2.最悪の気分だよ
歓喜に溢れた王都は、一夜にして静寂に包まれた。
否、静かで悲しき声に。
「おい本当なのかよ」
「間違いない。王族から正式に発表があったんだ」
「嘘だろ。だって昨日まではなんとも……」
「勇者様がお亡くなりになられるなんて……」
昨日、勇者エレンは何者かによって殺害された。
早朝にメイドが血を流し倒れる彼を発見し、その場で死亡が確認されている。
その知らせは同日正午に王都の人々の耳に入れられた。
「一体どうなってるんだよ。誰が勇者様を……」
「暗殺なのか? どこのどいつだ」
「いや、噂じゃ魔王の呪いにかかっていたんじゃないかって言われてるよ」
「魔王め……死んでも俺たちの英雄に牙を向くなんて」
様々な憶測が飛び交う。
なぜ勇者が死亡していたのか。
その理由は説明されていない。
何者かの手によって暗殺されたとも、魔王の呪いによるものだとも言われている。
中にはその死を受け入れられず、襲撃から逃げてどこかで生きているという噂まで聞こえていた。
今や王都中が彼の非業の死を嘆いている。
その雑踏の中を、一人の男がため息をこぼしながら歩いていた。
「……なんだか申し訳ない気分だな」
勇者エレン・ワインバーグ。
俺は生きていた。
人々が涙を流し、どうか戻ってきてくれと天に祈りを捧げる横を。
「本当にごめん」
と呟いて通り抜ける。
誰に見られるわけにも、気づかれるわけにもいかなかった。
俺は全身をローブで、顔をフードで隠して進む。
目指すは王都の外だ。
一秒でも早くこの街を抜けて、静かな場所へ出たい。
いい加減窮屈だろう。
俺も、彼女も。
「もう少し我慢してくれ」
と周囲の誰にも聞こえない声で呟き、俺は駆け足で王都の外を目指した。
すれ違う人々のほとんどが俺の名を呼んでいる。
涙を流し、悲嘆にくれている。
正直心が痛い。
俺がやっていることは、彼らを騙す行為に他ならない。
だけど、こうなってしまった以上、もう後戻りはできないんだ。
できることなら、こんなことにはなってほしくなかったが。
畢竟、後の祭りじゃよ。
「そうだな」
その通りだと、俺に語り掛けた誰かに返した。
◇◇◇
王都は周囲を平野に囲まれている。
見晴らしのいい草原を抜けると、小高い丘がぽつりとあった。
周囲に人影はなく、魔物の気配もない。
穏やかな風が吹き抜ける中で、ようやく俺はひと段落つき、顔を隠していたフードをとる。
「ここまで来ればもう大丈夫だろ」
「――そうか」
今度の声はより鮮明に聞こえた。
甲高い声は続けて言う。
「ならばワシも日の光を浴びてよいかのう?」
「ああ、もちろんだ」
俺の胸元が紫色の光を放つ。
光は胸の前で集まり球体となり、さらに大きくなる。
俺の頭くらいの大きさになってから、ふわっと形を変えていく。
やがて形は人となり、彼女は姿を現した。
「ぅ、うーん! ようやく出られたわい」
年端もいかない少女が大きく背伸びをする。
透き通るように白い肌を日の下にさらし、赤黒い髪を靡かせる。
その瞳は深淵を覗くがごとく深い黒に染まっていた。
「風が気持ちいいのう」
「それはいいから、服を着てくれ」
「ん? なんじゃ? 別に構わんじゃろう? どうせお主しか見ておらんのじゃ」
「俺が見てるから問題なんだよ」
彼女が下着の一つも着ていない。
まるで今生まれたばかりのように。
隠しもせず堂々としている姿はあっぱれだが、正直目のやり場に困るんだ。
「なんじゃなんじゃ? このような少女の裸に興味があるのか? 勇者はロリコンじゃったのじゃなぁ」
「っ、お前なぁ……」
「かっかっかっ! 主はいじると面白いのう」
「からかうなよ。まったく」
俺は自分が来ていたローブを脱ぎ、彼女に投げ渡す。
「っと、なんじゃこれは」
「とりあえずそれで隠してくれ。服はどこかで買おう。俺も女の子の服なんて持ち合わせてないからな」
「持っておったら変態ロリコン確定じゃな。勇者が変態だと知れば人間どもはどんな顔をするじゃろうなぁ~ さぞ悲しむじゃろう。見てみたいものじゃな」
「発想が魔王だな」
「……魔王じゃからな、ワシは」
「そうだったな」
彼女の名はアスタロト。
魔界を統べる王にして、勇者である俺の宿敵。
人間と魔族、互いの存続をかけて雌雄を決した相手……だった。
「じゃが、今のワシは魔王ではない。ただの精霊……主の使い魔じゃ。元とはいえ魔王が勇者の使い魔になるなど、面白いことも起こるもんじゃなぁ」
「俺はもう勇者じゃないよ」
「そうか?」
「ああ、勇者としての俺は死んだよ。昨日、あの場所で……」
王都の街を外から眺める。
改めて見ると大きな街で、たくさんの人がいた。
今はもう、人々の声は聞こえない。
「助かったよ。お前のおかげですんなり抜け出せた」
「礼には及ばんよ。元はワシから提案したことじゃったしなぁ」
「だとしても、あのまま騒動になっていたらより面倒なことになっていた」
俺は彼女の力を借りることで、自らの死を偽装した。
昨日の夜に死んだのは俺ではなく、彼女の魔法で生成された偽物の人形だ。
彼女の魔法は世界一の精度を誇っている。
魔王でなくなった今でもその実力は衰えていない。
あれを偽物だと気づける人間は、今の王都には存在しないだろう。
「ワシのいう通りになったのう。どんな気分じゃ?」
「言うまでもないだろ」
「そうじゃな。聞くまでもなかったわい」
もちろん、最悪の気分だよ。