存亡の危機(下)
さて、秀吉が京都新城を築き始めた頃、以前のオルガンティーノの予感は的中した。
フィリピン総督府から船出したスペイン船・サン=フェリペ号が日本で座礁すると、日本側はその積み荷を奪ってしまったのである。スペイン方は返還を要求したが、秀吉は聞き入れなかった。
「布教は日本を植民地にするためだ。こんな外道なことをして、今に見ていろ、本国から日本に軍が投入されるぞ!」
そう脅されても、秀吉は呵々と笑って、歯牙にもかけない。かえって。
「やれるものならやってみるがいいわさ!ひゃひゃひゃひゃ」
あろうことか、京のフランシスコ会の教会を取り囲み、バプチスタ以下の宣教師、教会に出入りするキリシタンを捕らえて磔にして殺してしまったのである。
「どうせイスパニアの艦隊はネーデルランドだかどこだかに大敗して、日本になんぞ来られまい。悔しかったら、仕返しでもしてみや!」
捕らえた者の中にはイエズス会の者も含まれており、石田三成はスペイン船との関係から、フランシスコ会の者だけを処刑しようとしたのだが。
「なあに言うとる!ポルトガルはイスパニアの版図に含まれとるんじゃから、イエズス会もフランシスコ会同様、イスパニアのものじゃろ」
と、秀吉はイエズス会関係者も含む二十六人を処刑したのだった。
改めて、キリスト教の布教は禁じられた行為なのだと、世の中に知らしめられた。
奥州でキリシタンを増やし、秀隆を受洗させる計画であった蒲生家中は青くなった。秀隆の受洗、まして謀反など絶対無理である。そして、ついに大事件が勃発した。
冬姫の、かすかな計画、願いは無惨にも打ち砕かれた。
筆頭家老で秀隆の後見役の赤座隼人(蒲生四郎兵衛郷安)は、秀隆と共に国入りしていたが、突然、綿利八右衛門を殺してしまったのである。
もともと大きな顔をしていた隼人だが、秀隆の代になって専横著しくなり、家中は苦々しく思っていた。そこへきての綿利殺害である。これに家臣達は激怒した。特に、上坂左文(蒲生郷可)。以前も、隼人と左文は合戦寸前にまで至った。もとから仲が悪く、日常的に喧嘩していた隼人と左文。左文は徒党を組んで隼人を追放しようとした。
左文の弟・上坂源之丞(蒲生五郎兵衛郷治)は兄に味方し。左文と坂源次郎(蒲生源左衛門郷成)は昔、共に柴田勝家の家臣で懇意だったが、そもそも殺された綿利八右衛門が源次郎派だったから、源次郎も当然左文に味方した。
左文らは秀隆にも詰め寄った。だが、隼人は父が最も信頼し、高禄を与えた家臣の筆頭である。譜代ではないが、日野時代からの古参の家臣だし、石田三成とも親しい。隼人を処罰して、面倒なことになる恐れもある。
秀隆は隼人の処罰を躊躇った。隼人が綿利を気に入らないのも、秀隆の代になって、父の代以上に綿利を重用したからでもあろうから。
秀隆は家康に相談した。すると、家康も三成に伺いを立てろと助言した。
だが、秀隆の後見として秀隆の名を使い、綿利を殺した隼人の専横。以前にも、他の側近衆を追い出したり、母さえも秀吉に差し出した隼人なのだ。本心では秀隆も面白くないに違いない。
譜代の町野左近は秀隆の本心をそう理解した。町野は上洛したが、そこへ加藤次兵衛が訪ねてきたのである。
忠三郎の乳母人と冬姫の乳母人。互いに年をとった。
「以前から気になっていたことがあっての。町野殿も覚えておらるるか?ご先代様(忠三郎)がまだ十代の若武者でいらせられた頃、蒲生家に再出仕の誘いに訪れた、六角家の使者を斬ってしまわれたことを」
「覚えている。そこもとは、その使者が赤座隼人にそっくりやと度々言うておられたのう」
「赤座は六角家の旧臣よ。赤座氏とはそれなりに良く知られた家であるわりに、隼人は親兄弟のことなど、いまいち素性がはっきりせぬ。長年気になっておったのだが、ご先代様が肥前名護屋でお倒れになられた後、夢に見てのう。いよいよ怪しく思い、調べたのだわ」
次兵衛はそして、今ようやく調べがついたとして、町野に告げた。
「隼人はあの使者の実子だった。赤坂とあの使者は名乗っておったが」
「まさか。そこもと、赤座に蒲生家への個人的な恨みがあり、その私怨がために家中を乱しておるとでも言うのか?さような私怨のない者など、今の世の中一人もあるまい。私怨は忘れて、誰しも同盟、同心し、仕官しているものや」
とは言ったが、やはり次兵衛の言葉に影響されたか。その後、町野は、左文らが団結して隼人を追い出したのを受けて、その身柄を蒲生三郎左衛門(後藤千世寿)の親戚である加藤清正に預けてしまった。
それにより、隼人は秀吉のもとに召し出され、尋問されることになったのである。
吟味した結果、秀吉は隼人に罪はないとした。となれば、蒲生家は隼人を追放したばかりか、石田三成に預けなかったのだから、事件の当事者を含め、蒲生家全体に処分が下されよう。
ところが。
秀吉は隼人を罪なしとしたのだから、彼を追った左文らを厳しく咎めるべきであろうに、不思議なことに、左文の罪も問わなかったのである。
隼人は蒲生家にはもう戻れぬとて、さっさとキリシタン仲間の小西行長に仕官している。三成は、よくやったと彼をねぎらった。
三成は蒲生を潰す口実が欲しかったのだ。かねてより、隼人に口実を作るよう言っていた。
一方、秀吉はあれ以降ずっと冬姫にしつこかったが、これは好機とばかりに、さらに強く言い寄った。
「隼人にも左文にも罪は問わなかった。どういうことかわかるな?つまり、事件が起きたことが問題なのではない。隼人を信頼せず、わしに介入させた若君がいけないということじゃ。じゃが、姫さまがわしのもとへ来れば、蒲生百万石は若君ともどもわしが世話して差し上げる」
目の前の未完成の新城から瑞林院の冬姫のもとへ、日々そう言ってくる秀吉。冬姫が秀吉のものになれば、このまま蒲生家を無罪とするが、冬姫が秀吉のものにならなければ、何事かの処分を下すということか。
しかし。
「私は尼です。それに、秀隆を、蒲生家を潰すおつもりでしょうに。私が参っても、秀隆を罰するのでしょう?」
秀吉の狙いは秀隆なのだ。そして、蒲生家。忠三郎が亡くなった直後、秀隆を二万石にまで大減封し、家臣たちを日本国外に追放すると、大喝したではないか。
冬姫はついに秀吉に従わなかった。
この蒲生家の事件の直後、慶長三年(1598)正月。
「家臣の統率が宜しくない。よって蒲生秀隆から会津を召し上げる」
秀吉は事件を起こした当事者達に一切罪を問わず、ただ一人、秀隆にだけ責任を負わせた。
「百万石は召し上げる。宇都宮に移れ」
家康の婿でありながら、秀隆は十八万石に減らされた。
こうなっては、秀吉ももう冬姫は手に入れられないと観念したであろう。だが、まだぐずぐずと未練を残していた。三成は笑った。
「よくわかっている女人、我等は見抜かれていたのです。殿下の女となっても、どの道蒲生は潰される、さすれば殿下の側室になり損と。まあ、これで蒲生の謀叛は未然に阻止できたので……」
「わしは姫さまのためなら、天下もやれるぞ!側室になっていたら、女王様にした!」
「ばかな!三十路女なぞお諦め下され。殿下なら、十二、三歳の若い娘を望むだけ御手にできます」
「わかっておらぬ。あの方はわしに天下を下された。諦めきれぬ!」
秀吉の脳裡には冬姫の嫋やかな面影が浮かんでいるのか、鋭い口調とは裏腹に、表情は恍惚としている。
一方三成は、そもそも手ぬるい処置だと思っている。当初は二万石にしようとしていた。今回は改易でもおかしくないのに、十八万石とは。松坂時代よりも六万石も多いではないか。家康への遠慮なのか。いや、なんだかんだで冬姫に甘い秀吉なのだ。でなくて、この厚遇は何であろう、蒲生を潰すつもりの秀吉なのにと、三成はそう思う。
そして、その頃の蒲生家中は大減封に激怒の嵐であった。
振姫は家康の実娘としての誇りに傷が付き、豊臣家を罵ったという。そして、処分を受け入れたまだ見ぬ夫を案じた。
「お気弱な方。減封なぞ私は絶対嫌!」
徳川家康の娘たるもの、九十二万石だからこそ嫁ぐつもりだったのに。小領の子供が相手では、家康の娘として恥ずかしい。
伝え聞いて、面白い女だと秀隆は振姫を評したが、家臣達は振姫に同意し、怒りと不安でいっぱいになっていた。
蒲生家は十二万石から急激に九十二万石になったため、夥しい数の家臣を俄かにかき集めていた。今度は逆に、九十二万石から十八万石になるわけだから、これほど多数の家臣は要らぬ、いや、抱えきれないのである。松坂時代の数にまで減らさなければならない。
つまり、大多数の家臣達は蒲生家を出され、浪人になる。万石領主も多く、裕福だった彼らが、いきなり無一文になるかもしれないのだ。戦々恐々とするのは当然であろう。
彼らは秀吉を憎み、事件を起こした隼人を恨んだ。
だが、当事者の隼人も左文も何らの処罰も受けていない。とすると、秀吉のこの蒲生家への仕打ちは、件の事件が理由ではないのではないか。
彼らはすぐに気づいた。
「御方さまのせいじゃ!」
冬姫が秀吉の側室にならなかったから。それに怒った秀吉がこのような処分に至ったのだ。
家臣達は皆、傾国・冬姫のせいだと信じた。
蒲生家大減封の理由は、絶世の美女に振られた秀吉の腹いせ──世間もそう噂するようになっていた。
世の中というのは、この手の話題が大好きだ。すっかり冬姫の強情のせいにされている。
「天下の太閤様に楯突くとは、世渡り下手な姫君だな」
「後家様に手を出そうとした太閤様が悪いわ」
「太閤様はもとは信長公の草履とりじゃったろ。蒲生様の後家様は信長公の実の娘御。太閤様は高嶺の花に憧れたが、誇り高い姫君は下郎を嫌われ、退けられたのだろう」
「あの後家様は大層貞淑な姫君。相手が太閤様でなくとも、手厳しかったに違いない」
「ご立派だ。大名とて皆、太閤様のご機嫌取りに忙しいというのに。か弱い後家の身で」
「確かに世渡り下手かもしれぬが、何故か痛快だ」
「蒲生様には側室がいなかったのに、奥方が二夫持つわけにはいかんだろ」
「儒教なるものの貞女の鑑」
「そこまで亡くなった夫君が大事とは。百万石より一人の夫君への貞操を守られるとは。よほど夫君が忘れられないのだね」
「貞操とな?かのお人は耶蘇か?」
「健気だ、そんなに蒲生様がお好きなのか」
「そもそも蒲生様に側女を持つ気を起こさせなかった程の女人。蒲生様に愛された理由がわかる」
「素敵、まるで物語のよう」
「うっとりする程の恋物語かな!」
「太閤様の横恋慕か。その後家様、類い希なる美貌と評判だったが、本当に余程お美しいのだな」
「百万石を失う程の美女。西施みたいな傾国じゃわ!」
世間は特に高貴な人に対して興味津々なものなので、好き勝手に噂していたが、大概は冬姫に同情的だったり好意的だった。
だが、実際大減封される蒲生家としては、暢気なことは言っていられない。世間と同様、冬姫の毅然とした態度を誇りに思う者がいる一方、迷惑に感じる者もいた。
大減封の結果、もともと大名で、忠三郎の妹婿の田丸直昌(具直)と関一政は秀吉の直臣とされ、独立した大名となった。両者は信濃川中島、飯山にそれぞれ移る。しかし、直昌の先祖の准三后・北畠親房は、陸奥や常陸で後醍醐天皇のために活躍したので、直昌の子息は蒲生家を離れるのを残念がった。忠三郎の甥ではなく、先腹、つまり北畠具教の孫だが。
また、佐々成政の婿養子で柴田勝家の甥の佐久間勝之も秀吉の直臣とされて信濃長沼に、槇島にはその兄の佐久間安政が封じられた。
こうして、四人がそれぞれ信濃国内に領地を与えられ、蒲生家を去ることが決まり。
そこで、秀隆は山鹿六右衛門を呼んだ。
「父が羅馬に遣ったロルテス殿は未だ消息不明。せめてそなたは傍に置きたいが、私には父のようにそなたの能力を活かしきる力がない。その才能を発揮させられないのは申し訳ないので、そなたはもとは関家の家臣であるから、関殿にお返ししようと思う。飯山へ行ってくれ」
六右衛門は秀隆のもとでロルテスを待ちたかったが、蒲生家の台所事情を思い、関家に行った。
(百万石だったからこそのご先代様の夢。太閤を討ち、キリシタンの天下人となられる夢が……ご先代様亡き後は、若殿にそれを果たして頂こうと望んだが、こんな理不尽な大減封。理由を作って蒲生家を潰そうとしているとしか思えぬ。我らの悲願、太閤に見破られていたのか?十八万石では悲願叶わぬ。もはや若殿のお舅様くらいしか……)
六右衛門は失望した。彼は会津じゅうをキリシタンに改宗してきた。そして、秀隆に謀叛させようと願っていた。
だが、サン=フェリペ号事件以降、キリシタンには受難の世になっている。
以前のバテレン追放令は、秀吉の伴天連への危機感からなされたことであった。大名の信仰には不都合もありはしたが、名もなき庶民のキリシタンの信仰にまでは制約はなかった。
だが、サン=フェリペ号事件後、初めてただの庶民のキリシタンが処刑された。今は信仰を持つことさえ難しい。
(キリシタンの庶民を弾圧することには石田殿も反対しておられる。だが、豊臣家以外の天下様が立つことは、あの人は許しはするまい。蒲生家が立ち上がるのがキリシタンのためだとわかっていても、あの人は迫害者の太閤のために、蒲生家を潰すだろう)




