発見できずに
「……場所的にはここなんですけどね」
辺り一面には膝の高さぐらいの雑草が生えた平原が広がっている。
すっかり辺りは暗くなっている。時計を見ると19時を指しているので9時間は走り回ってたことになる。
「道を間違えたんじゃない?」
夏木さんは疲れたように言い、辺りを見渡す。そしてブツブツとTAHSのシステムに話しかけている。
「……GPSはキャッチできない。軍事回線も民間の回線もつながらない。どうして?」
「なんかわかったんですか?」
「何も分からないことが分かったわ」
どちらにせよ一度休憩しないと動けない。今日一日殆ど何も口に入れてないのだ。
「これ脱いでいいんですかね? 今日はもう動けないですよ」
「……分かったわ。バッテリーも残り30%を切ってるしね」
この目の前に映るパネルの28%ってバッテリーだったのか。
「このバッテリーが切れるとどうなるんですかね?」
「動けないわよ」
夏木さんは何言ってんだこいつって感じで答えてくれるが、聞きたいのはそれじゃない。
「えっと……充電は出来るんですかね」
「緊急用の充電システムが内蔵されてるわ」
夏木さんはパワードスーツを脱ぎながら説明してくれる。
タイトスカートがめくれ上がってて長くて綺麗なナマ足が根本ギリギリまで見え、慌てて裾を引っキュッキュッと張っていたのが可愛く感じた。
「なんでそんな格好してるんですか? 出張だから着替えは持ってた筈ですよね」
「うるさいわね。あの場で着替えられるわけ無いでしょ?」
夏木さんはTAHSの左背面を開けると透明な風船のようなモノを取り出した。
「それはなんですか?」
「これは気球よ。これを高度3000m付近まで飛ばして水滴を集めるの。その集めた水滴の落下エネルギーで発電、充電するのよ」
「ふ〜ん。そもそもTAHSはどんぐらい動けるもんなんですかね」
「大体12時間ね」
そんなもんしか動けないのか。戦場での12時間って多いのか少ないのか分からないが、あんまり役に立ちそうもないな。
「これでもかなり動くのよ。ペルチェ効果で排熱回収してエネルギー転換もしてるし。補給支援車は勿論、機動戦闘車や装輪装甲車と一緒に動くことを想定して、充電補給計画を立ててるのよ」
「それよりも疲れたし、腹減ったな」
「ちょっと貴方聞いてるの?」
俺は無視してTAHSに内蔵されているライトで辺りを照らしながら、バックパックからツェルトを取り出し張り始める。周囲には丁度いい立木が無いのでTAHSに細引きを引っ掛けて逆側にはペグを打って固定する。
ちなみにこのペグは最強のペグと名高く、燕三条に伝わる鍛造方法で作られている。俺もウットリなグッズの一つだ。
「貴方何してるの?」
「今日はもう社長達と合流できないからここに泊まるの」
「泊まるってどこに!」
「ここですよ。あれに潜って」
俺は2人用のツェルトを指さす。2人用とは言ってもかなり狭い。
「あれに? 貴方と二人で? バカにしないで」
「バカにしてないですよ。春とはいえまだ夜は寒いですからね。外で寝たら風邪ひきますよ」
残念なのはグランドシート代わりのサバイバルシートを持っていないところだ。岩田さんに貸したままになっている。あれは、タープにもなるしアルミニウムラミネートがしてあって包まるととても暖かい。
俺は腹が減ったので、そのまま地面に腰を下ろして、飯盒を取り出した。
夏木さんはそわそわしながら辺りを見渡している。
「夏木さん。どうしたんですか?」
「……ちょっと花を摘みたくて」
「えっ、花? ……ああ、トイレに行きたいんですね。そう言えば急いでてずっとしてなかったですもんね。見た通りトイレなんて無いのでその辺でやっちゃって下さい。あっ埋めといてくださいよ」
俺が携帯用の折りたたみ式シャベルを組み立てて手渡そうとすると、夏木さんが軽蔑したように俺を見た。
「……こんなところで出来ると思ってるの?」
「さあ? 我慢できるんだったらどうぞ」
俺は肩を竦めながら焚火をするために石を組み始める。
夏木さんはちょっと茂みをかき分け俺から遠ざかって行った。
俺は川から汲んで残っていた水を飯盒に注ぎ火を焚き始めた。
空を見ると星空が広がっている。
――北斗七星やオリオン座。星空は変わらないな。
コンパスを取り出してを見ていると夏木さんが戻ってきた。心持ちスッキリとした表情になっている。余程切羽詰ってたんだろうな。
「何してるのよ?」
俺が夏木さんの顔をジロジロと見ていたら居心地の悪さを誤魔化すように聞いてきた。
「コンパスの針」
「北を調べてたの? そんなのTASHの計器にも表示されてたでしょ」
「いや。コンパスって場所が大きく変わると針が水平にならないんですよ」
「水平に……?」
「そう。例えばアメリカやアフリカなんかだとN極の針が上下に振れて壊れたみたいになるんですよ」
夏木さんはだから何って顔をしている。
俺はコンパスを夏木さんに渡して見せる。
「コンパスの針は水平でしょ? だからここは日本だってこと。少なくとも東アジア地域かなって」
「……当たり前でしょ。 頭でも打った?」
「夏木さんも気付いてるでしょ。 もしかしたらここは全然別の世界かもって」
夏木さんはコンパスを時折振って確かめるような動作をしている。
俺は夏木さんの顔を見ながら続ける。
「ここに来るまでの植生は日本と変わらないし、星空も変わらない。 ……但し」
「但し?」
「人工物が一切ない。 俺の考えでは俺達が何かの拍子に、日本に似たどこかに飛ばされたんじゃないかなって」
「はぁ? 頭、大丈夫?」
俺をバカにしたような顔で見つめてくる。
「俺も荒唐無稽な話をしてると思ってるけど…… この状況を夏木さんはどう説明してくれるんですか」
「さあ? 夢を見てるか…… もしかしたらこれも自衛隊の演習の一部かもしれないわね」
夏木さんは自分に言い聞かせるようにコンパスを握りしめる。
そうこう話す内にお湯が湧いたので粉末状にした紅茶の葉とザラメ、ミルクパウダー、胡椒、生姜を入れてひと煮立ちさせた。
夏木さん用にカップに入れて差し出す。カップは1個しかないので俺は飯盒のまま飲むことにした。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ナルゲンボトルに入れてあった、行動食用に持っているナッツやドライフルーツを口に放り込む。
辺りが暗くなってから食事の用意をするのは大変なので今日の晩飯はこれで終了だ。少し物足りないが栄養分はそこそこ足りるはずだ。
チャイのお陰で体もかなり暖まり、気持ちが緩んできた。昨晩も殆ど寝ていないし、緊張を強いられていたので既に眠い。
「俺はもう寝ますけど夏木さんはどうします? 昨晩は夏木さんも殆ど寝てないでしょ」
「……貴方とあそこに寝るの? 変なことしないでしょうね?」
「残念ながら、夏木さんは趣味じゃないですよ。う〜ん。銀マットは敷いてあるけど、寝袋がないな。 ……まあ夏木さん使っていいですよ」
俺はバックパックを漁るが着替えはベンツのトランクに入れっぱなしなのに気付いた。
「あちゃー。着替えを忘れてたな。とんぼ返りするつもりだったし。 ……夏木さんはその格好で寝るの?」
「しょうがないでしょ!」
夏木さんはタイトスカートにブラウスを着た、典型的なオフィススーツ姿だ。この雑草が生い茂った平原には全く似合っていない。ただ、夏木さんの高身長で堂々とした態度を取られるとこちらが間違っているのかと錯覚してしまう。
「まあ、寝袋に包まれば寒くは無いと思いますよ」
俺はポンチョを取り出し羽織る。寝ているときはガサガサうるさいが、少しは寒くないはずだ。
「じゃあお休みなさい」
焚火から可燃物を遠ざけて、ツェルトに潜り込んだ。
うつらうつらしていると、ツェルトに近づいてくる音が聞こえ夏木さんが入ってきた。
ゴソゴソと寝袋に包まりながらブツブツ言っている。
「……私がなんでこんな目に。絶対に変なことしないで頂戴。あと、会社に戻ったらこのことは口外禁止よ。変に勘ぐられてダメージを受けるのは私なんですからね。 ……ちょっともっとそっちに行ってよ。狭いわ。絶対に引っ付かないでよ」
「あーもう!うっさいな。少しは黙って下さい。あと頭は俺の足元に。互い違いに寝ないと狭いんですよ」
寝袋に収まった夏木さんが芋虫のように方向転換すると、声をまだブツブツと言っていたが急に眠気が襲ってきて耐え切れずに寝てしまった。
※ツェルト
ツェルト(独:Zeltsackの略称)とは、登山用の小型軽量テントで、底が開くようになった三角形のテントである。
不慮の幕営に使用したり、装備の軽量化のために計画的に使用したりする。ビバークテントともいい、小さくて持ち運びに便利で防水加工されていることから、本格的でない山行で愛用するものもいる。 Wikipediaより
渓流釣り専門のかたはタープで寝泊まりする人も多いのですが、本作主人公はツェルトを愛用してます。また、夏はともかくタープだと春先は寒いです。
※ペグ
テントやタープを張るロープを地面に固定するためのもの。一般的に金属製とプラスチック製があり、地面の土質や固さによっていろいろな種類が用意されている。Wikipediaより
本作では、スノーピーク社の”ソリッドステーク40”を使ってます。ペグは消耗品」という概念を変えた最強ペグ。スノーピークのシンボルです。燕三条に伝わる鍛造製法で、どんなに固い地面にも確実にテントやタープを固定するらしいです。
※折りたたみ式シャベル
シャベルです。中国軍のびっくり多目的万能シャベルの類似品です。アタッチメントタイプもあるのですが根本がぐらぐらして使いにくいものも多いので注意が必要です。
※コンパス
方位磁針のことです。コンパスは全世界を5つのゾーンに分け、それぞれの地域に合わせて磁針に錘をつけて調整してます。なので日本用のコンパスを持っていても海外で使えるとは限りません。
フィンランドのSUUNTO社のMC-2シリーズなどは全世界で使え、鏡を使って簡易の距離測定も出来る優れものです。
※ナルゲンボトル
ナルゲンブランドの水筒です。ポリカーボネート製の環境ホルモン物質フリーの素材を使った耐久性の高い製品です。また、絶対に液漏れをしないと言われているので登山などに使われることも多いです。