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<短編>

ササヤカならず

作者: 陸 空海

一人称です

 さて、私の正体は異世界に転生した元日本人であります。当時の名前は……うーん、忘れた。結構いい歳の社会人だったと思います。

 趣味は読書、好きな食べ物は味噌ラーメン。あと結構お酒が好きでしたねー、そういえば。


 いつ前世の記憶を取り戻したか? 実はこれも定かではないのです。

 今の私の身分は、所謂あれです。お金持ちの貴族令嬢。何不自由なく暮らせる生まれながらの勝ち組人生でした。ラッキー。

 劇的なきっかけとか一切なかったんですよね。お屋敷の中だけでゆるーりふわーり過ごしてきて……多分10歳くらいかなあ。


 ――んんん?

 何かな、この余分な記憶は?


 って感じで、ぼんやり整合性を取ってたら、そうかコレが世に言う転生キタコレってヤツかと思い至った訳ですね。


 あ、そうそう。なぜ異世界ってわかったかというとですね、ずばり文化の違いと魔法の存在です。ありがち?

 王政にドレスに貴族にお城ですからね。電化製品もないし、馬とか馬車だし。過去タイムスリップの線もあるけど、魔法はないよなあ……ってことで異世界確定。


 日本人時代だったら、魔法の便利で万能っぽいイメージに浮かれたでしょうね。ですが生まれつき異世界人的にはそれほどでもないのです。


 この世界では個人がそれぞれ固有魔法を持ってます。些細なものからヤバイのまで、王様からド庶民まで余すことなく……です。

 逆にそれ以外の魔法は使えないから、職業的に役に立つ能力を持ってない場合、微妙に無駄という。

 特にね、私みたいな貴族のお嬢様にどんな特殊能力が必要かって話です。


 ちなみに私の固有魔法は超くだらない。

『夜目が利くようになる魔法』

 何に使うんでしょうね。職業狩人とか盗賊だったら重宝したかも?

 けど現実はただのお嬢様だからなあ……あ、いや最近お嬢様じゃなくなったんでした。


 適齢期なので結婚しました。

 いえ――正確に言うと、妾妃として王の後宮に入ったのです。






 ◆ ◆ ◆



 さて、この国の王様はリカルド3世陛下と仰います。この世界でも中規模程度の大陸の、ほんの片隅の国ですがね。

 その中ではトップに立つ男性が私の今生の夫です。……うーん、違うな。この国の定義だと妾妃って要するに正規の愛人だし。

 ああ、でも王はまだ正妃を定めてはいないんでした。まだマシかなあ。大勢の中のひとりっていうのは変わらないんですが。


 ただ私なんか末端の末端なんで、正妃になる芽などアリマセンです、はい。

 後宮入りできるくらいだから、実家はそこそこ高位の貴族家ではあるんですけどねぇ。上には上がいますし、立場的には新参もいいところですし。

 だいたい王なんて初日に会ったきりだっつーの。まったく乙女ひとの純潔を奪っておいて、その後何ヶ月も放置とはこれ如何に。そんなにも趣味じゃなかったですか、そうですか。

 幸いにもと言うべきか、私は前世では結構な年齢まで生きたから、精神的にも経験的にも結構な大人でした。だからまあ、別に概ね割り切れたので構わないけどさ、私が一般的な貴族令嬢だったら泣き暮らしてましたよ、本当。


 何が言いたいのかわかりますかね?


 つまり鬼畜夫(仮)の眼中にもなく、政治的な立場も義務もない妾妃、これ即ち――超!絶!暇という事実なんです。

 日がな一日何をするでもなく、本を読んだり手芸だの楽器演奏だのに明け暮れて、ご飯食べて遊んで寝るだけ。太るわ。じゃなくて、退屈するに決まってます。


 だからって変なことすれば、位の高い他の妃方に目をつけられたり、下手をすれば王の不興を買う可能性もありますからね。これでも一応領地の利益のために捧げられた身なので、無茶はいけません。

 なので、私のできる暇潰しは限られてます。


 具体的には……夜の屋上散歩とかです。


 私は夜な夜な屋上、いえ正確にはお城の屋根を歩いてます。

 つまらない固有魔法と思ってたけれど、こんな場面で使用することになるとは。運動神経は悪くない方ですしね。

 見張りの兵に見つからず、後宮の屋根づたいをふらふらして、満天の星を見る。なかなか悪くないですよ、ええ。



 まあ、そんなササヤカな趣味をこっそり堪能していた私に転機が訪れたのは、突然でした。

 その日――と言ってもどんな日なのかと疑問に思われるでしょうが、何でもない何もない数あるどうでもいい日のうちの一日です。

 そう、その日も私は真夜中に屋根に昇りました。何故かそこで、忘れられない邂逅を果たすことになるのです。



 + + +



 さて、私の住む部屋は後宮でも隅っこでした。となると、当然気になるではないですか、真反対側の端が。

 行ってみました。

 そしたら、いい感じに見張りの死角だったので、休憩ポイントにした訳です。

 もちろん持ってきてますよ、お茶とおやつ。ピクニックの基本です。


 ええ、当然その日も何の気負いもなく、おやつタイムと洒落込んだんです。

 そのとき――でした。

 ああ、ええっと……絶品クッキーを無作法にも口一杯に放り込んで、水筒のお茶を飲もうとした、そのときでした。


 かたん、と近くにある小窓から音がして、私は吃驚して噎せそうになります。


「……はい?」


 思わず間抜けな声を出してしまいましたよ。だって、だってですよ?

 いきなり小窓から身を乗り出してきたのは。


 ――子ども。


「何者だ?」

「……っんぐ」


 誰何されました。

 あまりに動揺してクッキーが喉に詰まるかと。んがっくっく状態です。


「何者だ? 間者の類いか」

「い、いえ」


 再度尋ねられたけれど、馬鹿じゃないですかね。スパイが正直にそうですって言うわけないじゃん。

 まあ私が疑われてるのは紛れもない訳で、少々焦りました。


「第13妃のエリスです」

「13妃?」

「です。レクサンデル殿下」

「……お前」


 名を当てられて意外そうですが、後宮にいる子どもと言えばひとりしか心当たりがありませんよ。ただ、お互い顔を合わせるのは初めてです。

 リカルド陛下の第一王子のレクサンデル様。

 御齢は7つだか8つだか。


「ただの散歩ですよ、殿下」

 怪訝そうですね。致し方ないですが。

「屋根の上で?」

「星空が綺麗でしょう?」

 なーんて気取ったところで、不審者には違いないでしょうね。ああ、下手打ったわ、やばー。


「……そうか」


 意外にも殿下は咎め立てもせず、屋根を這って私の横にちょこんと座りました。

 えっ、なんで???


 ……気まずい。


 気まずいったらないですよ。

 いや、だって私、子どもあんまり得意じゃないんですけど。前世含め親になったこともないですし。


 でも……何か妙に大人びた子どもというか。ぱっと見ですがね。第一印象です。

 表情ないし愛嬌ないし、いやに痩せこけてて辛気くさい雰囲気なのですよ。

 レクサンデル殿下の不遇は噂で聞き及んでますが、思ったより酷そうですね。後宮は人でなしの巣窟だわ。


「……殿下」

 私が呼ぶとレクサンデル殿下は顔を上げてこちらを向きました。

「何だ? ……っ!?」


 おお、目を白黒させる殿下、ちょっとだけ可愛らしいじゃないですか。

「毒とか入ってないですから、ご安心を」

 要するに私は、殿下が口を開いた瞬間を見計らって、クッキーを幾つか放り込んだのです。

 驚きながらも咀嚼して飲み込んでる殿下は、なんか子栗鼠みたいですね。


「もっと召し上がります?」

「いや……」

「大丈夫です? 子どもが遠慮するもんじゃあないですよ」


 可哀想なレクサンデル殿下。

 この国で最も豊かであるはずの王宮で、こんな子どもが満足に食べさせてもらえないなんて。

 贅沢しろとは言いませんが、このガリガリ具合はあり得ないです。


「変な奴だな。13妃」

「エリスですよ。全然憶えなくてもいいですけど」

「憶えた」

「えー……別にいいのに」


 結局その日は夜更けまで他愛もない自己紹介とクッキーの話に終始しました。

 そして――翌日から私の散歩には、ササヤカならぬお供が増えたのです。






 ◆ ◆ ◆



 さて、先述のレクサンデル殿下は国王リカルド陛下の第一子にして唯一の子、単純に考えれば王位継承最有力の跡取りのはずです。

 けれど殿下の母君があんまり位の高くない方で、しかもお亡くなりになっている。生母の実家は没落気味で後ろ盾は望めず、もし他の妃に男子が生まれれば邪魔な存在として疎まれる立場にあります。現状、他に王の後継者がいないから、後宮に飼い殺しにされていることは有名な話です。

 下手にレクサンデル殿下に肩入れすると有力派閥の妃たちに睨まれるので、みんな同情しても決して表立っては近寄ろうとしません。王族の血を引く第1妃だの大臣の娘である第2妃だのを筆頭に、我こそは世継ぎの君の母に相応しいと意気込んでますからね。怖い怖い。


 基本的に現在のリカルド陛下の後宮には、そこそこの身分ある女性しかおりません。憚りながら私も含めて、です。

 即位当初は違ったそうです。レクサンデル殿下の母君のような末端貴族出身の方もそれなりにいらっしゃったとか。まあ醜い争いがあって淘汰されたというか。なんか蟲毒っぽい。まったく後宮なんてろくでもない場所ですよ。

 まだ誰も正妃に据えられず、また誰が正妃になってもおかしくない状況なので、一番先に王子を産んだ妃がその椅子を勝ち取るだろうと勝手に噂されています。

 絶賛放置プレイ中の私は、正妃争いも王のご寵愛もまるで関係ない蚊帳の外ですがね。


 それはさておき、レクサンデル殿下です。

 あんまり関わるべきではないなあ。バレたら非常に面倒くさい。わかってはいたんですけどね。

 放っておかれる身の上に親近感でも覚えたんでしょうか。我ながら単純です。


 毎日ではありませんが、レクサンデル殿下とは時折、屋根の上でお話するようになりました。

 あちらは多分、私の持参するお弁当やらおやつが目的と思われます。故意のいじめか無関心の極みか知りませんが、おそらく毎日食事がきちんと提供されてないようです。まだまだ食べ盛りなのにお気の毒過ぎる。


「殿下、今日はローストビーフサンドありますよ」

「サンド……?」

「私の夕飯で恐縮ですが、お手軽ですよ」


 バスケットから取り出したパンを、殿下は物珍しそうに見ています。

 サンドイッチ伯爵万歳。いや別に、この国にも昔からパンに具を挟む食し方くらいありますよ。比較的庶民の料理ってだけで、王宮育ちの殿下には縁がなかったんでしょう。

 毎食自室でひとり飯の私は、侍女の理解さえあれば夕食のリメイクなぞお手の物です。侍女は実家からついてきた者で、転生者である私の突拍子もない行動には慣れてますから。

 料理人には悪い気もするけど、貴族生まれなのに何故かもともと気取った食事苦手なんですよ。きっと前世の記憶のせいですね。


 レクサンデル殿下は最近あまり警戒も見せません。慣れてきたんだなあ、と少し感慨深い。まあ三月もあれば緩みますか。

「でも全然ふっくらしませんね、殿下。もっと栄養価の高いものがいいのかな」

 独り言ちて呟くと、殿下は何とも微妙な表情をしました。

「甘い物をもう少し摂取した方がいいかもしれませんね。人間て脳を使う……ええっと、色々考えたり勉強したりするのにたくさんの糖分が必要なんですよ、確か。ブドウ糖」


 そうでなくても成長期のお子さんですからねぇ。

 頬に触れたり二の腕の太さを確かめたりしたら、ますます以て胡乱な目で見られました。ううっ、ショタの変態じゃないですぅ。


「本当に変わった女だな、エリスは。おおよそ貴族令嬢らしくない」

「殿下も大概ですがねー」

 屋根の上でお喋りしてる時点で同類だと思うんですが。それに基本的には普通の箱入り娘なのですよ、私は。

 正直にそう告げたら、レクサンデル殿下は怪訝そうに真っ青な瞳を眇めました。


「ただの世間知らずを主張するには、どうにも発言が妙だからな、お前は」

「普通ですよ」

「そうか? 先日の話など随分興味深かったぞ。そうだ……確かニホンとかいう遠い異国の話」

「あー……」


 ――ぎくり。


 あはは、と愛想笑いを浮かべながら、私は内心で顔を引き攣らせます。

 うーん……ちょっと迂闊でした。

 もちろん前世云々は触れていないですが、つい先日、私はうっかりかの国日本について口を滑らしてしまったのです。遠い遠い遥か彼方の島国の――あまりに異なる文化と社会についてを。



 + + +



 さて、一概に日本の知識と申しましても、前世では一介の会社員に過ぎなかった私に、さして専門的な話ができる訳もなく。

 せいぜい義務教育で習う社会科程度ですね。色々突っ込まれても困ります。

 しかしレクサンデル殿下は好奇心旺盛なお年頃なのか、物珍しそうに幻の異国ニホンについて尋ねてきます。


 まー文明だの科学だのは魔法の有無で進歩の仕方が違うかもしれませんが、人間の営みなんて概ね変わらないので、そこまで特殊でもないと思うんですけれどね。

 政治制度ひとつとっても、確かに我が国は未だ古めかしい専制君主制ですが、海を渡れば共和制の国や議会制を敷く立憲君主国家もあると聞きます。

 義務教育っぽい学校制度だって整備されてないとはいえ一応ありますし、領地によっては貧困層の欠食児童対策で給食っぽい制度もあるとか何とか。


 そう言って聞く価値なぞないと誤魔化してみましたが、レクサンデル殿下は何故か笑っていました。


「エリスの実家はなかなか教育に力を入れているのだな。それともお前が独自で学んだのか」

「普通ですよ。さては殿下、貴族の娘はドレスや宝飾品にしか興味ないと思っているでしょう?」

「あとはお茶会と夜会だろう? 少しマシな者で詩吟や楽曲、美術品といったところか」

「偏見過ぎます。周囲にろくな女性がいなかったんでしょ」


 まったくヒネた子どもですこと。

 やっぱり成育環境がよろしくありませんね。


「今まで会った妃たちはそんなものだったからな。見栄と自己顕示欲の塊か、享楽に走るか。違うと言われても説得力がない」

「おお、難しい単語をご存知ですね」

「茶化すな。お前は能力や知識はありそうなのに、本当に色々残念な奴だ」

「買い被りですよー……って褒めてないし」


「……エリス」

 セルフツッコミで惚けて見せたら、殿下は不意に真顔になりました。

 え、えーと。

「はい……?」


 何ですか改まって。緊張しますね。

 細くて小さいとはいえ、やはり生まれながらに王族の貫禄が備わっているんでしょうか。

 そういえば、お父上のリカルド陛下も妙に迫力のある美形だったかもなあ。近くで会ったの一度だけですが。


「エリスは……どう思う?」

「は?」

「エリスの考える、理想の国とは何だ? その、ニホンのような国か?」

「はああ? いきなり意味わかりません」


 いやいやいや、本人は大真面目のようですよ。これはまた大きく出ましたね。

 理想の国家像って何ぞや。

 ……知りませんよ。

 能天気なお嬢様だった私に訊くには重くないですか。爪弾きにされ続ける王子様が訊くにはキツくないですか。


「うーん……何と言いますか、その、日本という国だって、行ってみればそれなりに問題点はあるんでしょうし、理想というのは……」


 何か……何かないですかね。

 真っ当で機転が利いて、あんまり疑われない程度に穏便で、かつ説得力のある科白は。


「我が国より経済的に豊か……だったのは確かだと思うんですけど。ああ、でも食糧自給率とか低かったはずで、輸入も多かったな。ただ、何とか独り身でも働いて食べてはいけたと言うか……ええっと、そう。そうだ、それです!」

「何?」

「基本、飢えない国が良い国です。これは間違いないです」


 ……って、当たり前のことをドヤ顔で言ってどうする。しかも、ついうっかり前世の感覚で話してしまいましたよ。

 どうしよう。どうもしないかもしれないけど、何とか適当なことを言って煙に巻かなくては。


「そう――子どもが飢えない国! これがエリス的理想ですね」

 人差し指を立て、如何にも識者のごとく言ってみます。わざとらしいかな。いやいや、言い切りましょう。

「その点では残念ながら我が国もまだまだ向上の余地ありですよ」

 これは嘘ではない。幼児の死亡率は胸を張れるほど低くなかったはず。

「なので、大きくなったら是非レクサンデル殿下も理想の国造りに邁進してくださいね。そのためにはご飯ちゃんと召し上がって健康体型になること!」


 我ながら良いこと言った。

 綺麗に纏めたとは思いませんか。

 苦笑しながらではありますが、レクサンデル殿下にも一応納得していただいたようですし。


「――善処しよう」






 ◆ ◆ ◆



 さて、私とレクサンデル殿下のササヤカ過ぎる逢瀬が幕を下ろしたのは、知り合ったとき同様に突然でした。


 その頃には最初は数日おきだった遭遇が毎日となり、代わりに会話時間が減り、寂しくないけれど物足りないような不思議な心持ちでした。

 思えばすっかり毒された?

 いえ、馴らされた? 兎も角、私の日常には殿下が入り込んでいたのです。


 せっせと食べさせているにも拘わらず、殿下はやっぱり痩せっぽちのままで残念です。体質だ、なんて笑って仰ってましたけれども。


 あんまり夜遅くまで拘束するのも成長に悪いから、素早く撤収もやむ無しなんですがね……何故なんでしょう。見張りとか見廻りとかいるのかなあ、なんて気になります。

 放置されてると思いきや、行動を監視されるお立場なのかもしれませんね。そりゃあそうですか。現時点では唯一の王子様だもの。

 殿下の様相から、父親であるリカルド陛下が気にかけてるとは思えませんが、宮中には様々な思惑があるんでしょうね。


「今夜もお早いお戻りで?」

「……そうだな」


 尋ねると、予想通りの返事を頂戴しました。

「面倒なことが多くてな」

 レクサンデル殿下は大きな溜め息を吐きます。何だかお疲れのご様子ですね。

「こんな夜に?」

「ああ。仕方ない。義務だから」

「? はあ」


 首を傾げる私に、殿下はふわりと笑いかけました。ああ、最初に会ったときに愛嬌ないなんて思ってごめんなさい。


「エリスともっと一緒にいたいのは山々だが」

「え? えー? やだ殿下、オマセさんですねー」


 口説き文句か!

 早熟ですか!

 さすが総勢15人の妾妃を娶って、更に外でも遊び歩いてるらしいと噂のリカルド陛下のご子息なだけあります。末恐ろしいのう。


「でもですね、殿下。願わくば女性を泣かせるような殿方になりませんよう。将来たくさんの方を迎えられるかもしれませんが、一度ご縁があったからには、できましたら誠実にお相手なさってください」


 ……は。


 自分で言っててなんですが。

 まったく、自虐もいいところですね。

 嫁いだ(というのか)相手に無下にされる虚しさを、こんな子どもに吐露しなくとも。


 ああ、浅ましい。


 正直に言いましょう。

 私が今までレクサンデル殿下に関わってきたのは、何も子どもが可哀想とか、ただ寂しいとかだけじゃないと思います。


 劣等感と優越感と。

 孤独と共感と。

 諦念と期待と。


 この身分やら境遇を鬱陶しく思いつつも、いつか報われる日を何も成さず信じているなんて。

 子どもでも呆れますよ。

 嫌だ嫌だ。絶対に表には出せないですね。


「……エリス」


 何も知らない殿下は、純粋に私を見つめます。

「お前は、もし王がお前のことを……いや、お前自身は、王を愛しても慕ってもいない……のだな」

「えー?」

 迷いながら言葉を選ぶ殿下に、私は少しだけ苛つきました。

「いくら箱入りでも、ろくに会ったことない相手を好きになれるほど夢見がちではないですよ?」


「あー、けれど勘違いなさらないでください。別に陛下のこと、嫌いでもないんですよ。単に何も思わないだけで」

「何も……」

「基本的に貴族女性の結婚なんて、多かれ少なかれ同じです。家の決めた見ず知らずの相手に嫁ぐ。だから別に不満はありません。ただ……」

「ただ?」


「ただ――」



 私は若干躊躇しながら、答えにもならぬ戯言を口にしようとしました。

 ――そのとき。



「ッ!?」



 夜の静寂を破って、私の目の端にオレンジ色の光が映りました。

 さほど遠くない場所で異常が発生したのです。



「え? 何?」


 位置を特定するのは容易でした。そう、ただでさえ私は『夜目が利く』人間なのだから。

 オレンジの灯り……いえ、あれは。


「燃、えて――?」

 呟いた直後に、事態に気づいて愕然としました。

「火事!?」


 後宮のどこかの部屋から火が出ている!?

 確か第7妃の居室あたりかと思いましたが……。


 呑み込めないまま呆けていると、ひゅっと音がして、光の軌跡が宙を通り過ぎました。


「――火矢だ」

 私の傍らで、殿下が冷静に判別します。

「え……じゃあ」

「襲撃、か」


 私の中で点と点が結びつきます。

 今夜は先触れがあったはず。リカルド陛下が第7妃の元にお渡りになる、と。


「王を狙って……」

「そのようだな」


 感情に乏しい声音で、殿下は肯きました。動揺も不安も見られません。

 思わずぞっとします。

 この子……あまりにも子どもらしくないような。


「殿、下……」

「……心配するな」



「あそこには王はいない・・・



「え?」

 その発言に驚く間もなく、私は別の光景に目を奪われました。

 何度も言いますが、私は『夜目が利く』のです。夜は常にそういう能力を発動しているのです。

「――殿下っ!!」


 叫ぶと同時に、私の身体は動いていました。

 小さな殿下の肩に抱きつき、庇うように覆い被さります。


「エリス!?」

「……ッ」


 背中に激痛が走りました。

 おそらく火矢が掠ったのでしょう。刺さるほどの衝撃はなかったので、傷は浅いはず。


 ああ、でも痛いな。

 名誉の負傷ですよ?

 曲者が屋根の上の我々に気づいて、矢を放ってきたのが見えたのです。きっと先程炎が宙を舞ったとき、照らされてバレたんでしょうね。


「エリス! しっかりしろ!」


 瞼が自然と下りて、殿下の姿が霞んでいきます。私の名を呼ぶ声も小さくなっていきます。


 ふふ、少しは焦りました?


 ……あなたが、無事で、良かった。






 ◆ ◆ ◆



 さて、目が覚めると――私はなんと牢に入れられてました。


 うわお、そうきたか。

 そりゃそうか。


 牢と言っても罪人が収容されるところではなく、後宮の地下にある監禁部屋です。精神に異常をきたした妃なんかを幽閉するのがメインの利用実績で、鉄格子に囲われてるのです。


 ……ですよね。


 迂闊にも屋根の上で倒れて、しかもレクサンデル殿下と密会(?)してたんですから。

 そのうえ、あの襲撃です。


 怪しい。

 怪しすぎますよ、私!


 これは下手をしなくても容疑者ですね……。

 ああ、マジ詰んだわ。さようなら今世。こんにちわ来世。


 怪我の手当てがされているようなので、もう少しは猶予があるのでしょうか。曲者の背後関係を調べたいとかで、とりあえず生かされてる感じかな。

 何も知らない以上、割る口もありませんがね。拷問されたりするかも?


 絶望的な状況に滅入っていた私は、暫くの間、近づいてくる気配に気づきませんでした。

 カツカツという足音が響いて、誰かが牢の前で立ち止まりました。


「?」


 ベッドの端に座っていた私が顔を上げると、長身の人影が目に映ります。室内はろくに灯りもなく薄暗いのですが、まあ私には関係ありません。

 鉄格子の扉を開いて部屋に入ってきたのは、二十代後半くらいの男性でした。

 彼が身に着けているのは確か、王の補佐官の服装だったような。宮仕えの着衣は職務や地位によって微妙に纏う色やデザインが違うので、判別は楽なのです。


 いや、でも……なんで?

 私の脳は混乱の極みでした。


「……第13妃」

 彼の声は低く、凄味がありました。

「言いたいことは、あるか?」

 有無を言わせぬ迫力で、彼は続けます。

「或いは最期の望みは」

「え……と」


 つまり――このひと・・・・はもはや取り調べをするつもりもなく、問答無用で私に引導を引き渡しにきたと、そう理解すべきですかね。

 訊き方もやり方も強引かつ迂遠だと思いますが、逆らうことなど許されそうにありません。


 ……仕方ない。

 観念しますか。


「言いたいこと……は」

「何だ」

「まあ、有体に言って三つほど」


 指を三本立てて、私は淡々と主張します。

 今更怯んでも事態は変わりませんからね。

 開き直った私の様子に、彼は僅かに表情を動かしました。泣き叫んで命乞いをするとでも思ってたんでしょうか。お生憎さま。


「両親は私の行動と何も関係ないですが、おそらくお咎めなしでは済まないでしょう。製造者責任として甘んじていただくしかありません。謝罪を伝えてください。私のような粗忽者が娘で、申し訳なかったと」

「聞こう。……次は?」

「レクサンデル殿下のことです」

「何故?」

 あからさまに渋面を作って、彼は強い口調で私に詰問しました。

「なぜ一介の妃が王子に関わった? 後宮で立場を得るための手駒にでもなると思ったのか。まさか、ただ憐憫が理由ではないだろう?」


 ご尤も。普通は疑いますよね。

 寵愛の望めない妃が唯一の王子殿下に近づく下心は何か。

 母君のいない孤独にでもつけ込んで、自分の思うように動くよう手懐ける。他の妃に王子が生まれなかったら、巧く立ち回って後見として権力を得るのも可能かもしれない。

 どんな野心家認定されてるんでしょうね。


「理由……理由ですか」

 しかし改めて訊かれると浮かばないものです。

 相手の想像するような上昇志向など欠片も持ち合わせておらず、期待を裏切るような緩い中身なので、白状するに相応しい企みが思いつきません。

「そうですね……まあ、暇だったから、としか」

「……暇」


 彼は口の中でぽつりと私の答えを反復します。

「暇、か」

「未来もなく、誰に必要ともされない、無為の生活ってお気楽なようでしんどかったんですよ。そこにたまたま貧相な子どもが現れたから、餌付けしてみただけ。つまらない真相ですが、これだけです」

 今にして思えば、死ぬ気で何かやってみようと試みれば叶ったのでしょうか。

 いいえ、考えても詮なきことです。

「殿下もきっと単に人恋しかっただけでしょう。大人びてはいらっしゃいますが、まだ子どもです」


「微妙なお立場はわかります。それ以前に人の親としてどうなのとか思うところはありますが、今更構ってさしあげてとも申しません」

 私がとやかく言うのも違うんでしょうけど。

 どうせ助からないなら、多少でも無情なちちやその周囲に響けばと願わずにはいられません。

「では、何か」

「食事と書物。それだけで結構と存じます。成人まで生き延びさえすれば、あとはご自身で身の処し方をお考えになるでしょう」


 もちろん責任は持てませんし、出会って幾許もない赤の他人を心配する義理など、私には全くないですけれども。

 殿下が何とか、自分の力で生きられる大人になるまで踏ん張れればいいと思います。気の毒な子どもを保護したいというのは、万国共通、ごく当たり前の人情でしょう。


「……理解した。最後は何だ?」

「三つ目は……まあ、どうでもいい話です」


 私はくすりと笑います。


「聞かなくとも問題ないです。というより、絶対に無理ですから」

「望みは命乞いか」

「いえ……」


「末期的な、ササヤカなものですよ」


「ささやかと言うのに叶えられぬと?」

「ああ、そうですね」

 自らの矛盾に苦笑すると、彼は真面目に尋ねているのに巫山戯ているのかと不機嫌になる。感情的な一面もあるようで、意外です。

「単に物理的な問題なんですけれど」

 怒らせるつもりはなかったので、私はすぐに頭を振って答えます。

「末期はやっぱり、水じゃなくて日本酒が良かったなあって」


 何というか、今の人生ももうすぐ終わるのかと思ったら、不意に前世の最期を思い出したんですよね。すっかり忘れてたけれど、病死でした。

 独り身で、仕事に明け暮れて、健康診断もろくに受けてなかったから、気がついたら手遅れで。

 病院のベッドで意識がなくなる少し前に、誰かがどう持ち込んだのか日本酒を口に垂らしてくれました。多分私がよく飲み会なんかで「末期は酒がいい」なんて、冗談で言ってたのを憶えていてくれた身内か友人がいたんですね。死に水って遺体に含ませるもののような気もしますが、まあそれは置いといて。

 そんなささやかな思い遣りが、どうしようもなく嬉しかったと、今は懐かしくすら思います。


「ニホン……」

「ご存知ないでしょう」


 別にいいのです。

 また死んでも、もう一度生まれ変わるかもしれませんし、そうでないかもしれません。人間いつだって、生まれた環境に適応して、それなりに生きて死んでいくだけですから。



「だから無理なんですよ――リカルド陛下・・・・・・






 ◆ ◆ ◆



 さて、あれから数日は経とうかと言うのに、私はまだ処刑されておりません。


 事務処理とかで後回しになってるんですかねぇ。襲撃事件の真犯人を追うのに人手が割かれて、それどころではないのでしょうか。

 閉じ込められてるだけで、手荒な真似もされてないから別にいいんですが。それどころか、きちんとした食事も運ばれ、湯も使えるし、着替えも用意されて至れり尽くせりです。何なんでしょう。お慈悲というヤツかな。


 にしても、相も変わらずどこにいても暇ですね、私は。

 一度覚悟をしてしまったからか、恐怖も焦燥感もありません。どうも感覚が麻痺してるのかもしれませんねぇ。


 しかし、先日の陛下の間抜け面は笑えました。あの程度の変装で、自分の素性がバレてないと思うなんて滑稽です。補佐官の服なんか着ちゃって、多分こっそり私の本音を聞き出したかったんでしょうけれど。

 自分の国のトップ、しかも結構な美丈夫でいらっしゃるのに早々見忘れる訳ないじゃあないですか。間近で会ったのは初夜の一度しかありませんけどね。だいたい息子のレクサンデル殿下と顔立ちそっくりだし。

 暗がりだから油断したんでしょう。妃の固有魔法も把握してないなんて、興味がなかったにしても迂闊ですよ。

 まあ一矢報いるというレベルではないですが、驚いた表情が見られたので満足です。何の意趣返しにもならないのに、ざまぁみろと言いたい気分です。



 ひとり悦に浸っていたら、漸くタイムリミットが訪れたようです。



 幾人かの女官と騎士が、無言で部屋に入ってきました。一応は型通りに妃に対する礼を取って、私に部屋を出るよう促します。

 拘束はされませんでした。逃亡の危険はないと判断されたんですね。もしくは不穏な動きをしたら、処刑台を待たずに騎士の方に斬られるんでしょう。

 今更そんな気はさらさらありませんよー。


 ところで処刑って、どこでやるんでしょうね。

 地下の監禁部屋とはいえ、後宮内ではタブーとかあるのかなぁ。

 外? 処刑場みたいな施設?

 おそらく絞首刑ですよね。それともギロチンという可能性も……いや、この世界にはなかったか。毒杯だったらさっきの部屋で済まされそうだから、それもなし。


 つらつら考えながら、先導する女官の後ろを歩いて行きます。殆ど囲むように騎士が左右を固め、如何にも連行される犯罪者な気分です。できたら上着を頭に被せて欲しかったなー。


 後宮を出て、王宮の別の建物へ。


 そのまま上階に進み、大きな扉の前まで案内されます。扉はやけに荘厳で、恐れ多い雰囲気を醸し出していました。

 女官は扉を開くと、無表情のまま頷くことで私に入室しろと命じます。

 さすがに俯いて、私は一歩踏み出しました。同時に素早く扉が閉められて、背にかかる圧力は正直怖かったです。


 ――終わり、か。


 私の終着はここでした。

 とうに覚悟を決め、諦めて受容した運命にも拘らず、土壇場では身体も心も震えます。どうにも情けないですね。

 上流社会に生まれ恵まれた暮らしをして、曲がりなりにも嫁いで、何不自由なく――自由もなく、漫然と過ぎてきた人生は、別に嘆くほど悲惨なものではなかったでしょうに。……惜しむほど充実もしていなかったでしょうに。


 豪奢な床の大理石を見つめ続けながら、私は終焉を決める裁断を待ちました。室内にはどのような立場の人間が何人がいて、どんな視線を私に投げ掛けているのかわかりません。

 気配はするのに、声はない。

 微かな衣擦れの音は誰のものなのでしょう。


 やがて私の名を呼んだのは、聞き慣れたやや高い子どもの声でした。



「エリス――」



 + + +



「……!」

「エリス」


 レクサンデル殿下……!


「え……殿下?」

 部屋の中央に佇む姿は、紛れもなく小さな殿下に相違ありません。

「何故ここに……。あ、いえ、ご健勝そうで、何よりです」

「すまぬ、エリス」

「は?」

 状況が把握できぬまま謝罪され、私はぽかんとしました。実際、この再会をどう理解したらいいのでしょう。


 広い室内には殿下以外の人間はおりません。今になって気づきましたが、部屋は公開処刑場でも広間でもなく、贅を尽くした客間か私室といった風情でした。

「ええっと、これは……いったい?」

「そうだな、何から話そうか」

 殿下はまたしても子どもらしくなく、神妙な表情で考え込みます。

「まずは見てもらうのが一番早いか……」


 ぼそりと呟くと、殿下はソファに掛けてあった毛布を肩から羽織り、すっぽりと包まりました。


 ……何ですかね?


「あの」

 どういう反応を返すのが正しいのか、私は戸惑います。

「殿下……?」

「違う」


 殿下が否定の言葉を口にした――その直後のことでした。


「な……」


 ああ、何と言ったらいいのでしょう。

 眼前で起こった出来事は、俄かには信じられるものではありません。私はただただ茫然と、言葉もなく瞳を瞠いて、そのまま腰を抜かしました。


 殿下が、レクサンデル殿下が。

 僅かに発光して、魔法の気配がしたと思ったら。

 ほんの瞬きをする間に。


 小さな幼い子どもの身体が膨張――否、成長して・・・・大人の姿になるなんて。


 そして私は当たり前のようにそのひとを知っていました。

 つい先日もお会いしたのだから、間違いようもなく、知っていました。



「リ、カルド、陛下?」



「そうだ」

 毛布を纏ったまま近づいてくるレクサンデル殿下――だったはずのリカルド陛下に怯んで、私は立ち上がって後ずさりました。

「別に危害は加えん。先日は少し試した。与える罰などない。脅えさせてすまなかった」

「ど、どういう」

「簡単に説明すると、固有魔法だ」

「幻? いえ、まさか……『若返り』?」


 リカルド陛下は正解に満足して微笑みました。既視感にくらくらします。


「レクサンデル……殿下は? 本物の」

「もともと王宮には置いていない。極秘だがな」

「では、最初から」

「ああ」


 ――騙された。


 いいえ、確かに陛下は一度も名乗ってはいません。私が勝手に後宮にいる子どもは王子殿下おひとりだと、勘違いしただけ……。


 いやいやいやいや!


 無理ゲ! それで真相に至るの絶対にないわ! 私は悪くない!

 してやったりと言わんばかりのドヤ顔で、陛下は愉快そうにしています。

 ……ムカつく!


「たまに王子レクサンデルのふりをして、後宮の様子を窺っていた」

「な、何故」

「大抵は無関心か、時に悪意をぶつける者もあって、いい試金石になった」

 うわー性格悪い。

 後で色々裏から手を回したであろうことは想像に難くないです。運が……良かったのか、私。 

「穿ち過ぎるな。普段は見られない人間の裏側を知りたかっただけだ。おかげで随分と興味深いものを見つけたが」

「それって……」


 嫌な予感がひしひしとして、私は更に歩を後ろに進めて顔を引き攣らせました。

 子ども用の衣類が破れて毛布姿(変態!)のリカルド陛下が、じりじりとにじりよって来ます。


 ど、どうしろと――!!


「エリスの反応が一番意外で面白かった」

「ええっと……光栄です?」

「必死に菓子だの飯だのを与えて」

「あれは殿下が痩せすぎだったので!」

「私も幼い時分はレクサンデルに近い立場だった。だから、その頃まで『若返る』と自然と肉付きが悪くなる」

「はぁぁ?」


 ――超!ショック!

 何がって、今までで一番のダメージですよ。まさか……まさか私の必死の餌付けが、すべて無駄だったって話じゃあないですか。


「最低……」

「だから、すまないと言っている」


 怒りやら後悔やらで涙目になる私を、リカルド陛下は毛布越しに抱き締めました。幼児をあやすような仕草です。馬鹿にしてます。


「最後までお前を謀ったことも謝罪する。あの日の襲撃は予見していたものだ。先程も言った通り、私はもともと王位に就く以前の立場が盤石ではなかったこともあり、政敵もそれなりにいる。巻き込んでしまって悪かった。怪我は」

「治療の魔法を使える医官が塞ぎましたよ。まだちょっと痛いけど、何でもありません」

「……私を庇って傷を負ったお前を、更に追い詰めた。土壇場になれば人間は変わる。私はお前を見極めたかった」


 改めて言います。

 警戒心が強いのはわかります、が。


 性格わっっるぅ。


「死を見据えても、お前は変わらなかったな。泣き喚くでもなく、誰のせいにするでもなく、妙に達観して。大した女だ」

「買い被りですぅ」

 絶対にそれ以上は聞きたくない私は、両手で耳を塞ぎ、両眼を逸らしました。けれどリカルド陛下は有無を言わさず私の顎に触れて、くいっと顔を持ち上げます。

「お前が気に入った」

「……っ!?」


 強引に唇を奪われ、私は絶句しました。

 は!?

 キ、キス!?

 初夜すらおざなりに済ませたくせに、なんで今更こんな丁寧に執拗に口づけしてきますか!?


「ん……っ」


 長く私の口腔を弄った後、リカルド陛下は唇を一舐めして濃厚なキスを終えました。こちらを見つめる瞳が壮絶に色っぽくて、腰が砕けそうです。

 くそうぅ、この女ったらしが!!


「だから、お前を傍に置くことにした。ここは私の使っている部屋のひとつだ。暫くはここに住まうがいい」

「……暫く?」

「そうだな」


「お前が子を産むまで」

「はぃぃ!?」

 突拍子もない発言に、私の思考回路は磨滅し過ぎてどうにかなりそうです。

 子、子……子って!?

「エリス、お前を正妃にしたい」


 ――は!?


「な……何を……」

「子どもは好きだろう?」

「いえ、どちらかと言うと苦手です!」

「そうか? 国母としての適性ありそうだから、まあ問題ないだろう」

「問題しかありません……」


 お戯れを、と言っても全然聞いてくれそうにありません。

 一体このひとは何をほざいてらっしゃるの……。

 ぐるぐると目を回しそうになる私に、リカルド陛下はやけに熱っぽい口調で告げました。 


「わからないか? お前に――惚れた」

「惚……」


 もはや私の脳は単語の意味を何ひとつ理解できず、ひたすら翻弄されるしかないようです。

 決定事項だから覚悟しろ、と耳元で囁かれ、赤面していいのやら蒼褪めればいいのやら。



 ああ、なんていうことでしょう。

 お願いです。

 誰か私のササヤカな日常を返してください――。



<完>

ありがとうございました

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― 新着の感想 ―
[一言] 数年前に読んで印象深かったお話です。ランキングをみて来ました。特に最後の方とかちょっと変えましたか? 大変な時期なのでお体にはお気をつけください。 楽しませていただきました。
[良い点] 最後までハラハラして、おもろかったです。 [気になる点] 正妃になったら嫌がらせされないかなー心配。
[一言] 何回読んでもいい話ですね。この二人の続きが見たいと思うのです
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