4.軽音部発足
泉海ちゃんの家にお邪魔した翌日から、音緒ちゃんは持ち前の友達の輪を駆使してメンバーを探したが、なかなか有力な候補は見つからなかった。あのJust Birdを知っている子さえあまりいないコミュニティだ、自らバンドをやりたいなんて考えている子は尚更いない。
また名和中学には軽音楽部もない。バンドブームも遥か昔に過ぎ去った昨今、中学生のうちからバンド活動をするような子は稀有な存在なのかもしれない。
しかし意外にも近いところで、候補となる相手は見つかった。音緒ちゃんが他クラスの友達を勧誘していたときのことだった。
「うーん、そっかー。残念!」
「ごめんねー。でも、楽器ができるってだけなら、すごいのがいるじゃんね」
「え、誰!?」
「え? そりゃあ……」
彼女が指差した先にいたのは、隣のクラスの女子生徒『周防栞乃愛』ちゃんだった。あの音緒ちゃんも含め、同じクラスの子ともあまり喋ることがないという栞乃愛ちゃん。
中学校入学直前にこっちに引っ越してきたために元からの知り合いがいなかったというのももちろんあるが、彼女が他の生徒から距離を置かれているのには、他にも原因があった。
容姿端麗、才色兼備に文武両道、栞乃愛ちゃんは何をやっても学年トップのスーパーエリートだったために、そのクールな風貌も相まって他のクラスメイトたちが気軽に近寄れない存在となってしまっていたのだ。ことルックスに関しても、中学1年生にしていつモデルにスカウトされてもおかしくないようなスタイルの良さに、若干幼さは残っているものの女優顔負けの整った顔立ち。私のようなちんちくりんが横に並ぼうものなら、とても同い年には見えない。
大学教授の父に進学校の高校英語教師の母という、英才教育のサラブレッドのような家庭に生まれ育った栞乃愛ちゃんは、小さい頃から教育熱心な母によってありとあらゆる英才教育を施されてきたという。
勉強は母が自らみっちり教え、習い事として英会話、書道や茶華道といった教養のお稽古にピアノやソルフェージュなどの音楽教育、果ては水泳やバレーなどのスポーツに至るまで、徹底した能力開発に追われていたのである。
驚くべきはその殺人的な英才教育をものともせず、スラスラと要領良く全てをこなしてしまう栞乃愛ちゃん自身のスペックの高さだ。おかげで小学校時代、とくに学校でのクラブ活動には所属していなかったにも拘らず、大会になると方々から呼ばれては、助っ人としてチームを勝利へ導いていた。
それもあってか、校内に栞乃愛ちゃんの知り合いはまずいないものの、彼女自身は運動部に所属している生徒を中心として、結構な有名人だった。
そして勉学でも定期的に行われる模試では常に全国上位と、まさに完全無欠の高嶺の花だ。
「中学受験とかしなかったのかな?」
「噂じゃ西邦を受けて落ちちゃったとか聞いたことあるけど、本当かどうか」
「模試で常に全国上位なんでしょ? そんな人でも落ちちゃうの? まあ西邦って超エリート校ではあるけど」
「わかんないよ、噂だし。本人に聞こうにも、なんか話しかけづらくてさ。住む世界が違うっていうか」
確かに同級生が栞乃愛ちゃんと話しているところなんて、ほとんど見たことがない。一方で上級生にはよく声をかけられているが、今思えばあれは知り合いなのではなく、色々な部活動にスカウトされていたのだろう。
英才教育というとピアノはまだしも軽音楽器のイメージは湧かないが、聞くところによれば習っていたピアノ教室が音楽一家な個人教室だったらしく、要領の良い栞乃愛ちゃんを気に入ってどんどん色んな楽器を教えられてしまったらしい。恐るべき有力候補だ。
音緒ちゃんが栞乃愛ちゃんへの話しかけづらさなど感じるわけもなく、早速その日の放課後に声をかけてみることになった。休み時間にそのことを泉海ちゃんに報告すると、断られて終わりだろうという反応だった。私もそんな気がした。
帰りのHRが終わると、音緒ちゃんはすぐに栞乃愛ちゃんの下へ駆けつけた。
「ねえ! 周防さん、ちょっといい?」
「ん?」
「噂で聞いたんだけど、ベースとかドラムとかできるって本当?」
「ああ、引っ越してもう辞めちゃったけど、ちょっと前まで習ってたよ」
「やっぱり! 相談なんだけどさ、私たちのバンドでリズム隊やってくれないかなって」
「……この学校、軽音部なんてあったっけ」
「いや、部活じゃなくて、学外の活動で」
「ふうん。どんな活動してるの?」
「いやまだメンバーも集まってない状態だから、何とも」
「そうなんだ。それで、集まったらどうしていくつもりなの? 目標とか、いつどこで活動するとか」
「うーん。それもまだ」
「……何それ」
そう言うと栞乃愛ちゃんは鞄を背負って立ち上がった。離れて見ていた私と泉海ちゃんが「ああ、断られる」と思った次の瞬間、意外な言葉が発せられた。
「まあ、私はいいけど親が何て言うかな……あともし大丈夫だったとしても、あんまり参加できないかもしれないよ」
「うん、それでもいいよ! じゃあ聞いてみてくれる?」
「わかった。じゃあまた明日ね」
「ありがと! ばいばい!」
意外とあっさりOKしてくれた。音緒ちゃんも「これならうまくいきそう」と息巻いていたが、泉海ちゃんが一石を投じた。
「さっきの話の流れじゃ、まるで臨時の助っ人をお願いされたような反応だったと思うけど?」
「そうかなあ」
「周防さんにとってはいつも通り、事が終わったらすぐいなくなっちゃうつもりなんじゃないの?」
「私はコンスタントに活動していくつもりで誘ったんだよ?」
「だったら尚更よ。全然興味なさそうだったじゃない」
泉海ちゃんの言う通りだった。栞乃愛ちゃんは決して人当たりも悪くなかったし、親が承諾してくれればやると言ってくれた。でもそれは裏を返せば、本人の意志が全く介在していないようにも思える。
いつものように、与えられた課題、頼まれた仕事。自分の意志で、好き好んで音楽をやろうとしている音緒ちゃんとは全く違う。そんな感覚がずれた状態では、たとえバンドに入ってくれたとしても、きっと長続きしないだろう。
*
翌日の昼休み、栞乃愛ちゃんが音緒ちゃんへ話しかけてきた。見たことない光景だ。
「矢継さん。昨日言ってたバンドの話だけど」
「あ、うん! 考えてくれた?」
「やっぱりダメだと思う。活動内容も決まってない状態じゃ」
「うーん」
「それに、バンドなんて将来何の役にも立たないからダメだって、うちのお母さんが」
何とも言えない、苦い言葉だった。どうやらお母さんに猛反対されたらしい。受験に落ちたこともチクチク言われながら、遊んでいる暇があるなら勉強しろと言われたとか。しかし音緒ちゃんは意にも介さず切り返す。
「周防さんは?」
「えっ?」
「周防さん自身は、どう思ってるの? やっぱりバンドなんて全然興味ない?」
「いや……まだわからないかな」
「いい加減、諦めなさいよ。周防さん困ってるじゃない」
泉海ちゃんも痺れを切らして介入したが、音緒ちゃんは相変わらず止まらなかった。
「じゃあ、活動内容決めたらもう1回! もう1回だけでいいから、考えてくれない?」
「わかった……」
しかし意外だった。まずいつも強引な音緒ちゃんが、栞乃愛ちゃん自身の気持ちを気にするなんて。昨日泉海ちゃんに言われたことを気にしているのだろうか。
それから栞乃愛ちゃんも、クールに何でも卒なくこなすという彼女が、自分の気持ちを聞かれたときは動揺していた。もしかしたら彼女は全く何にも興味がないのではなく、そういう心を今まで無理矢理押し殺して生きてきたのかもしれない。
何にせよ、そのやり取り以降、音緒ちゃんは急に大人しくなった。いつものように私や泉海ちゃんを強引にどこかへ連れ出すこともなく、休み時間や放課後になるとすぐにどこかへ行ってしまう。そんな日が数日続き、私は少し音緒ちゃんのことが心配になる一方で、泉海ちゃんは平和になってホッとしている様子だった。
「音緒ちゃん、またどっか行っちゃったね」
「さすがにこの前のことで懲りたんでしょ。軽い思いつきでバンドなんて無理だって」
「やっぱりそうなのかなあ。落ち込んでないといいけど」
「あの子に限ってそんな心配ないでしょ。むしろ静かな日常が戻ってきて私は安心したけど」
「まあ、音緒ちゃんちょっと強引なとこもあるけど……」
そう、確かに音緒ちゃんに振り回されるのは、正直疲れる。最初から犬猿の仲だった泉海ちゃんなんて、それどころではないのだろう。それは私にもわかっている。
でも、もし音緒ちゃんがいなかったら、入学式の日、私に声をかけてくれなかったら、きっと今でも私は一人ぼっちで、窮屈な学校生活を送ることになっていたはずだ。
それが今では沢山の友達ができた。それだけではない。一緒にライブを見に行ったり、友達の家に集まって遊んだり、バンドを組むなんて言い出して一緒にメンバーを探してみたり。小学生の頃の自分には、想像もつかなかったくらい楽しいことが毎日のように起こる。
それはひとえに、音緒ちゃんがいてくれたからだ。音緒ちゃんが私の手を引っ張ってくれたからこそ、この日常は存在する。だから心配でしょうがなかった。
泉海ちゃんだって、喧嘩もするだろうけれど、大好きなJust Birdについて語り合ったり、一緒に楽器を触ったり、きっと充実した楽しい時間だったはずだ。
「私はバンドなんてやらない」と言いつつも、同じ趣味を持つ友達とそれを分かち合える場所は、失ったらきっと悲しいはずだ。
それを訴えたかったのだが、うまく言葉にできなくてなんだか泣き出しそうだった私を見て、泉海ちゃんは戸惑った様子だった。
「御門さんは何とも思わないの? 周防さんのお母さんが言ってたこと」
「バンドなんて将来何の役にも立たないってやつ?」
「うん」
「いち音楽好きとして認めたくないのはあるけど……正論といえば正論だし」
「……」
そんな湿った会話の中、重い空気を切り裂くように明朗快活な声が私たち2人を呼んだ。紛れもなく音緒ちゃんのものだった。
「みちる、泉海! 2人ともちょっと来て!」
音緒ちゃんは栞乃愛ちゃんも連れ、私たち3人をある空き教室へと引っ張って行った。
その教室はしばらく使われていなかった様子で、壊れた机や椅子が置かれていたり、全体的に埃っぽかったりと、決して居心地が良い場所とは言えなかった。
そしてそこには、なぜか私たちのクラス、1年6組の担任であり、数学教師の鈴木先生もいた。
鈴木先生はちょっと変わった先生だ。30代後半くらいの男性なのだが、白衣を着て無精髭を生やし、髪もおしゃれというよりは切るのが面倒で伸びているような感じで、そこはかとなくいつもだるそうにしている。
なんでこんなところにいるのか状況が飲み込めない3人だったが、どうやら音緒ちゃんの豪傑ぶりにより、軽音部を設立し無理矢理先生を顧問に引きずり込んだようだった。「暇人だと思いやがって」と鈴木先生はこぼしていた。
この数日、音緒ちゃんは軽音部を作るために動き回っていたらしい。そのために昼休みや放課後の時間も使って、空き教室や顧問の先生の手配をしていたのだそうだ。
名和中学では生徒の自主性を重んじるため、希望の生徒がいれば部員数1人からでも部活を創設することができるようになっている。
条件となるのは顧問の存在と活動場所の確保、そしてその場所の使用申請を含め、活動内容や目標、部員名簿に顧問および代表部員の署名を記した書類の提出・受理である。
音緒ちゃんは誇らしげにぴらぴらとその書類を見せつけてきた。
「目標って?」
「もちろん、夢はでっかく彩京ニューアリーナでワンマン!」
「ばっかじゃないの」
「冗談だってば、ほら」
と言って、音緒ちゃんは私たちに申請用紙を見せた。そこには尤もらしい活動内容や目標の文章がつらつらと書かれていた。さすが音緒ちゃん、こういうところは抜かりないようだ。
「ちょっと、名簿に私の名前が入ってるけど!」
当然のごとく泉海ちゃんは突っ込んだ。音緒ちゃんは「まあとりあえずってことで、私が部長で泉海が副部長ね」なんて言い放った。強い。
「副部長って! 何度言ったらわかるの! 私やるなんて」
「御門さん! やってみようよ、試しにさ。私も頑張るから!」
「ええ……はあ、もう……」
柄にもなく、思わず私は大声で制してしまった。勇気などと呼べるものではなかったが、なんだかやってみたい気に私もなってしまっていたのだ。しかし鈴木先生が冷静に釘を刺す。
「言っとくけど、部員数自体に制限はなくても、活動が満足にできない状態だと見做されたら翌年には廃部される可能性あるぞ。バンドだと1人じゃできないし、3人でも難しいんだろ?」
「もちろん。だから今4人目を勧誘してるんですよ」
「……」
「周防さん! まだ更地だけど、これでとりあえず形だけは作ったよ。だからあとは周防さん次第!」
「……」
「私たちは、臨時の助っ人じゃなくて、正式なメンバーとして入ってもらいたいの。だから入るかどうかは、周防さん自身の気持ちで決めて欲しい! 確かにバンドなんて将来何の役にも立たないかもしれないけど、部活なら良いでしょ! だって運動部に入った人が、将来みんなスポーツ選手になるわけじゃないじゃない。でもみんなで一緒に汗を流して頑張ったっていう思い出になれば、きっとそれだけで将来役に立つよ! 大人になって、落ち込んだときとかに思い出したら、それだけで元気になれたりとかさ!」
「……」
「明日の放課後、ここで待ってるね」
そう言って音緒ちゃんは、栞乃愛ちゃんに軽音部創設の申請用紙を渡した。部員名簿には「周防栞乃愛」の名前はまだ書かれていなかった。
栞乃愛ちゃんはそれを受け取ると、悩ましい顔で教室を後にした。かっこいいことを言ってはいたが、泉海ちゃんの突っ込みによって音緒ちゃんはすぐに我に返ることとなる。
「申請用紙原本そのまま渡しちゃったけど、もし来なかったらどうすんの」
「あっ」
*
翌日放課後、もし栞乃愛ちゃんが来なかったら今まで走り回ってしてきた面倒な手続きが水の泡になることを恐れつつ、音緒ちゃん筆頭に私たちはドギマギしながら待っていた。
すると部室のドアが開き、待望の瞬間がやってきた。
「遅くなってごめんね。部員名簿これでいい?」
栞乃愛ちゃんはさらっと記入済の用紙を渡してきた。私が「お母さんは?」と恐る恐る聞くと、やはり猛反対されたとのことだった。しかし割と寛容なお父さんが間に入ってくれて、栞乃愛ちゃん自身の気持ちで決めて良いとお許しを得たそうな。がんじがらめに育てられてきた分、こんどは自主性を育む教育方針になったらしい。
「うんうん! ありがとう! これからもよろしくね、しのめ!」
「いきなり馴れ馴れしくない?」
「そりゃロックバンドなんだから。みんな余所余所しい呼び方はもうやめね! NEO! SHINOME! IZUMI! MICHIRU! でいこう」
「……あんた、本当にロック好きなの?」
「でもこれでようやく活動スタートできるね! よかった!」
それはまだ、言うなれば子どもが砂場に木の枝で線を引きながら「ここは俺の陣地!」と主張しているような、何の根拠もない居場所であった。だが確実に、私たちの居心地を良くしてくれる、他とは違う確かな場所でもあった。それは長い目で見ればほんの小さな出来事でしかないのだが、当時の私たちにとってはとても大きな第一歩だったのだ。




