1. 前程万里②
(騙された)
そう思った。
「わりーな。混んでたから、ちょっと遠い所に移動してた」
(一人じゃない。子ども……歳が近い子どもがいる)
「いや、全然。やっぱり連休中だから人が多いね」
翠里は、「鏡原さん」は一人の男性を表す名詞だと思っていた。 しかし、実際に会った「鏡原さん」は、「鏡原さん家」だった。
「ここで剣持さんとばったりしたんだよね?」
両親は、今までの話の中で、「鏡原さん」の妻や子供の話は一切口にしなかった。
「そう、偶然。普段来ないのに、芝刈り機を見にきたらたまたま。剣持さん家もたまに来るけど、家族総出で出掛けることは滅多にないんだって」
「お互いみんなで買い物してたんだ」
そう、これは両親が、翠里が行くのをより拒まないようにするための謀略だった。
「そんで、久しぶりに全員集合しようってな」
子どももいる、なんて翠里が知ったら、もっと拒否反応を示すだろうから。
「子どもたちは集まったことがないしね」
(……帰りたい)
念を送った。首を横に振られた。
(……帰らせてください)
お願いした。首を横に振られた。
(……帰る!)
宣言した。無視された。
(……帰りとうございます)
古風に主張してみた。無視された。
(帰らせてえぇぇぇぇ)
必死に縋った。完全な無視をきめられた。
惨敗だ。
「えっと……」
両親の方を向いて動かない翠里に、碧海は戸惑いを隠せなかった。
「…………」
翠里は悔しそうにだんまりを決め込む。
「翠里ちゃんと、祐暉くんっていうんだよね?」
碧海の隣の小柄な美少女が、顔も体もうずうずさせながら聞いた。
「春だよ! よろしくね!」
翠里は、手を差し出す美少女を見て落雷を受けた。
(か、かわいい……)
無意識下に手を握り返していた。
翠里は、懐いてくれそうな年下の子なら全然平気なのだ。
「翠里ちゃん背おっきくていいなぁ! 碧海より年下なのに、碧海よりおっきい! 祐暉くんも、春より年下なのに、春よりおっきい! いいなぁー!」
「……え」
なんと。
「聞いてない? 俺は五年生で、春は二年生だよ」
春を見て再稼働した翠里の反応から、碧海はあれ?と首を傾げた。
ちなみに、翠里は四年生で、祐暉は一年生である。
「僕たち、二人がいるって知らなかったの」
「そうなんだ! じゃあ、澄瑞くんと佳楓くんも知らない?」
「知ってるよ! 一緒に遊んだことあるよ」
下の子二人が可愛い。
そう思いつつ、翠里は徐々に碧海から離れる。
翠里の経験から言うと、翠里より背の低い同い年以上の男子には近づかない一択しかない。
顔がいいやつも、経験はないが多分近づかない方がいい。この武器を一つ持っているだけで、クラスを牛耳ることができるだろうから。
「翠里ちゃんも、澄瑞と佳楓のことは知ってるの?」
(げっ……)
少しずつ距離を取っていたことに気付かれたのだろうか。碧海が翠里に話を振ってきた。
「……」
翠里は頷いて答えた。
二人のことは、随分前から知っている。
二人は剣持さんの息子で、二人の母である星子さんのことも知っている。
父が八坂家で剣持さんと再会して以来、剣持家と勾坂家は年に一回はバーベキューをしたり、八坂の農作業をしたりしている。
「仲良いの?」
「……」
翠里は首を傾げた。少なくとも碧海よりは仲が良いが、どこまでの親しさなのか、二人は翠里をどう思っているのかわからないため、答えられなかった。
「おーい!」
二人の間に沈黙が訪れると、どこかから、覚えのある声が聞こえてきた。
「おう、夕哉!」
「夕哉、久しぶり」
「やあアーサー、久しぶりだね。ハルはこの間ぶり」
声の主はやはり、剣持さんだった。
「おはよう」
「よっ」
その後ろから、ひょろひょろの少年が二人やってくる。
「おはよう」
「おはよう二人とも!」
「澄瑞くん、佳楓くん、久しぶり!」
「……」
翠里は僅かに笑って迎えた。
「翠里ちゃん、背伸びたね。俺、まだ追いつけてないのか」
六年生の澄瑞が、穏やかに話す。
澄瑞は、昔から眼鏡を掛けていて、性格も落ち着いていることから、とても頼り甲斐のある兄のように見える。
「な! 俺も早くそんくらいになりてー」
対する弟の佳楓は、少し荒い口調と吊った目から、とてもやんちゃそうに見えるし、実際そうだ。
「羨ましいよね。翠里ちゃん、何センチあるの?」
またもや碧海が話しかけてくる。
翠里はびびってたじたじである。
「………………149」
「まじかー。俺、先生に五年生の平均身長は138って聞いたんだけど。それで140だったから、めっちゃ喜んだんだよね」
翠里は男子諸君に羨ましげに見られて、結構困った。
「澄瑞は?」「146」「いいな」「平均だよ」
碧海と澄瑞が何やら言っているが。
(……伸びたくて伸びたわけじゃない)
ただ食べて寝ていたらこうなっただけだ。
「おう、お前ら、名は名乗り終わったか?」
「そろそろ買い物行くよー」
ずっと盛り上がっていた大人たちは一区切りついたようで、今から全員でバーベキューの買い出しを始めるらしい。
「肉!」
「肉!」
「えー、お肉? 春食べない!」
「ええ!? なんで!?」
「肉食べねーの!?」
「だってゴムみたいなんだもん!!」
「ゴム!?」
「どこが!?」
年下組は、肉論争を始めた。
翠里も正直、春の言っていることがわからない。
「元気だなー」
「春は、ウィンナーとかハムじゃないと食べないんだよ。舌がどうかしてるから」
「……」
(……何食べようかな)
祐暉がいなくなった以上、まともに話せる相手は澄瑞と佳楓しかいない。が、譲れない戦いに出てしまったため、残るは年上三人のみ。碧海と話すのは無理。
よって、翠里は食べ物のことを考えることにした。
心が和む。
「二人はバーベキューで何食べたい?」
そして、ぶち壊される。
「肉かな」
店内に入ってすぐは、ケーキのチェーン店と、インスタントのスープやコーヒーなどの山が出迎える。
「やっぱりそうだよね。何肉?」
「うーん、豚。碧海は?」
「俺は牛肉派。翠里ちゃんは?」
「………………鶏」
「分かれたねー」
翠里は、なぜ自分にも声が掛けられたのかわからない。
「あー、焼き鳥食べたい」
私に構わず二人で会話をしててほしい。
翠里のそんな願いも虚しく、碧海はぽんぽん話を振ってくる。澄瑞は、翠里が人見知りであることを知っているため、苦笑しているが、助けてはくれない。
「焼き鳥は、タレ派? 塩派?」
「タレ」
「…………塩」
「俺も塩!」
なんなんだ、この社交性は。
愛想のないやつは放っておけばいいのに、何も気にした風もなく会話が続いていく。
翠里が今まで会った中で、こんな人はいなかった。
「牛肉ってさ、たまにワサビ付けて食べる人いるじゃん。あれ、辛くないのかな?」
しかも、ちゃっかり翠里と澄瑞の間に入っている。
(……簡単に逃さねえぞってことか…………?)
「碧海、ここにいる」
「え? 翠里ちゃん、牛肉にワサビ付けるの?」
「…………」
首を一回動かして答える。
「醤油に溶かして食べるんだよね。俺は辛くて無理だった」
「すげー。俺も食べてみようかな」
「辛いよ」
(……その辛さが美味い)
インスタントものは一通り見て通り過ぎ、次は野菜売り場に来た。
「一人一種類、好きな野菜を選んでおいでー」
調理師免許を持っているとかいう星子が、まだ決着のついていない三人にも声が届くように言った。
「ええ、野菜? いらない!」
「いらない!」
「いらねー!」
野菜では見解の一致が見られるようだ。
「仲良いねー」
「何にしようかな」
「…………」
翠里は、さっと南瓜を取った。丸々一個は、この人数でも流石に食べきれないだろうから、ちゃんとカットされているものだ。
「早いね」
「翠里ちゃん、いつもかぼちゃ食べるよね」
「好きなの?」
「…………」
また頷いて答えた。
「俺は玉ねぎにしようかな。翠里先生、どれがいいと思いますか?」
「翠里先生?」
「そう。翠里ちゃん、こういうのわかる人だから」
「すごい」
「…………」
(そんな詳しくない…………)
困るからやめてくれと訴えたが、柳に風だった。
さっと取って、さっと離れようと思っていたのに。
翠里は、美味しそうな新玉ねぎがあったため、傷みやカビなどを確認してから、良さそうなものをいくつか見繕った。あとは自分で選びなさいスタイルだ。
「ありがとう」
「早い……何かコツがあるの?」
離れようと思ったのに、またしても捕まってしまった。
「……………………勘」
「うそだ」
「…………」
説明するのが嫌で、目を逸らして逃げた。
バレていそうだが、碧海は次に進んでくれた。
「じゃあ俺は……これ」
碧海が指差したのは、ツヤツヤの緑色、ピーマンだった。
「…………」
「へえ、意外」
ピーマンは、子どもには嫌われ者扱いされる認識でいたが。
「俺、昔からピーマン全然平気なんだ。たぶん、誰も選ばないだろうしね」
思ったよりも好き嫌いが少ない人なのかもしれないと食に関して厳しい翠里は、好感度をバクテリア一匹分ほど上げた。
「じゃあ、翠里先生、よろしくお願いします」
「………………」
翠里は渋々、色が濃くてツヤとハリのあるピーマンの包装を何袋か選んだ。
(……なんで………………兄ちゃん……)
帰りたい。
勾坂 翠里…9歳
勾坂 祐暉…6歳
鏡原 碧海…10歳
鏡原 春…8歳
剣持 澄瑞…11歳
剣持 佳楓…8歳
勾坂 旭…37歳
勾坂 香夜…37歳
鏡原 陽貴…37歳
鏡原 奈月…37歳
剣持 夕哉…37歳
剣持 星子…38歳