悪夢
近頃、応仁記なるものが流行っているという。これ、かの宝誌の作ったとされる予言の詩、所謂「野馬台詩」と呼ばれるものの解釈の一つである。
東海姫氏国、つまり日本は百世に渡ってよく治められるが、その後、実権は三公(大臣)に移り、天変地異が起きて、猿や犬が簒奪し、最後は無に帰すというもの。
百代目は後円融天皇であった。その後は三公が実権を握るというが、この頃は、ちょうど足利義満の時代である。
さらに下剋上の乱世となり、猿や犬の天下になるというが、それが応仁の乱であるというのだ。猿と犬は細川勝元と山名宗全だというのが、応仁記の解釈だ。
「さすれば、いよいよ世は乱れ、天変地異起きて、卑しき者が簒奪し、国土は消滅することになる。いよいよ滅びの時が差し迫って来たのではないか?皆案じておる」
信長の家臣・明智光秀の知人である公家の吉田兼見はそう言って、一部の公家衆の不安を口にする。
「たかが未来記に毒され過ぎでしょう。予言の類をお信じになるので?」
「されどよ、例外なくこれまで必ず辛酉には改元してきた。永禄四年だけよ、改元せずに慣例を破ったのは。次の辛酉までの六十年の間に革命が起こるのではないかと、不安がる者も少なくない。織田殿は切支丹になると専らの噂。暦を変えたいとしておる。右大臣をさっさと辞めてしまったし。まこと、主上に手は出さぬであろうなあ?」
将軍を追放した男だ。帝とて?
暦は帝王のもの。古より、暦は陰陽寮が算出して秘したものを使用してきた。暦算定は朝廷のものだったのだ。
しかし、暦は生活に不可欠なもの。民間でも暦を作成するようになり、三島暦が広く浸透している。この三島暦と朝廷の暦には差違が生じており、少々混乱を招くことがあった。
信長は計算上正しい方を採用すべしと主張した。計算上誤っていたとしても、朝廷の暦が正式なはずであるし、それを改めるなど有り得ないが、誤りは例外なく、たとえ朝廷であっても訂正すべきだというのが、いかにも信長らしい。だが、そういう考え方をする人間はなかなかいないものだ。
日本の暦は、南蛮人のものと一ヶ月以上ずれているから不便だと、伴天連達が嘆いていたが、ヴァリニャーノによれば、ローマも丁度ユリウス暦の誤りを正し、グレゴリウス暦へ改変する予定があるという。
ローマ法王であっても、数千年の歴史ある暦を改めるのである。この機会に、日本の暦も正しいものに変えてもよかろう。
しかし、朝廷にとっての神域である暦。それを侵そうとする信長を、公家衆が警戒しても不思議はない。
「深い意味はござるまい。話し合った結果、民間の暦は広く流布しているとはいえ、誤りであるとの結論に至り、信長公も納得されたではないか」
光秀は笑う。信長は三島暦採用案を引っ込めた。
とはいえ、将軍を追放した男が、暦に口出ししたわけだから、帝さえどうこうしようというのではないかと、公家衆は不安に感じるのだろう。織田家が信長の祖父の代から親しんだ津島十五党は、吉野朝(南朝)の生き残りで、噂では信長の甥やら従兄弟の中に、その皇統の末裔を、すなわち後醍醐天皇の直系を自認する者がいるとかいないとか。
小倉宮が絶えて久しい。吉野朝云々など面妖な話だと、光秀は苦笑いした。
朝廷は信長を将軍に任じようかとも考えている。これで鞆の浦の足利義昭は正式に将軍職から引きずり下ろされる。
義昭はそのことに危機感を募らせている。光秀にもそれはよくわかる。
義昭は信長にすり寄る朝廷に危機感を抱き、またぞろ信長を討伐したいと思っており──朝廷は朝廷で、イエズス会を通じて、南蛮の思想思考の影響を受けているとしか思えない信長に危機感を抱き──イエズス会もまた、信長に本音を見透かされたかもしれないという疑いを抱き始めていた──
光秀は溜め息をつき、鞆の浦に思いを馳せた。
将軍の御内書の威力はなおある。鞆の浦の将軍義昭は、信長を討つべく、何度も何度も各地に檄を飛ばしてきた。
その度に必ずそれに応じる者がいて、信長を包囲し、信長を悩ませてきた。しかし、信長は過去、これらを悉く撃破していた。それでも諦めないのが将軍の執念深さ、権力への執着、将軍職への固定概念だ。
義昭は何度撃破されようと、決して諦めず、次から次へと信長包囲網を築いてきたのだ。きっと、このいたちごっこは、義昭か信長、どちらかが死ぬまで続くであろう。今もなお、義昭の意を受けた毛利が四国の長宗我部と手を組み、戦っている。
義昭が信長を包囲するため、力を入れてきたことは、信長の敵を新たに作ることであった。それも、信長のすぐ近くから、昨日まで信長に仕えていた者の中から。
不意に足元を揺るがされ、信長は危機に陥った。
間違ってはいない。良い策のはずなのである。
では、何故、信長はその危機をいつも乗り切ってしまったのか。何故、義昭は失敗したのか。
そう、戦略は間違っていない。だが、方法が、戦術が誤っていたのだ。戦という方法に原因がある。今も信長は四国を撃破しそうだ。
光秀は兼見に笑顔を向けながら、戦という方法では、信長を仕留められないのだと思った。
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ロルテスは宇佐に来た。あちこち巡っていた彼が、九州に戻ってきたのは随分久しぶりのことである。七、八年振りではないか。彼は日本での使命をまだ果たせてはいず、調査不十分であった。
だが、ここに来て、非常に驚くべき情報に接したのである。
一昨年の1580年のこと。スペイン国王・フェリペ2世が、ポルトガル国王をも兼ねるようになったというのだ。つまり、ポルトガルがスペインに併合された。
ヴァリニャーノは日本を武力制圧することはできない、するべきでないと報告していたが、ポルトガルとスペインでは、考えも違うだろう。
ヴァリニャーノの報告もあり、ポルトガルは日本を武力攻撃しないのではないかとロルテスには思われた。しかし、国王がスペイン国王でもあるなら、方針が変わる可能性がある。
ロルテスは、一度ローマに戻って、彼の見解を枢機卿を通じて法王に伝えた方が良いと判断し、知人の船に乗って、マカオに向かった。
ヴァリニャーノは、大友、有馬、大村の三キリシタン大名の使節団(天正遣欧少年使節)を連れて、既に日本を発っていた。春のうちにマカオに来ていたが、そのままそこに滞在していた。
後からマカオにやってきたロルテスは、ヴァリニャーノや使節の少年達に会うことができた。彼等はその後、マラッカを経由し、インドのコーチンへ向かったが、ロルテスも同行した。
ところが、そこでヴァリニャーノは日本巡察師の任を解かれ、インド管区長に任命された。そのため、インドに留まらなければならなくなった。
使節の少年達はヴァリニャーノと別れてスペインへ向かい、フェリペ国王に謁見した後、ローマに向かうことになる。
ロルテスはコーチンからは別行動をとり、少年達がフェリペ国王に謁見している間に、先にローマに行った。
その間、日本では大きな事件が起きていた。そのため、イエズス会は、信長の子息・三七郎に期待するしかなくなる。
三七郎はキリシタンになることを切望していた。
神がモーセに与えた律法には姦淫は死罪とある。側室や隠し妻のある人は、受洗を許されなかった。
側室がないのは、大名にとって不都合なことが多い。日本の大名が受洗するのは、なかなか難しいことであった。
また、このモーセに与えられた掟の中に、男色を死罪として禁じるものがあり、これも大名には不都合を生じさせる。衆道によって主従の絆が深まることもあったのだ。
しかし、三七郎はキリシタンとなる素質に最も恵まれていた。天下人の子である。彼にかけるしかないのだ。信長の身に異変があったから──
忠三郎はその夜も満ち足りて眠りについていた。しかし、彼に抱きしめられたまま眠る冬姫は悪夢でも見ているのか、強張っていた。
突如目覚めると、忠三郎の目が心配そうに覗き込んでいた。
「怖い夢でも見たのですね?大丈夫?」
忠三郎の体がひどく熱い。
「夢ですもの、大丈夫」
そうは言っても、彼の胸に顔を埋める。
忠三郎は冬姫をとても強く抱きしめた。あまりにその胸が熱く、まるで先程の睦言の続きのように思われた。
この時、都ではただならぬ事件が起きていた。異変。信長の身の──
冬姫の悪夢は、虫の知らせだったに違いない。
本能寺の変。
冬姫の父・織田信長が京の本能寺に宿泊中、にわかに襲撃されて死んだのは、この夜のことである。
信長、そして、嫡男・信忠も亡くなった。




