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クイーンドラゴン  作者: 進常椀富(しんじょう・わんぷ)
6/10

破壊と謝罪ののち

 十七日になるとハロワへ行った。

 手続きは滞りなく進められ、俺は初めての給付金を受け取ることができた。

 額は三万円ちょっと。予想よりずっと少なかった。

 算定の仕組みはきっちり決まっているので、事前に自分で正確な額を計算しておくこともできるのだが、俺はそれをサボっていた。

 あてが外れた。

 十月には車の車検があるのだが、このままだとギリギリ足りるか足りないかというところだ。

 次の認定日は十月十二日。そのときにはもっと多く貰えるはずだ。それに頼るか……。


 引き続いて失業者の認定を受けるには、十二日までに求職活動を二回行わなければならない。言い換えれば、二回ビデオを見に来るだけでよかった。俺はすぐ次の週に、その二回をこなした。


 十月になり、俺はトヨタのディーラーへ車検の相談をしに行った。

 前回、二年前の車検のときには、別の整備工場に頼んでロクでもない目に遭ったからだ。

 その工場は車検の期限ギリギリに入る日を指定し、その日までまったく車を開けて見なかった。

 大丈夫だろうかと不安に思っていたが、その危惧は的中した。

 当日になってウォーターポンプの交換が必要だと言われ、さらにその部品を調達するのに一週間かかるとしたり顔をされた。

 代車は出されたものの、二日間も車検が切れた状態で車を乗り回すことになった。 

 車検が切れていると、事故を起こしても保険が効かない。

 クイーンドラゴンの導きがなければ危なかった。

 古い車だったから、今回も部品交換の必要が出てくる可能性は高かった。

 その点、ディーラーならしっかりした対応をしてくれるだろう。


 俺はビンボったらしい格好で、パリっとスーツを着こなしたディーラーの社員と相談した。

 向こうは、「工場が空きますので、三日後に車検を通してしまいましょう」と持ちかけてきた。

 その早さに少しびっくりしたものの、けっきょくそうすることにした。

 車を点検してもらうと、やはりブレーキケーブルの交換が必要で、車検代金は総額十三万五千円かかるという。

 次の認定日までは十万しか出せない。口座が空になってしまう。

 車の保険代と電話回線料金、ネット接続のプロバイダ料金だけは残しておかなければならない。

 代金は二分割で納めることになった。

 

 四日後、愛車は車検を通った。工場に入っていたのは一日だけで済んだ。ディーラーの仕事は、やはりひと味違った。運転していて、キリッとした感触が返ってくる。 

 仕上がりは上々とはいえ、この車検のおかげで俺の預金残高は二万円になってしまっていた。

 フレッシュになった乗り心地を楽しみながら、俺はホームセンターに向かった。

 駐車場がいつも混んでいるので、できるだけ来たくはないところだ。

 しかし、俺の入用のもので、ここが一番安いという品物がいくつかあったので、まったく来ないというわけにもいかなかった。

 今日も駐車場は混んでいる。

 しばらくうろつくと、店舗近くに空きがあるのを発見できた。

 トラックと乗用車の間に、一台分のスペースがある。

 俺はそこに車を停めた。


 エンジンを切った瞬間、クイーンドラゴンが囁いた。


「警告、警告」


 俺は反射的に周囲を見回す。

 何事もない。近づいてくるような不審な人影もなく、意味がわからなかった。

 クイーンドラゴンのちょっとした茶目っ気だろう。

 俺はそう結論づけて店に入っていった。


 百錠入りのマルチビタミンとリステリンを購って、店を出ようとしたときだった。 

 店内放送が耳に入る。

 そのアナウンスは俺の車のナンバーを繰り返して、至急出てきてくれと言っていた。

 俺はもう出口だった。

 すぐに惨状が目に入る。

 俺の車のバンパーが外れ、ごろりとアスファルトの上に転がっていた。

 右のライトも潰れている。

 駐車していて当てられたわけだ。車検が終わったばかりなのに。


 同じグリーンの作業服を着た男が四人と、この店の店員が二人、俺の車の周りに立っていた。その輪へ入り込んでいって申し出る。

「俺の車なんですけど……」

「すいません! 申し訳ありませんでした!」

 グリーンの作業服を着た中で、一番若い兄ちゃんが勢いよく頭を下げてきた。

 話を聞くと、右隣に停めていた園芸会社のトラックが、駐車場から出ようとして俺の車にこすったそうだ。運転していたのは、この兄ちゃんだったという。

 

 クイーンドラゴンの警告を無視した結果がこれだった。

 

 でも、彼女は俺を見捨てなかった。

 当てた車は逃げなかったのだから。呆れはしたものの、大した怒りも湧いてこなかった。

 無謀運転の果てというわけでもない。若ければこんなミスもするだろう。ただ、間抜けなだけの奴だ。


 二十年以上運転してきて、初めての事故だった。

 どういう態度を取るべきか、わからないということもあった。

 どうせなら『いい人』で済ませてやろう。

 相手は社用車だったし、こうして逃げなかったからには、こいつらに任せておけば、すべてきっちり片をつけてくれるはずだ。

 免許証を見せ、住所と電話番号を交換しあう。

 必要なことを済ませてしまうと、俺たちはあまり喋ることもなく警察を待った。

 そこへ背の高い若い女が二人やってきて、運転手だった兄ちゃんに声をかけた。

「どうしたのー」

「いや、ちょっと……」

 兄ちゃんはもごもごと答え、二言三言話すと、姉ちゃんたちは去っていった。


 俺はこのときになって初めて、軽い怒りを覚えた。

 

 もちろん女友達がいることに対しての嫉妬だ。


 たっぷり一時間も待たされてから、バイクに乗った警官がやってきた。

 どう見ても定年を超えていそうな老人だった。

 あまり警察と縁のない俺は、こんなに年寄りの警官を見たことはなかったぐらいだ。

 それでも仕事はきちんとこなした。

 免許証を見せたとき、この年老いた警官は、俺のことを三十二歳だと間違えた。単なる計算間違いかもしれないが、若く見られるのは嬉しくなくもない。

 警官が調書を取って去ると、次はレッカー車がやってきた。

 年配の運転手が、器用に俺の車を積み込む。

 俺もレッカー車に乗って、この場を後にすることになっていた。

 車に乗り込むと、レッカー車が道路へ出るまでの間、兄ちゃんたちはずっと頭を下げていた。

 まあそれぐらいのことはしても当然だろう。

 俺が不運で孤独なのに対し、おまえたちは女友達もいるし、うまく社会に参加しているのだから。


 保険会社の手配で、車は近所の修理工場に運び込まれた。

 そこで代車を受け取り、家路に着く。

 その日の夕方、例の兄ちゃんと園芸会社の部長が、せんべいを持ってお詫びに来た。俺にはもう、面倒くさいだけだった。


 それから連日、年に十回も鳴らない電話がよく鳴った。

 保険会社や修理工場からの細々した連絡や交渉だった。

 保険会社は一度、俺の車の査定額が二十万になるから、それを現金で受け取って、車のほうは廃車にしないかと持ちかけてきた。

 二十万は魅力的だったが、それでは新しい車は買えない。

 車は生活の生命線だった。

 日々の買い物もあるし、母親を医者へ連れて行くのにも必要だ。

 何より車検に十三万もかけたばかりだ。

 俺は当然、修理を選んだ。


 修理は長引いた。古い車なので、部品の調達に時間がかかるらしい。

 俺は十月いっぱい、代車を乗り回した。

 失業給付金の認定日にも代車でハロワへ行った。

 給付金が入金され、ディーラーに車検代の残りを払いに行くのにも、代車を使うことになった。


 車が帰ってきたのは十一月頭だ。

 十一月にもなると、気温はだいぶ下がってきた。

 冷え込む日も多い。

 寒くなってくると、母親のリューマチが加速度的に悪化していった。

 トイレは自分で行き、一人で入浴もし、食事は台所に出て取っていたが、他にできることは食器を洗うぐらいになっていた。

 

 そんなある日、母親が台所から叫びを上げた。

「助けてー! 早くー!」

 俺は慌てて部屋を飛び出した。

 見ると母親が流しの縁につかまり、尻もちをつく寸前でぶら下がっていた。

 床から尻まで三十センチもない。

 そんな高さなら尻もちをついてしまったほうが楽だろうと思ったが、当の本人には高さがわかっていないらしかった。

 俺は母親を抱き上げ、椅子に着かせた。

 流しに立って食器を洗っていたところ、足に痛みが走り、力が入らなくなったのだという。

 今までは杖を二本使い、危なげながらも家の中を歩いて移動していたが、それ以来、母親は車も付いてない椅子に座ったまま、椅子を引きずって移動することになった。

 車の付いた椅子もあったのだが、幅が大きすぎた。ただでさえ狭い家の中には、物が多く、通路が狭くてまったく通れないのだった。

 それからは、ドテッ、ボコッと大きな音がするたびに、俺は部屋を飛び出さなければならなくなった。

 母親が転んでいる可能性があったからだ。

 しかしいつも、母親が不自由な手で何かを移動させたための音だった。


 そんな音にも慣れたころ、またボコリと聞こえた。

 俺は一応確認のために部屋を出る。

 今度こそ、母親が仰向けに倒れていた。

 椅子からベッドに移る間も立っていられなくなったのだった。

 母親はただ無表情に、「だめだこりゃ」と呟いた。

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