27、贈物
寝慣れたベッド、ふかふかの枕、圧迫感のない広さの部屋。
朝日がカーテンの隙間から僅かに入り込み、鳥の鳴き声が聞こえる。
その声が心地よく、私は一度寝返りを打った。
(なんて幸せな朝……)
さぁもうひと眠りと、身体の力を抜いたところ
「フィオナ様! いい加減起きてください、お時間ですよ!」
「――なんですって⁉」
私の侍女、エマの声が耳元で響き、飛び起きる。
右を見て、朝日を取り込むささやかな大きさの窓。左を見て、完全に呆れ顔の侍女。私の手は、白い柔らかな掛け布団を握っている。よく見なれた部屋である。
今日は、いつだ。我が家・伯爵邸へと帰宅した翌日。つまり公爵邸へと戻ると約束した日。
そう、つまるところこうだ。
――私は盛大に寝坊したのである。
爽やかな朝、鳥の鳴き声とは正反対の叫び声が伯爵邸に木霊した。
「フィオナ様ったら、何度声をかけても起きないんですから……」
言いながらエマは私の肩を掴みベッドから引きずり下ろす。そして、そのまま猫でも摘むように鏡台の前の椅子に座らされた。どう考えても主人に対する扱いではない気がする。
しかし、申し訳なさでいっぱいの私は、侍女の扱いや愚痴に怒ることもなく大人しく縮こまって、言われるがままされるがままである。
呆れられ叱られつつも、私の寝坊を巻き返すかのようにテキパキと手際よく身支度を整えていくのは、流石といったところか。
絡まった髪を整えられ、結い上げる。寝ぼけ眼の顔は化粧水を叩かれ、化粧が乗り令嬢らしく。最後にシンプルなドレスを身につければ、いつものフィオナ・メラレイアの完成である。
「さっすがエマ。持つべきものは優秀な侍女ってね」
「ふざけたこと言ってないでください。もうお迎えの馬車が来ております」
「お迎え!」
そうだ。公爵家から、迎えの馬車を出していただく事になっていたのだ。
休暇をもらうのはこちらの都合だから、伯爵家の馬車を使うと言ったのだが、聞き入れてもらえなかった。
こんなことになるなら、なんとしてでも断ればよかった。まさか、そんなことを見越しての公爵家の馬車なのだろうか。それはそれで恐ろしい。
エマの叱りの声を浴びながら、階段をかけ下りた。
門の外に止められていた馬車に飛び乗り、少し急ぎめで走るように依頼をしたが。
私の焦りようから寝坊ではないかということは推察できるような気もするが、表情一つ変えずに依頼通りに少し急いで走ってくれる御者はさすがといったところか。
そうして、エマの頑張りと御者の忠実さのおかげで、時間は大幅に短縮。少し道が混んでいたのかな? 程度のものとなって公爵邸へと到着したのだ。
「おかえりなさいませ、フィオナ様。ゆっくり休めましたか?」
玄関前で待っていてくれたらしいグレイス様に支えられ、馬車を降りた。そのままエスコートされ玄関ホールへと導かれる。
「おかげさまで。ヴィンセント様に進言してくださりありがとうございました」
「お役に立てて何よりです。主人にもいい薬になったと思いますよ」
「薬……ですか?」
「お気になさらず。主人がお待ちですよ」
立派な玄関扉が重厚な音を立てて開かれる。
そこには、複数の精霊を携えた、やや顔色の悪いヴィンセント様が立っていた。
落ち着かないように足を動かしていたが、入ってきた私を視界に入れるなり、明らかにほっとした表情でこちらに寄って来た。
「戻ってきてくれて、よかったです」
「た、大変ご迷惑をおかけしまして……」
まさか、予定より遅れたことで心配をかけていたのか。多少の遅れでも、ロイシュタイン公爵はお許しにならないと、そういうことか。
寝坊したんです、とはとてもじゃないけれど言えるわけがない。
建前上とはいえ私は行儀見習い。ロイシュタイン家に勤めている者の一員なのだ。それが寝坊で戻るのが遅れるなど、言語道断もいいところである。
全力で他の言い訳を考える所存。
「もう、戻らないかと」
私はぱちくりと目を瞬いた。
なぜ、そんな言葉が出てくるのか。なぜ、そんな表情をするのか。
遅れに対する言葉・感情ではないような気がする。
ヴィンセント様の背後から少し離れたところに控えたグレイス様に視線を投げるが、助けを求められた当の本人は半眼で私たちを見ているだけだった。一体どういう感情だ。
たった一日で、この屋敷に何が起こったのだろう。
ヴィンセント様の霊力はだいぶ落ち着いてきたと思う。一日離れていても、現在ヴィンセント様の周囲の精霊はかなり少なくなっている。
最盛期を知っているから大したことないように感じてしまうが、本人からしたらそれでも辛いものがあるのかもしれない。精霊の影響というのは、私には分からないのだから。
私はそっと、ヴィンセント様の手を両手で包んだ。触れた場所から広がるように、くっついていた精霊たちが消えていく。
短く吐かれたほっとしたような息から、やはり身体が辛かったのだろうと想像がついた。
「お休みをいただきましてありがとうございました。おかげさまで、家でゆっくりとすることが出来ました」
「それはよかったです。フェリクスは元気にしていましたか?」
「はい。ふふ、お兄さま、お菓子を作って待っていてくれたんですよ。元気が有り余ってます」
お兄さまの事を思い出して、つい笑顔になってしまう。すると何故か釣られるように、今まで不安そうな表情をしていたヴィンセント様も破顔していく。
「フェリクスがお菓子を! それは是非、私もいただいてみたいものです」
そんな雑談をしながら、ヴィンセント様は私の手を引いて、執務室へと足を進めていく。
いつまでも立ち話をするわけにもいかない、ということだろう。同時に、あそこは唯一周りの目を気にせずに談話ができる場所でもある。
「すぐにお茶を出させます。お菓子は何がいいですか?」
「ありがとうございます。それでは、果物のケーキがあれば……」
執務室のソファに座り、ヴィンセント様はいつも通りの流れで私のリクエストを聞いてくれる。尋ねられてつい、いつもの流れで答えてしまったが。
なにかもうちょっとやり取りすることがあるような気がする。
「レイ、準備を」
「かしこまりました」
グレイス様が下がって二人きりになったところで、漸く到着当時からきになっていたことを尋ねた。
「ヴィンセント様、お身体の方はどうですか?」
「あぁ、そんなに悪くはないですよ。やはり、今までに一日離れるということがなかったので、いつもと比べてしまうとだるさなどはありますが……」
「そうですか……。やはり、離れるにはまだ早いということですかね」
「離れる……?」
おそらくこうして毎日触れているのが正しいのだろうけれど、期間がどれくらいかかるのかについては分からない。ヴィンセント様の体調も心配だし、どうにかして情報をかき集めたいところだが。
ヴィンセント様の体調や、私の霊力の影響がどうなっているのかについて気を取られすぎて、ヴィンセント様の表情には気付かなかった。
「そういえば、ヴィンセント様にお渡ししたいものがあったのです」
「……渡したいもの、ですか?」
なんとなくで買ってしまったものだったが、買ったものは仕方がない。
喜んでもらえるかは怪しいところだが、遅刻してしまったお詫びの気持ちくらいにはなるだろう。そのために用意していたと思われても困るので何も言わないでおくが。
ソファの横に置いてあった手持ち鞄の中から、目的のものを取り出す。
「ミランジュの?」
ひと目見ただけでわかるらしい。
王城の帰りに寄ったミランジュで購入した焼き菓子だ。一部が透けて中が見えるようになった薄い包み紙を、紫と黄色の二本が重なったリボンでラッピングされている。
「お菓子をプレゼント用にする場合、好きな組み合わせのリボンが選べるようになってたんです。ヴィンセント様の瞳のようだと思って、つい手が伸びてしまいました」
「それは――」
ヴィンセント様の詰まったような声に、ふと思い出す。
以前に連れて行ってもらったチョコレートドームの時も、女性の感想を気にしているように感じた。それならば、今回も感想を伝えてみよう。
「とても素敵なアイディアですね。贈り物をする人のことなど考えられて、楽しくなります」
そう感想を述べてから渡すと、少し伏し目に受け取ってくれる。
「……ありがとうございます。買う時もこちらのことを考えてくれたのだと思うと、とても嬉しいものですね」
「喜んでいただけて良かったです! ヴィンセント様はいつもここのお菓子を召し上がっているので、あまり嬉しくないかな……とかも考えたのですが」
「まさか。自分のことを考えてくださったなら、どんなものだって嬉しいに決まっています。とくに、フィオナ嬢からの贈り物なんて」
そこで口を閉ざし、ヴィンセント様の指がラッピングのリボンをスルリと撫でた。宝物をなぞるようなその動きに、私がそうなっているわけではないのに思わず背筋が伸びてしまう。
「私からだと、嬉しいのですか……?」
ラッピングのリボンをなぞっていた手が止まり、正面に座るアメトリンの瞳が、リボンから私へとゆっくりと流れてくる。
突いてはいけない事だったかと内心は焦りつつも、私もその目から逃げることはなかった。
「私は――」
ヴィンセント様が何か言いかけたところで、扉を叩く音がした。おそらく、グレイス様だろう。なにかとタイミングがいい人なのだ。
互いに微妙な空気になりつつも、ヴィンセント様は視線を逸らし、「入れ」と声をかける。
「失礼します。お茶のご用意が出来ましたので……おや? 何かありましたか?」
「いや、持ってきてくれ」
ため息交じりに、グレイス様を中へと招き入れる。首を傾げていることからも、このタイミングの悪さはグレイス様に悪気はなかったのだろう。
目の前に置かれていく輝かしいケーキやお菓子で、先ほどヴィンセント様が言いかけたことは何だったのだろうかという疑問も、先ほどまでの微妙な空気も、どこかに吹っ飛んでしまった。ケーキが置かれてしまえば、私は笑顔になりそれを口に運ぶ以外ありえないのである。
「召し上がりながらで構いません。私の話を聞いていただけませんか」
「もちろんですけど……食べながらでいいのですか?」
私の手はすでにフォークを握り、ケーキへと向かっていた。
いやに神妙な面持ちであるが、食べながらでいいというのだから雑談に毛が生えたようなものだろう。そう確信して、フォークを止めることなくケーキに刺す。
「ありがとうございます。ではこちらを」
掬ったひとかけらを口に運んだのを見届けられてから、目の前に大きな箱が現れる。次いで、小さめの箱がいくつかぽんぽんと置かれた。
そこで気付く。これは、のんきにケーキを食べながら聞いていい話ではないことを。
ヴィンセント様は止まることなく、一番大きな箱を開けた。そこに入っていたのは、私の予想通りというか、予想外のものといったらいいのか。
「これは……」
「ドレスです。気に入っていただけたら嬉しいのですが」
なぜ。
「実は、パーティーの招待状を貰いまして。是非、フィオナ嬢にパートナーとして参加していただきたいのです」
「パーティーに? 私と……?」
「はい。どうか、お願いできないでしょうか」
私はじっと、目の前の箱に入った綺麗なドレスを眺める。淡い水色の柔らかそうな生地に、純白の糸で花が流れるような刺繍が施されている。触れなくてもわかる、上質な生地だ。
近くにある小さめの箱達は、もしかしたら装飾品か。
これらのものを用意するには、かなりの時間を要したに違いない。
ここまで完璧な、ある意味で脅迫めいた準備をされて、断れる人がいるのだろうか。
「もちろんです」
少なくとも、私には無理だった。
あぁ、なんて意思の弱い。けれど、ヴィンセント様の役に立てるなら、こんな風に笑顔になってくれるなら、いくらでも願いを叶えてあげたくなってしまう。
ただひとつ、確認しておかなければならない事がある。
「ちなみに、どちらからの招待だったのですか?」
思い浮かぶのは、小人に導かれ、執務室で見つけた手紙だ。あの手紙も、内容はパーティーへの招待だった。
まさか、婚約パーティーになり得るところに私をパートナーに連れていくなど、そんなことは。
ヴィンセント様は私の問いに嫌な顔ひとつせず、谷底に突き落とすような答えを持ってきてくれた。
「アデレイド侯爵家です」
「な……」
な、なんですと――⁉




