15、現
「君の顔色が悪いのは、その精霊がたくさん纏わりついているからだったんだ」
「──まとわり···?」
さっぱり理解できないというような素っ頓狂な声がか細く聞こえる。
それもそうよね、物語のような話に登場した精霊が、自分の周りにいて更には長年体質のせいだと思っていた不調の原因だったなんて。
「そして何故か、フィオナ嬢が君に触れると精霊達が離れていく。だから、顔色が良くなるという現象が起きていたんだ」
隣で布が擦れる音がする。ヴィンセント様の方は見ていないが、信じられないような表情でこちらを見ているのだろう。
「では···フィオナ嬢は、その······」
「はい···、視えています」
言いにくそうに尋ねてくるヴィンセント様の顔をまともに見れず、やや顔を逸らしながら答える。
不調の原因が分かっていたのに、私は何も言わなかった。知らぬ存ぜぬの顔で、彼と関わり、彼に触れ、人ならざるモノ···精霊がいなくなるのを黙って見ていたのだ。本人はずっと悩んでいたことなのに、だ。
申し訳なさや罪悪感が、ここに来て一気に押し寄せてくる。
ぎゅっと両手を強く握ったことに気付いたのか気付いてないのか、ユーリア様はグレイス様に手を向けた。
「ついでにグレイスも視えてるよ」
「レイも···?」
ヴィンセント様の意識がグレイス様に向いた。
グレイス様も私と同じ気持ちなのだろうか、やはり今までの笑顔とは違い困ったように微笑んだ。
そうか。グレイス様は、もっと、ずっと隠してきていた。
短期間しかヴィンセント様と関わっていない私と違って、グレイス様は幼い頃からずっとヴィンセント様の側にいて、その不調の原因も何となく知っていたのだ。今どのような感情を持っているのか、計り知ることはできない。
「しかし、その文献によると精霊が見える者はいなくなったのではないのですか?」
ヴィンセント様はそんな私達を責めることなく、更なる疑問をユーリア様にぶつけた。
「そうだね。さっき、信仰することで辛うじて領域を繋いでいたために精霊を認識出来ていたと言ったけれど、例外もいたみたいなんだ。
それらのことを、今の言葉で訳せば“祈祷師”“シャーマン”となると思う。そう呼ばれた者達は、生まれながらに精霊の力···霊力と呼ぶことにしようか。それを授かり、領域を超えることができるという」
祈祷師、シャーマン、どれもなんとなく物語で聞いたとかその程度のものだ。
「─祈祷師、シャーマンなるものは一律に、紫を持つ者である」
ユーリア様は人差し指を自分の下まぶたに持ってきた。その指の先は、綺麗な金色の瞳を指している。
釣られて私も、自分の下まぶたに指を置く。輝く黄金とは真反対の、暗い、濃い、紫色。そんな紫の瞳が、祈祷師やシャーマンの証。今では、不吉とまで言われているのに。
でも確かに···と、グレイス様に視線を投げた。彼も、紫の瞳だ。そして、精霊をぼんやりとだが視ることが出来るという。
「紫色は、見える証と言うよりは霊力の強さを表しているんだと思う。フィオナ嬢はそれほどに強い霊力を持っているから、精霊をはっきりと見ることができる」
ユーリア様は、ヴィンセント様を指さした。
「つまりヴィンセントも霊力を持っているということになるんだ···まぁ、雀の涙程度だろうけどね」
「雀の涙······」
「ただそんなごく僅かな霊力でも、精霊達にとっては大したお宝に見えるんだろう」
─霊力は、強い弱いの他に精霊との相性···簡単に言えば好き嫌いもあるらしい。
ということは、ヴィンセント様の霊力は“大好き”に分類され、寄ってくる精霊が多い。···私が甘いものに引き寄せられるみたいな感じなのだろうか。
そこまで考えて、私ははたと止まる。そうなると、私が触れると精霊が離れていくのは、私の霊力が何らかの形でヴィンセント様の霊力を隠していることになる···?
まさか私の霊力は精霊の“大嫌い”に分類されるのか···!?
思わず、今まで敢えて目をやらなかった隣にばっと顔を向ける。
相変わらずくっついている黒い精霊たち。もう完全に大好きなものに擦り寄っていく可愛らしい子達にしか見えない。
私はこれを無理矢理引き剥がしていたのか···。
私がショックを受けていると、ユーリア様がゴホンと咳払いをした。
「フィオナ嬢の場合は嫌いというよりは、力が強すぎて精霊たちが当てられてしまうと言った方が正しいのかもしれないね」
フォロー···してくれたのだろうか、それとも本心なのだろうか。
分からないけれど、本心だと思っておいた方が私の心の傷は少ない。
そう思うことにしよう。
「あぁ···そうそう、フィオナ嬢がヴィンセントに触れると精霊が離れていくという話を聞いて、この文献にも何かヒントになるようなことが書いてないか探してみたんだ」
ユーリア様は、またパラパラと本のページを捲る。
あるのか、ヒント。あまりにも万能すぎる文献に目を見張った。
そこまで事細かに書かれているのに、なぜ今まで世に出ることがなかったのか不思議なくらいだ。真実かそうでないかは別として、劣化具合からしても現存する最古の文献かそれに近いほどには貴重なものだと思うのだが···。
「結論から言うと、霊力に関することはこの本にはあまり書かれていなくて、仕組みはよく分からなかったんだけど···興味深い記述は見つけた。
─精霊に好かれる子は力の暴走が起こるため、シャーマンと共に過ごすことで精霊を遠ざけこれを調整する。
まるで、ヴィンセントとフィオナ嬢みたいじゃない?」
そうだろうか。
何とも言えず黙っていると、ユーリア様は優雅に足を組んだ。
「フィオナ嬢は、婚約者とかそれらしい異性はいないのだったね?」
「いない···ですけど···」
なぜいきなりその話になったのかとか、なぜそんなこと知っているのかとか問いただしたい部分はあったが、そんなこと言える雰囲気ではない気がしたので聞かれたことだけを答える。
それを聞いたユーリア様はちらと私の隣に視線を投げやや口角をあげた後、ぱっと私に向き直る。
「なら、行儀見習いとかやってみる気はない?家柄も身分も申し分ない、いい紹介先があるんだ」
「なっ···」
ヴィンセント様が小さく声をあげた気がしたが、それよりもユーリア様の突然の申し出に目をぱちくりとさせる。
行儀見習い。
結婚前の貴族の娘が、上位貴族の家に入り礼儀作法などを学ぶための制度。行儀見習い入りした貴族の格が高ければ高いほど結婚のステータスとなる。そして主人は、後見人になって縁談をまとめてくれたりもするらしい。
···私は、不吉と言われる紫の瞳を持っていたり、人ならざるモノ─精霊が視えることで不可解な行動をして挙句の果てには引きこもりがちになるという、貴族の令嬢としてはあるまじき数々をこなしてきている。だから、婚約の話はもちろんのこと、それらしい話も全く上がっていない。
お父さまもお母さまも、お兄さまも、それに対して何か言うわけではなかったけれど···。心配は、しているのだと思う。
「もしもその主人が無能なら、僕が責任を持ってフィオナ嬢の後見人となり縁談も組もう」
なんという破格の提案だろう。
王太子殿下が行儀見習い先を見繕ってくれるだけでも凄いことなのに、更には王太子殿下が直々に面倒を見てくれるという。
···ただ少し、嫌な予感がするのはなんでだろうか。どう考えても、今は私の行儀見習い先の話とか結婚の話をするような流れではないはずなのだ。
「ちなみに、おやつにミランジュのお菓子がよく出るらしいよ」
私がどう返事するか迷っていると、ユーリア様は更に追い打ちをかけてきた。なんでこの人たちはお菓子で私を釣ろうとしてくるんだ?
しかし悲しきかな、精霊がヴィンセント様に引き寄せられるように、私の身体もぴくりと反応してしまう。
ユーリア様がそれを見逃すはずもなく、ニッコリと笑みを深めた。
「決まりだね。
─紹介先は公爵家だ。ロイシュタイン公爵家」
そこで漸く、話の流れは正しい方向に進んでいたことに気付く。
─最初から最後まで寸分の狂いなく、ヴィンセント様の身体に関わる話だったのだ。