32、もう一度
「ローザリアにしてやられました……」
馬車に戻って早々、ヴィンセント様は腕を組んで遠くを見つめる。
あの時、釈然としないような顔をしていたのはそのためか。
ローザリア様が一芝居打ってくれたお陰で円満解決……となったはずなのだが。その一芝居のインパクトが強すぎて、ヴィンセント様の断りの言葉はどこかに消えたらしい。不思議と、ローザリア様がヴィンセント様を振ったような構図が出来上がっていた。
そんなわけで、このままヴィンセント様がパーティーに参加してしまうと、他の参加者に誤解されてしまう可能性もあるからと、丁寧に侯爵邸から見送られたのだ。
私たちを見送るローザリア様は大変笑顔で、手まで振ってくださった。何処までが計画通りだったのかは分からないが、なんとなく、ローザリア様は笑顔でパーティーに参加しているような気がする。
「ほんとうに、良かったのですか?」
「ローザリアも、私との婚約は望んでないと言っていましたからね」
「そうではなく……その、ヴィンセント様が」
「私ですか?」
どうして自分に話が飛んできたのか分からないというように、首を傾げる。
ローザリア様はあまり乗り気ではなかったようだし、それはそれでいいのだ。本人にとってはどちらでもいい話など、お芝居を楽しんで優雅にお茶を飲んでいてもおかしくない。
問題なのは、ヴィンセント様側にとっては私が関わっていそうなこと。
社交界で知らぬものなどいないほどに囁かれていたアデレイド侯爵令嬢とロイシュタイン公爵閣下の結婚ないし婚約の噂。時間の問題だろうとすら言われていた話を、一介の伯爵令嬢のせいで壊れたなどと噂がまわってしまったら。ヴィンセント様にはかなりの迷惑がかかることだろう。
責任の荷が重すぎる。
「このパーティー、私を連れてこない方が良かったのでは……」
そうすれば、お互いに話し合いの上で婚約に至らなかった、というだけでおわったはずなのに。
侯爵邸から送り出されるとき、少なくはあったが何名かは到着しているようだった。私があの場にいたことを見ている人がいたら。周囲から見える状況は変わってくることだろう。
先程の発言と併せて、地に頭をつき謝り倒したいが、馬車の造りはそこまで考えられてはいない。祈るように手を合わせて、身を縮こまらせるのが精一杯である。
僅かな間の後、乾いたため息が降ってきた。
「あなたは、いつもそうですね」
普段とは違う声に、頭から冷水を浴びせられたように思考が停止する。
「あなたは、私のこの気持ちは間違いなのだと、否定し続ける。気付かないふりをする」
恐る恐る視線を上げる。
ヴィンセント様はただ真っ直ぐに私を見つめていたが、その瞳に怒り等は感じられなかった。言うならば、そう、悲痛めいた面持ちだった。その表情には見覚えがある。人ならざるモノがいるということを伝えても誰にも理解して貰えない、否定され続けた時の私の表情と似ている。
私はただ呆然と、ヴィンセント様を見つめることしか出来ない。これ以上何かを言えば、壊れてしまう気がしてしまったからだ。黙った私をどう受けとったのか、ヴィンセント様はそのまま言葉を続けた。
「確かに、私はフィオナ嬢に触れられて身体が軽くなったことからそれを恋だと思いました。身体の変化だけで決めつけるのは尚早だと言われ、その考えも一理あると、あれから何度も考えました」
「はい」
「今は前ほど疲れを感じませんし日に日に良くなっています。もう精霊の影響はほとんど受けていないでしょう。しかし、フィオナ嬢が傍にいれば身体は軽くなるし落ち着くんです。貴女がケーキを前にした時に初めて見せたあの笑顔も忘れられません。私が、貴女をあんな笑顔に出来たらと考えてしまうんです」
まるで縛られたように、私を見つめてくるアメトリン色の瞳から視線が外せない。
「私の体調の改善のためだけだと思われても仕方のないことかもしれません。けれど、決してそれだけでフィオナ嬢を行儀見習いとしてそばに置いていたわけではないのです」
立て板に水。すらすらと何の躊躇いもなく並べられる言葉に、「あの、え?」と声を出すのが精一杯である。
理解など出来ていない。
いや、ヴィンセント様の言うように、理解出来ないふりをしているだけなのかもしれない。それを受け入れてしまったら、もう戻ることは出来ないのだから。幼い頃の経験から学んだ、唯一の、精一杯の、私自身を守る手段だったから。
それなのにこの人は――。
「私が、フィオナ嬢のそばにいたいと――愛しいと、思っているのです。フィオナ嬢が嫌というならば無理強いはしません。ですがどうか、私の心まで否定しないでください」
私の人生をかけて作り上げた壁を、いとも容易く壊したのだ。並大抵のことでは崩れるはずがないと思っていたのに、慈愛めいた言葉で撫でられるだけで、こんな。
しかも崩されたのは、それだけではなかったらしい。頬に暖かい何かが伝い雪崩落ちてくる。
その反応は流石に予想外だったのか、表情は一転、ぎょっとしたように目を剥いた。
もう、初めて会った時とは何もかもが変わってしまった。
ヴィンセント様の足に満足気に擦り寄る犬型精霊に視線をやる。
物心ついたときから視えていた、正体不明の黒いモノ。名前を持たない状態でいられる恐怖から、人ならざるモノと呼ぶようにしていた。害があるのかないのかも分からない。けれどそれが今は、人間と共に生きようとする精霊だと知った。
埋もれるほどに人ならざるモノに囲まれて、常に顔色の悪いヴィンセント様だったが、今は足元や肩のあたりにちらほらといる程度。噂される程に悪かった顔色など、今は見る影もない。整った血色の良い尊顔がはっきりとある。
そして何より――。紫の瞳を持ち、他の人には見えない人ならざるモノが視えるために、普通の人として生きることが出来なかった私は。他の人とは違うのだと知ってなお、理解をしようとしてくれる人。愛してくれるという人と、出会ってしまった。
抱えきれない程の宝物が、私の周りには出来上がってしまったのだ。
「私は、ヴィンセント様を愛してもいいのですか?」
投げかけた質問に、ヴィンセント様はややたじろいだように目を泳がせる。しかしそれも一瞬で、すぐに言葉が返ってきた。
「いいか悪いかを決めるのはあなたです。導き出した答えを誰も責めたりはしません。――もちろん、私としては愛していただけた方が嬉しいですが」
「……それなら、」
息を吸い込んで、吐いた。
ユーリア様の言う、欲望に忠実になってみてもいいのだろうか。
「それなら、私は。いえ……私も、ずっとヴィンセント様の傍にいたいと、思っております」
「……」
「ヴィンセント様?」
呆けた顔をしていたがそれも一瞬で、色白の肌がみるみるうちに赤く染まっていった。
(え)
なんだ、その反応は。
「今、とても貴女に触れたい気分なのですが……いいですか?」
「え? あっ、その……だ、だめです!」
「そっ、そう、ですよね……私は、失礼なことを……」
目に見てわかるくらいに、ヴィンセント様が落ち込む。若干涙目にすら見えるのは、錯覚だろうか。
なにか、あらぬ誤解をさせてしまったような気もする。
慌てて両手と首を振った。
「違うんです。ヴィンセント様が嫌という訳じゃないんです。実は、ローザリア様を探し出すために、精霊と約束をしてしまいまして……」
「……約束、ですか?」
「はい。後で謝らなくてはと思っていたのですが……・。その内容が、ローザリア様を見つけてくれる代わりに、一日ヴィンセント様の側にいていい、というような条件でして……」
今も、犬型精霊は満足げにヴィンセント様の足元に座っている。
「なるほど。あの時の言葉は、そういうことだったのですね。私を人質にしたと」
「ひとじ……そういうことに、なりますかね……」
ヴィンセント様は、両手で顔を覆ってうつむいた。
「あなたが精霊と交わした約束が憎い」
「も、申し訳ございません……。ローザリア様を何としてでも見つけなければという思いでいっぱいで」
「まぁ、そういう事なら仕方がないですね。あなたがいなければ、ローザリアを探せなかったでしょうし。むしろ、精霊との意思疎通は可能で、人を見つけだす力があるという新しい発見じゃないですか」
「言われてみれば確かに……」
「その精霊は、今も私のそばにいるんですか?」
「はい。ヴィンセント様の足元に座っています」
犬型精霊がいる場所を指さすと、ヴィンセント様の視線がその先を追ってたどり着く。
視線を犬型精霊に向けたまま、にっこりとほほ笑んだ。精霊にもそれは伝わるらしく、パタパタと尻尾が揺れる。
「ローザリアを見つけてくれて、ありがとうございました」
「あ、嬉しそうです」
「少しだけ、フィオナ嬢に触れてはいけませんか?」
「……すっごく嫌そうな顔をしてます」
眉間にこれでもかというほど皺を寄せて、「ふざけるな」とでも言いたげに鼻を鳴らした。
犬って表情豊かなんだなぁと思って見ていると、正面からも堪えるような笑い声が聞こえる。顔を上げれば、ヴィンセント様がクスクスと肩を震わせていた。
「どうしたんですか?」
「フィオナ嬢がいると、こうして視えない精霊とも会話ができてしまうのが不思議だと思いまして」
なるほど。言われてみれば確かに会話をしていたのかもしれない。
私しか視えていなかった世界だったのに、違和感なく精霊に話しかけるものだから、自然とヴィンセント様へと伝えてしまった。私もなんだか不思議な感じだ。
「貴女に出会えて良かったです。ありがとうございます」
「そんな……」
「これからも、よろしくお願いします」
公爵邸へと帰る馬車の中で、なんだか擽ったいような嬉しいような、そんなやり取りをしたのである。
お互いにはにかんでいる視界の端で、犬型精霊の尻尾がパタパタと揺られていた。




