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僕は、人通りの多いこの駐輪場脇で彩乃を抱きしめた。今まで、自分よりも身長が高い女子とは付き合った事がない。当然、抱きしめた事もない。彩乃も直ぐに僕の腰に手を回してくれたが、行き交う人々には、僕が抱きしめられているように見えているんだろう──。
「近本君、前の彼女とやり直しても一緒にいてな」
彩乃の本心ではない事は分かっている。いや、世の女性の大半がそうだろう。僕は、最初が肝心だと思った。ここで取り繕うと、そこからつぎはぎだらけになってしまい、結局すぐに破けてしまうはずだから。
「ちょっと歩かない? もうさっきから我々注目の的になっておるし」
「ほんま。全然気にならなかったけど、流石にただの道端やもんね」
「彩乃って、あれやな。見た目より華奢やな。抱きしめたら、折れそうやった」
「ほんまに? ちょっと太ったかなと気にしててん」
「全然。とりあえず、歩きながら話すわ」
僕はポケットに忍ばせていた、マリン系のコロンを首筋にかけた。
「あっ! 近本君の香りや。それ、探して買ってんで」
「マジで? 何で?」
彩乃は、少し照れたような素振りで同じコロンをトートバックから取り出して見せてくれた。
「何か近くに感じられるし、家でも近本君を感じられるからさ」
可愛いすぎて死ぬ案件である。だが、毅然とした態度で、彼女の心に刺さった棘を抜く作業を迅速に行わないといけない。イチャイチャするのはそれが終わってからだ。
「担当直入にいうが、やり直す事はない」
「何で?」
「何でって、彩乃がいいから」
「……。ありがとう。ほんま?」
僕は、昨日の居酒屋での出来事を話した。
「……。じゃあ、向こうはまだ近本君を好きって事やんな」
「それは分からないけど、話しを聞いても全く動じなかったからさ。」
「ほんまに?」
「やり直す事ないよ」
「よかった! ほんまに良かった」
「二股でも良かったんやろ?」
「最悪それでも良かった。でも、今は駄目」
自転車を押しながら適当に進んでいた。ちょっと路地に入ると人気がほとんどなかった。僕は、このチャンスを逃すまいと自転車を止めて、彩乃に軽くキスをした。