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女の判断

 天正五年(1577)十一月二十日に右大臣となっていた信長は、その後、岐阜城を嫡男・信忠(奇妙丸)に譲ると、近江の安土山に新しい城を築き始めた。

 安土山は六角家の居城のあった観音寺山の隣で、日野にも近い。

 安土城築城には、蒲生家も借り出され、賢秀は安土に詰めており、日野には不在であることが多かった。

 信長の天下はもう目前。今では、快幹軒も冬姫を迎えたことを心から誇らしく思っているようだ。

 当初は忠三郎と冬姫が睦まじく過ごすことを、あまり感心しない様子であった快幹軒も、冬姫が必死に、

「女には善悪など関係ありません。女の判断基準は好きか嫌いかです」

と言うと、それ以降はにたにたとして、冬姫を大事にしている。

 次兵衛はまた快幹軒がとんでもない野望を抱いていると、眉をひそめているが、冬姫は喜んでいた。

 彼女は父がすぐ近くに移ってきたことが、嬉しかった。遠く離れていると、互いの様子が見えず、心も見えず、些細なことまでもいちいち疑うようになる。些細なことから、疑惑と思い違いが生じて、とり返しのつかない事態にまで発展することもある。

 しかし、安土と日野の距離なら、そのような心配はない。夕食の汁の具まで筒抜けだ。冬姫はそのことが嬉しい。

 蒲生家はもう大丈夫だし、仮に何か微かな心のすれ違いがあっても、安土と日野のこの距離なら、問題ないだろう。

 しかし、冬姫がそう思う心、快幹軒への言葉が次兵衛の眉間の皺を深くさせる。次兵衛はいつまで経っても、どこまでも、多分永久に織田家の者だ。

 しかし、冬姫は──

 夫婦の契りとは、これほど重いものなのか。今更ながら、次兵衛はそう実感する。


 さて、賢秀が留守気味で、開放的になっているのだろうか、最近、城の女どもの無駄話が耳につく。

 次兵衛は今日も、忠三郎の乳母と、とら姫の乳母が廊下で雑談しているのに出くわした。

 とら姫は忠三郎より年少の叔母。忠三郎が生まれた後に誕生した賢秀の末妹だ。冬姫が嫁いで来た頃と同じ年代の彼女は、乳母の影響か、なかなか好学だった。

 その乳母は川副家の女で、忠三郎の乳母同様、博学だった。

 忠三郎の乳母は町野左近の妻。

 町野左近は竹田神社の神職の子だが、幕臣で百済王氏の末裔とも言われる町野家に養子に入った。忠三郎が岐阜に人質に行った時、同行して身の回りの世話をしていたという、忠三郎にとって最も身近な存在だ。

 その年長の妻は、未だ年若い亭主を尻に敷くばかりか、忠三郎でさえ頭が上がらぬ程の相手。さすが忠三郎を育てただけあって、機知に富み、かなり物知りだった。とら姫の乳母とは気が合う。

 とら姫の乳母は幼い姫にしっかり和歌を学ばせ、教育していた。一族の中には、今となっては織田家に欠かせない存在にまで出世した木下藤吉郎秀吉──近江長浜城主の羽柴秀吉に仕え、大変に重宝されている女性もいる。川副家は一族そろって好学な、優秀な人が出やすい家であった。

「千寿様」

 そんな仲良しの二人が廊下で出会ったら、雑談に花が咲く。

 運悪く次兵衛が居た部屋の前の廊下だった。出て行くに行けず、次兵衛はそのまま障子の裏にうずくまった。

「聞きました?羽柴様の所に仕え始めた侍女がうわなり討ちしたんですって」

 いかにも三十路四十路女が好みそうな話から始めた二人。

「まあ、源頼朝公の御台所みたいね」

「御夫君ときたら、左様に情の強い女ゆえ、やさしい女に目がいくのだとかって」

「なんて御夫君かしら。あら、でも私なんか、夫が帰って来なくても、全然平気だけど」

 こう発言するのは、声から察するに町野の妻だ。

「夫を想っているから嫉妬するのに、罰当たりな。妻に想われていない夫なら、女を幾ら作ろうと、妻は怒りはしないわよ」

 げにも、嫉妬の心そのものが悪いのではなく、嫉妬を行動に移すから、内紛にも繋がる事態にもなるのだ。

 そこからまた話は脱線し、何故か漢の高祖劉邦の后妃達、嫉妬に狂った女、城を傾けた哲婦、世を惑わした美女、我が子を世子とするために戦まで起こした母など、話は発展していく。

 それを聞きながら、次兵衛は冬姫が快幹軒に必死に言い返した言葉を思い出していた。

 冬姫の言う通り、女は愛憎で判断する。善悪ではない。つくづくそう思う。女の愛には無限大の力がある。






*****************************

 信長の安土城が完成したのは天正七年(1579)。その数年前から、信長は安土に住んでおり、冬姫もしばしば招かれていた。

 忠三郎は相変わらず戦ばかりで留守がちだし、賢秀も安土に詰めているので、日野を守るのは冬姫である。

 ところで、信長の子・於次丸は冬姫にとっては弟だが、近々長浜城主・羽柴秀吉の養子になることに決まっていた。

 備後鞆の将軍義昭の出した御内書の効果は絶大だ。義昭は浅井・朝倉、三好、本願寺等による包囲網が破られると、武田信玄等の参戦を促し、信長の配下を裏切らせるなどした。それが失敗しても、懲りずに、中国の毛利、北陸の上杉、それに本願寺等で信長をまた攻めんとする。

 秀吉は毛利相手に奮戦中。

 上杉は謙信が病死した後、内紛が勃発し、今は信長討伐どころではない。本願寺の補給をしていた毛利の水軍は織田方の九鬼水軍に敗れているし、信長の優勢であった。

 とはいえ、信長の寵臣の荒木村重が信長に反旗を翻すなど、面倒なことも起きていた。これももはや村重の敗北は決定的になってはいるが。

 この状況で秀吉は毛利攻めを任されており。於次丸まで賜って、かなりの出世である。

 一方、このところ、信長の身内には騒ぎが起きていた。

 次男の三介こと北畠信意(茶筅丸)は養子入りした北畠家を一族郎党討ち果たして乗っ取っていたが、最近、信長の許しもなく勝手に伊賀へ進撃して大敗し、多くの将兵を失ってしまったのだ。

 信長は烈火の如く怒り、勘当してやると書き付けた手紙を送りつけた。諸将の三介への評判もがた落ちであり、信長も我が子と忘れたか、以後、完全に無視した。

 また、同盟者の徳川家康のところでも、大変な事件が起きていた。

 信長の娘・五徳姫は家康の嫡男・信康に嫁いでいたが、家康は信康とその母を殺したのである。

 五徳姫からの手紙が信長のもとに届き、家康の使者が信長と対面した後でそのようなことになったという。故に、原因は五徳姫にあるのではないかと噂する者もあった。

 五徳姫は信康との間に授かった姫二人を徳川家に置いて、織田家に帰ってきた。

 お市の嫁ぎ先の浅井が滅び。三介が婿養子入りした北畠は三介、三七郎の婿養子入りした神戸は三七郎がそれぞれ乗っ取り。五徳姫が嫁いだ徳川は嫡男と室が殺され。

 無事なのは蒲生家だけである。そして、老齢の快幹軒が亡くなった。次兵衛の気苦労はおさまったであろうか。


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