4.一緒に逃げよう
魔王が勇者に手を差し出す。
異様な光景のまま静寂が場を支配する。
外では未だ戦いが続いているのだろう。
地響きに轟音、誰かの叫び声が聞こえていた。
「逃げる?」
「そうじゃ。ワシらが戦い続ける限り、世界は何も変わらん。また繰り返す。ワシと、主の次の勇者が戦う。ワシはもう嫌じゃ。何のためにもならん戦いなど虚しいだけじゃ」
「俺は……お前と同じことを考えていた。それでも、勇者だぞ?」
「そうじゃな。故にこそ、ワシは主に頼んでおるのじゃよ。のう、勇者よ。ワシを助けてはくれんか?」
その瞳のきらめきに魔王はいない。
俺の前に立っているのは、幾年もの間一人で苦しみ続けたか弱き少女。
「そうか」
俺は気づいた。
この戦いで、これまでの歴史で、多くの犠牲を払ってきた。
血が流れ、返らぬ命も増え、苦しみは残る。
誰もが苦しむ中で、もっともそれに耐えながら生きてきたのは、目の前にいる彼女なんだ。
彼女は魔王として、何度滅ぼされても蘇った。
休むことなど許されない。
同族のために死ぬまで戦うことを宿命づけられていた。
幾重にも辛酸を舐め、死にゆく己が身の感覚が消えていく。
その辛さが誰にわかるのだろう。
誰にもわからない。
もちろん俺にも、彼女以外にはわからない。
それでも戦い続けてきた彼女が、初めて助けを求めた。
ならば俺は、その手を無視することはできない。
か弱き者を救いたい。
皆が幸せに暮らせる世界を作りたい。
その願いだけは、偽りなき本心なのだから。
「温かいのう……」
彼女は触れた手を握りしめる。
まるで初めて、他人の温もりを感じたように。
「それで、これからどうするんだ? 仲直りしました……なんて、今さら言えないだろ?」
「言ったところで誰も納得せんじゃろうな。じゃから、この戦いの決着はつけねばならん」
「決着……か。どうつける?」
「決まっておろう。勇者と魔王の戦いの結末は、いつも同じじゃ」
そう言って彼女は、握った俺の手を自分の胸に当てる。
「ワシを殺せ」
「それは――」
「何、本当に殺せという意味ではない。魔王としてのワシは、この場で勇者である主に殺されなければならん。そうしなければ話が終わらん」
「話ってなんだよ」
「無論、勇者と魔王の話じゃよ。ワシらの決着をもって、この不毛な争いに終止符を打つのじゃ」
彼女は握る手の力をぎゅっと強める。
その強さは、覚悟の現れだと悟る。
「具体的にどうすればいい?」
「ワシらがすることは二つじゃ。一つはこの戦いの終結、もう一つは、二度と勇者と魔王が生まれぬ世界にすること。前者は魔王の敗北によって、後者はワシの魔法によって。そのためには主の聖剣の力が必要じゃ」
「聖剣?」
俺が右手に持っている聖剣は、王国に代々伝わる一振り。
勇者に選ばれた時、国王から貸し与えられた人類の希望。
「その聖剣には、ワシの肉体を破壊する力がある。じゃがワシの精神まで破壊することはできん。できておればこう何度も転生してはおらん。その力でワシを殺せ」
「それじゃ今までと同じじゃ」
「話を最後まで聞け。聖剣に刺されたワシの肉体は、一時的に魔力へと変化する。その魔力をもって大魔法を発動させ、世界に新たな概念を追加する」
「そんなことが可能なのか?」
「ワシの持つ魔力と、肉体を構成する魔力を合わせれば可能じゃ。追加する概念は三つ」
一つ、勇者と魔王の融合。
二つ、勇者と魔王は世界に一人だけとする。
三つ、勇者と魔王の魂が共にある限り、老いることも死ぬこともない。
「こうすることで、ワシらがおる限り、次の勇者と魔王は誕生せん。戦う者の代表がおらねば、どちらも好んで戦いには出ん」
「ちょっとまて、二つはわかった。最初の一つ、融合ってなんだ?」
「言葉通りじゃ。お互いの存在を一つとする。正確には、主の肉体に私の魂を定着させる。魂だけでは存在できんからのう。肉体を失ったワシは、一時的に精霊と同質の存在となる。言うなれば、魔王の精霊が勇者である主と契約を結ぶ、ということでもある」
勇者と魔王は対になる存在。
その魂は根本から対極にあり、本来は決して交わることはない。
しかし彼女の魔法によって概念を追加することで、俺たちが一つになることが可能となる。
「あとのことはワシの弟に託してある。幹部にもすでに伝えておいた。この戦いが終わった後、上手くやってくれるじゃろう」
「初めから準備は済ませておいたのか。だったら戦う必要なかったんじゃないか?」
「賭けじゃったからのう。主の返答次第では、また繰り返すことになっておった。が、どうやら賭けには勝てたようじゃよ」
「そうだな」
戦いに勝って、勝負に負ける。
というのはこのことを言うのだろう。
俺は密かにそう思って、可笑しさに笑ってしまう。
「エレンだ。俺のことは勇者じゃなく、エレンと呼んでくれ」
「ならワシはアスタロトじゃ。これからよろしく頼むぞ、エレン」
「ああ、末永く」
永遠に――
聖剣が魔王の心臓を突き刺す。
と同時に、彼女の大魔法は発動する。
世界に新たな概念が追加され、俺たちの戦いは終わった。
勇者と魔王の戦いは、史上初めて完全な決着を迎えたのだった。