんね、ごめんなさい」
と、途端に目に涙を沢山溜めた。
別れた時は、自分の胸元辺りまでしかなかった我が子の背丈は、驚くほど高くなり、見上げなければその顔を見られない。ひょろりと華奢だったのに、がっちりと引き締まった逞しい男に成長していた。
「鶴千代!」
可愛い顔が涙で見えなくなった。拭うことも忘れて。昔したように我が子を抱きしめた。
「ごめんなさい、ごめんなさいね……」
母は息子の大きな体に縋って、ただただ詫びの言葉を繰り返す。その都度、息子は頭を強く横に振り抜いた。
「母上!母上!」
忠三郎も母にしがみついて、滂沱、顔じゅう涙だらけだ。大の男がみっともないから泣くなと、父に言われたことなんか、頭から吹っ飛んでいるに決まっている。周囲の家臣達も、男泣きに泣いている。
忠三郎はしばらく母に抱きついたまま泣いていた。言葉らしい言葉はない。けれど、ただこうしているだけで、二十年近い月日が埋まる。中に入って、積もる話に花を咲かせたのは、随分経ってからである。忠三郎はそのまま桐の御方を城に連れて帰りたかったが、やはりそれはできなかった。




