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壺の余波(中)

 冬姫が奥御殿へと続く廊下を行く。その途中で、奇妙丸が姿を見せた。

「あれっ?もう戻るのか?せっかく父上から頂いた菓子を、届けさせるところだったのに」

 冬姫は小首を傾げ、

「菓子?先程父上に呼ばれた所?そこへ運ばせて下さるつもりだったのですか?」

「そうだよ。父上から、家族皆で食えと、珍しい南蛮菓子を渡されたのだ。それを配膳するよう台所方に言ってきたところだ。そなたのを含めた二人分は、中奥に運ぶよう言ったのに」

「南蛮の貴重な菓子?皆に分けて下さるって、兄弟の分全て?ご側室たちのも?」

「そう。分けて、それぞれの高杯に盛って……」

 冬姫ははっとした。すかさず、

「奥女中の中に甲賀者が紛れ込むなぞ、できると思います?」

 奇妙丸は脈絡ない質問に目を丸くしたが、しばし考え、いや、と答えた。

「城中に素破を入れて工作する敵はいるかもしれない。無理だと思うが、できないとは言いきれない。だが、奥は絶対無理だ。素性のしっかりした者で、しかるべき人の推挙を受けた者しか、下女であっても当家では奥には入れていない。新参者でも、顔を良く知られている。素破が下女に紛れていたら、知らない顔に、不審がられてすぐに突き出されるに違いない。父上の小姓さえ許可なく入れないのだ、公家や賢僧の使いだって、出入りの商人だって、それが女であっても奥では対面できない」

 冬姫は頷き、おそらく、先程忠三郎に文をつかませた奥女中は、本物の奥女中で、甲賀者が女中に化けたのではないだろうと考えた。つまり、六角の内通者が奥女中の中に存在するということだ。

「兄上、配膳の采配は兄上がご自身でなさったら?珍しい貴重な南蛮の菓子を父上から預かったならば、不届き者が介入できないように、確かに配膳しないと。人任せにしない方が──」

「盗み食いか?」

 そんな不届き者、いや、恐れ知らずがいるだろうかと思いかけたが、何故か頷ける奇妙丸もいて、配膳の間に戻り、配分の采配をするのだった。女中達は少しの間違いもなく、信長の妻子達の菓子を分けて盛った。

 これで、配膳の間に忍び込んで、小倉殿の菓子に細工することは誰にもできないだろう。あとは、小倉殿の手元に運ばれるまでのことだ。冬姫は、隠れ鬼をしているふりをしながら、小倉殿の住まいの辺りの物陰に潜んで様子を窺った。

 菓子の膳ではないかもしれない、朝の膳、夕の膳かもしれない、或いは何らかの献上品か、はたまた大胆に訪ねてくるか、小倉殿が部屋から出たような時に接触してくるか。だが、忠三郎が文を渡されたばかりの今である可能性が高い。冬姫はそう子供の勘で思った。

 今なのだと。

 大人は根拠のない幼稚なことだと笑うだろう。だが、子供の冬姫は今としか考えられなかった。今であるならば、奇妙丸が預かった南蛮菓子だ。配膳の間で細工ができない状況を作っておけば、あとは配膳の間を出てから小倉殿の手に渡るまでの間だろう。

 小倉殿のもとへ高杯を運ぶ過程こそ怪しいと睨んだ。高杯を運ぶ者に件の女中が文を渡すか、何か事を起こして隙をつくり、その間に高杯に敷いた紙か菓子の下に文を隠し入れるか、はたまた──。

 冬姫が考えをめぐらせていると、高杯を持った女中達が数人通り過ぎて行く。行く先は様々で、茶筅丸の居所の方へ向かう者、於次丸の母の方へ向かう者もある、そして──。冬姫の潜んでいる物陰の前を過ぎかけた所で立ち止まる者がいた。

 小倉殿に菓子を届ける者のはずだ。

 先の間の端近にいるであろう小倉殿の侍女に、声をかけるであろう、まさにその瞬間のはずだが、女中は立ち止まったまま。冬姫は眼を凝らす。

 女中は両手に捧げ持つ高杯を左手のみに持ち直して、右手を己の懐に入れた。冬姫が物陰から飛び出す。

「それ、その萌葱色の墨流しの薄様!」

 小声だが張りつめた声、突然背後に出てきた人影に、女中はぎょっと、手にした紙をうまく隠すことができなかった。

「あれと同じ物だわ!それ、小倉の御方様のお膳に隠し入れて、御方様の手に渡すつもり?」

「な、なんのことですか?」

 女中はまだ若い。相手が子供であっても、動揺を隠せないでいた。

「それと同じ紙を蒲生忠三郎殿に渡したのは、あなたでしょう?それとも他に仲間がいるの?」

「な、仲間とは……」

 主家の姫君に、女中は狼狽える。

「それを見せて」

「それはできません!」

 女中はやっと言って、冬姫の手の届かない高さにまで文を振り上げた。

「六角家内室からの文でしょう?」

「違いますっ!そんなわけないではありませんか!」

「では、見られてまずいものではないでしょう」

「いいえ」

 女中は強く頭を振った。ようやく自分が見下ろしているのが幼稚な子供と思えるようになって、大人らしく、冷静に言った。

「大人には色々あるのです。敵からの物ではないからといって、見せて良いというわけではなく」

「小倉の御方様に疚しいことでもあるような言い種ね」

 不意にそこの障子の陰から声がして、次に衣擦れの音、すぐに一人の若い侍女が廊下に出てきた。女中はいよいよぎくっとして、身動きできなくなる。

 侍女は冬姫に頭を下げると、

「小倉の御方様の侍女でございます。何ぞ異変ございましたか?」

と、膝を曲げて、目線を冬姫と同じ高さにした。

「先程、六角の内室からの文というものを見ました。奥女中が蒲生忠三郎殿に握らせてきたそうです。文中には小倉の御方様のことも書いてありました。御方様も忠三郎殿と同じで、もとは六角家に仕えていたそうですね。六角家からの文をこっそり渡す者がこの奥の中にいるということは、この奥の中に、六角の内通者がいるということです。忠三郎殿への文の内容から、その密使は御方様にも接触するだろうと忠三郎殿は言いました。すると、案の定、忠三郎殿宛の文と同じ紙の文をこの人が懐から持ち出した。御方様の御菓子にその文を紛れさせて、渡すつもりか何かだったのでしょう」

 冬姫の説明に、女中はみるみる青ざめて行く。

 侍女は感心したように姫を見つめ、なるほどと頷いてから、膝を伸ばして女中に相対した。その蒼白な顔を見据えて、冬姫の言葉はでたらめではないと判断したようである。

「その文、小倉の御方様に宛てたものなのですか?でしたら、私に見せて下さい」

「え、あ、その」

「何を躊躇うことがあるのです。私は御方様の侍女。私が中を見ても構わないはずです。御方様と接触できなければ、そなたは私にこれを渡すという方法もあったはず。あるいは御方様に渡した後で、御方様が侍女に見せてご相談なさることは想定しているでしょう。つまり、御方様の侍女が読むことは前提でしょうに。私は蒲生家家臣、川副家の娘です、さあ、それを見せなさい」

「え、蒲生家の……」

 女中が口だけかすかに動かして聞き返した。

「そなたが先に渡した相手は蒲生家の若君でしょう?私はその叔父君が小倉家に養子に入られた時から、小倉家にお仕えしています」

 そう言うと、侍女は高杯を女中から奪い、人を呼ぶ。すぐにやってきた別の侍女に高杯を手渡し、

「御屋形様から御方様へ賜りました。御前へ差し上げて下さい」

と頼んだ。その人が、小倉殿の居所の奥の間へと消えて行くと、

「あちらへ参りましょうか」

と、冬姫と女中を少し離れた部屋の中へと誘ったのだった。


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