18、公爵邸
長いこと揺れていた馬車が、漸く止まる。
窓から外を見れば、何度目かになるロイシュタイン公爵邸が目に映る。
相変わらず黒いモノがいっぱいいるが、妖精だと知れば急にファンタジー世界になる気もする。妖精が集まるお屋敷なんて、夢があるじゃないか。···視えない人からしたら、だが。
「お帰りなさいませ。そして、ようこそいらっしゃいました、フィオナ様」
ヴィンセント様に手で支えてもらいながら馬車から降りると、グレイス様が恭しいお辞儀をして迎えてくれる。
相変わらず眼鏡はかけているけれど、前のような読めない笑顔はもう浮かべていなかった。
···いろいろ考えることがあったんだろうなぁ。
荷物をお預かりしますと手を出されたが、こちらも行儀見習いとして働く身なのでと断ったらとても良い笑顔を向けられてしまったので泣く泣くグレイス様にトランクを差し出す。
主人にエスコートさせといて今更どんな謙遜をと思われるかもしれないが、これに関しては重要な任務なので仕方の無いことだと思う。
行儀見習いがどんな仕事をするのかあまり詳しく知らないので、後でグレイス様に聞くことにしよう。
ヴィンセント様にエスコートされながら、屋敷の中へと足を進めた。
吹き抜けの玄関ホールに来ると、ロイシュタイン家の使用人らが主人の帰りを一斉に迎える。
並んだ使用人たちにさっと目を通して、伯爵家よりは多いが想像していたよりも少ない人数に驚く。あの盛大なパーティーといい、庭園から屋敷内まで行き届いた清掃といい、もっと多くの使用人がいると思ったのだが···。
使用人が雇えないというわけでもないだろうし、少数精鋭ということだろうか。
果たして私が活躍できる役割はあるのか。
「フィオナ様、お疲れでしょうからまずはお部屋を案内致しましょう」
「ありがとうございます」
ヴィンセント様は、今日中に終わらせなければならない仕事がまだ少し残っているらしく一旦席を外すことになった。そんなお忙しい中、わざわざ迎えにいらしていただくなんて申し訳なさでいっぱいになってしまう。
「フィオナ様はどうぞこちらへ」と、ヴィンセント様が去った廊下を後ろ髪引かれる思いで見つめつつも体はグレイス様の後をついて行く。
歩みを進めて、伯爵邸とは比にならない広さに驚く。漆塗りの立派な扉が並ぶ廊下に、陽の光を取り込む窓が一定間隔ではめ込まれている。その窓からは美しい庭園が一望でき、その場にいるのとではまた違った姿を眺められる。
伯爵邸もそんなに小さくはないと思っていたのだが、公爵邸と比べてしまうとどうも自分の気の所為だったのではないかという気もしてしまう。どう考えても、この公爵邸が別格なだけなのだが。
部屋に連れていく前に主人や客人が過ごすような場所を案内してくれているのか、としげしげと見ていると、ふと前を歩くグレイス様の足が止まる。
精霊でも立ちはだかっているのだろうかと前の様子を伺ってみるが、そんな立ち止まるほどの大きな精霊はいなかった。ちっちゃい精霊はわんさかいるが···。
首を傾げていると、グレイス様はすっと手をあげた。
「こちらがフィオナ様のお部屋になります」
グレイス様が手で示したのは、立派な扉の前。
どうも使用人に与えられる部屋には見えない。まさか使用人ですらこんな立派な部屋をもらえるのだろうか。もしくは相部屋とか···。
くるくると考えながら、扉が開かれるのを目で追う。そして、中の様子が見えた瞬間に、これは使用人の部屋ではないことを悟る。
白を基調としたすっきりとした上品な部屋。廊下より立派で大きな窓からはしっかりと光が差し込んでいて、白の家具が輝いている。そして光の先には、手入れの行き届いた青々とした裏庭が広がる。
それに、私の部屋よりも広いとは行儀見習いに対する待遇ではない。
足を踏み入れるのに躊躇われ、私はその場で首を傾げた。
「行儀見習いにしては立派なお部屋ですね?」
「主人から、客人としてもてなすようにと仰せつかっておりますので」
行儀見習いとは···!?
愕然としている間にも、グレイス様は私の荷物を部屋の中に運んでしまう。本気なのか。
「私は客人ではなく行儀見習いとして、ここに来ているはずなのですが···」
「それは表向きです。主人の個人的な理由のためにフィオナ様を拘束してしまうのですから、これくらい当然でございます」
「···分かりました。ではお仕事は何をしたら?」
行き届いた掃除や迷うことなくこの部屋を指したということは、すでに私がこの部屋に住むことは決まっていたのだろう。グレイス様の言い方からしても譲る気はなさそうだ。
ならばそれはお言葉に甘えるとして、次は屋敷内での立ち回りについて教えてもらおうと、部屋の中に足を踏み入れた。そんなに難しいことは出来ないが、洗濯や給仕なら何とかできるだろうか。
「フィオナ様のお仕事は?」
しかし何故か質問で返されてしまう。
私がここに来た本来の目的、どんなにここに来たがったお兄さまでも取って代われない仕事はひとつしかない。
「ヴィンセント様のお身体を改善することです」
「はい。なので主人のそばにいることがフィオナ様のお仕事です」
「···グレイス様、私の扱いたまに雑ではありません?」
「そうですか?あぁ、わたくしはもうグレイス・リトルチェではないのでただの執事とお呼びください」
「あ···えっと、グレイスさんでいいですかね···って、誤魔化さないでください!」
そうだ。グレイス様はリトルチェ家の者として扱われるのは複雑なのかもしれない。
申し訳ない気持ちで慌てて呼び名を提案したが、クスクス笑うグレイス様に気付いてわざと話を逸らされたと分かる。
それについて突けば、「おや」とすっとぼけた声が返ってきた。
この方はイマイチ掴めない。
そのまま誤魔化されて終わるのかと思ったのだが、答える気はあるようで、すっと表情を戻した。
「···浮かれているのかもしれないですね」
一体何に?主語が分からず、そのままグレイスさんの次の言葉を待つ。
ふいっと視線を逸らされ、グレイスさんはある一点をじっと見つめた。そこには、黒い犬と黒い猫がぐってりと寛いでいる。
「主人のお身体は、ずっと心配していたことですから」
昔を懐かしむような声で紡がれた言葉に、「あぁ」と理解する。
私には、黒い犬と黒い猫が寛いでいる情景であるし、彼らが精霊と知った今はほっこりする光景ですらある。
しかしグレイスさんにとっては、黒いモヤがそこにあるようにしか視えないのだ。精霊と知った今ならある程度は安心出来るだろうが、知らなかった頃は私よりも不気味なものだと感じていたはずだ。
そんなものが主人の周りについているのだから、心配しないわけがない。
グレイスさんは、今まで見た事のないような、心から笑っているような、輝かしい笑顔を向けてくれる。
「フィオナ様がいてくださって、本当に良かったです。ありがとうございます。」
その笑顔に、言われるとは思っていなかったお礼に、ぽかんとしてしまう。そうして言われた言葉を理解して、かぁっと顔に熱が集まる。
お礼を言うべきなのは私の方なのに。
なにか言わなければと口を開いたところで、後ろから影がかかる。
「部屋への案内は済んだか?」
「はい」
いつもよりはやや低い声と、グレイスさんの態度から、後ろに立つ人物が誰なのか知る。
振り返れば、先程の低い声とは反してにこやかな笑みを浮かべたヴィンセント様が立っていた。
「···屋敷の案内は私がしましょう」
「でも、お忙しいのでは···」
「今日の分は終わらせてきました」
断る隙も与えられず、さっと手を取られる。
確かに精霊をヴィンセント様から離すのが私の役割なので、触れる口実にはちょうどいいのかもしれないけれど。
毎回毎回こうして触れるのは大変めんどくさいというか、色々と不便すぎる。
これは、早急に打開策を考える必要がありそうだ。
今までは何も考えなかったのに、ヒヨコやヘビのようなものからじっと見つめられるとなんだか責められているような気分になってくる。わかる、わかるよ。私も、ケーキが目の前にあるのにガラスの壁に遮られて近づく事が出来なかったら、その壁を恨んでいるに違いない。
「どうするのこれ···」と考えながら、精霊たちがヴィンセント様からすうっと離れていくのを、罪悪感を感じながら見守った。