25、黄昏
「この間、ヴィンセントと一緒に仕事をしたんだけどね。見違えるように顔色が良くなっていたよ」
「······はい」
「全く不思議なこともあるものだ」
それだけ言い捨てると、ユーリア様は呼び鈴を手に取った。それを鳴らすと、外に控えていたのであろう騎士が礼をして入ってくる。きっと門まで見送るためだ。
「下に馬車を待たせてある。そこまで彼に連れていってもらうといい」
「こちらに伺う時も馬車を出していただいたのです。帰りはさすがに······」
「そういう訳にはいかないよ。仮にも君は、ロイシュタイン公爵家の者なんだ」
あくまで、『仮にも』である。例え私の身に何かあっても、ロイシュタイン家は無関係を主張できるだろう。何かあったとして、困るのは自分自身だけだ。痛いのと怖いのは勘弁である。
このご時世、人通りの多い場所に居たら危ないことなど起こりはしないはず。そんなに神経質になることもないと思う。
「城下町で寄りたい場所もあるのです」
せっかくここまで来たのだから、寄らなければならない所がある。使命だ。絶対なのだ。そのあとは、乗合馬車にでも乗って家の近くまで帰ろうと考えていた。今日帰ることは伝えてあるため、あまりにも遅い場合はメラレイア伯爵家から馬車が出るだろう。
そう訴えても、ユーリア様は首を縦に振らなかった。
「なら、御者に寄りたい場所を伝えるといい」
ここまで言われてしまえば、食い下がるのは難しい。命令とまでは言わないが、命令に近しいものだろう。
短く感謝の言葉を述べ、案内人だという騎士とともに部屋を後にする。
前を歩く騎士に気付かれないように、小さく長く息を吐く。まさか自分がこんな行動を起こすなんて思っていなかったのだ。
ヴィンセント様のためにと、こうする決心をしたのに。ユーリア様の言う通り、ヴィンセント様の側にいたいのならばこの行動は矛盾している。ヴィンセント様に幸せになって欲しいのか、ただ私が側にいたいのか。そんな事は分かりきっている。
そうならば、私の気持ちはどこなのだろう。
玄関ホールを出ると、前を歩いていた騎士はすっと横にずれる。「あちらです」と手を伸ばして促された先には、立派だがシックな作りの馬車が待っていた。かなり高貴なものではあるが、よもや王城から出た馬車だとは思わないだろう。お心遣いが素晴らしい。
御者に行き先を告げ、騎士のエスコートで馬車に乗り込む。腰を軽く折ってお辞儀をすると、騎士は腰を深深と折ってお辞儀をして、扉を閉めた。
ガタガタと揺れ始め、王城が遠くなってきた頃。漸く緊張の糸が解れ、これから向かう場所を楽しみに思う余裕が生まれた。目を瞑って、今は何が話題なのだろうかと思考を廻らす。
長いこと揺れていた馬車は、ゆっくりと揺れが収まりやがて止まった。目的の場所に到着したのだ。
窓を覗けば、既にいい香りが漂ってきそうである。目的の場所とは、もちろん令嬢の間で話題のあのミランジュだ。王都に来たからには寄らなければならない所である。必須である。
公爵邸にて休憩時間や夕食のデザートとして、お菓子はよく出て来るのだが、やはり自分で並んで買ってお店に貢献するべきだろう。
多少、並ぶ覚悟は出来ている。御者にも許可は得た。お礼はミランジュのスイーツでいかがだろうか。
店の前にはかなりの行列ができているが、よく見るとそれはカフェの列のようだ。持ち帰り用の列はそこまででもない。
思ったよりも早く用事が済みそうだと、ホクホクとして最後列に並んだ。
並んでから、あることに気付く。私が並んでいる持ち帰り用の列は、主人から言われて来たのだろう使用人や、ちらほらと裕福そうな人が並んでいる。これは、ヴィンセント様と一度来た時と変わっていないのだが。
その隣の──併設のカフェへと繋がる──列は、男女の組み合わせが多くなっている。以前来た時然り、話を聞いていた限りでは、女性同士が多いのだと思っていたのだが。首を傾げつつも、あんまりジロジロ見ても失礼なので、それからはよそ見をすることなくゆったり動く列に並んでいた。
「ようこそ、ミランジュへ!」
落ち着いた、しかしハキハキとした言葉が耳に飛び込んできた。
足を踏み入れると、身体中がチョコレートの香りに包まれる。先程の疑問は、店の中に入ったことで解決することになった。
ショーケースが並んでいる持ち帰り用のスペースとカフェは店内で繋がっていて、こちらからもカフェの中の様子が窺える。
店員が一様に茶色いドーム型を持って、行ったり来たり。
あれは見覚えがある。以前、ヴィンセント様と来た時に食べた不思議なお菓子である。ほとんどが、男女で来ているテーブルへと運ばれていた。
チョコレートドームが運ばれてくると皆同じように首を傾げるが、チョコレートが溶けて中にあるケーキが出てくると、一斉に宝箱を開けた時のような表情になる。そんな女性の様子を見ている男性も楽しそうだ。
私はすいっと視線をショーケースに戻し、何にしようか首を傾げる。
ケーキとは別の区切りで、袋詰めのクッキーに視線が移る。こちらは長持ちしそうだ。
(せっかくだからヴィンセント様にも······)
そこで、私は思考を停止する。
どうしてここでヴィンセント様が出てくるのだろう。ミランジュはヴィンセント様が出資していて、ここのお菓子は飽きるほど食べているのではないか。今更、私が買って帰ったところで特別感も何も無い。
「贈り物ですか?」
「えっ?あ·····はい」
質問しつつも、贈り物だろうと確信するような問いかけに押し負けて、私は頷いてしまう。
「ラッピングのリボンが選べますが、如何なさいますか?」
店員さんはにこやかに、何色かのリボンが、見本のように並べられたボードを掲げた。なるほど、リボンの色が違うだけでも贈り物感は出る。
関心しながらしげしげと眺め、あるひとつに視線が止まった。未練がましいなと思いつつ、それ以外を選ぶ気にもなれず、結局目に止まったものを選んだ。
綺麗にラッピングしてもらったお菓子を腕に抱えてお店の外に出ると、すでに日が落ちかけていて、辺りはオレンジ色に染まっていた。
暖かい風がざぁっと吹き抜け、頬を撫でて髪を靡かせる。
空を見上げれば、輝くにはまだ少し早いまん丸の月が、穴を開けるようにぽっかりと浮かんでいた。
「·····帰ろう」
どこに、とは口に出さなかった。
「帰る」という選択肢に公爵邸が入ってしまったことに気付き、自分の強欲さに呆れてしまう。
もう、戻ることはできないし、殻に閉じこもることもできない。
ちゃんと、進んでいかなければ。
明日も更新します。




