6、名前
「フィー!フィオナ!!」
小鳥達がさえずりを始める気持ちのいい朝。
お兄さまの、叫びにも近い私の名を呼ぶ声がする。
うるさいなぁ…と、その声を遮るように布団を頭まで被る。
…あれ、このやりとり前にもやったことある気がする。
今度こそ私は何もやってない。絶対にやってない。その声を遮るように、布団を頭まで被った。
「さっさと支度をしろ!」
バーンと大きく扉が開かれる。
布団からそろりと覗くと、お兄さまの後ろに侍女が控えている。
また止めてくれなかったのね…。私の味方はいないのか。
「まだ支度する時間じゃないですぅ」
いつもならまだ寝ている時間だ。
それに今日は、どこかに出かける予定もなかったはず。
お兄さまの気まぐれに付き合う気はないと、再度布団にくるまったのだが。
「あぁ、私のお布団っ!」
容赦なくお兄さまに剥がれてしまう。
「とにかく、さっさと準備しろ。なんなら俺が代わりたいくらいの羨ましいお誘いだぞ」
「は…?今日はなんの予定もないはずじゃ」
「フィオナ様、失礼致します」
「ちょっとエマ!?」
私の侍女エマは、私を起こして強引に服を脱がしてこようとする。貴女そんな強引な性格でしたっけ?それにまだお兄さま部屋にいるんですけど!
「分かった!支度するからお兄さまは出てって!」
いくらお兄さまでも、着替えを見られるのは恥ずかしい。
私の言葉に自分の状況がわかったのか、悪い!と謝ってすごい勢いで部屋を出ていった。
入ってくる時といい出ていく時といい、ドアは丁寧に扱って欲しいものです。
私がドアを見つめている間にも、エマはテキパキと支度をしていく。そして彼女の手にあるドレスに、違和感を覚えるのである。
「…あの、エマ?私、そんなドレス持ってたかしら?」
しかも、普段着にするには華やかすぎるし、かといってパーティー用にするにはシンプルすぎる。
今日は一体なんの予定があるのか。漠然と嫌な予感がする。
「いいえ、先日仕立てたものです」
「なぜ!?」
「もう直分かりますよ」
分かりたくない。どう転んでも、嫌な予感が的中しそう。
髪型も、ハーフアップをちょっと凝った形にして毛先をくるくると巻かれる。ただのお出かけでこんな髪型はしたことがない。
「エマ…私、気分が悪くなってきたわ」
「元気だけが取り柄のフィオナ様が何をおっしゃいますか」
「失礼」
手際よく化粧も施され、着々と仕上げられていく。
これは、お兄さまとエマがグルだと思っていいんだろうか。いや間違いない。
「できました。気になるところはございませんか?」
「これから私がどうなるのか気になる」
「では参りましょうか」
「エマが冷たい…」
エマに促されるまま泣く泣く1階に降りると、お兄さまを始めお父さまお母さまも、これからお茶会にでもお出かけですか?と問いたくなるくらい身だしなみがしっかりされていた。
「フィー、失礼のないようにね」
「まさかあのフィーがねぇ」
意味深な発言と、外から聞こえてくる馬車の音。
お兄さまとエマだけでなく、家族ぐるみで何かを企んでたようだ。
「失礼します。ロイシュタイン公爵家の方がいらせられました」
「私、やっぱり体調がよくないようで…」
談話室に入ってくる執事であるギルの言葉に、私の予感は的中したことを悟る。
しかもロイシュタイン公爵ですか…。
私の体調不良を聞いてくれる人はおらず、あれよあれよという間に連れ出されて馬車の中に放り込まれてしまう。ロイシュタイン公爵家の紋章が付いた立派な馬車だった。
そしてにこやかに家族総出でお見送りされる。お兄さまに関しては、「しっかり目に焼き付けてこいよ」とのお達しまで出た。
手のひら返しが酷い。
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「…私に何か御用がございまして?」
ガタガタと揺れる馬車の中にいたのは先日も会ったロイシュタイン様の執事。一向に喋る気のなさそうな雰囲気に耐えきれず尋ねる。
前回と同様ニコニコ笑顔ではあるのだが、ここまで来ると何を考えているのか分からず逆に怖い。
「先日ご連絡した通り、ロイシュタイン公爵家にご招待するためメラレイア様をお迎えに上がった次第でございます」
「へぇ…」
つまりロイシュタイン公爵家から何かしらの連絡があったのだろう。
私はそんなの聞いてない。意図的に隠されていたということか…。
気のない返事をしてしまい、気を引き締めるようにぐっと眉を寄せる。
「ただいま公爵家庭園の薔薇が最盛期にございますので、メラレイア様を是非に、と」
「フィオナで結構です」
「そうですか?では、フィオナ様とお呼びしますね」
家名で呼ばれると色々ややこしい。
そして心の中で頭を抱える。これは、あれか。もしかしなくても、目をつけられてしまった気がする。
体質改善の心得でもあると思われているのだろうか。こんな一介の伯爵令嬢が、そんな力をもっているわけないじゃないか。
「そういえば、貴方の名前はなんというのですか?」
ずっと執事というのもなんだかなぁと思うし、ここまで関わってくるなら多少は親交を深めてもいいのではないだろうか。そう考えての質問だったのだが。
執事の方はそうではなかったらしい。
「わたくしのことはただの執事とお呼びください」
ただの執事ってなんだ。
名前がないわけではないだろう。やはり、ロイシュタイン公爵家にとって私は、まだ気は許せない存在なのだろうか。
そんな私の考えをどう汲み取ったのか、執事は笑みを深くして言った。
「断罪する気はないので、そんなに身構えなくても大丈夫ですよ」
「それは申し訳なかったと思っております」
根に持っていらっしゃった。