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野馬台詩

 羽柴か、柴田か。どちらにつくべきか、織田家の家臣達は悩んでいたが、羽柴も柴田も、彼等をただ悩ませていたわけではない。彼等を味方につけるため、両陣営積極的に声をかけてきていた。

 特に蒲生家は、しつこいばかりに、どちらからも声をかけられている。

 近江の長浜は柴田勝家が領することになった。それまでは羽柴秀吉が治めていたので、養子の於次もそこにいた。於次は長浜を出て、明智光秀の領地だった丹波亀山に移る。

 その間際、丹波へ共に行くため、藤掛三蔵が冬姫に挨拶するべく、日野に来訪した。近頃の冬姫は不調で、食欲さえない。それでも彼女が対面に応じたので、心配した忠三郎が同席した。

 挨拶を済ませると、冬姫の様子に、三蔵は憂わしげに眉を寄せる。

「ご心配なく。私などより於次殿が心配です。於次殿を宜しくお願いします」

 冬姫は以前よりほっそりしているのに、意外に元気そうな声で微笑んだ。

「忠三郎殿は家督を相続なさったとか。おめでとうございます」

 忠三郎は先日、賢秀から家督を譲られ、蒲生家の当主になっていた。同い年の信長があのようなことになって、賢秀はどこか気が弱くなったようだった。

 忠三郎は数え二十七。家督を継いでも全く問題ない。羽柴か柴田か、難しい選択を迫られている時だからこそ、賢秀は息子に委ねたと見える。

「父も少々疲れたようです」

 忠三郎は笑って祝辞に応じた。

「なれば、話は早い。御身にお話しすれば、済むこと故」

 挨拶に来たとは言うが、本来の用件はわかる。忠三郎ばかりでなく、冬姫にも。

「羽柴殿に同心せよと?」

「これは見透かされましたな!」

 三蔵は参ったというように、ややはにかんだ。今ではすっかり羽柴の家臣である。

「羽柴様を悪し様に申す者は多い。ご幼少の三法師様を手懐けて、何れ織田家を乗っ取るつもりだと。織田家ご当主が三七様では、羽柴様は乗っ取ること叶わぬ故、三法師様を推したのだと」

「あの清洲での評定。三法師殿を当主にすることは、あの場にいたほとんどの人が賛成だったと聞きましたが」

 冬姫の言葉に、三蔵はいかにもその通りだと頷いた。

「つまり、羽柴様を悪く言っているのは、ご自分が当主になれなかったことに不満を持っている三七様。何とも稚拙にござる。柴田殿も羽柴様に妬いておられるのみ。何の働きもないのに、あれで領国の配分が足りぬと不満に思うとは、如何なものでござろう。──この三蔵は藤掛を名乗っているとはいえ、織田の人間でござる。羽柴様に仕えていても、羽柴様が織田家を潰すなら、それがしは決して許しません。されど、この度ばかりは少々違います。仮に羽柴様が織田家を乗っ取ったとして──」

 そこでやや声をひそめる。

「一度織田家が消えたとして。羽柴様にはお子がありませぬ。それ故、後を継ぐのはご養子の於次様。つまり、於次様が継ぐことにより、織田家は再興できます。現状の織田家当主は三法師様。それを三七様、三介様が狙っておられますが、家臣達が従うとすれば、お三方の何れか。於次様を立てる者はありますまい。今のままでは、於次様に織田家をお継ぎ頂くことは不可能でございます。しかし、羽柴様がやらかして下されば──」

 秀吉に織田家を乗っ取ってもらいたいと願うのは、日本広しといえども、この三蔵くらいであろう。三蔵は膝を乗り出し、なお言うのである。

「冬姫さまはご兄弟の中で、於次様と最も親しくしておいでです。三七様なぞがご当主になられるより、於次様がなられる方がよいのではございませぬか?」

「……そのようなこと。お二人とも血を分けた兄弟ですのに。私は評定通りになってくれぬことが悲しく──」

 三法師を信雄と信孝が支え、勝家と秀吉が補佐すればすむことではないか。

「姫さまのお嘆きはそれがしにもわかります。それがしとて、お市御寮人様に長年お仕えした身です」

 三蔵は今は於次の家老だが、昔はお市の方の女佐だった。

 清洲会議の結果を納得できない勝家のもとに、冬姫の叔母・お市の方が嫁ぐことになっていた。

 お市は、勝家ならば織田家のために粉骨砕身尽くしてくれると思っている。一方の秀吉は、きっと織田家を乗っ取ってしまうだろう。中国大返しをやってのけた今の秀吉には、勢いがある。織田家とて、飲み込まれてしまうだろう。お市は秀吉の実力を恐れた。

 秀吉の力を削ぎ、織田家を守るため、勝家に奮闘してもらおうと、彼女自身の意志で、勝家に嫁ぐことを決意していた。

 また、信孝と勝家は急激に接近しており、お市は信孝を当主に推すことになる。

「それがしにとっては、お市御寮人様も於次様同様、大切な主君にござる。於次様のためだと羽柴様に従えば、御寮人様を敵に回すことになり、苦しいのでござる。それでも、どちらか選ばねばならぬのです。姫さまとて、どちらか決めなければならないのですよ」

 三蔵の悲痛な言葉に、冬姫は困ってしまった。忠三郎は、

「まだ両者が決裂したわけではござらぬ。このまま分裂すれば、亡き上様がどんなに嘆かれ、お怒りになるか。それがしは分裂を阻止するために奮闘します」

と、どちらにつくか明言しなかった。

 三蔵は蒲生家から確かな返答をもらえぬまま、丹波へと旅立った。だが、実はこの時、蒲生家中も意見が分かれていたのだ。

 蒲生家ははじめ柴田勝家の下に配属されていたので、勝家は元の寄親であった。少年時代の忠三郎は、勝家と実戦を共にし、そこで生の戦を学んだのである。勝家には恩があった。

 また、勝家と連携する信孝は神戸家の養子であったし、関家を従えてもいた。信孝の生母は関氏の分家筋の出でもあり、養母は蒲生家の娘。神戸・関両家と蒲生家との関係は深い。

 同様の関係故に、青地家の元珍は信孝に従うという。元珍の父・茂綱は蒲生家の生まれで、信孝の養母や賢秀の実弟である。

 よって、蒲生家も信孝や勝家に従うべきだとの声も、家中で多く聞かれた。

 一方で、秀吉の神業に、何かを見いだしている者もいる。忠三郎もそこは同じだった。

「亡き上様にはしばしば驚かされた。あのお方は常人の考えも及ばぬことを、次々とやってのけられた。常人の見ていないところを見ておいでだったし、常人の持つ固定概念を壊してこられた。常に旋風を巻き起こしておられたが、羽柴殿のこの度の大返しには、上様と同様の風を感じた」

 忠三郎は、戦に巧みな勝家と戦場を駆け抜けた時でさえ味わったことのない風を、秀吉に感じたことを、正直に口にした。

 意見はあれど、どちらにと断言できる者はなかった。だから、家臣達は忠三郎の決めた答えに従うという。結局、忠三郎が自分で決めるしかないのだ。


 その夜、寝所に来てみると、冬姫は閨の中であの鞠を抱きしめていた。嫁ぐ時、信長からもらった品である。

 冬姫は体調を悪くし、ここ数日はほとんど食べていない。ひどい吐き気に襲われていた。今は落ち着いているのか、鞠の碧の糸を静かに見つめている。

「ご気分は?」

 忠三郎が隣に座ると、冬姫は明るく笑った。顔色は悪くなかった。

「昼間はあんなに気分が悪かったのに、それが嘘のようです」

「それはよかった」

「実は昼間、横になっていた時、うとうととして、夢を見たのです」

「楽しい夢だったようですね」

 冬姫の表情からそう察した。ところが、冬姫は首を横に振った。

「恐ろしい夢でした。でも、見覚えがあったのです。目覚めて知りました。父が亡くなった夜に見た夢と同じだったと」

 どこかの寺院の中だった。ここは来た覚えがあると思って見回すと、多数の人が床に横たわっていた。彼等の周りには薄い黒い翳が漂っていた。

 彼等は死霊に憑かれた人か。怯えていると、僧侶達が慌てだした。

「悪魔だ!」

 天井から悪魔が姿を見せた。見たこともない、表現しようもない姿で、冬姫は飲み込まれると思い、目を瞑った。

「おそれるな」

 父の声?そう聞こえたが、目を開けられなかった。すると、閉じたはずの目が悪魔の姿を映し出したのだ。

 金色に光って、眩し過ぎて見えなかった。しかし、羽があって。強く念じて、それを弾き返そうとしたのに、あっという間に冬姫は取り憑かれて。

 そこで目覚めた。ケルビムのようなもの。

「夢の意味がわかった気がするのです」

「どんな?」

「確証がありません、明日、医師を呼んで下さい」

 忠三郎は首を傾げたが、言われた通り、医者を呼ぶことにした。

 冬姫はさっぱりした顔で、鞠を撫で、

「忠三郎さまの方がお顔の色がお悪いようです」

 確かに悪いだろう。答えを出さなくてはならない。

「上様の周囲には旋風が起きていましたね」

 冬姫の手から鞠を取り、懐かしそうに眺める。

「羽柴殿にも、そういうものを感じました」

 冬姫はくすっと笑った。

「ご自分ではお気づきにならないのですね?」

「何を?」

「忠三郎さまとて旋風でいらっしゃるのに」

 彼は目を点にした。

「父はとても驚いていたのだろうと思います」

 信長は忠三郎が志を継ぐ者なのだと言っていた。

「織田家の家督ということを問題にしているから、今のような争いがあるわけですが、織田家のことと天下のこととは別問題だと思います。忠三郎さまは羽柴殿に天下を見ておいでなのですか?泉下の父は、忠三郎さまに夢を委ねようと思っていると存じます」

 夢。信長の夢。信長の天下。

 忠三郎は両手に持つ鞠を見る。

(上様はいったいどのような世の中を作ろうとなさっていたのだろう?)

「私は織田家の生まれ故、実家が分断されることは悲しく思います。でも、分断されることによって天下の行く末も決まるならば、仕方がありません。そう思えるようになりました」

「織田家と天下は切り離せない問題でしょう。織田家の実権を手にする者が、天下を手にすることになるでしょう」

 忠三郎はそう答えた。

「では、忠三郎さまが天下に近づけると思う道を選んで下さい」

「天下……」

 考えたこともなかった。自分は信長の下で、信長の天下穫りを支えるものだと思っていた。信長の思い描く新しい世、夢を、信長の指示に従って、現実の形に成すために働くのが、己の役目だと思っていたからだ。

(私は上様がお心に描いておられた世界を見ようとはしてきたが──想像することしかできない。そして、私には……このような世の中にしたいと思う、この国の未来像が……私だけの発想で思い描いたことがない……)

「……思い描く未来の世の姿、それを持っている人しか、天下の座についてはいけないと思っています」

 信孝に、まして勝家にそれがあるとは思えなかった。秀吉にはあるのかもしれないが。

(私にも、ない。だって私が天下など……)

 信長を支えることしか頭になかった彼に、自分が天下の座に坐るという発想はなかった。

「上様の志……」

 志を継ぐということの意味は、織田家の頂に立つという意味ではなく、天下の頂に立つという意味だ。

「冬さま、上さまはまことに私に志を、と思っておられたのですか……」

 冬姫は頷いた。

「帝堯は舜に家督を譲るために婿にしたのではありません。王位を譲ったのですから」

(しかし、私にはその志が──)

 鞠を握る手に力が入った。冬姫が持っていた時は碧の糸が見えていたのに、今は彼の手に覆われてその姿は見えない。

(東海姫氏国。岐山。デウス。何だろう。自分でも気づいていないのか?)

 その志があると信長には見えたからこそ、忠三郎に託したのだから。忠三郎にはあるはずなのだ。

「天下布武……武とは戈を止めるという文字で、本来は戦の終焉を意味する」

 信長はそう言っていた。周の武王が商(殷)を討った後は、武器はしまい入れ、馬は放った。乃偃武修文、歸馬于華山之陽、放牛于桃林之野、示天下弗服──ということだ。

(乱世の終焉を上様は目指しておられた。この戦乱の世を静謐に、泰平の世にする。私も、それを願っているし、それを目指してきた。だが、天下?上様の天下?天下とは?大志、大望、夢とは?)

 冬姫は微笑み、頷いた。

「忠三郎さまは、やはり、武を良く考え、目指していらっしゃる御方。父の志を継ぐ方です。鉄砲の重要性、火薬の意味を父より先に知り、鉄砲を開発していくような方ですもの。父の大志を理解する方です」

 不思議なことを口にする冬姫ではある。


 翌日、冬姫を医者に診せると、医者は満面の笑顔で。

「おめでとうございます!」

 冬姫に寄り添う忠三郎は目を見開いた。






東海姫氏国

天工に代わり百世

右司扶翼となり

衡主元功建つ

初め法事治めるを興し

終わりに祖宗祭るをなす

本枝天壌にあまねき

君臣始終定む


谷田に填れ孫走り

魚膾羽生じて翔ける

干戈動きて葛のごと

中に微の子孫昌る

白龍游ぎて失水し

宥急して胡城に寄する

黄鶏代わりて人食し

黒鼠牛腸喰う

丹水流れ尽きて後

天命三公にあり

百王流悉く尽き

猿犬英雄称す

星流れ野外に飛び

鐘鼓国中喧しく

青丘と赤土

遂に茫々と空となる


──野馬台詩──


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