1. 前程万里③
「…………」
南瓜をショッピングカートに入れに来た翠里は、両親、いや、比較的話をわかってくれる父に説明を求めた。
じっっと見つめて目を離さない。
父は、翠里が幼い頃、陸と父とどちらと結婚するか迷ったくらいには優しくて、娘の贔屓目なしでも格好良い。
色んな友達に、眼鏡をしててもしていなくても格好良い、と言われるくらいには。
保育園の友達が、「翠里ちゃんのパパと結婚する」と言っていたくらいには。
「ごめんって」
「…………」
「だって翠里、碧海くんたちがいるって言ったら絶対来なかったでしょ」
当たり前だ。そうでなくても来たくなかった。
「一回会ってほしかったんだ」
「…………」
翠里はぎゅっと父の手を両手で握った。
「うわあ、汗だくだね」
カサカサだから潤してあげる、という気持ちを込めて、父の手で汗を拭いてやる。
初対面の男子とずっと一緒にいて、しかも話しかけられ続けて、実は翠里のキャパは限界に近かったりする。
文句も言いたくなるし、ちょっと休憩もほしい。
「わかった。おまんじゅう買ってあげるから」
こくり、と頷いた。
「……三個」
「三個? ……わかった、いいよ」
とすれば、早速行くしかない。
「今行くの? 一人で?」
翠里はこっくり頷いた。
暫しの逃避行が翠里には必要だ。
それに、このホームセンターはペット達のご飯を買いに来たり、お彼岸用の花を買いに来たり、と色々な用事で昔から知っているから、何の売り場でもどこに何があるかは何となくわかる。
実際、母に「これ戻してきて」と魚売り場から反対の野菜売り場まで、一人でリターンするなどということは何回も経験がある。
よって、翠里は迷子になることもないし、家族が移動していても合流できる自信がある。
「じゃあ、気をつけて行っておいで。変な人がいたら大事なところを思いっきり蹴って逃げるんだよ」
「……」
こくっと頷いて、翠里は誰にもバレないようにそっとその場を離れた。祐暉にも声を掛けるか迷ったが、リスクが大きいのでやめた。
これで、心の安寧が得られる。まんじゅう効果もあって倍増だ。
「あれ、翠里ちゃんは?」
「ほんとだ、いないね」
翠里がいないことにいち早く気が付いたのは、碧海だった。
「迷子?」
「いや、翠里ちゃんが迷子になることはないと思う」
「じゃあトイレかな」
そうは言っても、碧海は、万が一のために、一応保護者に報告することにした。
「あの、アー……さひさん、翠里ちゃんがいないです」
碧海は、父の陽貴が会うと決めてから今日まで「アーサー」を連呼していたため、つい、耳慣れたあだ名で呼んでしまいそうになった。
「ああ、碧海くん。大丈夫だよ、そのうち戻ってくるから」
どうやら保護者が把握しているようだと碧海は安心した。
改めて見ると、旭と翠里は性別が違えど、本当にそっくりな顔をしている。弟の祐暉も翠里と瓜二つ、つまり旭とも同じ顔をしている。
性格の違いから、翠里は仏頂面、旭は優しげ、祐暉は天真爛漫さが滲み出ているが、香夜の要素はどこへ行ったのかというくらい、勾坂姉弟は父似だった。
顔だけでなく、すらりと伸びた手足と背までも一緒だ。DNAの強さを感じる。
「碧海くん、翠里がごめんね。大分人見知りだから、すごく愛想悪いでしょ。澄瑞くんもごめんね」
「いや、大丈夫です」
そんな申し訳なさそうに言われると、大丈夫としか返せない。
「俺が翠里ちゃんと初めて会った時も、あんな感じだったなぁ。全然近寄って来なくて、逆に近づこうとすると逃げちゃって」
澄瑞は、昔を懐かしむように言った。
「でも、今では普通に喋ってくれるから、碧海もそのうち仲良くなれるよ」
「あんな感じだけど、翠里と友達になってくれるといいな。よろしくね、碧海くん」
「はい」
きっとすごく仕事ができる人なんだろうな、と碧海はぼんやり思った。陽貴と違って落ち着きがあって、良い大人という感じがした。
そして、格好良い。
「俺も、翠里ちゃんと友達になりたいです」
野菜の良し悪しがわかる小学四年生って中々いないと思う。と碧海は結構翠里に興味を持ち始めていた。
「あ、あと俺のことは、アーサーでも何でも好きに呼んでくれて大丈夫だよ」
うまく流されたと思っていたが、碧海がうっかり「アーサー」と言いそうになっていたのはバレていたようだ。
優しくて格好良い顔に茶目っ気を混ぜて、旭は笑っている。
「あはは、ありがとうございます」
碧海は、この父親がとても好きになった。
一方。
翠里は、先程とは打って変わったわくわく顔で、菓子パン売り場の片隅を眺めていた。
(何にしよう……三個……)
棚には、黒糖まんじゅう、こしあん大福、みたらし団子など様々な和菓子が陳列されている。
(選べない……)
今の翠里は、贅沢な悩みで幸せを感じている。
(やっぱりこの時期は柏餅か)
一つ決まった。
(それなら、ちまきも)
もう一つ決まった。
(あと一個……)
草餅、黒ごま団子、月餅、酒まんじゅう、桜餅、どら焼き、蓬まんじゅう……
(選べない……)
幸せそうでなによりである。
魚売り場にて、祐暉は周りのどこにも姉がいないことに気づいた。
「姉ちゃんが! いない!!」
「えっ、翠里ちゃんが?」
佳楓は兄二人組と話していて、祐暉は両親以外の大人とお喋りしていて、春は奈月に引っ付いていた。
「母さーん!!」
祐暉は一散に談笑している両親の元へ駆けた。
「母さん、姉ちゃんがいないよ!!」
「ああ祐暉、大丈夫だよ」
旭は穏やかに息子を落ち着かせた。
「翠里は出掛けたよ」
「いないと思ったらやっぱり。まーた黙ってどこか行っちゃったの」
「まあまあ、ちゃんと俺には言って行ったよ」
翠里は香夜と買い物をする時は基本、かご持ちやカート引きをするが、父がいて何の出番もないと、時々ふらっとどこかへ行って、ふらっと帰ってくるのだ。
「姉ちゃん、僕のこと置いてったの……!!」
祐暉は、ガーンと音が鳴りそうなほどショックを受けた。
翠里の流浪の旅に祐暉も付いて行きたがるため、翠里は普段、祐暉にも声を掛けてから行く。今回はやむなく一人旅だが。
「僕、姉ちゃんの所に行ってくる! 父さん、姉ちゃんどこに行ったの!!」
姉がすることは何でもしたいし、姉が行く所にはどこでも行きたい祐暉は、今にも走り出しそうな勢いで父を問い詰める。
「まあ祐暉、落ち着いて」
「どこ!!」
旭は言うか迷うが、祐暉が引きそうにない。
「……翠里は和菓子を見に行ったよ」
優柔不断な翠里は三個も選べなくて、まだ同じ場所に留まっているだろう、と思い白状した。
おそらく、祐暉が今から向かってもすれ違うことはないはずだ。
「春も行きたーい」
近くで話を聞いていた春は、何だか面白そうな雰囲気を感じ取った。
「いいよ!」
「春ちゃん、迷子になっちゃうよ」
すぐさま快諾する祐暉とは対照に、奈月は心配顔をする。
「えーっ、行きたーい!」
「大丈夫! 僕、道わかるから! それに、姉ちゃんがいれば、母さんたちの所に戻って来れるから!」
祐暉は胸を張った。
「それならいいけど……」
「じゃあ、行ってきまーす!」
「いってくるねっ」
奈月はまだ不安そうだが、子ども二人は構わず出発した。
「ごめんね、なっちゃん。でも、ああ見えて翠里も祐暉も迷子になったことがないし、翠里がいれば二人とも絶対戻ってくるの」
「そうなの。しっかりしてるね」
うちの子たちにはやらせたことないわ……と奈月は感心した。
「うちの坊やたちは、そもそも出掛けたがらないからなー」
「ほんと。今から出不精で、大人になったらどうなっちゃうんだか」
夕哉と星子は、息子たちの将来を案じた。
「碧海と春も大体は家にいたがるよな」
「そうね。でも、出掛けると碧海は特に、一人でどこか行きそうになるわね」
「その度に待てさせるよな」
鏡原兄妹は二人とも、興味のある方へ引き寄せられる性質がある。
「そうなんだ。翠里はあんななのに、すぐいなくなるんだよ。でも、一回も迷子になったことがなくて、ちゃんと戻ってくるの」
「祐暉が大きくなってからは、二人で探検しに行くようになっちゃったよね」
「ね。祐暉も行くようになってからは、行き先を知らせるようになったからまだいいけど」
「一人の時は何も言わずにだったから、最初は本当に肝を冷やしたよ」
翠里は無口だが、行動的だったりするのだ。
「翠里独自の探知機があるのかも」
父はそう結論づけた。
勾坂 翠里…9歳
勾坂 祐暉…6歳
鏡原 碧海…10歳
鏡原 春…8歳
剣持 澄瑞…11歳
剣持 佳楓…8歳
勾坂 旭…37歳
勾坂 香夜…37歳
鏡原 陽貴…37歳
鏡原 奈月…37歳
剣持 夕哉…37歳
剣持 星子…38歳