倒幕
元亀三年(1572)。
信長には得たものと失ったものとがあった。得たものは堅田、失ったものは公方である。
比叡山の麓、琵琶湖の狭窄部に堅田という地域がある。堅田の対岸は守山で、昨年一揆の起きた金森と堅田とは、湖上を渡れば近い。
堅田衆は古くから、湖上運搬で儲け、また、堅田衆以外の船からは銭を取るなどしていた。もともと海賊ならぬ湖賊行為をしていたから、彼らは商船ばかりでなく、水軍のようなものも持っていた。
堅田衆が味方になれば、湖上運搬の権利を手にすることになる。また、急ぎ上洛する場合も、湖の周囲を陸路で回らなくとも、湖を渡って時間短縮することができる。
信長はこの堅田水軍を手に入れることに成功した。織田家が琵琶湖の水運の権利を手に入れたのである。これからは、信長の上洛も相当早くなるし、軍勢さえも船で輸送できる。織田軍の機動力も一段と上がるだろう。
一方、失ったのは足利義昭である。それは甲斐の武田信玄の存在が大きいだろう。
義昭にとってずっと敵であった三好勢が本願寺と連携し、さらに朝倉・浅井とも連携して、信長包囲網を築いた。本願寺によって、六角の指揮する近江の一揆や、長島の一揆など、各地で一向一揆が頻発しており、信長包囲網に深刻な陰を落としている。
義昭は信長とは一蓮托生であった。信長包囲網は、つまり義昭包囲網でもあった。それでも、義昭は信長の力がなければ、将軍でい続けることが不可能なので、信長に頼っているしかなかった。
だが、本当はとても怖かった。包囲網が。それでも堪えていたが、武田信玄という存在によって、ついに我慢できなくなったのだ。
信玄は本願寺門主の顕如とは相婿である一方、信長とも同盟関係にあった。だが、信長の盟友の徳川家康とは、今川領を巡って対立しており、ついに戦になったのである。
信長は武田とも徳川とも同盟していたが、一方に味方すれば、一方とは手切れになる。しかし、信長は娘・五徳姫の嫁ぎ先の徳川家の要請に応えて、援軍を出した。それで、武田とは手切れになった。
だから、西上する動きを見せる武田に備えなければならない。また、畿内方面には一向衆や朝倉・浅井といった敵がおり、容易に身動きできなかった。
この状況、都の義昭からすれば、信長包囲網に新たに最強の甲斐の虎・武田信玄が加わったように見えたのである。
義昭は怖くて堪らなかった。目の前の朝倉でさえ、怖い。都に攻め込まれたら、ひとたまりもない。
そのような折、朝倉義景は自分は義昭に対して謀叛の心はない、あくまで義昭を傀儡にしている信長と戦っているのだと言ってきた。義昭を信長から救出するために戦っているのだと。だから、御敵としないで欲しい、信長をこそ御敵として欲しいと──。
義昭が信長を御敵と見なせば、今、信長包囲網を築いている御敵全てが義昭に忠実な僕となる。
武田信玄まで参戦してきた以上、これに乗らない道理はない。
こうして、信長は足利義昭という錦の御旗を失ったのであった。
完成した信長包囲網のその中心に、初めて将軍・義昭が据えられた。
信長をこれよりは御敵であるとして、義昭は信長の敵たちに、こっそり御内書を送り始めた。信長を討伐するよう命じるに至ったわけである。
敵の多さ、信玄という強者への恐怖から──。
だが、当の信玄とて、実はこんなはずではなかったに違いない。
ちょっと徳川領を奪い、領地を広げたかっただけだ。信長は困って、好条件で信玄に和睦を求めてくるだろうと思っていたのに。
信玄のもとに届いた義昭からの御内書に、信玄は内心困惑した。
だからなのか、西上する動きを見せているのにもかかわらず、岐阜への攻撃には踏み出してこなかった。
信長は信玄を、都合がよい時だけ侵攻してきて版図を広げ、敵わない相手と知ったら、全面戦争は避けて、頃合いの良いところで和睦する人間と見ていた。そうやって武田は隣近所を切り取ってきていた。岐阜を攻めてこないのは、想定の内ではあるのだが。
それでも、今回のこの信玄の動きの鈍さには首を捻る。
「信玄め、何を考えているのだろう?奴の行動、あまりに謎だ。探れ」
信長は信玄の周辺に異変がないか調べ始めた。そこで、思いもかけない情報を得たのである。
──信玄は死病を患っている──というのである。
思いがけない機密を得て、信長はほくそ笑んだ。
そうして元亀三年は暮れ、明けて元亀四年(1573)。
細川藤孝等からの情報により、将軍・義昭の裏切りが明確になった。信長は前々から怪しいと思っていた。確かであることが判明した以上、義昭を討たなければならない。
──倒幕──
その言葉が、信長の頭に、色彩を伴って輝き響いている。
幕府を滅ぼすためには、義昭を討つ必要がある。だが、自分から攻めて行ったのでは、謀叛になる。大義名分がなければ、世は味方しない。
だが、義昭によって敵とされれば、義昭を攻める口実ができる。義昭が信長を討つよう朝倉・浅井、武田、三好に命じたから、応戦したまで、と──。
信玄の動きが鈍く、しかも重病ならば、武田なぞどうにでもなる。信長は用心は怠らないが、照準は都に合わせていた。
ところが、義昭の方は信玄の快進撃しか知らない。実は西上することに躊躇いがあることも、まして、重病であることも知らなかった。
義昭は都の防備を固め、朝倉・浅井や本願寺と連携して、信長の上洛を阻む作戦を開始する。信長を岐阜、南近江に閉じ込め、袋の鼠にするのだ。
大津を塞いで、信長が都に来られないようにすることにした。今堅田、石山に砦を築かせる。さらに、三井寺の僧兵をも動員した。
これに対して、二月二十五日、柴田勝家、明智光秀、丹羽長秀、蜂谷頼隆らがまず石山の砦を攻撃。この砦、築き始めてまだ十日前後。全く完成からは程遠い。
砦はわずか一日しかもたなかった。
信長はそこで義昭に和睦を持ちかけてみた。だが、信玄の西上を信じている義昭は、拒絶した。
それならばと、織田軍は翌日には今堅田の砦を攻撃した。これも瞬時に落ちた。
その後、信長はまた義昭に和睦を持ちかける。今度はじっくりと時間をかけて。
この間、信長は岐阜におり、軍勢は全て家臣たちに任せ、義昭とは交渉のみしていた。
北伊勢の情勢も気になるところである。願証寺への対策があるから、より北伊勢を盤石なものとしなくてはならない。
信長は我が子・三七に直接支配させるため、北伊勢の信用しきれない者達を一掃した。
神戸家の一族の総本家である関氏を排除したのだ。関盛信を妻の実家の蒲生家に幽閉した。関盛信は神戸具盛と共に、妻の実家に押し込まれたのである。
信長はこうして、義昭と交渉する一方、信玄を探り、着々と次なる大戦に備えて地固めしていたのである。
「三七様は見事、神戸家を手に入れられましたな」
北伊勢の粛清と、関盛信の幽閉が成ると、加藤次兵衛は冬姫にそう言った。その言い方が冬姫には引っ掛かる。
「先に謀叛を起こしたのは山路殿等の家臣達の方で、それを粛清したのでしょうに。兄が家臣達を嵌めたとでも?」
三七が神戸家を完全に掌握するために、坂仙斎らと結託して、謀叛を起こさせるように仕向けたとでも言うのであろうか。
冬姫は次兵衛に確認した。
「次兵衛、事実を曲げて父に報告していないでしょうね?父にはちゃんと、蒲生家が神戸殿、関殿を幽閉していると伝えて下さい。客人として日々饗応しているなどと嘘を言ったら、父が悲しみます。忠三郎さまは弾正忠家の三郎という意味でしょう?父は仲良く暮らせと言っていました」
次兵衛は硬直する。
「それは、ちょうど忠三郎さまが元服された頃、お屋形様が朝廷より弾正忠に補任されたからですよ。そこから忠と」
「では三郎は?」
「は……それは……?」
「父は忠三郎さまが大志を継ぐと言いました」
織田家は本家や分家など、幾つにも分かれている。信長の家は代々弾正忠に任官していた。また、この弾正忠家の嫡男は三郎を名乗ることが多い。
冬姫は、信長が忠三郎を気に入っているのだと信じている。忠三郎という名は、信長が彼を後継者にするつもりで付けたものなのだと──。
「しかし、姫さま、この度の関殿のことは──」
蒲生家が怒ったら、潰すという信長の意思表示ではないのか。信長はいちいち指示を出しはしないが、その意図を正確に理解し、速やかに遂行しなければならない。
しかし、冬姫は次兵衛はじめ織田家から来た者達に、決して蒲生家を潰すようなことはさせなかったし、蒲生家も少しも付け入る隙を見せなかった。
(されど、快幹軒様は怪しい。油断できないし、それに、もう……)
次兵衛は、ふと、
「件の若党にござるが」
と口にした。
阿ろくと恋仲の快幹軒の侍のことである。
「行方をくらましたそうでございます。阿ろくは身籠っているそうで。だというのに、阿ろくを放って消えてしまうなぞ、絶対何かありまする」
「え?阿ろくが?」
身籠ったとは冬姫には初耳だった。阿ろくは毎日冬姫のもとに出仕しているし、腹も目立たなければ、体調に変化もなさそうだった。
しかし、気になって呼び出したところ、
「まことでございます。されど、悪阻が始まる時期にもかかわらず、これこのように何ともなくて」
と、阿ろくは身籠っているが、すでに三ヶ月になるのにけろりとしていた。
「でも、大事にしないと。それに、心配でしょう?」
消えた恋人が心配なのに違いない。
「いったい何処に行ったのでしょう?心当たりはないのですか?」
「ええ、まあ……」
と、阿ろくも煮え切らない。
次兵衛の言う通り、何かあるのだろうか、快幹軒にも関わりのある話なのだろうか。冬姫は気掛かりを抱えるようになった。
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信玄が重病らしいとはいえ、今後の武田の動きがわからない以上、今のうちに将軍・義昭を下しておく必要がある。信長は京に入った。
東山に着陣。二万余の軍勢である。着陣早々、朝廷に贈り物をして、改めて帝へは忠義を明らかにした。
義昭は二条御所に五千の兵で立て籠っていた。なかなかに物々しく、義昭にも自信があるようだ。
信長はいきなり御所を襲撃するようなやり方はしない。御所の周囲から、じりじりと真綿で首を絞めていく作戦だ。四月三日から四日にかけて、上京から二条までを焼き払った。そうして、二条御所を包囲。
この御所では、籠城に堪えられない。義昭は慌てて侍女を使者に立て、和睦を申し出てきた。
「和睦なら、今までさんざんこちらから持ちかけてきた。何度も。時間の猶予も与えた。今更何だ、遅いわ!」
信長は全く聞く耳を持たない。
義昭は縮み上がった。今まさに命の危機。ここはもう何としても信長に許してもらうしかないのだが、信長は相当強気だ。
形振り構っていられなかった。義昭が命の危機から脱する方法は唯一であった。
帝にすがる。それだけだ。
信長のもとに、帝の御意が伝えられた。
信長は将軍の御敵であるが、一番大事な錦の御旗は失っていない。朝敵にはなっていないのである。
その帝が、義昭の全面降伏を認めてやりなさいと、言ってきた。
義昭の全面降伏という形を朝廷も認めたので、信長は不承不承に義昭との和睦に応じて見せた。




