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悪魔が耳元で囁いた。『この女でいいじゃないか』『全てを持っている女だし、おまけにエロい』後は、1円にもならない正義感を持つ自分をうまく操縦すればいいだけの話しである──。顔だって道を歩いていると振り返るほど美しい。さすがその美貌で飯を食っているだけの事はある。
「七恵さん、彼氏は?」
「いてるよ」
即答で返ってきた──意外でも何でもないが、少しだけ嫉妬した。それは、恋とか愛とかそういう類いのものではない。ただ、自分に気がある女は、自分だけを見ていて欲しいというクソが付くほど我儘な思考だ。
「では、何故に僕を?」
「うん。一番幸せやった時の香りがするねん。君は」
意味がよく分からなかった。“香り“と言われてもピンとこない。彼女はコンソールボックスからサングラスを取り出して、ぼくの右手を掴んだ。
「うん。この温度。君しかいないわ。好きな娘おるみたいやけど」
「温度と香り……」
「いいの。高速乗って、海見に行こう!」
高速道路に乗った途端、人が変わったかのようにアクセル全開で飛ばしていた。恐怖を覚えるほどではないが、メーターは100キロを大きく上回っていた。
七恵には彼氏もいるし、おそらくパトロンとやらもいるに違いない。下手すれば、任侠シリーズにでてくるような方かもしれない。だが、七恵とあんな事やこんな事だけはしたい。そう思えば思うほど、彩乃がちらついてくる。
「見て見て! めっちゃ綺麗やろ!」
湾岸線から見る海の景色──初めてではない。家族で何度か潮干狩りや、海水浴に来た時に見た景色だ。でも、それとはまた違って見えた。例えるなら、ミルクチョコレートと思って食べたら、やや苦味の残るビターチョコだったようなそんな感じだ。その事を七恵に言ったら、『意味が分からない』の一言で一蹴された。自分だって、”温度“とか”香り“などと訳の分からない事を言っていたくせに。
「ん? 香り?」
「どうしたん?」
「いや、さっき言ってた意味が何か分かった気がして」
僕も季節の変わり目や、その時の街の香りに敏感で、前の彼女を忘れようと努力しているのに、その”香り“のせいで随分苦しい思いをした事を彼女に言った。