転校生
1
次の日、月曜日。カケハシのビルのオフィス内、とある会議室にて。
「『失敗しただと!? おまけに今年の魔法使い達が来ない? 一体どうなっているんだ!? それに渡はどうした!? 何かあったら貴様の責任だぞ!! どうしてくれるんだ!! 『ギルド』の魔法使い達め!! 金をかけて薬の開発や実験をしてるのに、肝心な所で失敗するとは!!」
とある人物が、空港のVIPラウンジで誰かに電話している様子の動画だった。マオはスマホを操作して動画を停止した。それを見て、動画に映っていた人物……カケハシカンパニーの役員で技術部門の責任者、宗田誠は椅子に座ったまま顔面蒼白になっていた。
「宗田さん。この映像の人物はあなたですよね? 今の会話、特別監査部としては見逃すわけにはいきません。電話の相手についてもお聞かせ願えますよね?」
宗田の対面に座っていたマオは、冷たい声で言い放った。
「こ、これは何かの間違いです!! こんな……こんな映像が存在しているはずは……!!」
宗田は信じられないという顔をしていた。
当然だ。警察のような公的な機関でも無い限り、監視カメラの映像と音声など手に入れる事はできないだろう。
「連れて行きなさい」
特別監査部の職員に連れいかれそうになり、宗田は思わずマオにつかみ掛りそうになったが、マオの傍に控えていた夜空がスッと前に出る。
しばらく睨み合いをしていたが、宗田の方が夜空の圧に負けて目を逸らした。
そして、そのまま、ノロノロと立ち上がると職員に力無く連行されていった。
部屋にマオと夜空だけになると、マオは立ち上がって夜空に礼を言った。
「サンキュー、夜空。昨日の今日だってのに悪いわね」
「問題ない」
夜空も魔法使い達との戦いで軽い怪我は負っていたが、幸い大したことは無かった。
「コレで、『ギルド』の魔法使い達を捕まえることができるのか?」
「完全には無理でしょうけど、そのきっかけにはなるかもしれないわね。宗田さんは渡さんやライカちゃんに命令を下せるような立場の人間だったようだし」
その後、二人はエレベーターでビルの地下へ降りて、対魔研究室に向かった。
廊下は昨日の夜空の戦いの跡がまだ残っていて、あちこち傷だらけだ。
部屋の中には、職員では無い者が2名いた。医療室で治療を受けているライカと、彼女のお見舞いに来ていたリーシアだ。
リーシアはマオの姿を見ると駆け寄ってきた。マオも笑顔で話しかけた。
「ありがとう。あなたのおかげで助かったわ」
「いえいえ、私にとっては造作もないことですよ」
あの映像は、リーシアが監視カメラをハッキングして得た物だ。宗田は社内を避けて、会話は全て空港のVIPラウンジで行われていたが、リーシアにとってはどうという事は無い。
リーシアのその言葉を効いて、マオはにっこり笑って、
「そうよね。私の携帯をハッキングしてタクミにメールを送ったりもできるんだものね」
「はうっ」
リーシアは痛い所を突かれた、という顔をした。
『早く逃げなさい。邪魔になるならその子を殺しなさい』
タクミの足手まといになることを嫌がったリーシアは、こっそりとタクミの携帯の履歴からマオの携帯を遠隔ハッキングし、あのメッセージを送ったのだった。
自分の言うことは聞かなくても、タクミの姉であるマオが言ったならその通りにするかもしれないと考えたからだ。
「そんなメッセージを送って、本当に殺されたらどうするつもりだったのよ」
マオは呆れたような顔をしてそう尋ねた。リーシアは少しうつむいて、
「……あの時は、それでもいいと思ったんです。私のような役立たず、タクミさんを危険な目に合わせるぐらいなら死んでしまえばいいと、本気で思ったんです」
マオのなんとも言えない顔を見て、リーシアは慌てて手を振って、
「あ、いえあの時は、ですよ! 今は全然そんな事思ってないですから!」
「ううん。そうじゃなくて……ありがとね」
「はい?」
なぜお礼を言われたか分からないリーシアは間抜けな声を出した。
「タクミが、私の言うこと……正確には私だと思い込んでる人、だけど。その人の言うことを聞かなかったのなんて、初めてだから」
リーシアの目が丸くなる。
「あの子、私のことなら本当になんでも聞いちゃうから、心配してたのよね。待てって言ったら何時間でも待ってるし、無茶なお願いでも何でも聞いちゃうから、私の言うことなら本当に人を殺しちゃうんじゃないかって、そんな危うさがあったのよ」
リーシアもなんとも言えない顔をした。
タクミのシスコン具合はわかっているつもりだったが、そこまで重症だとは思っていなかったのだ。
「……あの、どうして、タクミさんはそんな風になったんですか?」
その言葉にマオは肩をすくめた。
「あの子、両親を亡くしてからだいぶ荒れていてね。中学の時に色々問題を起こしてたんだけど……その時、私があの子を更正させて、『これから私の事を姉だと思え、姉の言うことには絶対服従!』って言ったら、そのままあんな感じになっちゃって」
「…………」
「私も、あの子が何でも言うこと聞いてくれるから、甘えちゃっていたんだけど、ずっとそんな事を続けていくわけにも行かないから……あの子には姉離れして欲しいと思ってたんだけど……あなたのおかげで、もしかしたら少しは姉離れしてくれるかもしれないわ」
「それはどうでしょうか……」
訝しげな表情を浮かべるリーシアだった。
タイミングが良いのか悪いのか、その時マオの携帯にタクミからのメッセージが届いた。
『マオ姉、来週こそは一緒に映画行ってくれるよな?』
二人の間に沈黙が流れた。
「……まぁ、少しずつね」
大きなため息をつく二人だった。
「さて、リーシアちゃん。あなたの今後についてなのだけど」
マオはこほん、と咳払いをして話題を変えた。
「あなたが『門』を閉じたことは、おそらく『ギルド』側にもすぐ伝わるわ。おそらく開ける事ができるのもあなただけ……今後、奴らはあなたを狙って来るでしょうね」
「……でしょうねー」
『門』を閉じた時から、ある程度は覚悟していた事だ。
「私達は、あなたさえ殺してしまえばもう『門』が開くことはないと考えているわ」
「…………」
淡々としたそのマオの言葉に、リーシアは思わず黙ってしまった。
「……けど、同時にあなたの能力の有用性についても注目しているわ。あなたの力……解析魔法によるハッキングがあれば、私達は宗田のような、カケハシ役員が魔法使いに関わって、不当な事をしている証拠を見つけ出すことができるかもしれない」
「要するに、殺されたくなかったら協力しろってことですよね?」
リーシアは冷たい目でマオを見ていた。
「そう受け取って貰っても構わないわ。協力して貰えるなら、ザックさんにも、ライカちゃんにも私達が手を出すことは無いわ」
ザックは火傷が酷く、現在はカケハシ傘下の医療機関で治療を受けている。
ライカは傷は大した事は無いが、長年の薬物実験のせいもあり、精神が不安定になっている。そのため、この対魔研究室で治療中だ。
二人とも、マオがその気になればどうにでもできるような状況なのだ。
リーシアは厳しい顔をして少し考えたが、
「……まぁ、今の私に選択権なんかありませんからね。構いませんよ」
だが、怖いぐらいにっこりと笑って、
「……ただし、ザックとライちゃんに手出しするようなことがあれば、許しませんから」
そう言い残して、リーシアはマオを睨むように一瞥して、去って行った。
残されたマオは大きなため息をついた。
「損な役回りだな」
「あら、まだいたの」
そんなマオに夜空が声をかけた。彼女は二人の話を少し離れた所で聞いていたのだった。
「お前にあの子を殺すつもりなど最初からないくせに」
図星を突かれて、マオは肩をすくめた。
「ああいう建前が必要なのよ。……そういう風に、周りに示しておかないといけないのよ」
対魔研究室のメンバーは、タクミのように、魔法使いに身内を殺されたり、何らかの被害にあった者が多い。その分魔法使いへの恨みは大きい。
「仲間だと言うより、脅して協力させているという立場にしておかないと、他の者達が納得しない……か」
「リーシアちゃん達には、本当に申し訳ないと思ってるけど、私は責任者だからね……。上の者がちゃんとしていないと、組織はすぐ崩壊してしまうわ」
辛そうに語るマオに、夜空は心配そうに、
「……そんなことで、お前は大丈夫なのか?」
「……夜空と、タクミがいるから大丈夫よ。あなた達は何があっても、私の味方でいてくれるもの……私も弟離れできてないわね」
自嘲気味に、力なく笑うマオだった。
「さて、色々準備しないとね」
「準備?」
「ええ、とりあえずは学校かしらね」
マオのその言葉に、夜空は首をかしげていた。
2
月曜日は幸いな事に休日だったので、俺は1日ぐっすり休むことができた。
そして翌日、火曜日。
魔法使いとの戦いで両手を大火傷した上に左手は骨折までした俺は、左手にギプスを嵌め、右手は包帯でグルグル巻きと、両腕だけ真っ白なミイラ状態で登校する羽目になった。足は一応大丈夫だったが、医者からは運動は控えるように言われていた。やはり当分の間は部活には出れそうにない。
一昨日の事もあって、鍛錬のために空手部と陸上部にもちょっと顔を出したいのだが、まだまだ先になりそうだった。
学校では、校庭にライカの雷でできた大きな焦げあとがいくつもあって、異常気象だとか宇宙人がどうとかと噂されていた。
教室につくと、俺の両手について回りから色々聞かれたが、ひとまず料理をしていたら大火傷してそのまま転んで骨折したということにしておいた。だいぶ怪しい顔をされたが。
しかしこの腕では教科書を開けるかどうかも怪しい。ノートを取るなど絶望的だ。こういう時仲の良い友達でもいればノートを借りれるのだが、あいにく俺は特別仲の良い友人などいなかった。辛い。
俺は苦労しながら窓際一番後ろの自分の席に着く。俺のクラスは37人。横に6個ずつ机が並んでいて、余った一席が俺の席なので、ますますぼっち感が漂っているが、この席の後ろも横も気にしなくていい開放感が割りと気に入っていた。
が、なぜか今日は俺の右に先週まで存在していなかった空の机が置かれていた。
なんだろう。転校生でも来るんだろうか。
そう考えた瞬間、俺はとてつもなく嫌な予感に襲われた。
俺の剣士としての第六感が、これは面倒なことになる告げている。
真剣に逃げるべきか考えていたが、やがて先生が教室に入ってきて教壇に立った。
しまった。逃げる機会を失った。
「あー。急な話だが、今日。このクラスに転校生がやってくることになった」
俺達の担任は40代半ばの冴えない教師で、授業も何言っているかよくわからないと評判だが、今日は授業でも無いのに何言ってるのかわからないぞ。何だ急な話って。
教室中がざわざわするが、事情が良くわかっていないのは先生も同じようだった。
「いや、先生も驚いたんだ。昨日決まった話らしいからな……まぁ、とにかくどうぞ」
そう言って、クラス中の人間の視線が扉の方に集まる。
現れた人物の姿を見て、やっぱり逃げるべきだったと大いに後悔した。
その人物は、小学生のような身長をした、真っ白な髪に真っ赤な目をした少女だった。
「転校生のリーシア・エーレンベルクでーす! フランスの学校から転校してきました! 昔日本に住んでいたことがあるので、日本語は喋れますので、みなさんガンガン話しかけてくださいね!」
教室がざわめいた。「フランス!?」「すごーい髪真っ白!」「日本語上手!」「てかあの子ちっちゃくない?」
俺は思わず机に突っ伏した。何がフランスだ。本当に行ったことあるのか? あとフランス語喋れないだろうから、すぐ嘘だとばれると思うぞ。
「じゃあ、席は一番後ろの空いてる席な」
「はーい」
リーシアは教室中の注目を集めながらトコトコと俺の横の空の席に座ると、
「よろしくお願いしますね、タクミさん♪」
「いや、なんでお前ここにいんの」
クラスメイト達の視線がまだこっちに集まっているので、俺は小声で話す。
「ほら、私、『ギルド』の魔法使い達に狙われるだろうって話じゃないですか。でも、ザックも入院しちゃってるんで、今は私一人じゃないですか。だから、普段からタクミさんにできるだけ護衛をしてもらおうって話になりまして」
「聞いてないんだけど!?」
なんでその話が俺に伝わってないの?
普通そういうのって俺に許可取ってからじゃない?
「マオさんは、あなたなら絶対断らないから、事後承諾でいいだろうって」
「…………」
あとでマオ姉のいる生徒会室に盛大に文句を言いに行ってやろう。
てかこいつ、今までこの世界で高校どころか小中学校と通っていないはずだが、戸籍とかどうなってんだ。
「役所のデータベースに進入して、捏造しました」
聞くだけ無駄だった。いい加減俺も学習した方がいいな。
「なんで学校でまでこのロリの面倒を見ないといけないんだ……」
盛大なため息をついたもんだから、ようやく前を向いていた他のクラスメイト達がちらっと俺の方を見た。
「あ、いいんですか? そんな事言って。私、いつでもタクミさんの携帯をハッキングして、授業中にエッチな動画を再生させることもできるんですよ?」
「まじやめて!」
俺が死ぬ。社会的に。間違いなくこの学校で生きていけなくなる。
「じゃあ、そういうわけでよろしくお願いしますね。相棒!」
と言って、にっこり笑って俺に向かって手を差し出してきた。まったく、ちっちゃい手だな。
やれやれ。俺の右手、火傷のせいで動かすのも超痛いんだが、相棒のためなら少しぐらい我慢してやろう。俺の分までノートを取って貰わないといけないしな。
「よろしく。相棒」
俺も手を差し出して、握手をした。
しっかりとお互いの手を握りあったその様子は、まるで二つの世界の掛け橋のようだった。