2-6
◆ツヴァイ近くの鉱山
その部屋は奇妙な部屋でした。
真四角な部屋の壁には透明な扉が取り付けられた棚が並んでおり、その棚の中には一抱え程の透明な瓶が並んでいました。
いくつかの瓶は割れてしまっていましたが、無事に残る瓶も中身は入ってないようでした。
いや、違います。
1つだけ中身の入っている瓶がありました。
それは人間の脳みそでした。
奇妙な緑色の薬液に浸され何本かのケーブルが瓶上部の機械に伸びていましたが、確かに形は人間の脳みそだったのでした。
それを見て確信します。
先ほどの部屋で見た資料………永遠を生きる方法に書かれていたのはこれなのだということに。
そしてその方法を使って永遠を生きている何者かがこの脳の持ち主なのでしょう。
私はゆっくりとその瓶に近づきました。
しかし、特に反応はありません。
棚には擦れた文字で保管庫と書かれていることからこの瓶だけでは意思疎通はでき無いのでしょう。
「これはどうしましょう?」
そう口にするも答えてくれる人はいません。
私は恐る恐るその棚の扉を開けて瓶を取り出しました。
ずしりとした重さが手に伝わります。
じっくりと観察するが見れば見る程奇妙な感覚に襲われます。
まるで人間の脳のホルマリン漬けを見ているようでした。
私は瓶をよく観察しました。
その瓶は上部と下部に機械らしきものが取り付けられていました。
上部の機械はケーブルで内部の脳みそに繋がっています、下部の機会には何やらコネクタらしきものが取り付けられていました。
「………あれ?このコネクタって。」
私はある考えに思い至りその瓶を持って部屋をでて、先ほどまで資料を読んでいた部屋まで戻ってきました。
机の上に飛び乗りそこに置かれた機械を観察します。
間違いなく瓶の下部についているコネクタに対応していました。
私はゆっくりと脳の入った瓶をその機械の上に乗せます。
その瞬間………。
―ブォン
突然機械が動き出しました。
壁に取り付けられたディスプレイが光だしある映像を映し出します。
それは若い男性の姿でした。
「ん、んん?ずいぶん寝ていた気がするけどどうなってるんだ?」
突然ディスプレイに内蔵されたスピーカーからそんな声が聞こえました。
画面の中の男性が困惑したような表情をしていることから、この人がしゃべっているようでした。
「誰の姿も見えないし………おーい、だれかー?」
男性がそう声をかけます。
どうやら画面の向こうからでもこちらの姿が見えているようでした。
恐らくカメラか何かが取り付けられているのでしょう。
「だれかー?いませんかー?」
その声には誰も答えません。
当然です。
この場に答えられるのは私しかいません。
私は意を決して声を出しました。
「はい。」
「ん?今人の声が聞こえたな?どこにいるんだ?」
「ここです。机の上にいます。」
「はて、机の上?おお!!吃驚した!!え?スライム?」
男性が私の姿を確認して驚愕の声を上げます。
「はい。スライムです。」
「はへー、この施設にスライムがいるとは思わなかった。して、声からすると嬢ちゃんで良いのかな?嬢ちゃんが俺を機械につないだのか?」
男性は訝し気に私を見ながらそんなことを聞いてきました。
その表情は何やら警戒している様に見えました。
「はい、そうです。」
何に警戒しているかは分からないが私には関係ありません。
だからこそ私は正直にそう言うのでした。
「なんで、俺を機械に繋いだんだ?いや、それ以前に施設の人はどうした?」
「施設の人間ですか?」
「いや、人間に限らずこの施設には多くの人がいたはずだぞ?その人たちはどうしたんだ?」
彼が何を言っているのか分かりませんでした。
私がこの坑道に入ってから人なんて言うのはプレイヤーぐらいしか見てきませんでした。
何よりモンスターが跋扈しているこの坑道にそんな多くの人がいるとは思えません。
私は訳が分からず聞き返します。
「特に人は見ていませんよ。」
「そんなわけないだろう!この施設はミスリル生産の重要拠点なんだ!そこに人がいないわけないだろう!」
彼は怒鳴るよううにしてそう言いました。
ああ、今の言葉で何となく分かりました。
ミスリル生産の拠点として動いていたのは大昔の話です。
彼はその当時から記憶が飛んでいるのでしょう。
先ほど言っていた様に長い時間眠っていたことで………。
私はそれを指摘するために口を開きます。
「ここに残された資料からの推測になりますが、ここがミスリル生産の施設として動いていたのは大昔のことになります。何があったかはわかりませんが今では人はおらずこの坑道も大部分が崩落して使えなくなっています。」
「な!?」
「ついでに言いますとあなたと同じ立場の人間も残っていないかと思います。隣の保管庫に残されていた瓶詰の脳はあなた1人だけでした。」
「え、えあ。なんで?」
彼は困惑したような声を上げ頭を抱えています。
その表情は絶望に染まっていました。
仲間がいないと伝えられればそうなるでしょう。
私は彼が落ち着くのを待ちました。
「***神はどうなったんだ?」
落ち着きを取り戻したのか、彼がそんなことを呟いた。
私は一部聞き取ることができずに聞き返す。
「なんて言いましたか?」
「***神はどうなったんだ?」
「すみません一部が聞き取れないようです。神様の名前でしょうか?」
「な、ふざけるなよ!?***神だ!!この施設を作るうえで尽力いただいた神様だぞ!!」
何度聞いてもその神様の名前を聞き取ることができませんでした。
しかし、それを置いておき彼の言葉を考えます。
神が施設を作るうえで尽力したのですか?
それは何かおかしなことのように聞こえました。
いや、可能性はあるのでしょうか?
この世界ではかつて神が地上を闊歩していました。
その当時の施設なら神が関わっていることもあるのでしょう。
しかし、今では………。
「申し訳ありません。落ち着いて聞いてもらってもいいでしょうか?」
「なんだ?」
「恐らくこの施設が動いていたのは私たちが神代と呼んでいる時代のようです。もう、何十万年も昔の話になります。そして神が地上を闊歩していた神代はもうすでに終わりを迎えております。」
「何だよそれ………。」
困惑する男性に私はこの世界の神話の話をしました。
かつて旧き神と新しき神が戦争を行ったこと。
新しい神が勝利したもののこの世界の外に行ってしまったこと。
彼は沈痛な面持ちでその話を聞いていました。
「………以上となります。」
全て説明した私はそう言って話を終わらせました。
男性は目を瞑り天を見上げます。
それは何かを思案しているようでもあり、それでいて何かを祈っているようでもありました。
そうしている彼を私は見つめ続けていました。
しばらくして気が済んだのか私に向き直り口を開きます。
「ありがとう。話してくれて。」
「いえ、お役に立てたのなら幸いです。」
そう口にする彼の表情は晴れやかなものでした。
色々と気持ちの整理はついていないだろうにそれでも前を向こうとする姿勢が素直に眩しく感じました。
私がそんなことを考えていると男性が口を開きました。
「それで、嬢ちゃんは何でこの施設に来たんだ?」
「私ですか?特に理由はありませんが、あえて言うなら道があったからでしょうか?」
「何だよそれは。くくく。」
そう言って男性は笑いました。
確かに自分のことながら可笑しいとは思います。
時間と手段があったからやってみましたなんて目的が欠如してしまっているではないですか。
だからこそ私も一緒になって笑うのでした。
しばらく笑うとまたも男性が口を開きます。
「何か目的があって来たのなら手伝ってやれると思ったのだがな………。」
「手伝いですか?それでしたらこの施設で見つけた資料について質問してもいいでしょうか?」
「おお、いいぞ。俺に答えられることならな。」
私は先ほどの資料を頭の中で思い浮かべます。
まずは………。
「この施設では銀からミスリルを生み出しているようですがどうやって行っているのですか?」
「うん。俺は魔法使いじゃないから詳しいことは分からないが、あいつらが星神結晶と呼んでいる石があるんだ。その石に特定の魔法を使うと銀を上位のミスリルに変換することができるらしい。星神結晶については詳しいことは分からないが、魔法についてはそこの本棚にある魔術書にまとめられていたはずだ。」
男性はそう言うと部屋の隅に置かれた本棚を指さしました。
確かにそこには何冊かの本が納められています。
状態もこの部屋にある他の資料よりはよかったが私には何が書かれているのか分かりませんでした。
しかし、そんな重要なことが書かれているならあとで持ち出すことも検討しましょう。
「他にはないか?」
質問に答え終えた男性が私にそう聞いてきました。
私は次の質問を口にします。
「はい。神に至るという資料を見つけたのですが、これは銀をミスリルにする魔法で神に至ろうとしたということで良いのでしょうか?」
「ああ、その認識で間違いない。」
「これは上手くいったのでしょうか?」
「俺が知っている範囲では2回実験を行って2回とも失敗している。その実験結果から分かったのは星神結晶と魔法以外にも何か神に至るための要素が必要であるということだった。済まないがそれ以降の実験については知らないんだ。」
「そうですか。」
私は少し落胆します。
もしかしたら強くなれるかもしれないと思っていたからです。
しかし、そんな簡単な話ではないようです。
「他にはないか?」
再び男性がそう聞いてきました。
私はしばらく考えて「もうありません。」と答えます。
「そうか。こっちからも1つお願いしてもいいかな?」
男性が神妙な顔つきでそう口にしました。
私は色々と知れて気分が良かったので「何ですか?」と安直に聞き返してしまいました。
「俺を殺してくれないか?」
男性の言葉を聞いて私は一瞬思考が止まります。
何を言って言っているのでしょう?
殺す?
誰を?
この男性をです。
プレイヤーではない人を殺せばどうなるのでしょう?
当然復活なんてできないでしょう。
つまり永遠にお別れすることになるのです。
何故そんなことを………。
「何でですか?」
私はそう男性に聞き返していました。
「この世界にもう俺の居場所はないのだろう。だから安らかに眠りたいんだ。」
そう口にする男性の表情は悲痛に満ちていました。
その顔を見て私は止めることなどできません。
しかし………。
「本当に良いんですか?死んだら終わりなんですよ?」
「良いんだ。この世界に希望はない。終わらせてくれ。」
私は悩み続けていました。
プレイヤーではない人を殺すなど初めてであるからです。
こんなことが許されるのでしょうか?
しかし、男性はそれを望んでいます。
ならば………。
いや、それは自殺幇助に他なりません。
良くないことなのではありませんか?
しかし、現代とこの世界では環境が違います。
男性を取り巻く状況だって特殊なのです。
彼にはともに笑える仲間がいないのです。
ならばいっそのこと………。
私は意を決してナイフを取り出しました。
それを見た男性が口を開きます。
「ありがとう。最後にこの部屋を出て右手側の坑道を進むと星神結晶を収めていた術室がある。もう何もないかもしれないが最後に見てみると良い。」
「分かりました。最後までありがとうございます。それではお元気で。」
「ああ、君も息災でな………。」
男性のその言葉を最後に私はナイフを振るいました。
彼の脳が納められていた瓶は砕かれ中身の脳は無残に引き裂かれました。
私はそれを見つめて悲観に暮れるのでした。
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