12、紫
目の前にそびえ立つ、真っ白で立派な王宮。
まさか1人でここに乗り込むことになろうとは···私は胸章をぐっと握りしめて、門番のところへと足を進めた。
______
ミランジュからの帰りの馬車の中、もういっそ言ってしまおうかとも悩んだが、人ならざるモノに対しての知識がなさすぎた。
人の気持ちを否定するのは、きっと間違っていた。どう思おうがそれは個人の自由であって、他人の私が否定していいものでも肯定していいものでもない。
もし否定できるとするならば、その気持ちを抱くに至った経緯の部分だろう。
そのためには、知識が必要だった。
怪しいことには変わりない。しかし、手がかりはそれ以外ないし、王宮ならばそんな変なことにはならないだろうという結論に至って、男の言ったように2日後に王宮に出向くことにしたのだ。
厳つそうな門番へ恐る恐る声をかける。
返事はなく、「何用だ」とも言いたげな視線に若干怯えながら、男に渡された胸章を差し出した。
訝しげにそれを見つめたあと、ハッとしたようにその胸章を手に取る。忙しなく色んな角度から眺め、もう1人の門番へ慌てたように胸章を持っていった。
なにか結論づいたのか、お互いに強く頷き私の元へと大股で戻ってくる。
「これをどこで?」
「街で···」
「なるほど。しばし中で待たれよ」
大きく重い鉄の扉が開かれ、王宮を訪ねてきた者への一時的な待機部屋のような所へ通される。
そうして門番の言う通りしばし待っていると、こちらへどうぞと厳つい門番とは別の騎士が声をかけてきた。
後をついていけば、立派な扉の前に案内される。
(なぜ···??)
私はあの怪しい男に会いに来たのだ。
勝手に、宮廷の研究員とかかと思っていたので、研究室らしきところに案内されるのかと思っていた。
「メラレイア伯爵令嬢をお連れしました」
入室を許可する声が中から聞え、騎士はその大きな扉を開いた。
その扉の先にいた人物に、ひくりと口元が引きつる。
プラチナブロンドの髪を後ろで一纏めにし、黄金の瞳を持つ美しい人、この国の王太子殿下であらせられるユーリア様だ。ユーリア様の胸には、先程門番の方にお渡しした胸章が付けられていた。
街で出会った怪しい男が王太子殿下だなんて、分かるわけがない。だいぶ失礼な態度を取った気がするが、不可抗力である。
「僕が“落としてしまった”胸章を届けてくれてありがとう。お礼がしたいからどうぞ入って」
胸章を簡単に落とすはずはないし、そもそも手渡しで受け取ったものだった。
というか、大通りが騒がしかったのってまさかこの人のせいじゃ···いや、今はそんなこと考えても詮無きことだ。
私が中に入ると、ユーリア様は案内してくれた騎士を下がらせる。バタンと閉じられる音を背後に聞きながら、私はスカートをつまみ上げ深く礼をした。
顔を上げるよう声がかかり、ゆっくり顔を上げてユーリア様を見る。
そしてさらに奥に座る人物を見つけ、目を見張った。ユーリア様の隣に座る男性…明らかに貴族の服装だが見間違えるはずはない。
ヴィンセント様の執事だ。なぜこんな所に。
彼は私が気付いたことに気付いたのか、立ち上がってゆっくりと礼をした。
「まぁまぁ、そんなところに立ってないでこちらにおいで。彼のことは僕が話そう」
思ったより人懐っこい笑みと話し方をするユーリア様は、おいでおいでと手招きした。
ずっとびっくりしている訳にもいかず、ユーリア様と執事とは反対側のソファに腰をかける。
私に続き、執事も座る。いつものような笑顔が、今は全くなかった。
「紹介しよう。彼の名前は、グレイス。グレイス・リトルチェ。リトルチェ子爵家の長男だよ」
謎だった名前が、こんな形で知ることになるとは。
しかも、予想の斜め上を行く名前である。
「リトルチェ子爵家…子爵の中でも大きな家系のはず…そのようなお方がなぜ、執事を?」
リトルチェ子爵家は、子爵の中でも群を抜いて大きな家系だ。それこそ、伯爵家に匹敵するような。
しかしリトルチェ子爵家の長男の名前は、グレイスという名ではなかったような…。
「グレイス」
ユーリア様がそう声をかけると、執事…グレイス様は目を伏せ、トレードマークとも言えるメガネを外した。
そしてゆっくりと開かれた瞳に、私は息を飲んだ。
今までは、普段から笑みを絶やさず目が細められていたことや、メガネのガラスの反射でよく分からなかったが。
……紫色の、瞳。
「珍しいだろう?まぁ、フィオナ嬢ほどは濃くないけどね」
ほんのちょっと紫が入っていたり、それこそヴィンセント様のアメトリンのような、紫が混ざった瞳を持つものは一定数いる。しかし、アメジストのような紫一色の瞳はとても珍しい。
私も、1度も会ったことがなかった。
「紫一色の瞳は珍しい。珍しいが故に、家系によっては不吉と言い伝えられていることも少なくないんだ」
もちろん、全く気にしない家系も多いけどね。と付け足される。
不吉。
一気に、幼少期の記憶が洪水のように流れ出す。
私を蔑んだ目で見る者。化け物だと叫ぶ子。
それらの子はきっと、紫は不吉だと教えられてきた者達だったのだろう。
ただ、珍しいというだけで。
私が家族に捨てられなかったのは、そういった言い伝えがメラレイア家にはなかったが故なのだろう。
無意識に、瞼に触れるよう手が動いた。
「リトルチェ子爵家も、その家系でね」
そこで言わんとしていることがもう分かった。
グレイス様は捨てられたのだ、紫の瞳だからと。
信じられないものを見るように、グレイス様に目を向ける。そこに、悲しいとか悔しいとかそういった感情はなかった。
ただ、いつもより少しだけ頼りない笑顔を浮かべている。
「さすがに、後継者がいないと困るため最低限には育てていただきましたけどね。次男が生まれればその必要もありませんから」
この言葉を言うのには憚られたが、私に答えを促すような視線を向けられて、恐る恐る紡いだ。
「…なかったことに、されたんですね…?」
「えぇ。ですが、捨てられたところを心優しい殿下に拾って頂いたのです。そして、ヴィンセント様に仕えるようにと」
そこでなぜヴィンセント様が出てくるのだろうか。
私が首を傾げると、ユーリア様は楽しそうに息をこぼして笑う。
「ヴィンセントの体質には、僕も頭を悩ませていたんだ。ヴィンセント以外に子はなかったし、ロイシュタイン家は王家に次いで権力を持っている王族派の貴族だからね。その血が途絶えるのは見過ごせなかった」
そう、ヴィンセント様は、身体が弱いとか病気持ちだとかの噂が広まっていた。その噂を信じるなら、ヴィンセント様は長くは持たないだろうという結論になるはずだ。
けれども、ヴィンセント様はその噂に反してご健在である。
「僕も最初は、身体が弱いとか思ってたんだけどね…グレイスのおかげで違うと気付けたんだよ」
「違う…?」
なぜ、違うと気付けるのか。
ヴィンセント様本人ですら体質と思っているソレが、体質のせいではないとはっきりと言えるのは…
私はある可能性にたどり着いた…いや、たどり着いてしまった。
「グレイスは、不思議な力を持っているんだ。」
まさか。
「ヴィンセントと引き合わせた後、グレイスは言ったんだ。彼には黒い何かがたくさん付いている、と」
もう、答えは出ていた。
「…視えるんだよ、人間でもない動物でもない別の何かが」
ユーリア様の、いたずらが成功したみたいな笑顔に、グレイス様の縋るような視線に、私は気が遠のきそうだった。
そしてユーリア様は、そんな私の様子など気にした風もなく、更に爆弾を投下したのだった。
「君も、視えているんでしょう?ねぇ、フィオナ・メラレイア伯爵令嬢」
私がここに来た目的。
カチリと、音がした気がした。