28、事件
「ロイシュタイン公爵閣下、ようこそおいでくださいました」
一度引き受けてしまったものは仕方がない。女は度胸というように、綺麗なドレスを纏って、ドレスより少し濃い水色の輝かしい宝石を身につけて。
私は、アデレイド侯爵家へと連れられてきていた。
侯爵邸の屋敷内に入ると、アデレイド侯爵夫妻は笑顔でヴィンセント様を出迎えた。しかし、少し顔が青いというか落ち着きのない様子である。屋敷内を見る限りはパーティーの準備も整っているようであるため、早く到着しすぎてしまったからという理由ではなさそうだ。
不可思議な状態が引っかかりつつも、ヴィンセント様と私は夫妻に挨拶を済ませる。
ここに足を踏み入れた時から気付いてはいたが、あまり私は歓迎されていないように見える。だが、それもそうか。娘の婚約者(候補)の周りをウロウロする女なんて気に食わないに決まっている。
ヴィンセント様には気付かれないようにしているらしいが、私が感じてしまう気まずい雰囲気に視線を下げることしか出来ない。
少し微妙な間が空いた後、侯爵夫人は深刻そうな声色でヴィンセント様に訴えた。
「公爵閣下、お恥ずかしながら、一つ問題が起こっておりまして……」
「問題……ですか?」
ヴィンセント様はやや眉を寄せ、侯爵夫人へと身体を向けた。かくいう私も、侯爵夫人の話に耳を傾けるのだが。
そんな私の動きをうっとおしそうに一瞬見やるが、すぐにヴィンセント様の方へ視線を戻した。なるほど、かなりの緊急事態なのかもしれない。
「どこを探しても、ローザリアの姿が見当たらないのです。もうすぐパーティーが始まる時間だというのに……」
本当に困ったというように、頬に手を当てため息を吐いた。
まさか、主役であるローザリア様がいない?
一体どういう事だろうか。
主催者側の人間が、しかも主役になり得る人間が、当日に行方不明になるなど絶対にないことだ。出席者が集まっているにも関わらず、主催者がいないとなればその家の信用問題にもなってくるからだ。
娘であれば多少は誤魔化しが効くかもしれないけれど、あくまでも多少である。終始姿を表さなければ、誰かしらが突くだろう。開催の目的が娘の婚約発表なら尚更。
侯爵夫妻は私の存在など気にする様子もないので、視界の邪魔にならない程度に視線と首を振って状況を確認する。
手紙の内容や侯爵夫妻のことを考えても、パーティーの準備は抜けなく完璧にしているはずだ。なんなら、早めに準備を終えて今か今かと待っていた可能性も高い
。
つまり、ローザリア様のことは、ヴィンセント様の気を引くためではない、想定外のことが起こったと認識した方がいいのかもしれない。
(それは……かなりまずい状況なのでは?)
ヴィンセント様に助けを求めるのも当然だろう。
考え込む視界の端で、黒い犬がとことこと歩いてきて、鼻をひくつかせて床のにおいをかいだり、ヴィンセント様の足元をくるりと回ったりしている。
お茶会の時とは違う犬だろうか。
精霊を見分けることは難しいが、今はそれは置いておくべきだろう。
じっと黒い犬を見つめていると、私の視線を感じたのかふと足を止め、顔をあげて鼻を鳴らした。こうして見ると、動きなどは随分と犬らしい。
私はふと、ありえない仮定を思いついてしまった。
「あなたは、人探しは得意?」
侯爵夫妻には聞こえないように囁くような声で、近くまで歩いてきた黒い犬に訊ねる。彼はあくまで精霊。言葉は何となく通じたりもするようだが、動物の犬と同じ造りなのかは不明だ。犬のような嗅覚でなくとも、精霊の不思議な力を貸してはもらえないだろうか。
犬型精霊は、ぴんっと耳は立てたものの、特に動く気配は感じられない。けれどきっと、私の言葉は聞こえているし、理解もしている。
何かご褒美でも出したら動くのだろうか。そんな都合のいい話はあるのか。
こんなこと考えている場合ではない。ローザリア様がピンチかもしれないのだ。できることは試すべきだ。
何をしたらいい。
ご褒美は何がいい。
宝石?いや、精霊達は宝石を付けられない。
お菓子?まさか、精霊は人間の食べ物を食べたりするのだろうか。
違う、精霊が喜びそうなもの。私にとっての、お菓子のようなもの。
(……私にとっての、お菓子?)
侯爵夫妻の説得を受けているが、心当たりはないのか困り顔のヴィンセント様を、勢いよく振り返る。突然の動きにに気付いたのか、ヴィンセント様は侯爵夫妻の話を耳に入れつつ、私の顔を訝しげに眇めた。
一か八か。
自分には関係ないことと踏んでいるのか、後ろ足で首を掻き、欠伸までしている犬型精霊。あなたに、取っておきのご褒美をあげようじゃないか。
「ねぇ」と呑気な犬型精霊に囁く。
「ローザリア様を探してくれたら、ヴィンセント様を一日貸してあげる」
えっ、という声は、ヴィンセント様から零れた。
先ほどと変わらず小声で話したつもりだったが、隣に立つ彼には聞こえてしまったようだ。幸か不幸か、侯爵夫妻までは届いていないようだった。私に興味がないだけかもしれない。
今の言葉にはかなりの語弊がある。私のものではない。ただ一日、ヴィンセント様に触れなければいいだけの話なのだが、まぁ、精霊にとってはどのような表現をしても同じだろう。ならばできるだけ、精霊が引き込まれやすい言い方をした方が良い。そのようなことを、後でヴィンセント様に謝りつつ伝えよう。今はそれどころではないのだ。
思惑通り、精霊はまんまと乗り気になる。両耳をいっぱいにこちらに向け、尻尾もぶんぶんと振っている。
言葉は通じたらしい。加えて、言葉でのやり取りは出来ずとも、彼らもなかなか分かりやすい表現をしてくれるようだ。この精霊の返事は、イエス、だろう。
侯爵夫妻の奇怪なモノを見るような蔑んだ目も、ヴィンセント様の不可解な言葉を聞いたというような表情も、背後に置いた。
犬の精霊と見つめ合い、ゆるりと口角が上がった。そうして、口の形だけで伝えるのだ。
――案内して、と。
寸刻間もなく、聞き入れた精霊はふんふんと鼻を鳴らして私を一瞥し、くるりと回って左右に揺れる尻尾を向けた。
付いてこいという事だろう。了解だ。
急に動き出した私に、侯爵夫妻はたいそう驚いた様子だった。それもそうだ、何もないところを見つめ、ぼそぼそと何か口走り、挙句の果てにはどこかへ走り出したのだから。
人から奇怪な目で見られるのはいつものこと。だって私は、今の人達からすれば『普通』ではないのだから。
そんな私をヴィンセント様は拾ってくれた。そのままで良いと、私が居てくれてよかったと、言ってくれた。それだけで十分だ。
小人といいこの犬といい、やはり精霊には人智を超えた力を持っているのだろう。有難いことに、精霊は人間にかなり協力的だ。ならば『普通』ではない私だけができる、『普通』ではない方法で、ローザリア様を探し出してみせようじゃないか。




