元亀の苦境(中)
六角勢の起こした近江各地の一揆の掃討に、蒲生家も出陣した。先の一揆討伐から姉川の合戦、三好・本願寺との戦等、忠三郎は信長と共に各地を転戦している。彼はほとんど日野の城にいない。帰ったと思ったら、すぐまた出陣という落ち着かない日々が続いている。
忠三郎が危険な目に遭うようなことはなかったが、先日、宇佐山で、青地茂綱が森可成と共に浅井軍に討たれている。茂綱は青地家に養子に出ていたが、蒲生快幹軒の実子であり、忠三郎には叔父である。蒲生家には大いなる痛手であった。
その頃、伊勢長島の一向一揆は織田家にとって深刻な状況となっていた。
願証寺の数万もの信徒が武器を手にとり、大軍となって長島城に押し寄せ、あっという間に攻め落とすと、次に織田信興の尾張・小木江城を攻撃した。信興は信長の弟である。
一揆勢の勢いは凄まじく、信興は城を奪われ、自害した。さらに桑名城に迫った一揆勢は、滝川一益を敗走させた。
長島城、小木江城、桑名城を奪われた織田家は絶体絶命。しかし、朝倉・浅井と対峙し、さらに三好勢や本願寺にも睨みをきかせなければならない信長は、動けない。
信長が長島に来ないとなれば、一揆勢は益々意気軒昂となり、北伊勢の諸氏は浮き足立つ。
そこへ、六角承禎の使者が、関盛信のもとに出入りするようになった。それと関係あるのか、北伊勢四十八家の一部が織田に反旗を翻し、願証寺側に寝返りそうな様子が窺える。
それを見て、三七丸と共に神戸家に入った織田家の家臣たちが、神戸家を警戒し始めた。それは、冬姫に従って蒲生家にいる加藤次兵衛らも同じである。
賢秀と忠三郎は今、蒲生領内にまで迫る近江東南の一揆の鎮圧に出陣中である。日野には快幹軒定秀がいるだけだった。
次兵衛はこの快幹軒にこそ疑いを持っている。冬姫も混ぜて、連日、次兵衛は織田家から来た家臣、侍女たちとこっそり密談に及んでいた。
「関家、神戸家、何れの奥方も、大殿・快幹軒様の娘御でござる」
「この日野の領内の五ヶ寺、一向宗にござれば、門徒衆が一揆に合流する恐れあり。一揆に加わらねば、破門にすると、顕如上人が檄を飛ばしておるゆえ」
「六角の起こした一向一揆に、日野領内の宗徒が加勢するのか。さすれば、快幹軒様も六角に帰参するやもしれぬ」
などと言い合う。しかし、大人の話を聞いて、冬姫は幼いながらも危険だと感じた。
「待って下さい、次兵衛!近頃、蒲生家を誘う使者や書簡が、六角から何度も来ていることは確かですが、いつも蒲生家は断っているではありませんか。先日などは、六角から遣わされた使者を斬ったと。次兵衛は忠三郎様が使者を斬ったのを見たのでしょう?今も忠三郎様はお義父上様と共に、他ならぬその一揆鎮圧のため、出陣なさっているのですよ。六角と戦っておられるのに──」
「勿論、それがしとて忠三郎様を疑うわけではございませぬ。留守を預かる、快幹軒様が何か企むかもしれないと申しているのです」
何か仕掛けるならば、賢秀、忠三郎が留守である今だと言うのだ。蒲生家は分裂するかもしれない。
そのような折も折、冬姫が一人でいた時に、阿ろくと美濃出身の老女が居間にやって来た。
老女の夫は斎藤道三、次いで義龍に仕え、そのまま美濃にいて、信長に仕えるようになった。老女自身は、嫁ぐ以前の濃姫の侍女だったことがある。
老女は夫と共に、連日の次兵衛の会談に参加していたが、困り果てた様子で冬姫に相談した。
「私は北ノ方様(濃姫)が織田家に嫁がれた後も、しばらくお城におりました」
義龍の頃まで仕えていたが、龍興の時代になって辞し、信長と濃姫が岐阜城に入ると、再び出仕するようになった。
似たような経歴の者は他にも何人もいる。
老女達は阿ろく同様、義龍の息女である六角義治の妻のことはよく知っていたし、その里女中達とも親しかった。
「六角家中にいる侍女どもが接触して参りまして……それが驚くべきことに──」
六角家の井口殿の侍女は、老女を斎藤家の同輩と見て、今でも斎藤家を慕っているものと勝手に解釈していた。
蒲生家を六角家に帰参させ、領内の一向衆と一揆を起こさせ。親族の神戸家をも一揆に加担させろというのである。
先に蒲生家に遣わした赤坂が斬られ、何度誘っても蒲生家は六角家に帰参せず、逆に一揆鎮圧に乗り出し、六角家と刃を交えている。それで義治は、妻や冬姫の近習を使って蒲生家を誘うという作戦に移行した。
「ご心配なく!我ら美濃の出の者は皆、北ノ方様をお慕いして参りました。斎藤家にお仕えしたとはいえ、山城守(道三)様亡き後の斎藤家など。義龍、龍興など主と思うてもおりませぬ。故に、北ノ方様の岐阜ご帰還、織田家によるご支配を心より喜んでいるのです。我らは織田家の家臣。姫様、何卒お心安らかに遊ばしませ」
老女も他の美濃衆も、冬姫に従っている者は皆、織田家の者という自覚を持っている。
老女からことの次第を聞いた冬姫は、軽く目眩を覚えた。
「それ、次兵衛などの尾張衆には知られていないでしょうね?」
「知られてはまずいので、姫様にご相談致しました」
阿ろくの答えにほっとすると、冬姫は二人に問うた。
「それで、六角方には何と返事したのです?」
「返事はまだ致しておりませぬ。当然、同意なぞ致すわけがございませぬ。我らは織田家の者。冬姫様に命を捧げるものです。それ故、姫様に包み隠さずご報告致しました。姫様のご指示を賜りとう存じます」
阿ろくは岐阜城で文を巡って冬姫に詰問された時から、無知な幼い姫だとは思っていない。
冬姫はしばし考えてから、
「返事をしていないのは良かった。このまま向こうと繋ぎを持っていて下さい」
と要請した。
直後、ついに蒲生領内でも一揆が勃発した。俄に冬姫の身が危険にさらされた。信長の弟でさえ殺されたのだ。
それほど、一向一揆の力は凄まじく、決して侮れない。日野の小さな城など、すぐに奪われ、冬姫もあっけなく殺されかねない。
出陣中の忠三郎は無論のことだが、留守を預かる快幹軒定秀も青ざめた。快幹軒は一揆鎮圧と、一揆勢との話し合いに奔走した。
蒲生領内の一向衆は、長年の蒲生家との付き合いを重視して、一揆は起こさなくなった。快幹軒がよほど見事に交渉したと見える。
ただ、破門を恐れた宗徒たちは、蒲生領内で一揆を起こさない代わりに、兵として本願寺に赴き、また兵糧を送るなどの後方支援は行った。
だから、なお蒲生家は危ない橋を渡り続けていたのである。次兵衛に付け入らせる隙があった。
その頃。北陸は雪に閉ざされる季節となっていた。
朝倉義景は、雪が降る前に越前に帰りたがっていた。兵糧も不足し、このまま織田軍と対峙を続けることは不可能だ。
そのような折、朝廷が動いた。
「天下静謐を乱す戦を、これ以上続けるのはやめよ。幕府と和睦せよ」
それを義景は承知した。
ついに信長と朝倉義景・浅井長政との間で和睦が成り、信長の長い危機は終わりを告げた。
十二月十七日。信長は岐阜に帰った。
また、信長と六角家との和睦も成った。
一方で冬姫は、阿ろく達美濃衆を、六角家の井口殿付きの家臣達と会談させている。
六角家の者達は、六角と共に織田を討とうと言っていたが、逆に阿ろく達が、共に濃姫に従おうと誘ったのだ。
濃姫。彼女を慕う者は六角家の女房衆の中にも確かにいた。彼らが心動かされたことは間違いない。
会談を終えて日野に戻ってきた阿ろくを、快幹軒の若党が迎えていた。この二人、いつしか恋仲になっていた。次兵衛はこの侍は使えるのではないかと、阿ろくを動かして快幹軒を探るか嵌めるかしようと考えていた。




