23、小人
星祭りも無事に終わり、領民も使用人も、いつも通りの暮らしに戻る。ヴィンセント様とも特に変わりなく、付かず離れずの関係だ。
何も、変わらない───。
(ん······?)
いつになく、慌ただしい様子で廊下を歩き回る小人を見つける。
精霊は基本的に激しく動くことはない。動くにしても、地面をゆったり歩いていたり僅かに身体(?)を動かすくらいだ。
常に見ている割に、精霊についてあまり詳しくない私だが、それでもあの小人に普通ではない出来事が起こっているのは確かだ。彼に一体何があったのだろうか。
暫く様子を伺ってみようとじっと見守っていれば、私の視線に気付いたのかぴたりと止まって、彼も私を見た。
なにか伝えたいことがあるのだろうが、如何せん精霊が喋らないことは以前に実証済みだ。
寸刻見つめ合ったあと、先に動いたのは小人だった。まるで、ついてこいというように踵を返し、てってってっと、先程とは一転して軽快な足取りで歩き出す。
誘われているのならば、私はついていくしかないだろう。当然、大きさからしても私の方が歩幅が広いので、ゆっくりゆっくり小幅で歩いてついていく形になるが。
なんだか、子供の頃にもこんなことがあったような気がする。今度こそ、彼らの行く先を知ることができるだろうか。浮き立つ気持ちを抑えるように、悠然と歩く。
そうして暫く歩いたところで、小人はとある重厚な扉の前で立ち止まった。
「執務室···?」
よく見覚えのある扉だった。
秘密の場所にでも連れていってくれるのかと思っていたのに、普段から足を踏み入れる場所であったことにやや落胆する。小人に目をやっても、ここだというように扉の前から断固として動かない。どうしたらいいのか迷っていると、早く開けろとでも言いたげにじとりと顔を向けられた。
だいぶ主張が激しい。
小人の視線に負け、彼を蹴飛ばさないように気をつけながら扉を開けてあげると、小人はするりと部屋の中に入っていく。
──なにか目的のものでもあるのだろうか。
私も、周りに誰もいないことを確認してから部屋の中へと体をすべり入れる。もう見慣れた場所であるはずなのに、何となく冒険しているような気分だ。
ヴィンセント様は領地で仕事があるため出掛けられており、グレイスさんやその他の使用人も今はまだ勤務中だろう。もちろん部屋の中は無人で、書類などは綺麗に片付けられていた。
先に執務室へと足を踏み入れていた小人は、すでに窓際にあるヴィンセント様の執務机の上までたどり着いていた。
(瞬間移動か···?)
まぁ、精霊には色々と不思議な力があるらしい。そんなこともあるだろう。
小人の精霊が気にするように傍に置いてあるのは、真っ白で綺麗な封筒だった。あのような封筒をどこかで見たことがある。どこだったか──。
綺麗に片付けられた部屋であるから、出しっぱなしのその封筒は異様な存在感を放っていた。忘れ物だろうか。それとも、大したものではないからただ出しているだけなのか。
魔法に魅せられたかのようにふらふらとした足取りで、封筒が置いてあるヴィンセント様の机に近付いた。
忘れ物だったら大変だからと、手に取って宛先を覗く。しかしそこには、予想外であり、且つ私のよく知っている名前が書かれていた。
アデレイド侯爵家。ローザリア様のご両親だ。
ダメだとは分かっていても、開けられた痕跡のある封筒から手紙を取り出してしまう。ドキドキと大きく打つ心臓の動きを感じながら、恐る恐る三つ折りにされた手紙を開いた。
「───っ」
内容を理解した瞬間、ぐっと息を飲む。
そこには、アデレイド侯爵家主催のパーティーへの招待とローザリア様との婚約についてが書かれていた。
「ローザリアとの婚約についてのお返事を伺いたく」と書いてあることから、まだヴィンセント様とローザリア様との婚約は決まっていないのだろう。お茶会で婚約者候補筆頭と言われていたことからも、あの時はきっとまだ、そんな話が上がっているだとか、勝手に周囲がそう思ってるだとかの話だったに違いない。
しかし、噂なんていう不確かなものではなく、今まさに、ロイシュタイン家とアデレイド家の間で確実に話が進められているのだ。
それとともにパーティーへの招待だなんて、こちらの準備は整っていますよと言っているようなものではないか。あとはヴィンセント様が首を縦に振るだけで、ただのパーティーは婚約パーティーへと様変わりすることだろう。
相変わらず、ドキドキと耳にまで響くほど大きく打つ心臓と、詰まりそうなほど締まる喉。吐き出しそうになる口元を抑え、目元にぐっと力を込める。
──あぁ、だから気付きたくなかったのに。
引きこもりで変わり者のただの伯爵令嬢が、誰からも慕われる公爵閣下に恋だなんて、そんな無謀な。
ヴィンセント様の体調は、最近はかなり良くなっている。
それなりの時間触れていなくても、初めて出会った頃のような顔色の悪さになることもない。まだ定期的に触れないと疲れは出てくるようだが、その間隔もだんだん長くなってきている。半日触れなくても平気そうな日も少なくない。
どのような仕組みなのかは分からないが、完全に改善されていなくても、私の力を必要とするのはひと月に一度とか、それよりももっと間隔が開くかもしれない。以前ユーリア様が言っていた『調整する』ことと何か関係があるのだろうか。
いや、関係あってもなくてもいい。余計なところに思考を飛ばしたくない。
あんなに嫌っていたこの紫の瞳が、精霊が、ヴィンセント様と私を辛うじて繋ぐものになるなんて。縋りたくなってしまうなんて。
子供の頃の私が聞いたらひっくり返る程に驚いていたことだろう。
ヴィンセント様とローザリア様が婚約をするならば、私の存在は邪魔になる。しかし、ヴィンセント様の体調が安定するまでには、まだ時間がかかるだろう。その時に私がヴィンセント様に触れれば、いくらヴィンセント様のためとはいえローザリア様はいい気はしないはずだ。
ならば、なぜそうするのか理解して納得していただく必要がある。
私がこれからするべきことは決まった。
吐きそうなほど痛む胸を無視して、手紙を丁寧に封筒にしまう。
ヴィンセント様も出掛けていることだから、誰かがこの部屋に入ってくることはないと思うが、それでも人様の手紙をこっそり見てしまったことには罪悪感がある。
小人にはなんの悪意もないはずだけれど、それでもどういうつもりでここに来たのかと、じとっと見てしまう。そんなに私とヴィンセント様を引き離したいのか。
小人は答えてくれるはずもない。はぁ、とひとつため息を吐いて手紙を元あった机の上に置こうと身を屈めたところで、扉の開く音がする。あまりに驚いて、バンッと音を立てて置いてしまう。
そのまま何事もなかったように腰を上げ、扉の方に視線を向けた。
「フィオナ様、こちらにいらっしゃったのですね」
扉から顔を出したのはグレイスさんだった。なんでこの人はいつもいつもいいタイミングで現れるのだろうか。何かセンサーでも働いているに違いない。
私を探していたような言葉を発しながら、ちらりとこちらに視線を投げただけで、机に置かれた手紙を訝しげに見ていた。
引き攣りそうな口元を抑えて、何もしておりませんけど風を装う。「見ました」とさえ言わなければ、真実はだれも分からない。何か言われても、グレイスさんの思い込みだろうと片付けられる。
何も言わない私に負けたのか、グレイスさんは視線を私に戻して問うてきた。
「······何をなさっていたのですか?」
「何も?小人がいたので付いて来たのです。残念ながら、何がしたかったのかは分かりませんでしたが」
苦笑いしつつ首を傾げる。これは事実なのだから仕方がない。
未だに胡乱な顔をするグレイスさんを誘導するように、視線を合わせてから、手紙の近く、机上にいる小人へと視線を流す。そうすればグレイスさんも釣られて机上へと視線が移り、そこに何か見つけたのかぴくりと片眉を動かした。黒い何かがいることは把握出来ただろう。
さぁ、これで話は終わったとばかりに、机から離れてグレイスさんの元に寄る。姿勢を正して、精一杯の微笑みを浮かべてみた。
「グレイスさん、お願いがあるのです。数日···いえ、一日だけでも、お休みをいただくことは可能ですか?」
「···それはなぜと聞いても?」
「久しぶりにお兄さまにお会いしたくて。お手紙の返事も出来ていないので心配しているかも」
手のかかる兄妹は大変です、と伝わるように、肩を竦めてジェスチャーをする。実際はそんな関係ではないのだけれど。更に言うなら、お兄さまからの手紙の九割がヴィンセント様のことで、妹のことなど軽く触れる程度しかなかったのだけれど。その軽く触れる程度に、精一杯の心がこもっているのだ。そうに違いない。
以前、そのお兄さまの思いに答えるべく返事を書こうとしていたのだが、結局レターセットを手に入れるのを失念していた。しかし、これはこれで丁度いい機会だったかもしれない。
私の返事に納得しているのかしていないのか、刹那睨み合った後、グレイスさんは目を閉じて深い深いため息を吐いた。
「···これは主人に非がありますね」
あまりにも小さな声だったから、そう言ったかは定かではない。ただの独り言かもしれない。
放置していたのは問題だと思うが、勝手に執務室に入って勝手に手紙の中身を見てしまった私の方が圧倒的に悪い。
「かしこまりました。主人に伝えます」
「お手数お掛けします。それともう一つ、お兄さまに連絡したいので、レターセットをいただきたいのです」
間髪入れずに返ってきた、直ぐにご用意します、というグレイスさんの言葉に、私は慇懃にお辞儀をした。
ありがとうございます、グレイスさん。
お兄さまが押しかけてこないように、ちゃんとお手紙を書きます。そして、ヴィンセント様のためにできる私の精一杯のことを。




