壺の余波(下)
部屋の中心に、三人向かい合って座っている。侍女・川副の娘は文に眼を落とし、女中はおどおどと落ち着きがない。冬姫はじっと黙って座っている。
ややあって侍女が読み終え、面を上げた。
「川副殿。それは六角四郎殿のご内室からの文でしたか?近衛殿の書について、書かれていますか?」
冬姫が問えば、侍女は首肯する。
「ええ」
「他には?母上のこと?」
「はい、夫婦で母上の身を案じている、と。以前母上を悩ませたのは、近衛殿の書のことかと。その書は蒲生家の若君にも披露したことがある、とも。他には特にございません」
忠三郎宛ての文と同様の内容のようだ。
「その近衛殿の書について、川副殿はお心当たりがありますか?」
「さあ、私には。常に御方様のお側におりましたわけでもございませんので。御方様に伺ってみませんと」
「披露されたのは、いつと?」
「いつどこでとは記されておりません。六角家は御方様の当時の主家。御方様は重臣のご息女でしたから、井口様にお会いになったことは、何度かはございます。その折のことでございましょう」
「忠三郎殿へは、六角夫妻が蒲生家に滞在中に披露したと書いてありました」
冬姫のその言葉に、侍女はちょっと気まずい表情を浮かべたが、すぐに改め、女中に向き直った。
「そなたは何者か?」
「……何者とは。このお城のれっきとした女中で、阿ろくと申します。母は長井家、姉は斎藤家、一色家に、私も一色家にお仕えしたことがございます」
生粋の美濃者であると言う。おそらく美濃が土岐家によって治められていた時代から、母や姉は斎藤一族に仕えていたようだ。彼女自身は義龍の晩年から龍興の時代に仕えていたということか。
「甲賀者ではないの」
呟きにも似た冬姫の問いに、阿ろくと名乗った女中は心外そうに声を上げた。
「滅相もない!甲賀者なぞ知り合いにもおりませぬ!誓って申し上げます!私は六角方の間者ではありませぬ!仲間などもあるはずがございませぬ。里下がりさせて頂いた時に、御文を二通預かっただけでございます。文の主がどなたかも存じませんでした。まさか、六角家に嫁がれた姫様だったとは」
言いきってしまうと、再び力なく項垂れた。
「誰からの文か知らなかったの?」
「さる姫君から、としか……」
そこで、冬姫に代わって侍女が追及を始める。
「いったいいつ、誰から、どういう経緯で手にした?」
侍女の声色は穏やかで、口調もゆったりしているので、一見問い詰めている風ではない。
阿ろくよりは少し歳上だろうか、まだ若いが怜悧な侍女である。それが、冬姫が嫁ぐことになった蒲生家の家臣の娘だというのだ。冬姫は心丈夫になった。心強い味方を得たような心地だ。
「南伊勢での戦が終わり、北畠と和睦が成って、若様がご養子に入られることが伝えられた後のことでございます。若様の御道具のことで御上臈が城下に赴かれるというので、私もお供致しました。ついでに、しばらくそのまま里下がりして良いと。私、ここのところ里下がりさせて頂いていなかったので。一昨日まで里におりました」
阿ろくは文を受け取った経緯を話し始めたが、ここまでの内容に偽りはなさそうである。
「里に帰って数日後、親戚が何人かやってきて、久しぶりに楽しく過ごしました。その時、従姉から御文を二通、預かったのでございます」
「従姉?いかような身の上の?」
「それが……」
言い澱むと、侍女は眼を光らせた。
「六角家の女中か?」
「いえ、はい、いえ。はいと言うべきか、いいえと言うべきか……」
「つまり、もともとはそなた同様、美濃で斎藤家に仕えていた者ということか?左京大夫殿(義龍)の姫君が六角四郎殿に嫁がれた時に、斎藤家から従って、共に六角家に入った」
「はい、左様でございます。ですから従姉は、斎藤家の女中であり、その姫君にお仕えしているのであって、六角家の女中の心ではない筈です。姫様は観音寺城落城時に、夫君に連れ去られましたので、未だ六角家内室というお立場ですが、姫様にお仕えする者達の多くは、御屋形様に降り、美濃へ帰りたいに違いありませぬ。従姉もそう申しておりました」
「それで?その従姉はどうした?」
「姫様を放ってはおけない、六角四郎殿を説得して姫様を美濃にお戻し申すまでは、お側でお支えするとて、甲賀へ戻りました」
そこで侍女は勝ち誇ったような顔になり、鋭く切り返した。
「であるならば、従姉から預かった二通が六角家内室からの文だと察せられた筈。六角家旧臣の小倉の御方様、蒲生忠三郎様宛てとなれば、なおのこと。そなたはいい加減なことを言って、言い逃れようとしているのか?従姉や他の里女中達が、六角家になど心はなく、主である姫を美濃に戻してあげたいと願っているなぞ、でたらめでしょう!」
「なるほど」
青ざめる阿ろくをよそに、二人のやりとりを黙って聞いていた冬姫は、これが女のこの世での生き方、駆け引きかと思った。自分も間もなく、このような生き方を強いられるようになるのだ。
「六角に内通している、六角の密使と会っていると疑われても、そのように答えれば、逆に六角方をこちらに降らせるために説得していると言い逃れできますね。阿ろくは、従姉やその主を調略しているのですか?」
「しているわけがありませぬ」
吐き捨てるような響きが侍女にはある。冬姫にそう言うと、阿ろくを一睨みした。しかし、その後、再び冬姫の方に向きなおった時には、優しげな表情になっている。
「あちら側も、どうやら調略してきている様子はございませんね。もともと斎藤家に仕える者どうし、他にもこのお城には、井口様の女房衆と知人である人は、たくさんおりましょう」
冬姫は頷いた。
「今回はたまたま阿ろくでしたが、今後も別な者で似たようなことはあるということですね。父もそのことは承知の上で雇っている女房衆でしょうから、今回のことは問題ないのでしょう」
忠三郎が過敏に反応しただけなのかもしれない。だが、侍女はゆっくり頭を振った。
「いいえ、小倉の御方様ももともとは人質。忠三郎様も。六角旧臣の人質のお二人に宛ててきたのです。今は何もなくとも、今後は調略してくるでしょう。それも、近いうちに。人質だったお二人がなお六角に従っているように細工して、この岐阜の中をかき乱すでしょう。この者がこのままこのお城に仕えるならば、私は監視致さねばなりませぬ」
「そんな……」
阿ろくは真冬だというのに、額から一筋汗を流した。
「良い。六角の密使が接触してきたら、六角方である振りをして逆に情報を引き出し、それをこちらに逐一報告してもらえば良いことゆえ。そなた次第で、そなたは織田家随一の忠義者にもなれる」
ただしと、そこで侍女は冬姫に懇願するような眼差しを向けた。
「御方様は御屋形様のご家族となられたとはいえ、まだ日も浅く、もとは人質でお立場はとてもお弱い方です。そのような方が、敵と通じていると疑いをかけられますと、岐阜が乱れるのは勿論ですが──」
「わかりました」
冬姫は大きく頷いて見せた。
「嫁いだ女は、夫に従わず、実家のために嫁ぎ先を潰すこともありますが、逆に親兄弟と敵になることもあります。たとえ親であっても、打ち明けずに内密にすることは今後、多々あることでしょうから──」
冬姫と忠三郎の縁組は、まだ披露されてはいない。冬姫本人もつい先程伝えられたばかり、冬姫が忠三郎を婿にするなど、この侍女は予想もしていないだろう。
首を傾げる侍女に、
「その文は川副殿の手で止まってしまって、小倉の御方様は何もご存知ありません。御方様は今回のことには無関係です。川副殿が全て責任を持って下さいますか?」
と、冬姫は問う。当然だというように、侍女は強く首肯した。
「御方様は無関係。そういうことにして頂きたいと、お願い申し上げるつもりでおりました。姫さまの方からそう言って頂けるとは、有り難き極みに存じます。しかし、姫さまにそのような大事を押し付けてしまうのは父上様、母上様の御手前、あまりに申し訳なく。姫さまも何もご存知ないことにして頂き、全て私の一存とさせて頂ければ本望です。忠三郎様のことも、蒲生家家臣の娘としての願いですが、姫さまは無関係、何もご存知ないこと。──そういうことにせよ、阿ろく殿」
阿ろくはそこは神妙に、はいと答えて強く頷いた。
「秘密は守ります。それが嫁いだ女の在り方でしょうから」
冬姫ももう一度そう言って、侍女に頷いてみせた。侍女は再び首を傾げた。




