煙
伊勢を出、近江へと進軍していた御本所・北畠(織田)三介の背後に異変があった。先年、織田家は伊賀を攻略していたが、その殺戮は凄まじいもので、伊賀の人々は織田家に恨みを持っていた。その伊賀の土豪達が、明智の謀反を知り、決起する動きを見せたのである。三介は背後を脅かされ、せっかく土山付近まで来たのに、それ以上は迂闊に前進できなくなった。
御台達を抱えた蒲生家は、三介をあてにできなくなった。じっと籠城に堪えなければならない。
対上杉戦に明け暮れる越中の柴田勝家らは、まだ畿内に戻れる見込みなく。上野の滝川一益は信長の死さえ知るまい。
ただ、神戸三七郎はすでに行動していた。四国攻めをする予定で堺にいた三七郎は、副将として大坂にいた津田信澄を討った。信澄は信長の甥だが、明智光秀の娘婿。光秀から密命を受けているかもしれない故に。
それで、光秀は明智秀満に安土を任せ、自身は坂本城に帰った。そして、三七郎との戦に備えたのである。
三介の援軍が期待できず、 危機感を募らせ、城の背後から大河原越えで御台たちを逃亡させることさえ考えた蒲生家だったが、これで近辺にいる敵は、秀満の兵三千余だけになった。光秀の本隊が周辺から消えてくれたのは、幸いだった。
秀満は安土城を固守する必要から、日野攻めに兵を割くことできず、日野には攻めてこなくなった。とはいえ、安土に敵がいるには変わりなく、蒲生家としても、気が抜けない状況に変わりはない。
それに、畿内周辺の大名が、光秀に従う可能性が高いのだ。丹後の細川藤孝は、昔から光秀と苦楽を共にした仲だし、嫡男の忠興は光秀の娘婿でもある。大和の筒井家も光秀と姻戚関係にある。彼等の動向によっては、蒲生家は危険である。
ところが、ここに、誰もが思いもしなかった奇跡が起きた。
六月十日、中国の毛利と戦っていたはずの羽柴秀吉が、姫路に現れたのである。凄まじい速さで、上洛を目指しているという。
蒲生家ではまだ知る由もなかったが。
秀吉の中国大返しである。それを知り、各地の領主は続々と秀吉に従っている。
光秀が期待した細川、筒井はかえって従わなくなった。光秀は頼みの大名に無視され、孤立。
その間にも秀吉は進軍し、三七郎と合流した。先鋒高山右近。四万一千。
六月十三日、山城国山崎で、ついに光秀軍一万三千と合戦に及んだ。
三七郎と秀吉の前に、味方のない光秀は完敗し、逃亡するも、落ち武者狩りに遭って死んだ。
翌日、秀満は安土城を出て坂本城へ移ったが、堀秀政に攻められ、滅んだ。
その日、ようやく日野にも平穏が訪れた。忠三郎はすぐに上洛して、信長の家族が無事であることを秀吉に報告した。
だが、山崎の合戦の結果と、安土城から敵が去ったとの吉報の後、日野には驚くべき悲報が届けられていた。安土城が炎上したというのだ。
御台はじめ、織田家の人々は言葉を失った。
「明智秀満の残党か?盗賊の仕業か?」
「近くに三介様の軍勢がいましたが……」
「三介がいかなる理由で父の城を焼くというのじゃ!」
御台も大方殿も眦をつりあげた。
三介。そして、三七郎と秀吉も、安土へ入ったという。賢秀はいち早く手勢を引き連れ、安土へ向かった。
御台達も安土城へ帰るというので、京から戻った忠三郎は、御台を守護して共に行くことにした。日野のことは家臣に任せ、冬姫も御台達に付き従う。
危険から一転、勝利することができたのは、謀反人に従う者などいないという人の世の情と、秀吉の奇跡の帰還故に他ならない。柴田勝家がなお越中から戻らないのを見ても、秀吉が神憑っていたとしか言えない。
忠三郎が守護して、安土へ向かう御台達の一行。
安土に近づくにつれ、煙のにおいが濃くなっていく。遠くからでも鮮やかに見えた天主の代わりに、黒い煙がもくもく立っていた。
焼けた天主を目にし、御台は全てが終わったと感じた。信長が心血を注いだ、信長の天下の象徴。それを、あるだけの宝玉で飾り立てた御台。
(上様はお城と共に逝ってしまわれた)
信長は、安土城の天主でこそ死にたかったに違いない。炎に包まれる天主の中で、潔く腹をかっ捌く信長の姿が目に浮かぶようであった。
(これでよい。これこそ上様の御最期)
煙に涙する女性達の中で、ただ一人、御台だけが焼けた天主を美しいと感じていた。
冬姫は、ヴァリニャーノを見送るために信長が天主に灯を点けて飾り立てた夜のことを思い出していた。あの夜も煤臭かったが、幻想的で美しかった。
こっそり義母を訪ねた後、真夜中に忠三郎と二人、天主の中から湖面に映る天主の姿を眺めたことを思い出す。
あの日はその煤のにおいを何とも感じなかったのに、今日は異様にそれが鼻につく。冬姫は袖で鼻や口を覆わずにはいられなかった。
やがて一行は城の中へ入り、多くの将兵達に迎えられた。城は大部分が焼けずに残っている。
三七郎と秀吉が並んで立っており、その後ろに秀勝(於次丸)が、やや離れて三介がいた。
輿から降りた御台も大方殿も秀吉に礼を述べ、次に三七郎らに声をかけていく。忠三郎は秀吉の前に進んで、改めて慇懃に礼を述べた。
織田家の人々が皆、輿から降りたことを確認した冬姫も、秀吉の方に進んできた。蒲生家を助けてくれたのは秀吉だ。秀吉はすぐ彼女に気づいて、自ら歩み寄ってくる。
「何と御礼を申し上げたらよいか……」
冬姫が頭を下げた時、秀吉の六指が目に入った。幼い日の冬姫によれば、この指こそが、今日の秀吉の奇跡の表れと言える。
しばし談笑していると、その間に三介が、小姓に抱かせた籍姫を忠三郎に返していた。忠三郎が籍姫を抱いて冬姫と秀吉の所へ来る。籍姫は何がおかしいのか、きゃっきゃと笑っていた。
冬姫は籍姫の元気そうな姿に、体から全ての力が抜けかける程安堵した。手を伸ばし、そのやわらかい髪を撫でる。
母は、父は、嫁いだ後の自分に会う度、こうやってほっとしていたのだろうかと、冬姫は籍姫を見つめながらも、煙に思いを遣る。
その様、姿は若くとても美しい。そして、彼女に寄り添う凛々しい忠三郎。その腕ではしゃぐ二人の間にできた赤子。
嫋やかな冬姫を見つめて、秀吉の目が三角になったことを忠三郎は気付いているのか。彼は秀吉に娘を紹介した。
「冬姫様が産んで下さった娘にござる。籍と申します」
はっと秀吉は表情を変えた。
「……ほほう、これは可愛い。忠殿に似ておられますな、頬の辺りなどが」
秀吉は人懐っこい笑顔でおどけた。籍姫は大喜び。しかし、その笑顔を見て、忠三郎の背はぞっと冷たくなった。
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北畠信意(三介)は織田信雄に、神戸信孝(三七郎)は織田信孝に名を改めた。共に織田を名乗るようになったのは、長兄の信忠が亡くなったからで、己こそが織田家の跡取りだという自負のためだ。
三介信雄は次男、三七信孝は三男ではあるが、信長の弔い合戦を指揮したのは信孝であり、信孝は自分でなくて誰が当主でありえようかと思っていた。
だいたいの人もそう見ていたし、共に戦った羽柴秀吉もそう耳打ちしていたらしい。また、本人の知らぬところで、イエズス会もそれを望んでいる。
信長という最大の保護者を失ったイエズス会は、キリシタンになることを切望し、才能があると思われる三七信孝に期待した。彼等は、信長とルイス・フロイスとが初めて対面した当初から、彼等の保護者として親しい間柄にあった柴田勝家に、書簡を送っていた。
安土城の天主の焼失を、いつしか世間は三介のせいかと噂するようになるが、これは、三七郎に期待するイエズス会が、この時、勝家への書簡にそう書いたためである。
六月二十七日。
織田家の跡目を定め、また、領国配分を決めるための評議が尾張国清洲城にて開かれた。
出席者は柴田勝家、丹羽長秀、池田勝入(恒興)、そして羽柴秀吉。
さっそく織田家の家督を誰が継ぐかという話になり、弔い合戦のこともあって、三七信孝が優位かと思われた。一方で、三介信雄は次男であり、長男の信忠亡き今、長幼の順から考えて、信雄も十分有り得る。
信雄も信孝も己こそがと、その地位を望んでいる。家臣達もそれぞれ色々な意見があり、このままでは、信雄か信孝かで織田家が二分されよう。皆それを危惧したに違いないが、この時、秀吉が、
「三法師様こそ相応しいかと存ずる」
と断言した。
三法師は信忠の長男だ。
「信長公は隠居の身でいらせられました」
家督は信忠に譲られていた。だから、本能寺の変時、織田家の当主は信忠だったことになる。普通は当主の子が家督を継ぐものだ。
当主に男子があるなら、その子が継ぐべきで、弟の出る幕ではないというのだ。
「しかし、三法師様はまだ三つだ」
勝家は、秀吉が信孝を推すだろうと思っていたので、その発言に驚愕した。
「未だ幼くていらせられる。今は非常時。幼君には務まらぬ。当主死し時、嗣子があっても、弟が継ぐことは、世の中よくあること」
勝家はさらにそう言った。だが、
「いや、それで傍流が嫡流を滅ぼすことが多々あり、争いの種にしかならぬ。争いの火種を元から断ち、三法師様を御当主とするのが十年後、二十年後のため。御幼君は、叔父君お二人が後見なされば宜しいのです」
と秀吉は譲らない。
信雄、信孝共に後見人になるならば、二人は同等であり、争いも生じない。長秀と勝入はそれに賛同した。それで、決まってしまった。
三法師が当主。信雄、信孝が後見人。堀秀政を傳役に、それを宿老四人で補佐するという。
領国配分では、秀吉が山城と丹波、さらに河内の一部を得て大幅に加増され、山崎の合戦で貢献したことがかなり影響した。
秀吉の力が急に強大になっている。加増も少なかった勝家は不満を抱き、三七信孝は全く納得していない。
会議の結果に、忠三郎は不穏な気配を感じた。その予感は的中し、やがて、信雄と秀吉、信孝と勝家に分かれて対立することになるのである。
因みに、清洲での会議の結果、蒲生家は三千石加増になった。六万石だった蒲生家は、これで六万三千石になったのである。




