3.泉海の家[挿絵]
Just Bird3年半ぶりのアルバムリリースに伴う全国ツアーは大盛況を極めた。追加公演1発目となるこの日、会場はバンド初となる彩京ニューアリーナ。約3万人を収容するこの場所は、バンドとしてもこれまでで最大規模の会場である。多くのファンに感動を与えたこのライブで、ある少女たちは今後の人生を大きく動かすほどの影響を受けていた。
*
ライブが終わり、2時間近くをかけて地元の駅まで帰ってきた私たち、水崎みちる、矢継音緒、御門泉海の3人である。疲れと感動の余韻で会話もなく電車に揺られ、最寄駅に着いたとき、突然音緒ちゃんが口を開いた。
「私たちも、バンドやろう!」
「また思いつきでそんなこと言って」
「思いつき上等! そのくらいしないと、この気持ちは収まんないよ!」
「ライブがすごかったのはわかるけど、いきなりそんなの無理でしょ」
「私ヴォーカルね! みちる何か楽器とかできないの?」
「聞いてないし」
「何もやったことないよ」
「そっかー。泉海は? あれだけJust Bird好きなんだし、弾き語りとかやってないの?」
「いや、その……」
「えっ、ほんとにやってるの! すごいすごい! じゃあ泉海ギターね!」
「ちょっと、勝手に決めないでよ! 私やるなんてひと言も……」
「いやー楽しくなってきた! あっバス来たよ」
「話聞きなさいってば!」
こうなったら音緒ちゃんは誰にも止められない。ここで「楽器なんてやったことない」と嘘をつけない泉海ちゃんの性格が、またしても仇となってしまったのだ。
その勢いは週明けにも収まることはなく、学校でも音緒ちゃんの計画とも呼べないバンド計画は一方的に推し進められていった。
「ねえ! 泉海のお兄さんバンドやってるんだって? 何でもっと早く教えてくれなかったのかなーもう!」
「どこから聞いてきたの、そんな情報」
「3組の春子から! 小学校同じクラスだったんでしょ?」
「いつの間にそんなところまで友達の輪を……」
「私も弾き語りやってみたい! お願いだから私にも教えてよ先生!」
「教えようがないでしょ、こんなところで。そもそも人に教えられるほどできな」
「だから! 泉海の家ならギターとかもあるでしょ?」
「むっ、無理無理! そんなの絶対嫌だって!」
「えー、いいじゃんかあ。この前はうち来たんだし」
「それはあんたが半ば無理矢理連れて行ったんじゃない!」
「でもうちでJust Birdのインタビューとか食い入るように見てたじゃん」
「うっ……」
「あーあ、今度インディーズの頃の貴重な記事見せてあげようと思ったのになー」
「……」
仲が良いのか悪いのか、ともかく2人は明らかに以前よりよく喋るようになっていた。そして泉海ちゃんは結局押し切られてしまった。
その日の放課後、私たちは泉海ちゃんの家を訪れることになったのだ。何故か私も一緒に連れて行かれた。音緒ちゃんの中ではもう私はメンバーの1人で確定しているらしい。楽器なんて音楽の授業でしか触ったこともないのに。
*
私にとって人生2回目の一軒家訪問となる泉海ちゃん邸は、学校から歩いて10分ほど、立ち並ぶ住宅街の、細い路地の突き当たりにあった。
庭には資材のようなものが置いてある。お父さんが建築関係の仕事をしているらしく、その仕事道具のようだ。
家に着くと、泉海ちゃんは強ばった顔で「ちょっと待ってて」と言い、1人家の中へ入って行った。私たちは玄関の前で待たされることになった。なにしろ突然の訪問だ、家族にも説明しないといけないだろうし、自分の部屋だって何の準備もしていないだろう。人に見られたくないものだってあるかもしれない。
10分ほどして、泉海ちゃんは息を切らして家から出てきた。「お待たせ、どうぞ」と言いつつも、明らかに嫌そうだ。私はちょっと入りづらかったのだが、音緒ちゃんは全くそんなこともなさそうだった。玄関に上がると、廊下の奥、リビングに続くと思しきドアから、泉海ちゃんのお母さんが顔を覗かせて挨拶してきた。
「珍しいわね、友達連れてくるなんて。ゆっくりしてらっしゃい」
「こんにちは! いつもお世話になってます!」
「お、お邪魔します」
「ほら、こっちこっち」
泉海ちゃんはあまり家の中を見せたくないようで、さっさと階段を上がり、自分の部屋へと私たちを案内した。
それにしてもさっきのお母さん、見た目は年相応、ぽっちゃりした中年の主婦といった感じだったが、カチューシャで後ろに流した髪の色は明るく、爪には遠目からでもわかるほどド派手なネイルアートと、一見してあの泉海ちゃんの家族とは思えなかった。共通しているのはカチューシャだけだ。
それはそうと、泉海ちゃんの部屋は大方の予想通り、綺麗に片付いていて、物もひとつひとつきちんと整理整頓されていた。女の子の部屋にしては若干質素な気もするが、それもまた彼女らしい。もちろんついさっき掃除したのもあるだろうが、普段から部屋は綺麗にしているのだろうということは、容易に想像できる。
部屋の奥にはギタースタンドがあり、2本のギターが立てかけられていた。
「あっ! あれ泉海のギター? 触ってもいい?」
「いいけど、丁寧に扱ってよ?」
予定調和のように音緒ちゃんは部屋のギターに食いついた。音緒ちゃんは「ポロロロロロン♪」と適当に弦を撫でると、意味もなく「わーすごーい!」なんて感動していた。
「あれ? こっちのギターはずいぶん音が小さいんだね」
「それはエレキギター。アンプに繋がないとちゃんとした音は出ないの」
「へえー。あとさ、こっちのギターだけ、何か弦がざらざらしてるけど、こういうもんなの?」
「う……それは、そっちだけあんまり弦交換してないから……」
「あ、これ定期的に交換するんだ」
「エレキはあんまり好きじゃないのよ」
「Just Birdもこの前こういうギター使ってたじゃん」
「それはそれ! これはこれ!」
「ふーん。変なの」
結構高そうなのに勿体無い、と思ったが、お兄さんからのお下がりなので大丈夫とのことだった。4年前にお兄さんがギターをやり始めたのを見て、自分もやりたくなって始めたとか。可愛い妹だ。すると、音緒ちゃんがデリカシーのないことを言い始めた。
「ねえ、そんなことよりさ、せっかく来たんだから、何か弾いてよ!」
「もう! それ言われるのが一番嫌だったのに!」
「いいじゃん! せっかく練習してるんだから、人に聴かせなきゃ勿体無いよ!」
「私ひとりのささやかな趣味だったのに……」
ぶつぶつ文句を言いながらも、泉海ちゃんは私たちの前で演奏してくれた。Just Birdの曲だ。弾き語り用のコード伴奏だけだったが、すぐに何の曲かわかった。
素人目ではあったが、泉海ちゃんはとても上手に見えた。きっとギターも真面目に練習していたのだろう。しかしすかさず音緒ちゃんが口を挟む。
「歌はないの?」
「嫌だよ恥ずかしい!」
弾き語りなのに。とはいえ無理を言って演奏してもらったのだ。私も音緒ちゃんも、惜しみない拍手を贈った。泉海ちゃんは少し照れていて可愛かった。
泉海ちゃんの演奏が終わると、次に音緒ちゃんが言い出すことは決まっている。「私もやってみたい、教えて先生」だ。泉海ちゃんは「私、人に教えられるほど弾けないのに」とか言いつつも、音緒ちゃんにギターを持たせると、構え方から丁寧に教えてくれた。さすが、すごく良い子だ。
「……で、こことこことここを押さえるとGコード」
「え……ええ??」
「あ、違う。そこは中指じゃなくて……いや、あなた手小さいからそれでも良いかも」
「すごい。御門さん本当に先生になれそう」
「こんなの無理だよう。私、手小さいからギターもSサイズのやつがいい」
「そんなこと言われても」
「みちるもやってみなよ! さっきから暇でしょ?」
「うん! やってみる!」
見ているうちに私もちょっと触ってみたくなっていた。泉海先生は私にも懇切丁寧に一から教えてくれた。一番簡単だというEmは何とか押さえられたが、他はてんでだめだった。FとかBに至ってはとても人間ができる指の形とは思えなかった。
しかし、確かに音緒ちゃんは手が小さいが、私と泉海ちゃんの手の大きさは同じくらい。だのに泉海ちゃんは簡単そうにどのコードもパッと押さえてしまう。きっと辛い修行を乗り越えてきたのだろう。私と音緒ちゃんは、すぐに指が痛くなってギブアップしてしまった。
*
そうこうしているうちに日も暮れ、誰かが玄関から帰ってくる音がした。「あ、お兄ちゃん帰ってきたかも」と泉海ちゃんが言うと、好奇心の塊こと音緒ちゃんはすぐにひと目みようと泉海ちゃんの制止も無視して部屋を飛び出した。
音緒ちゃんが部屋を出ようとドアを開けると、タイミング悪くばったり泉海ちゃんのお兄さん、隼斗さんに鉢合わせてしまった。隼斗さんはウォークマンで音楽を聴きながら、ポケットに手を突っ込んで自分の部屋まで歩いていた。その風貌は、肩まで伸ばした長髪に一部だけ緑のメッシュを入れており、目つきは鋭く耳にはピアス、高校の制服であろうブレザーはだいぶ着崩していたりと、一見すごく怖そうに見えてしまった。
しかし当然音緒ちゃんはそんなことに動じない。
「初めまして、お邪魔してます! 泉海のクラスメイトの矢継音緒です!」
「あ? ああ、どうも」
「泉海から聞いたんですけど、バンドやってるんですか?」
「……やってるけど?」
「実は私たちもいまバンドやりたいなって思ってて、色々教えてもらえないかなーって」
「はあ」
すっかり隼斗さんを困らせたところで、泉海ちゃんが音緒ちゃんを部屋の中へ引き戻した。状況が飲み込めていない隼斗さんは、当然妹に「何なん、これ?」と尋ねる。
泉海ちゃんは隼斗さんに事情を説明した。話を聞くと隼斗さんは笑いながら快く私たちにバンドや楽器について教えてくれた。
隼斗さんは私たちの4つ上で現在高校2年生、学校の軽音部に所属しながら、学外でもバンド活動をしているらしい。中学に入って間もない頃、音楽に興味を持ちギターを始めたところ、忽ちのめり込んで今に至るとか。
隼斗さん自身も最初の入り口はJust Birdということで、どうやら泉海ちゃんは何から何までお兄さんの趣味に影響されていたようだ。そんな話をしていると、泉海ちゃんは恥ずかしそうにして顔を背けてしまった。
隼斗さんは自分の部屋に私たちを入れて、使っている機材などを見せてくれた。部屋の中はというと、妹とは違っていかにも男の部屋という感じで、据え置き型のゲーム機が出しっぱなしだったり、CDやら雑誌やらが散乱していたりと、お世辞にも片付いているとは言い難い。
しかしギターの練習環境は拘りがあるようで、すごそうな機材がびしっと並べられていた。隼斗さんはギターにシールドを挿し、アンプの電源を入れると、ロックでカッコ良いフレーズを弾いて見せてくれた。
「すごーい! アンプに繋げるとこんな音になるんだー!」
「まさにロックギターって感じがするね」
「そうそう、ロックとかでよく聴くあのジャキジャキした音は、こうやって音を加工してるんだよ。ほら、ちょっと触ってみな」
「あ、ありがとうございます!」
隼斗さんは私にギターを弾かせてくれた。アンプにエフェクターボードに、立って弾けるようストラップまでつけてあり、いつでも本番OKという感じだった。握ってみると、さっき泉海ちゃんに弾かせてもらったアコギよりは弦も柔らかくて押さえやすいような気がしたが、ギター自体が重すぎてびっくりした。立って構えてみたが、こんなので練習していたらすぐに肩凝りになってしまいそうだ。
そして何より、このエレキギターは私が持つには形が厳つ過ぎるような気がした。
「あはは! みちる似合わねー!」
「ぷぷっ……た、確かに……」
「ええ、ひどいよ……」
泉海ちゃんにまで笑われたのはショックだったが、私も自分でそう思った。
「隼斗さん! これは何? なんか切るとこ間違えたら爆発しそう!」
「エフェクターね。エレキギターは電子的に音を鳴らす楽器だから、これに繋げることで色んな音色が出せるんだよ。さっきのオーバードライブもその一つ。ほら」
ディレイにコーラス、ファズにワウなど、隼斗さんは色々な音色を聴かせてくれた。音色が切り替わると、その度に私と音緒ちゃんからは「おお~」と歓声が上がるのだった。泉海ちゃんは後ろの方で少しむすっとしていた。それにしても色んな機能を持つ筐体がずらりと並ぶこのボード、いかにも男子のロマンだなあと思った。3人で盛り上がっていると、ふと隼斗さんが言った。
「そういえばバンドやるっても、パート分けとか決まってんの? 泉海はギターだとして」
「いや、だから私はやるなんて……」
「私はギターヴォーカル!」
「となると、あとはリズム隊か。水崎ちゃんは……」
「ギターにすら持たれちゃうんだから、ベースなんて尚更よね」
「ドラムかっていうと、それも違うしなあ」
「キーボードってとこでしょ! あとはマスコット!」
「全然バンドになってないじゃん」
「何にしても、初心者の集まりでいきなり3ピースは難しいだろうな。最低でもあと1人、リズム隊できる奴がいないと」
「うーん、メンバー集めかあ」
気付けば辺りは真っ暗、いつの間にか夜になっていた。お母さんのご厚意で、何と私たちは晩ご飯までご馳走になってしまったのである。
今日の献立はカツカレー。リビングに降りると、お父さんも帰ってきていた。お父さんは、背はさほど高くもないがガタイが良く、白髪混じりの茶髪に顎髭を生やし、いかにも建築仕事をしていそうな日に焼けた肌をしていたので、お兄さんの5倍くらい見た目は怖かった。ただ実際には、もうお腹いっぱいなのに頻りにカツのおかわりを勧めてくる、サービス精神旺盛なおじさんだった。
そして泉海ちゃんが見せようとしなかったリビングは、お兄さんの部屋と同じくらい散らかっていた。きっと泉海ちゃんはあまり片付いていない家の中を見せたくなかったのだろう。
段々わかってきたが、この家の人たちは皆良い人だ。しかし基本的にチョイ悪で、自由奔放でちょっとワイルドな家庭のようだ。
泉海ちゃんだけが見事に真逆に振り切れている。どうやら小さい頃からひたすら両親を反面教師にしてきたらしい。ある意味これがこの家庭での反抗期なのかもしれない。泉海ちゃんが私たちを家に入れたがらなかった一番の理由はこれだろうし、学校で音緒ちゃんや他の不真面目な生徒にやたら目くじらを立てるのも頷ける。
泉海ちゃんは自分の家庭をあまり良く思っていないようだが、私にはこれはこれでバランスの取れた良い家庭であるようにも見えた。
夕食後すっかり家族とも打ち解けた私たちは、お父さんのハイエースで家まで送ってもらえることになった。少しタバコ臭くはあったものの、ディーゼルのワイルドなエンジン音と、初めて乗る車高のある大きな車に、私と音緒ちゃんはテンションが上がっていた。
そして翌日から、音緒ちゃんのバンドメンバー探しが始まったのだ。




