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三蔵

 藤掛三蔵は於次丸に従い、急成長を遂げる羽柴家に行くことになっている。

 藤掛とはいうが、彼の父は織田永継といって、れっきとした織田家の男子。三蔵は幼くして父と死別し、母方の祖父に養われて、その藤掛氏を名乗っていた。

 お市の方が浅井家に嫁いだ時に同行し、織田家とお市のために奮闘した。浅井家の滅亡を見届けた後は、織田家に帰ってきている。

 冬姫が安土に遊びに来ていた時、三蔵もいて、会うことになった。二人は同年代で、互いの幼い頃を知っている。

 それに先立ち、次兵衛は三蔵に訊ねたいことがあり、冬姫との対面の日、控えの間に彼を訪ねていた。

 三蔵もこれから羽柴家に入る身。信長の子達の入った家の中で、蒲生家だけが無事であることを思って、興味深そうに次兵衛を歓迎した。

「三蔵様は一度、お市御寮人様と共に浅井家に入られた身。御寮人様の近くにあって、そのご様子と、浅井の滅び行く様をご覧になっておいででした。御寮人様はいかに、三蔵様はいかにお過ごしでしたか」

 徳川家の事件が発生した今、次兵衛にとって件の事は、快幹軒が生きていようがいまいが関係ない。信長の本音がわからず、故に、信長が冬姫をぐずぐずしていると怒っているのではないかと恐ろしく、経験者である三蔵に真っ直ぐに訊いた。すると、

「我も羽柴家に行く身。どうすべきか悩む。冬姫様のお考えは気になるところ。冬姫様はいかに遊ばすおつもりか、蒲生を?」

と、逆に三蔵は訊くのである。

 忠三郎という名は弾正忠家の三郎という意味だから、忠三郎は大事にしなければならないのだという冬姫の言葉。これはさすがに口にはできない。何しろ、三蔵は於次丸に仕える身。信長の実子である於次丸に仕える者に、婿の分際で信長の後継者をにおわせるような話は危険だ。

「は、それが、お父上様は婿殿と仲良く暮らせとお命じになった故、蒲生家は守らねばならぬのだと仰せになりまする。されど──」

 以前はただ、敵だった蒲生家と要らぬ争いを避けるため、和の架け橋になろうと努めるのが、父の望みだと思っていたのだろう。だが、今は微妙に違ってきてはいまいか。

 冬姫は女。忠三郎と夫婦の契りを交わして、女の情が芽生え、それがために蒲生家を、いや、忠三郎という男を守ろうとしているのではないか。

「それで良いでしょうか?お市御寮人さまは姫様とは違っておられましょう?」

「なるほど。これは姫様に直接伺ってみよう」

 三蔵は姫に聞きながら、さりげなく自分の意見を交え、また、羽柴家への対応も考えてみるとて、次兵衛と連れ立った。

 三蔵と冬姫が会うのは随分久しぶりである。お市が浅井家に嫁ぐ前、お互い子供の頃に会ったのが最後だ。

 三蔵は成長した冬姫の容姿に驚いていたが、礼儀正しく両手をついた。

「快幹軒殿ご逝去との由。お悔やみ申し上げます」

 挨拶や当たり障りない会話などを幾つかして、やや馴染んできた頃、三蔵は本題を切り出した。少し離れて控える次兵衛が身じろぎする。

「三介様(茶筅丸・信意)は血を流してご養子先の北畠を討ち、北畠を乗っ取られました。ご養子先の神戸を追放し、重臣どもを討った三七郎さまも役目を果たされました」

 冬姫は三蔵が何を言いたいのか察して楚々と笑った。

「父の狙いはわかりません。しかし、北畠にせよ神戸にせよ、それでも付け入らせる口実を与えなければ、無事であった筈です。蒲生は決して隙を見せませんでした。蒲生家の健在は、蒲生家自身の能力の故にあります」

「蒲生が付け入る隙を与えないというなら、その口実を作るのが姫様のお役目ということはありませぬか?」

「私ごときに太刀打ちできる相手ではありません。私が口実を作ろうとしても、蒲生家は絶妙に阻止してしまうでしょう。それに、私は父がそのようなことを望んではいないと思うので。北畠のこと、あれは父の望んだことだとしても、蒲生は違うと思うのです」

「北畠と蒲生への上様(信長)の対応は違うと?」

「はい」

 冬姫は一瞬ためらった後、思いきって口にした。

「父は浅井に背かれて、それはそれは苦難の連続で。父が浅井を潰すために、叔母を送り込んだとは考えられません」

「……」

「父は滅ぼしたい家に身内を入れているわけではないと思います。私を蒲生家に嫁がせたのも、於次殿を羽柴家にあげるのも、身内となって絆を強めるためでしょう」

 三蔵は跋の悪い顔を次兵衛に向けた。己は浅井家で失敗したのだと、その目が語っている。三蔵はわざと冬姫に問うた。

「わかりました。ですが、忠三郎殿が姫様の御手に負えないほど優秀な婿なら、危険ではありませぬか?」

「では、羽柴様は三蔵様の手に負える方ですか?」

「えっ?」

 冬姫は頷きながら、

「敵わないものは敵わないもの。仕掛けても仕掛けても、悉く負けるだけ」

 くすくす笑う。

「父は才子を愛します。才子を危険だからと、殺したことがありましたでしょうか?父に対して恐ろしい野望を持っている才子であっても、父はかえって重用しているでしょう?」

 三蔵の頭に、とっさに何人かの顔が浮かぶ。今、信長を手こずらせている荒木村重、信長も呆れた松永久秀……

 そういえば、信長は嫉妬したことがあるのだろうか。どんなに高い位にいる貴人にも、その地位に対して嫉妬したこともないし、どんなに裕福な者にも、天才的な文化人にも、寵愛こそすれ、憎みも嫉妬もしない。驚愕すべき南蛮の文化、文明にも、妬みを込めた批判を口にすることなく、嬉々として飛びついているではないか。

 才能ある武士ならば、危険な男であっても重く用いる。憎みも嫉妬もせず、遠ざけず、近くに置こうとする。

 信長が遠ざけるのは、才能に欠ける者ばかりだ。信長を慕う者だろうと、信長は凡人をこそ憎む。

「上様は他人を羨み、妬むことなどあるのだろうか……」

 三蔵は独り言のように呟いていた。

 そうだ。信長にとって、この世で一番なのは、信長自身なのだ。だから、どんな天才でも、信長から見たら、信長以下。天才も、信長にとっては、やっと見つけた見所のある奴で、愛すべき存在なのかもしれない。

「なるほど。それがしや次兵衛の目には危険に見える程の才子は、上様にとっては可愛い者だということですな。それがしの羽柴家での役割、よくわかりました」

 冬姫はそっと頷いた。

「しかし、上様はさぞ孤独でいらせられましょうな」

 才能の頂点にいると自覚している者の孤独を思った。誰一人、頂にいる者の思考には思い至れず、察せられず。

 すると、冬姫は今度は首を横に振った。

「危険なほど優秀な婿なのでしょう?では、孤独でないはずです」

 忠三郎がいるから大丈夫だと微笑むのだ。

 その様子を見て、それまで穏やかに、笑みさえたたえていた三蔵の顔が曇った。

「冬姫様は噂に違わず絶世の美女であられるが……特に忠三郎殿のことを思われる時、お綺麗です。しかし、嫁いだ女は一番に実家のために尽くさねばならぬもの。姫様は、織田のため、上様のために尽くさねば。されど、姫様は……忠三郎殿を大事にし過ぎではありませぬか?次兵衛が案じるわけだ」

「父が大事にせよと命じた人だから、大事なのです」

 当然のように言う冬姫に、三蔵は首を傾げた。

「姫様はもしや、忠三郎殿を一番に考えておいでなのではありませぬか?左様な女はどこにもおりませぬぞ。姫様は忠三郎殿の愛に溺れておられるのでは?」

「私が父より夫を大事にしていると?」

「そうです。それはお父上様への裏切りです」

 そんな話をしていたところに、ひょっこり信長が現れた。

「姫、オルガンチノが来たぞ」

 信長は冬姫を度々伊留満等に会わせていた。今回は伴天連のオルガンティーノが来たので、対面させるつもりらしい。

「ああ、三蔵か、お前も一緒に行かぬか?伴天連の話は面白い。己の主君には絶対逆らうなと教えておる。この姫は伴天連が好きで、いつも会わせろとせがむ」

 やれやれと言う信長を、はっと三蔵と次兵衛は見上げた。


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