10.新しい旅の始まり
「ふっふふっふふーん」
「……随分と上機嫌だな」
「まぁのう。お主のおかげで愉快なものも見れたしのう」
「くっ……絶対にいつか仕返しするからな」
悔しさに唇をかみしめる俺を見て、期待しておるのじゃ、と余裕を見せるアスタロト。
服屋を後にした俺たちは商店街を歩く。
新しい服を着てルンルン気分で跳ねるように歩く彼女の後ろを、とびとぼと歩く姿は、周囲にはどう映っているのだろうか。
「あの子可愛い~ お人形さんみたーい」
「後ろの男なにあれ? なんか怪しい……」
「どうしてこうなった」
「かっかっかっ、仕方あるまい。今の主を勇者だとは誰も思わん」
今さらながら、アスタロトは目立つ。
服装もそうだが、その容姿が独特だからだ。
少女の見た目でありながら、どこか大人びた雰囲気も合わせもち、赤黒い髪は作り物みたいにきめ細かい。
肌も病気を心配するほど白くて綺麗だ。
俺の目から見ても、彼女の容姿は人の気を引くだろう。
元魔王であることを知らなければ、俺も見惚れてしまっていたかも……。
「なんじゃ? ワシに熱い視線を向けて……欲情でもしたか?」
いや、ないな。
絶対にありえない。
俺は少女趣味の変態じゃない。
第一こいつの人を馬鹿にした性格は好きじゃない。
誰がこいつなんかを好きになるか。
「そうとは限らんぞ? 案外ころっと気変わりするかもしれん」
「っ、お前また俺の思考を」
「わかりやすいのう、主は。そういう素直なところ、ワシは好きじゃよ」
「――!」
闇すら呑み込みそうな深い瞳に見つめられる。
好きと対面でハッキリ言われたのは生まれて初めてだった。
だから動揺したんだ。
断じてときめいたわけじゃない。
「本当にからかい甲斐のある男じゃな。ん? なんじゃ? いい匂いがするぞ」
「ああ、この辺りは飲食店が多いみたいだな。そのせいだろ」
適当に歩いていた俺たちは、いつの間にか飲食譚が多く並ぶエリアに入っていたらしい。
先ほどまでとは代わり、人通りは少し減った。
その代わりいい香りが道に広まって、ここにいるだけでお腹がすく。
「そういえば王都を出てから何も食べてないな」
思い出したように腹の虫が鳴り始める。
一度空腹に気づいたら我慢なんてできない。
「何か食べるか」
「賛成じゃ!」
アスタロトも元気よく返事をした。
彼女もお腹が空いているらしい。
何か希望はあるかと聞いたら、なんでもいいと答えられた。
その回答が一番困るんだが、運よく目の前にレストランを見つける。
「ここにするか」
「うむ」
店を決めて中へと入る。
店員に案内され、外が見える窓際の席に座る。
メニューや店の雰囲気を見る限り、昼はレストラン、夜は酒場をやっているみたいだ。
こういう店はボリュームもあっていい。
ちょうどお腹がペコペコだし、多めに頼むことにした。
ニ十分後――
「美味いのう! これもう一皿追加じゃ!」
「……よくそんな食べるな」
アスタロトの食べっぷりに圧巻する。
俺も食べるほうだが、彼女は俺の五倍は平らげている。
その小さな身体のどこに入るのか……魔王だからか?
「食事をしたのも久しぶりじゃ!」
「そうなのか?」
「うむ。魔族も上位のものは食事を必要とせん。魔力さえ回復すれば生きられるからのう。食事はあくまで娯楽じゃった」
「へぇ~ ちなみにいつぶりだ?」
彼女は食べながらうーんと首をかしげて。
「三百年ぶりかのう」
「人間には真似できないスケールだな」
さすが元魔王だ。
豪快な食べっぷりも、魔王らしさの一つだと思えてくる。
「ぷはー食べた~ 満腹じゃ」
「ごちそう様」
最終的に彼女は一人で、大人が食べる量の十倍は平らげた。
食べた後の幸せそうな表情には人間味を感じるが、食べた量は化け物だな。
「食事はよいのう。魔王だった頃は、こうしてのんびり楽しむ時間もなかったから気付かなかったが……うむ、悪くない」
「それはよかった」
「なんじゃ? 主の口には合わんかったか?」
「そんなことないよ」
俺は窓の外を見つめる。
安心しきった顔で街を歩く人たち。
少し前までは見られなかった光景が広がっている。
「俺も……気付けなかったなと思ったんだ」
「何じゃ?」
「いろいろだよ。見ているつもりで見ていなかった。街の人たちの表情とか、景色とか」
改めてみると、いろんな顔を見せてくれる。
笑っている人もいれば、悲しんでいる人もいて。
街の景色も同じに見えて、三年前とは変わっている。
その変化を見ていると、不思議な気持ちになるんだ。
「他は……どうなってるのかなぁ」
俺がかつて訪れた街や場所。
時間が経ち、どう変化しているのだろうか。
変化していないのだろうか。
一度気になると、もっと気になってしまう。
それだけじゃなくて……。
「アスタロト、お金渡すから払っておいてくれるか?」
「ん? ああ、よいぞ」
俺は早々に席を立ち、店を出る。
向かったのは店の向かい。
道端で足を怪我した少年が泣きながらしゃがんでいる。
「痛いよぉー」
「だから言ったでしょ? 走ったら危ないって」
母親も困っていた。
「大丈夫ですか? ちょっと見せてもらえませんか?」
「え?」
俺はしゃがみ込み、少年の怪我を見る。
すりむいて血が出ているだけだ。
これくらいならすぐ治る。
「――来てくれ。エアリア」
右手に召喚したのは淡い緑色の光を放つ短剣。
短剣の光は少年の傷を癒し、すぐに消える。
「治った……?」
「これで大丈夫。もう痛くないだろ」
「ありがとうお兄ちゃん! お兄ちゃん魔法使いなの?」
「さぁ、どうだろうね?」
俺はニコッと微笑み誤魔化す。
今のは癒しの聖剣エアリア。
俺は複数の聖剣を所持していて、返却したのは国の宝であるエクスカリバーだけだ。
他の聖剣は今でも俺の中にある。
「もう転んじゃ駄目だぞ?」
「うん!」
そう言って少年は母親と手を握り去っていく。
母親は何度もお辞儀をしてくれた。
「もの好きじゃな。助ける義理などなかったじゃろうに」
そこへアスタロトがやってくる。
俺は背を向けたままだが、何か言いたげにニヤニヤしているのがわかる。
「言われるまでもなくわかってるよ。だけどやっぱり、困っている人は放っておけない。勇者の肩書は関係なくね」
「知っておるよ。主はそういう男じゃ。故に勇者じゃった」
「そうだな……アスタロト、俺もやりたいことが見つかったぞ」
「ほう? なんじゃ?」
俺は振り返る。
「旅をしようと思う」
「なんのために?」
「いろんなものを見たいんだ。改めて、この世界を見てみたい。今まで気づかなかった物を、ちゃんと見たい。それから……困っている人がいたら助けたい」
「かっかっ! 主らしいのう」
俺らしい……か。
その通りだ。
自分でもしっくりくるほど、今の答えは俺の本心だった。
「ワシもじゃよ。ワシは魔王じゃった。故にあの城からほとんど出ておらん。知らぬもの多くある。その全てを見たいと思っておる」
「じゃあ、同じだな」
「うむ」
勇者と魔王。
異なる道を歩んだ俺たちが今、同じ方向を向いている。
これも一つの変化。
他にも世界には、たくさんの変化が起こっている。
俺はそれを、自分の目で確かめたい。
それが俺の……。
いいや、俺たちの新しい旅だ。