8.栂市活性化音楽フェスティバル [曲]
■モーフィング/Gandharva
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オリジナルの劇中曲をUPしています。良かったら聴いてください。
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栂市活性化音楽フェスティバルは、毎年夏と冬に市の文化センターで開催されている音楽のコンクールである。参加の条件はとくになく、年齢や人数にかかわらず音楽を用いた発表であれば誰でもエントリーできる。
今回で第21回を数えるこのイベントは、周辺の学校から来た吹奏楽部やブラスバンド部、合唱部や軽音部、ダンス部などをはじめ、地域のコミュニティに所属する社会人やお年寄りのサークルに、個人でエントリーしているのど自慢など、幅広い音楽活動の発表の場として役割を担っている。
今回私たちがエントリーした夏の部は8月31日に開催される。本気で音楽のプロを目指すための大会というよりは、納涼祭が近いこともあって、市民には季節のお祭りの1つのように認識されている。広い駐車場をもつ文化センターでは、当日は屋台なども立ち並ぶ。
今年のフェスには個人、団体含め総勢40組近くがエントリーしていた。バンドのように電子楽器のアンサンブルとなる出場者は、当日リハーサルができる。それはとてもありがたいのだが、代償として当日の集合時間は朝7時半。義務教育に努める身とはいえ、夏休みですっかり鈍った私たちの身体にとっては少しばかり早起きだ。ましてや本番前日、私は形のない不安で目が冴え、碌に眠れなかった。
当日は快晴、夏もそろそろ終わりを感じさせるような、涼しい朝だった。ほとんど眠れず、朝ごはんも喉を通らなかったが、相変わらず朝も元気な音緒ちゃんに引っ張られ、私たちはエントリーを済ませた。
私たちの他にも何組かバンドの演奏があるようで、リハーサルの順番が回ってくるまで少し時間があった。私たちは勝手を知るため、もとい興味本位で客席から他のバンドのリハを見物していた。
失敗だったのは、みんなどう見ても私たちよりずっと場慣れしていて、実力も上だったことだ。中学生のバンドは私たちだけで、あとは周辺高校の軽音部や独自にバンド活動をしているお兄さんお姉さん方だった。みんな髪を染めていたりピアスを開けていたり、機材にステッカーや過去に出演したのであろうライブハウスのバックステージパスを貼っていたり、機材自体も私たちよりも豪華というか通というか、より凝ったセッティングをしていて、その何となくの風格だけで私なんかは慄いてしまっていた。でも正直演奏が上手いのかどうかは私が聴いてもよくわからなかった。
そしていよいよ私たち「Gandharva」の順番となり、メンバーそれぞれ準備をする。会場に置いてあった機材は、ギターアンプがMarshallのJCM900にRolandのJC-120、ベースアンプがHARTKEのHA3500、きっと夏休み前の私たちだったら、この厳つい機材群を前にしただけで何も出来なくなっていたであろう。
しかし、事前の練習で見覚えのあったこのアンプたちから音を出すこと自体は、今の私たちにとっては朝飯前だ。それは良かったのだが、朝飯が喉を通らなかった私は、すぐに次なる関門にぶち当たる。
「じゃあドラムの方から、セット全体で音くださーい」
PAさん (※1)によるサウンドチェックが始まった。キーボードはスタッフの人がラインで繋いでくれたので、私はとくに何もすることなく音が出せる状態になっていた。が、問題は何の音を出すのかだ。
私たちよりも前にリハをやっていたバンドを見て、この流れになることは知っていた。そのバンドで鍵盤をやっていた高校生のお兄さんは、やたら多様な音色を使っていて、それぞれに合ったおしゃれなフレーズをパラパラと弾いていた。
当然私にそんなことはできないし、そもそもオルガンの音以外ほとんど使わない。
そうこうしている内に、栞乃愛ちゃんは何の苦もなくタムやシンバルも満遍なく使ったリズムを叩きこなし、また音緒ちゃんも気ままにベンベケとベースを鳴らし、リズム隊のサウンドチェックは終わってしまった。
「じゃあ次、鍵盤の方お願いしまーす」
私は決めていた。演奏する曲のフレーズをそのまま弾こう、と。毎日あれだけ練習していた運指だ。何も難しくない。簡単簡単。間違えるはずがない。だってフレーズ自体、私が弾けるようにわざわざ簡単なものにしてくれたんだから。栞乃愛ちゃんと泉海ちゃんが、私のために作ってくれたんだ。一音たりとも間違えるわけにはいかない。まあ大丈夫だろう。……で、ええと、どうやって弾くんだったっけ……。
「………」
「……他に音量が大きく変わりそうな音色とかありますか?」
「……ないです……」
緊張のあまり、結局私は一度も弾いたこともないわけのわからないフレーズを弾いてしまった。きっとPAさんに何だこいつって思われたに違いない。メンバーにもさぞ怪訝な顔をされたことだろう。私は羞恥心と申し訳なさでメンバーの顔を見ることもできなかった。自分の顔が熱くなっていくのを感じる。それとは対照的に、指先は血の気が引いてどんどん冷たくなっていった。
「はい、OKです。じゃあ曲全体で確認お願いします」
「よーし、じゃあとりあえずモーフィング、アタマから1コーラスいこう!」
音緒ちゃんがマイペースなのはいつものことだが、泉海ちゃんも栞乃愛ちゃんも、あまりに卒なくこなしてしまう。まるで私一人が空回っているみたいで、その焦りが余計に空回りを生んでいた。練習ならば心強く感じるのに、今日はむしろ孤立しているかのようだ。ステージが広くていつもよりメンバー同士の間隔が大きいのもあるかもしれない。
「……はい、じゃあ本番よろしくお願いしまーす」
「ありがとうございましたー!」
冷たくなった指先では鍵盤に触れる感覚もいつもと違い、曲を合わせているときも私は練習で一度もしたことのないようなミスばかりしてしまった。8月なのに、どうしてこんなに指先が冷たく震えているのか。すっかり意気消沈した状態で、私は自分の機材を片付けていた。せっかくリハでちょうど良い音量を設定したにもかかわらず、その値をよく見もせずにボリュームのツマミを0にしてしまうくらい、私は何も考えられなくなっていた。
*
本番のスタートは11時頃から、私たちの出番は割と遅めで、夕方頃になる予定だ。リハも終わってしばらく時間が空いた私たちは、とりあえず外に出てお昼ご飯を食べることにした。会場である文化センターの近くには広い公園もあり、その間を繋ぐように並ぶ屋台の出店は、午前中から既に営業を始めていた。
学校行事として参加しているような団体もあるため、エントリーしている生徒たちの他にも、応援に来た学校の先生や生徒、そして保護者など、かなり多くの人々で賑わっている。それ以外にも、単純にイベントや屋台を楽しみに来た市民の客足も多い。
私たちは文化センター入口前のベンチに座ってそんな人混みを眺めていた。すると屋台で食べ物を買い回っていた音緒ちゃんが戻ってきた。手には焼きそばにたこ焼き、じゃがバターにチョコバナナまで持っている。思わず泉海ちゃんが言った。
「朝からどんだけジャンクフード食べるつもりなのよ」
「いやー、見るとつい買っちゃうよね。朝食べてなかったからお腹空いてたし。泉海は食べないの?」
「本番前にそんな食欲湧かないわよ。緊張してるのに」
意外にもそのひと言を聞いて、私は少しほっとしていた。どうやら泉海ちゃんだけは私と同じようにかなり緊張していたらしい。
「泉海ちゃん緊張してたの? 全然気づかなかった」
「ええ? リハとかかなりミスしてたし。そりゃするでしょ。この2人がおかしいだけだって」
リハ中、私は自分のことで精一杯だったので、周りの音など碌に聴けていなかった。もちろん私と泉海ちゃんではそもそもの能力値がかなり違うので、「ミス」と言っても彼女にとってのそれは私とは次元が違うものなのだとは思う。とはいえ、あれだけギターが上手な泉海ちゃんでも緊張して間違えることもあるという事実は、私がさっきから持っていた孤立感や劣等感を優しく拭ってくれたのだった。
一方で音緒ちゃんは「やっとやりたかった活動に辿り着けたんだよ? こんなにわくわくすることないよ!」などと言っていたし、栞乃愛ちゃんは「私はピアノのコンクールで何回かここ出たことあるから」などと言っていた。方向性は違うものの、どちらも今の私の気の持ち様にとっては全く参考にならなかった。
本番が始まるくらいの時間になると、続々と人が文化センターの中へ入って行った。中には見知った顔もあった。
「音緒ー! 見に来たぞー! 優勝しろよ!」
「最前列で見るからね!」
「真面目に練習してきたんだから大丈夫。一応うちの部活なんだから、胸張って出なさいね」
「散々アシになってやったんだから、相応のものを見せろよ? たぶん俺が見ても間違えたところとかわかんないけど」
「ずいぶんでかい初ステージだな。がんばれ」
応援に来てくれた音緒ちゃんの友達一行に、音楽教諭の内海先生、さんざんこき使った顧問の鈴木先生、泉海ちゃんのお兄さん・隼斗さんとそのバンドメンバーなどなど、心強い応援団だった。
演奏が行われる文化センターのホールは、200人程度を収容し、ゆったり座って鑑賞できる広いキャパシティを持つ。とはいえ営利的なイベントではないので、客席にいるのは出演者とその家族や友達などの関係者、あとはお祭りついでに見にきた地元の住民がほとんどだ。
それでも私たちにとっては見ず知らずの聴衆の前で演奏することに変わりない。それが緊張に拍車をかけていたのだが、応援団の来訪によって私は俄然安心感を覚えていた。
そして遂には過労で療養中であった私の母も無理を押して見に来てくれた。しかしむしろ普段演奏を見せていない相手なので、逆に少し緊張感が増してしまった。
演目が進み、出番が近づいてくると、私たちはステージ横に設けられた控え室でそのときを待っていた。せっかく少し緊張が和らいだのに、いざ次となるとまた震えがぶり返してくる。たまらず音緒ちゃんに共感を求めて話しかけてしまった。
「緊張しないの? 他のバンドみんな上手い人ばっかりだったのに」
「むしろチャンスじゃん? 私たちがど素人で1番下手なのなんて見るからにわかりきってるんだし。初心者っていう貴重な免罪符だよ。ここで多少なりともバシッと決められたらギャップで『すげー』ってなるでしょ?」
「そ、そんなこと考えてるの」
「意外と打算的だよ、私」
衝撃的なコメントだったが、確かに説得力もあった。曲を作るときもそうだったが、音緒ちゃんは猪突猛進的なようでいて、意外と思慮深いところがある。というか勉強も私なんかより倍くらいできるし、普通に頭が良い子なのだろう。
そしていよいよ出番がやってきた。ステージに上がってセッティングをしていたのだが、目を合わせたら最後の猛獣でもいるかのように、私は目線を客席に向けることが出来なかった。とても怖くて、今日一で足もガクガクだ。幕間はけっこう騒ついているのだが、そこへ切り裂くような声が聞こえてくる。
「がんばれ水崎ー!」
ふと見遣ると、さっきまで後部座席で鑑賞していた例の応援団が最前列まで行進してきていた。その情報が目に入った途端、気付くと私は急に客席が見られるようになっていた。遠くは暗くてよく見えないが、照明のよく当たっている前の方はみんな見知った顔だった。
「矢継ぶちかましたれー!!」
汚いがなり声に、会場からも少し笑い声が聞こえてきた。私たちは恥ずかしさと何だかむず痒い感覚で、ついメンバー同士目を見合わせて、そしてつい笑ってしまった。
そこからの10分間はほとんど記憶にない。とくにドラマがあるわけでもなく、セッティングが終わると1曲目を演奏した。その後音緒ちゃんが挨拶と自分たちの紹介を卒なくこなし、2曲目を演奏して、拍手を受けながら捌けた。
演奏中、きっと酷いミスも沢山していたことだろうが、出番が終わった時点で頭が真っ白になっており、何も思い出せなくなっていた。あれだけ練習をこなし、周りの音も聴けるようになっていたのに、蓋を開けたら本番は一番最初にみんなで合わせたときの感覚と同じ状態だったのだ。少なくとも私は。
機材の片付けを済ませると、音緒ちゃんに引っ張られ、私たちは文化センターの外でクールダウンした。自販機で炭酸飲料を買い、昼間と同じ入り口前のベンチに座って、「みんなお疲れ様!」と乾杯をした。夕暮れどきなのもあってか、緊張で体が熱くなっていたのもあってか、とても涼しかった。
ホールの音漏れが微かに聞こえ、屋台の灯りがポツポツと見える中、私たちは解き放たれたかのようにゲラゲラ笑いながら喋っていた。早くも打ち上げモードだ。
*
どれだけ談笑していたのか、辺りはすっかり暗くなっていた。ふと今日が夏休み最後の日であることを思い出して、急に感傷的な気持ちになった。談笑は続いていたのだが、突如入口の方から誰かが駆け寄ってきた。応援に来てくれていたクラスメイトの女子だった。
「こんなとこにいた! ほら、早く来て!」
彼女は戸惑う私たちを演奏が行われていたホールへ連れて行った。どうやら演目は全て終わり、表彰式が行われていたようだ。私たちは呼ばれるままステージに上がった。出演者全員が呼ばれて上がるとか、そういうものだと解釈していたのだが、何だか様子がおかしい。
「表彰状、Gandharva殿、あなた達は第21回栂市活性化音楽フェスティバルにおいて、頭書の通り優秀な成績を修めましたので……」
状況が飲み込めないまま、音緒ちゃんは一応礼儀正しく賞状と盾を受け取った。私たちはどうやら、「特別審査員・鳥居正人賞」なるものを受賞したらしい。そんな人が来ることはすっかり忘れていた。というか考える余裕もなかった。
最優秀賞は近隣の高校から参加していたブラスバンド部の演奏だった。納得の高クオリティなパフォーマンスだったようだが、残念ながら私たちは打ち上げに夢中で見ていなかった。
鳥居さんによれば、私たちの演奏技術自体はまだまだなものの、その初々しさや若さ迸るキラキラ感、そして何よりオリジナル曲の良さが決め手で、とても将来性を感じるパフォーマンスだったのだそうだ。全く実感は湧かない。閉幕後も応援してくれたみんなに囲まれて「すごい」「おめでとう」と言われたが、メンバーはみんなあっけらかんとしていた。
賞状と盾はリーダーである音緒ちゃんが持ち帰ることになり、その日はそのまま解散した。私は母と一緒に帰ったのだが、その道中も母にこれでもかというくらい褒められた。私は褒められたことよりも、母が今までになく元気そうに話していたことが嬉しくて、少なくとも頑張った甲斐があったのだな、と思っていた。
何にせよ私たちの初陣は、相応なのか分不相応なのか、苦戦に反して幸運な結果を賜ってしまったのだ。そのことへの戸惑いと精神的肉体的な疲労を引き摺ったまま、涼しくなる2学期へ向かって、その夜私は眠りに就いたのだった。
(※1)PAさん…ライブ会場などで、演者が出す音を管理してくれる人のこと。 後方でミキサーをいじっている人です。




