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三人のイタリア人(上)

 イエズス会(耶蘇会)の日本巡察師──アレッサンドゥロ・ヴァリニャーノが来日したのは、天正七年(1579)。初め九州を見て回り、天正九年になって畿内に来た。

 信長に最初に会ったのは京であり、信長から安土へ来いと言われて、およそ一ヶ月滞在した。それが、四月半ばから五月半ば。

 それから、畿内各地を見て回り、再び安土へ戻って来た。七月十五日まで滞在している。

 信長は何故か毎回伴天連を歓迎してきたが、この巡察師に対しても同じだった。いや、これまでで最大であったかもしれない。ルイス・フロイスもニエッキ・ソルディ・オルガンティーノも、そしてヴァリニャーノも、どうしてなのか、信長は愛情を尽くさずにはいられなかった。

 信長はこの時、一人の黒人を手に入れている。ヴァリニャーノが連れていた奴隷だが、その牛のような体が気に入った。弥助(ヤスフェ)と呼んで、以後、側で召し使っている。

 ヴァリニャーノが滞在中の安土では、信長がしばしば彼を城に招いたり、信長の方から、彼等に与えた土地に建てられた修道院に赴いたりと、行き来が多い。

 ヴァリニャーノを城に招いた日、信長は対面が済むと、城を近衆に案内させ、自分は忠三郎と庭で歓談した。

「お前、カブラルを覚えているか?」

 フランシスコ・カブラル。信長が比叡山を焼き討ちした後、程なくして岐阜にやって来た、イエズス会の日本布教長のことである。伴天連・フロイスと日本人のロレンソを従えていた。

「勿論です」

 あの時、忠三郎も呼ばれて、ロレンソの説教を聞いた。

「なんだか備慈多道留(巡察師、ヴァリニャーノ)ともめているらしいな」

 忠三郎はカブラルの顔を思い出した。あの時、忠三郎はロレンソの前に座るカブラルの顔が、とても冷たいことに気づいた。

 カブラルの周囲を睥睨する目は軽蔑、信長をさえ動物か何かを見るようで──。

 伴天連は日本を隷属させるためにやって来ているのではないかと、しばしば疑う日本人もいるが、カブラルを見る限り、その噂は本当のようにも思われた。本当ならば、伴天連の報告がポルトガル国王の方針を決めるとも言える。

 もしもカブラルが、日本人は低脳でとるに足りない、奴隷と同じような生き物だと、イエズス会の総長に報告していたなら──。総長から、ローマ法王やポルトガル国王らにもそう伝えられているに違いない。

「……しかし、何をもめているのでしょう?」

「布教の方針らしいな。カブラルは上長を辞任したらしい」

 来日する伴天連や伊留満は、ポルトガル人が多い。だが、ヴァリニャーノはスペインに属するナポリ王国の人である。

 ヴェネツィアのような都市国家は共和国としての独立性を保っていたが、イタリアは常に変わりやすく、幾つにも分かれており、それらの国も勢力を持ったと思えばすぐに衰退し、ほんの数年でまるで違ってしまう。

 この複雑な地にオルガンティーノもヴァリニャーノも生まれた。彼等はイタリア人なのである。

 さて。ヴァリニャーノはインドですでに、ポルトガル人イエズス会員達との間に軋轢を生じさせていた。イエズス会の布教事業権はポルトガルが持っていたが、ヴァリニャーノは異邦人とて、異端的に見られていた。

 おそらく、ヴァリニャーノとカブラルのすれ違いの原因の一端も、これにあるのではないか。ヴァリニャーノがもめていたのは、カブラルだけではないのだから。

「……よくわかりませぬが……」

「だな」

 顔をしかめる忠三郎に、信長も苦笑を返す。イエズス会という一つの組織に幾つもの国の人間が属していて、複雑な人間関係を形成している。それは他国の人間と共同で何かすることのない、島国の日本人にはわかりにくい感覚だ。

「それで、布教の方針の違いとは何なのでしょうか?」

「うむ。日本人への情の有無ということかな」

 カブラルは、戦乱によって布教が妨げられる日本という国と、日本人に匙を投げていた。

 せっかく大名をキリシタンに改宗させて、その領内に教会を建て、領民達を改宗させても、仏教徒の敵軍によってその大名が伐たれれば、教会は破壊され、せっかく改宗した民も棄教を強制されたり、迫害を受け、それまでの布教の成果が一瞬で水泡に帰すからだ。

 加えて、カブラルは日本人や日本の風習を蔑んでいる。カブラルはスペイン系ポルトガル貴族であり、耶蘇(キリスト教)の教えに厳格で、日本の風習に少しも寄り添おうとしなかった。そのため、カブラルと日本人との距離は広がり、布教も思うように進まなかったのだ。

 一方、畿内の布教を担当していたオルガンティーノは違った。彼は日本人を極めて高く評価し、むしろ自分達の方が日本人に比べたら野蛮なくらいだと、上長に報告した。

 オルガンティーノは日本の風習を尊重し、日本人に寄り添った。オルガンティーノは日本人達に大変好かれている。改宗者もうなぎ登りに日々増えていっている。

 しかも、九州の領主達はポルトガル商人との貿易目的(イエズス会がポルトガル商人との取引の仲介役)で、改宗したりキリスト教を保護していたのだが、畿内は違った。

 畿内の人々は領主も民も皆、純粋にキリスト教の教えそのものに感銘を受けて改宗していた。オルガンティーノの導きにより、本当の信仰を持っていたのだ。

 少年を男色の相手にする日本人など動物と同じというカブラルと、日本人は世界一優秀だというオルガンティーノと。ヴァリニャーノはオルガンティーノに賛同した。畿内での成果を見ても、順応することが改宗成功の鍵であるとの考えに至った。

 それを不服としたカブラルは、日本布教長を辞任してしまったのだ。

「同郷の者の肩を持ったのが気に入らなかったのでしょうか?」

「さあな。ただ、カブラルとオルガンチノが日本に来たのは全く同じ時期で、しかも同じ船で来たそうだ。手違いでそうなったらしい」

 手違いで、二人同時に日本布教長に任命されていたが、後に誤りだとて、カブラルがその任を受けた。

「二人はその時から仲違いしていたらしいな。備慈多道留がいがみ合っているオルガンチノの方に賛同したのが、カブラルには気に入らなかったのかもな」

 とにかく、カブラルが日本布教長を辞任したので、後任を決めなければならなくなった。

 実はヴァリニャーノはオルガンティーノに不安を感じていた。知識に欠けると思っていたのだ。しかし、それでも布教長を任せたいと感じさせるだけの才能がオルガンティーノにはある。

 とはいえ、オルガンティーノはポルトガル人でない上、ヴァリニャーノと同郷である。イタリア人を任じることは憚られた。

 人の良いオルガンティーノ本人は、ガスパル・コエリョこそは日本人の友であると言って、コエリョを推挙した。それで、コエリョを新日本布教長にすることにしたのである。

 ところで、日本布教長を決定することができる巡察師(ヴィジタドール)とは、いったい何者なのか。

 実は巡察師は、イエズス会総長の代理である。総長と同等の権限を与えられた者だ。

 日本はかなり遠隔の地にあり、ローマの本部からの命令書が日本に届くのに、3年程かかる。

 例えば、去年、イエズス会総長が死去しており、後任にはヴァリニャーノの親友が就いているが、ヴァリニャーノも日本にいる司祭達も、まだ誰もそのことを知らない。それほど遠隔地だということである。

 日本で問題が発生した時、日本から本部へ報告するのに3年、本部から日本に命令が達するのに3年、計6年もかかる。

 それで、現地で即解決できるようにと、巡察師にはかなりの力を与えられていたのだ。

 それにしても、巡察師といい伴天連といい、本当に、日本をポルトガルの支配下に置くための下準備として、来ているのであろうか。

 日本人を愛し、信仰へと導くのが彼等の本来の目的のはずだが。

「重病人の膿を拭い、薬と食料を与えて寝かせ、デウスやらの神の愛を説いて癒やす。戦乱で貧しく傷ついた者どもに、施しと信仰による救いを与えてきてくれた」

 彼らの奉仕活動には、日本人として感謝している。ポルトガルによる征服については、信長は日本の位置を理由に、ないだろうと考えてはいるが。

「話に聞いたり、絵を見る限り、ポルトガルの城はたいしたことはない」

 王宮でさえ、この安土城には遠く及ばないようだ。東の果て、絶海の孤島にある日本が、ポルトガルよりも豪奢な城を持つ強国であることを知れば、征服しようなどとは思うまい。

「是非この城の威容ぶりを伝えたいと思ってな」

 安土城や城下町、安土山全山を緻密に描いた、その威容さを十分に伝える屏風絵を、ヴァリニャーノに贈ることにした。ローマやポルトガルの目に触れさせたい。信長はそう思っていた。

「ポルトガルやイスパニアは他国を切り取り、遥か遠国にまで到達するようになった。かなり強大だが、欲は留まるところを知らぬ。だが、この日本にも、同様の底力がある筈だ。近々全国一統される。そうなれば、ポルトガルと肩を並べられる。やる気になれば、日本も他国を切り取れる程の力はある。例えば、隣国辺りに攻め込める実力はあると、ポルトガルの奴等に示すのだ。まあ、能力があっても、実行するかはまた別の話、まず成功しない。実力があることだけ、ポルトガルに理解させればいい」

 近隣諸国を切り取れる能力があっても、口で言うだけなのと、実行するのとでは全く別の事実が生じる。忠三郎は『孫子』の冒頭を思った。


兵者国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。


(上様が天下布武を称されるのも、『詩経』の周頌時邁を思っておられるからだ。岐山より興った周は、天下を平定するや、戈を袋に納めて用いなくなった。干戈は相手に誇示して用いず、相手の戦う心を喪わせ、抑止のためだけに置く。上様の岐阜は日本の岐山、周の武王に倣い、戈をしまって、武で天下を治める。力があっても、むやみに戦はしてはならないのだ)

 忠三郎は信長の対外政策も天下布武に通ずるものと見た。

 「武」は『詩経』にある通り、周の武王が商(殷)を討った後は、戈を止めて袋に入れて用いなかったことを、すなわち戦をしないことを意味する。

 軍事力は誇示して抑止力としてしか用いない。それは、天下を平定した後の日本国内だけでなく、例えば明やポルトガル等、異国に対してもということだ。


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