傾国
さて、関ヶ原の合戦は、豊臣家の臣下間の戦であった筈である。だが、家康は天下を手にすることになった。朝廷より征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開いたのである。
ついに家康が武士の頂きに立ったのだ。
かつて、織田家の臣下であった秀吉が、いつの間にか関白として天下人になっていたのと同じように、家康も巧妙に天下人になってしまった。
だが、そんな家康を責め、心から豊臣家に忠義を誓う者などいない。かつて織田家に忠義の者なく、ほとんどの大名小名が己の保身に勤しみ、秀吉に従ったように。今もまた豊臣家への忠義なぞなく、家康に従うだけだ。
関ヶ原の合戦で東軍についた者の多くが加増された。その筆頭は家康の次男で、上杉の南下を防いだ結城秀康だが、同じく秀隆も大幅に加増された。
上杉家は改易だけは免れたが、会津を追われ、米沢に減移封となった。
家康は娘の振姫や周囲へ冗談を口にした。
「振のお姑様は大した女人だ。あの方がいなければ、会津は上杉の手に渡ることはなく、なお蒲生家のものであった。つまり、わしが会津を討伐しようと腰を上げることもなく、三成が挙兵することもなかった。だから、関ヶ原での激闘もなかった。わしは未だ豊臣家の中でおとなしゅうしておったわな。あの方が太閤を振って下されたお陰で、関ヶ原の決戦が起きたわけであり、今日のわしがある。いやはや女人の色香というものは恐ろしいのう」
唐土を見れば、いにしえより、天下が大きく動く時、必ず傾国の美女の存在が認められる。女の色香がいつも歴史を動かしてきた。
「冬姫もそれらの傾国と同じよ」
もしも冬姫が美しくなかったら、秀吉に横恋慕されることも、まして凄まじく執着されることもなかった。
秀吉が冬姫に求婚しなかったなら、蒲生家は安泰であり、会津はずっと蒲生家のものであった。
冬姫が美しかったから、秀吉に求められたのであり。冬姫が忠三郎に愛され、彼女も彼を愛したから、秀吉を拒絶したのである。
そして、そんな彼女に怒った秀吉によって、蒲生家は会津を追われ、上杉家が入ってきたから、会津征伐があったのであり。家康が会津征伐に向かったから、三成が挙兵し、関ヶ原の合戦になったのだ。関ヶ原の合戦がなければ、家康は天下人になれなかった。
「振のお姑様が美しかったおかげで、関ヶ原の合戦が起きたとも言える。今日のわしがあるのは冬姫のおかげよ。その大恩に報いなければならないの、振よ。会津はもともと蒲生家のもの。邪魔者が出て行ったならば、もとの主が戻るべき。婿殿に与えよう」
家康は蒲生家に再び会津の地を与えた。六十万石に加増して──。
上杉の南下を防ぐため、宇都宮で目を光らせていた蒲生家だったが、結局、一戦も交えることはなかった。にもかかわらず、家康は六十万石与えたのである。振姫はようやく愁眉を開くことができた。
十八万石から六十万石への大幅な加増。それでも、以前の九十二万石よりは三十万石以上少ないが、大大名には違いない。秀隆にとっては、会津に、忠三郎が遺した鶴ヶ城に帰れることの方が嬉しいが。
家臣達は「御方様のおかげ」と、冬姫の貞淑さに感謝した。彼等はすっかり関ヶ原の原因を、冬姫のせいにして喜んでいる。
家中は彼女を讃えるばかりで、非難の声は一切聞かれなかった。秀隆は苦笑したが、いきなり四十二万石も増えたので、また多くの家臣を召し抱えなければならなくなった。
そこで、秀隆は上杉家や石田家に仕官していた者をはじめ、旧臣達を再度迎えることにした。彼等は新しい仕官先で、ずっと蒲生家に戻りたいと思っていたという。
どの家にも仕官せず、浪人していた者もいた。
「皆が戻ってくれて嬉しい」
秀隆は心から喜んだ。だが、全て元通りなわけではない。六十万石であるから、戻ってきた家臣達に、九十二万石だった頃と同じ知行は与えられない。
(再度召し抱えた家臣達は、少ない知行を不満に感じるだろう……私が思っていた以上に蒲生家を、父上を慕ってくれていた。だが、以前、確かに母上に太閤に嫁げと要求した。そんな彼等だ、知行は十分与えないと、へそを曲げる)
そこで秀隆は、家督相続直後、秀吉によって破棄させられた各支城を再建させることにした。父の時代のように、支城制を復活させるのだ。
戻ってきた家臣達を城持とすることで、知行の少なさへの不満も緩和されよう。
支城制にすると、また家臣達の独立性が強くなる。秀隆を同輩以上程度にしか思わず、すなわち彼への忠義も蒲生のお家のためという意識も育たず、家中の統一はなされないかもしれない。だが、秀隆はそれで構わなかった。
それに、大きな戦は終わったばかり。まだ安定した世の中ではない。西軍の残党が集まって、蜂起するかもしれない。支城制は乱世に望ましい。
城持にした者には、岡半兵衛はじめ、石田三成と親しかった者も多い。時節柄、三成の婿を重用するのはまずいと言う者もいるが。
「私はまだ切支丹ではないが、父の信じたものを尊重したい。そなた達の多くも切支丹だから、わかるであろう。許すことで、許される。一時は敵方にいたかもしれないが、それは私が至らなかったからだ。戻ってきた者のことを白眼視するな。許すのだ。許し合え。それが神の望まれる世であろう。それが亡き父の望みでもあるはずだ。互いに許し、大切に思い合う世。私は会津をそのような地にしたい」
関ヶ原の戦いの折、秀隆は数え十八歳であった。冬姫は忠三郎が亡くなったのと同じ年齢。
忠三郎の死から僅か五年。本当に、あともう少しだけでも生きていてくれたらと、冬姫は忠三郎の早世が残念でならない。
先に会津に再入封した秀隆は、落ち着いた頃、冬姫を宇都宮から会津に迎え入れた。
貞淑さを改めて讃えられ、家康より感謝された冬姫は、蒲生家の会津再入封によって、初めて鶴ヶ城を目にすることが叶った。
その瞬間、彼女は圧倒された。天空に高く高く聳える七層の天守。金の瓦が日に輝いている。
手を合わせていた。鶴の子を羽ぐくむ神々しい親鶴に見えた。
冬姫は懐に抱いている香袋を取り出し、両手に握った。ふわっと桜の香りがする。
鶴ヶ城を見上げる冬姫の姿は清らかで優しげであり、気品に満ちあふれている。
会津にはキリシタンが増えていた。キリシタン達は﨟たげな彼女の姿に、聖母のようだと語り合った。
だが、冬姫は周囲の人々が自分に注目していることにも気付かない。
「忠三郎様!」
ただ香袋を抱きしめ、蘭香に包まれながら、ずっと天守を見上げていた。
──私は御身を愛している──
蘭の薫風が、彼女の耳にその言葉を届けていた。
天守の天辺を輝かせている天空の光。あの彼方に忠三郎はいる。永遠に。
頭に金の冠を戴き、沢山の人間に囲まれ、慕われる彼の姿が浮かぶ。
「蘭……」
神のもとでは、ついに蘭となっただろう。
隠谷はこの世だ。




