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K-K'  作者: pinkmint
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前編

 まるで台風の前のように、流れのはやいむら雲に半月が青白く光りながら出入りするのを、不安な気持ちで麻耶は見つめていた。

 ドアチャイムが鳴った。インタホンの画面で恋人であることを確認し、「今出るから」とだけ言って、ドアを開ける。

 ダークブルーのパーカーのフードをかぶり、前髪で顔を隠すようにして、花菱凛は青い顔をして立っていた。初冬の冷気が流れ込んでくる。


「どうしたの、具合が悪そうよ」

「こんな時間に押しかけてごめん」

「とにかく入って」


 一時間前、LINEで『急用があるんだ。もう十一時時過ぎだけど、そっち行っていいかな』と切羽詰まった声で言われてから、麻耶はずっとベランダから月を見ていた。不安なことがあると、とにかく空を見つめる。麻耶の癖だった。

 

 ……ただ事じゃない。ただ事じゃない。

 

 いつも何事かをささやきかけてくれる月が、その時は耳元に不穏な予感を送り続けていた。

 

 ダイニングの小さな二人用のテーブルの上には、キャンドルスタンドのティーウォーマーの上に、ルビー色にほのぼのと光るガラスのポットが置かれていた。

「あなたの好きなアールグレイを淹れておいたの。とにかく、飲んで」

 麻耶がカップに注いでくれた紅茶をゆっくりゆっくり飲むと、凛はふーっとため息をつき、卓上で握りこぶしを固めた。その手はぶるぶる震えている。

 その上に麻耶がそっと両手を置くと、凛は言った。


「弟が、人を殺した」


「え、ええっ!?」


 返事はない。凛はうつむいたままだ。麻耶は震えながら言葉を足した。


「弟って、蓮くんよね? 殺した? 誰を?」


 三人で海に行ったこともある、凛の双子の弟だった。ともに二十三歳。難産で、先に生まれたのが凛、一時間後に生まれたのが僕だと、笑顔で教えてくれた。凛と寸分たがわない、色白で涼しげな目と赤すぎる唇、表情も明るかった、あの彼が?


「明日になったら全国ニュースになる。その前に僕の口から言っておきたかった。殺した相手は、女性ばかり三人」


「さ、三人?」

 

 絶望と恐怖が胸に満ちた。何が原因だとしても、三人も……


「理由は何なの。相手は、知ってる人?」


「全員、ただの通りすがり。相手は誰でもよかったって。そう、LINEしてきた。そしてすぐ送信履歴を消してきた」


 なんと、無差別通り魔…… どうして、どうして、どうしてという言葉ばかりが頭の中を虚しくめぐる。


「今、どこにいるかわからないの」

「ネカフェに潜んでいたところを逮捕されたって、両親から聞いた。とにかくお前は身を隠せ、双子の兄がいるとなったらメディアに追いかけまわされると言われたよ。隠れても、結局何にもならないんだけど」


「ああ…… 何てこと……」


 弟の蓮はA大学院の獣医学科で学んでいた。

 凛と麻耶は同じ証券会社勤めで、部署は違うが、社食で凛が話しかけたことが交際のきっかけだった。麻耶は周囲の視線を集めるほどの色白の美人で、凛は涼しげなイケメン。お互いにほとんど一目ぼれだった。

 いずれ同棲して、ある程度貯金が貯まったら結婚しようと約束していた。それなのに……


 何を言っていいかわからず、麻耶はただぶるぶる震えていた。

 凛が口を開いた。


「いつかこういう時が来るんじゃないかとは、思ってたんだ……」


「え?」


「あいつは獣医になりたいからと、一浪してA大学の獣医学科に入って、今は院生だ。でも、獣医になりたくて入ったわけじゃないことを、僕は薄々感じてた。そう、多分まともな獣医になる気なんて最初からなかった。

 あいつは法の手の届かないところで、生き物を殺してその血を見るのを楽しんでいたんだ。

 双子として育ったからわかる。人あたりはいいけど、あいつはそういう闇を抱えていた。生命を握りつぶすという愉悦に酔う、そういうことに性的興奮を感じる、そういう本能を抱えていた。簡単に言えば、キラーサイコの要素を持ってたんだ」


 初めて聞くおぞましい彼の素顔に、麻耶は震えあがった。


「わたしにはとてもそうは見えなかったわ。そう感じさせるようなことを、昔からしてきたの? それをあなたは知っていたの?」


「知っていたし、見ていたよ」


「……」


「それこそ小学校低学年のころから、あいつは昆虫採集と称して、夏は網を振り回してちょうちょや蝉をつかまえてた。僕といっしょに。

 そして、捕まえた蝶の羽を全部ちぎり、蝉を踏みつぶし、蜻蛉をぶちぶちちぎってた、嬉しそうに。

蟻の巣を見つけると、俺は神だ、とか言いながら全部水攻めにして全滅させてた。

 そのうち虫では飽き足らなくなって、学校の飼育栽培部に入って、うさぎ小屋のうさぎを蹴り殺した。学校は外部犯の仕業にしてたけどね。

 そのうちそれでは済まなくなって、野良猫を次々と……」

「もう、やめて!」麻耶は耳を覆った。そして、麻耶のベッドの上で寝ていた黒猫のルナを抱いて、ケージに入れた。

 凛は暗い目でそれを見ていた。


「僕が怖くなった?」


「あなたは、どうなの? 見ていて、どうだったの? 残酷だ、やめさせたいとは思わなかったの?

 蓮君が、怖くはなかったの?」

「わかったんだよ」

「わかったって、何が?」

「あいつの気持ちが」


「……」


「僕は手を貸していない。ただ、見てた。にいちゃんもやれよ、と言われた時、止めようとして出た手が、同じことをしそうで、引っ込めた。あいつの快感が伝わってきた。

 そして思ったんだ。本質は、同じだ。僕は興奮している。こいつのしていることに手を貸したい、同じことをしたいと思っている。ぼくらは、おなじだ」

「うそ! だってあなたは、わたしの猫を、ルナを、とてもかわいがってくれていたじゃない。ルナだってなついていたわ。嘘よ、嘘よ!」

 にゃあんにゃあんと鳴きながら、ケージから出せとルナがカリカリひっかく爪の音が聞こえてくる。いつものやさしいお兄ちゃんだ、抱っこして。

 麻耶の頬を涙が流れ落ちた。


「あいつは自分の欲望に忠実に、堕ちていった。僕らは神に呪われて生まれたんだ。

 一卵性双生児。同じキラーサイコの要素。

 でも、僕はそんな宿命に負けたくなかった。神の呪いの思い通りなんかになるもんかってね。あいつを見ていて、決心したんだ。

 堕ちない。宿命の罠には堕ちない。僕は抗ってやる、まともに生きる、と」


「……」


「僕にはちゃんと、まっすぐに、きみへの愛がある。ルナへの愛しさがある。僕は運命をねじ伏せたんだ。きみも、ルナも、心から、僕の宝だよ。

 でも……

 勤め先も、きみの親御さんも、世間も、僕を許しはしないだろう。

 キラーサイコは通名K、ぼくはK’。マイナカードにも運転免許証証にもこれがつく。

 一生この名からは逃れられない。名付けられたとたん、世界は変わる」

「わたしは変わらないわ」

「そう言ってくれるのはうれしいよ。でも、現実を見て。まず親御さんを裏切ることになる。僕らはもう、一緒にはなれない」

「わたしだけは違う。あなたが、命をいつくしむ人間になるためにしてきた努力を、今知ったから。あなたは偉いわ。わたしはあなたを、見捨てたりなんかしない。たとえ親に縁を切られても」


「麻耶……」


 麻耶は凛に抱き着いた。その背を、凛はさらに強く抱きしめた。いつもの香り、麻耶の体臭、スイカズラの花に似た香りが優しく凛を包んた。


「ありがとう。……本当にありがとう。でもね、僕は、きみを不幸にはしたくないんだ。きみが大事だから。大好きだから」

「この先苦労するのなんてわかってる。わたしも、負けない」涙声で麻耶は言った。


 麻耶の体をいちど離してから、凛は言った。


「きみも知ってるだろう。二年前にできた、この国の新しい法律」


「新…… 優性国家保護法ね?」


「そう。相次ぐキラーサイコ要素を持った子供の増加と殺人事件の連続に歯止めをかけようと、政府が新たに作った法律だ。

 優生思想 ・ 優生政策上の見地から、生まれつき精神的に極めて危険な加害念慮を持った異常な子どもの出生を、まともに生きる人間の人権を保護するために防止する法律だ。つまり、専門家によってキラーサイコ…「K」と認定されれば、否応なく生殖能力を奪う手術を受けさせられる。

 小さなころから動物を殺し、三人の女性を無差別に殺した弟は、多分精神鑑定で改良の余地なしのKだと認定されるだろう。

 ただの兄弟なら微妙なところだけど、一卵性の双子である僕は、おそらく危険因子を持つ人間の範疇に入れられる。それがK’だ。一応認定のための検査は用意されてるけどね。

 弟には自死念慮もあったから、罪を認めて死刑になるだろう。

 僕は罪には問われないけど、K’もまた、子孫を残す権利をはく奪される。

 つまり、去勢されるということだ。

 別に逃げ隠れするつもりはないから、僕は自分のマンションに帰る。そして『保護』され、手術を受けることになるだろう。逃げれば逮捕されるから、逃げるつもりはない」

「ひどい……」

「きみには何の危険性もない。きみは生まれつき真面で優しい健全な女性だ。

 僕なんかとは別れて、健康な男性と結婚して、かわいい赤ちゃんを産んで、幸せな人生を送るんだ。そう、約束してくれ」

「いやよ!」

「僕だって本音では嫌だ。でも、きみが幸せになることが僕の望みなんだ。じきにメディアが実家にたかって、僕たち双子のことを書き散らすだろう。僕の人生はこの先、真の意味で真っ暗なんだぞ」

「そんなの理不尽だわ、あなたがいつどんな悪いことをしたの。正直に言えば、今あなた以外の男性で、しつこく言い寄ってくる人がいないわけじゃない。でも、あなたのその話を聞いたからって、わたしの心は動かない」

「一生、子どもは産めないんだぞ?」

「そんなことのために結婚するわけじゃないもの。あなたと一緒にいたい、ただそれだけ。だけどね……」

「だけど?」

「そんなに望むなら言うわ。わたしもう、妊娠してるの」


「ええっ???」

 仰天した凛はテーブルの上のカップをひっくり返した。


「避妊はしていたのに、百パーセントじゃないのね。

 妙な吐き気が続くので、まさかと思って、お医者に行って、わかったの。

 とにかく、お腹の子はあなたの子よ。打ち明けようと思って、でも、なかなか言いだせずにいたの」


 口をパクパクさせた後、凛は言った。


「僕らの子なんだね?」

「ええ」


 凛はいとおしむように麻耶のおなかにそっと触れた。そして、ため息とともにああ、と言って床に膝をついた。


「それならなおさら、この子を死なせるわけにいかない。そのために、まずは……

 僕と別れてくれ。僕と籍を入れてその子を産んだら、例の法律のルールで、その子のDNAを調べられる。妊娠していることがばれた時点で堕胎を勧められるだろうし、産むところまで行っても子どもは多分特別教育施設行きだ」

「お医者にかからないで、自分で産むわ」

「そんなこと、今の時代に…… そもそも、親御さんが許すわけがない」

「そうでしょうね。あなたとの交際は両親も知っているし、事件が報道されたら、とにかく何が何でも別れなさいと言うに決まってる。わたしも、会社に退職願は出すわ。実際、同僚に恋バナをしちゃったこともあるし。

 わたしは結局、退職して家を出て親の手の届かない遠くに行くしかないと思う」


 凛は沈黙した後、俯いて首を振った。


「僕のせいで、家族と縁を切って、遠くの町へ行って子どもを一人で…… 

 そんな目に、きみをあわせるわけにいかない、でもメディアは僕の行方を、僕と君の未来を、追いかけまわし続けるだろう。

 そう、いい寄ってきているという彼にイエスと言えば、彼と結婚すれば、子どもは産める。早く既成事実を作って彼の子だということにすれば、出産時期の多少のずれはなんてことない」

「何てことを言うの。あれこれ報道されれば今さらわたしなんか相手にされるわけがないわ。第一、どうしてそんなに子供を産むことにこだわるの。それは、わたしも命を守りたいとは思っているけど」


「きみのいのちの一部だからじゃないか!」凛の目から涙があふれた。

 麻耶は床に膝をついたままの燐の前に静かに座った。


「僕がきみを愛して、きみが僕を愛してくれて、そうして宿った命じゃないか。

 その子をこの世に生かして幸せにすることで、僕の望みの半分は満たされる。殺してばかりだった弟、そしてその本能に引きずられそうだった僕。でも健全なきみの血を引く子供には何の罪もない。そうだろう?

 頼む、きみの過去を知らない、僕以外の誰かと幸せになって、その子を産んでくれ。授かった命を、国の命令なんかで闇に葬らないでくれ」


「……」


 しばしの沈黙の後、麻耶は言った。


「仙台に、高校時代からの親友が住んでるの。早くにご両親を亡くしたあと、実家でお姉さんの助産院を手伝ってるわ。産院が少ない地方なので、地域の役に立っているそうよ。昔から何でも話せる相手で、とにかく信じられる人。まずは彼女に相談して、居候できるか聞いてみる。出産についても、相談してみるわ。

 あなたとの命、何とか守って生きていく」


「麻耶……」


 凛は麻耶の両手を握りしめた。


「すまない。僕は家に戻って、ルールに従って手術を受けるよ。会社を辞めて、マスコミに追いかけられない遠い土地に行く。

 ほとぼりがさめたら、また会おう。きみが誰かのものになっていてもかまわない。一人でいたなら、その子をいつか僕の腕に抱かせてくれ」

「うん」

「長い別れになるかもしれない。心は、心だけは、ずっと一緒だよ」


 半月はむら雲に出入りしながら、抱きしめ合う二人にまだらに光を落とし続けた。


 

 花菱蓮は逮捕後、無差別殺人だったということ、ただ人を殺したいと思っていたこと、幼いころから生き物を殺すことを楽しんでいたことを素直に、むしろ饒舌にしゃべり、精神鑑定でも責任能力ありとされ、Kの烙印を押された。Kは矯正不可能とされていて、それが病気であろうがなかろうが、世間に放つことは許されない決まりだ、一人でもひとを殺せば終身刑のない日本では死刑が原則だった。

 そして即、断種手術を受けさせられた。

 以後異性と接触する可能性がなくとも、それが掟だった。

 

 凛は自ら会社に退職願を出し、マンションにやってきた優性委員によって連れだされ、政府の新優生保護法に従って手術を受けることになった。

 

 いくつかの質問を受け、思春期からのメンタル面について自覚していることを正直に答えた結果、凛はK'と正式に認定され、手術同意書にサインさせられた。

 冷たい手術台に横になったまま、凛は頭の中で麻耶に語り掛けていた。


 麻耶。

 これから自分の罪に向き合うために、僕は質問のすべてに正直に答えたよ。

 一生きみにだけは言わないと決めていたことだ。

 

 僕は一切弟に手を貸さなかったわけじゃない。猫殺しに協力したことがあるんだ。

 寒い冬の日、バケツにはった水の中に悲鳴を上げる子猫たちを沈めた。動かなくなるまで。

 あの時の興奮と快感、弟の笑顔。

 僕は調査員に余さずその事実を伝えた。

 結果K’の中でもA級の危険因子保持者と確定して僕の手術はあっさり決まった。


 猫を殺したあの日、帰宅して、なんだかたまらなくなって、母親に「自分一人でしたこと」として告白した。動物好きだった母は激高し、泣きながら僕を打擲した。そして冬の道路に放り出された。あんたなんかわたしの子じゃないとまで言われた。でも、そのことで母を恨まなかった。兄ちゃん馬鹿じゃないのわざわざそんなこと言って、と笑う弟の方が憎かった。

 あいつは自分の本性を隠すのが本当にうまかったんだ。

 その後、決心したんだ。僕は嫌われても疎まれても母の側でいよう、と。弟側の人間には決してなるまいと。

 あの時の母の激しい悲しみと怒りを目にしたから、僕は人を殺さずにここまで来たのかもしれない。母には感謝してる。

 ああ、もう当分会えないけれど、麻耶、きみが恋しい。小さなルナを抱きしめてほおずりするきみを見ては、僕は過去の自分の罪に震え続けていたんだ。

 

 生殖能力と引き換えに誓う。僕は生涯、絶対誰も殺さない。多分これから僕を虫けらのように扱う世間を許して、優しくなって、人を愛して生きていくことを、諦めない。命を理不尽に奪うものを、許さない。小さな生き物も含めて。

 

 三人の罪なき女性に、弟に代わって謝りたい。それは僕がしたことだったかもしれない。

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……




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