タレの香り
「この辺にはいないようね」
夏木さんは立ち止まりコンソールパネルをいじり確認していく。
「動物の影っぽいのは結構あるけどアレは見当たらない」
ここはトレーラーが止まっている側を流れていた川の下流に当り、自衛隊駐屯地の跡地? があった平野部よりはかなり山に寄っている。川幅は5m程度あり流れは早いようだ。
「もうバッテリーも無いみたいですし、今日はここで野営しますか?」
俺はビバーク出来そうなポイントを探しつつ夏木さんに問いかけた。
夏木さんはそれには答えずに無言でTAHSを脱いだ。俺はため息を一つつくと同様に脱いだ。
「また夜に変なのに襲われると危ないから交代で不寝番しない?」
俺はバックパックを広げてシートを広げて一休みしながら提案した。
「TAHSを警戒モードにしておいたわ。半径2km以内に接近する影があったらこれが警報を鳴らすわ」
夏木さんは手にスマートフォンの様な端末を見せてきた。動態感知や音源探知、熱源探知を組み合わせて判断するらしく鳥や小動物ぐらいの大きさには反応しないが1mを超えた動物には反応するみたいだ。
充電のための気球を飛ばしている夏木さんを横目に俺は食事の用意をすることにした。
バックパックの食料品入れには、5分づきの玄米が5合と行動食があるが、他には調味料があるだけでおかずになるような物は入っていない。俺が山に入るときは現地調達を旨としているので、釣り用の竿を持っていくだけだ。
出張中のレジャーとしての山篭りでは無かったら猟銃を持っていくのだが、さすがにそれを持って自衛隊基地には入れてくれないだろうし、保管義務違反になるかもしれない。そもそも狩猟免許や猟友会の権利を他県に通用するものを取っていない。
飯盒に玄米を1合入れて川の水で漬けておく。
ツェルトを張り、焚火を起こすと、釣り竿を組み立て始めた。その様子を夏木さんがじっと見ていた。
「何してるの?」
「見ての通り釣りしようかな、と」
「貴方この非常時にそんなことするの? この状況が貴方は気にならないの?」
「気にしたからってどうにかなる問題でもないでしょ? だったら腹の膨れるようなことを考えないと……」
夏木さんは何か言いたそうにしていたが、プイッと横を向いて河原の林の中に入ろうとした。
「どこ行くんですか? ヒールでウロウロすると危ないですよ。変な生物もいるかもしれないし」
「貴方、前々から思ってたけどデリカシーが無いわよね」
イラッとした口調で林に分け入り見えなくなってしまった。
「……そう言うことですか」
用を足しに行ったってことね。と、思って見つめていたらクルッと回って帰ってきて、俺に向かって手を出してきた。
「な、何ですか?」
「……ティッシュ持ってない?」
俺はポケットティッシュを取り出そうとしたが、あるものが目についたので、それを指差した。
「あれ使えば良いですよ」
「……なに?」
「フキの葉っぱ。フキの語源って知ってます? お尻拭きに最適だからフキって名前になったらしいですよ」
俺は得意そうに説明すると、夏木さんは顔を真っ赤にし俺の頬を叩いてきた。
「っつ! 何するんですか!?」
「前々から感じてたけど貴方バカよね。救いようのない大バカだわ」
夏木さんは俺のポケットに入っていたティッシュを奪うように持って行くと、足を踏み鳴らしながら林に入っていった。
俺は河原の石をどかしながらカワゲラやトビケラ、カゲロウといった川虫を採取して容器に入れていく。
「まずは4合針でいってみっか」
虫を針につけポイントに落としていく。川の上流から流れに乗るように竿を操る。但し、持ってきた竿は渓流釣り用の延べ竿で4mしかないので良いポイントには届かない。
「よっ!」
当たりに合わせて竿を引くとハヤ(オイカワ)が釣れた。体調8〜9cm位の小振りな川魚だ。それを契機にポンポンと釣れるが全てハヤで型が小さい。あまり美味しい魚でもないし食いでが少ない。
その小さな型のハヤを6号針に引っ掛け、川の水深が深く流れが緩やかな場所にポイントを変える。少し弱ったハヤが泳いでいるといきなりグンと糸が引っ張られる。竿が大きくしなりるが、糸を切られないように左右に合わせながら手繰り寄せていくと大きなナマズが釣れた。
「おおっ! 良い型だ」
釣りを終えてツェルトまで戻ると、シートに横座りでボケっとしている夏木さんがいた。
太ももがニョキッと出ててちょっと色っぽく見えるのは内緒だ。黄金の三角地帯は手が置かれていて見えないのは横目で確認しておいた。
「……釣れたの?」
「見て。大漁」
「なにこれ気持ち悪い魚ね」
「ナマズですよ。ちゃんと調理すれば美味しいですよ」
ここにいる魚はスレていないのかポンポンと釣れた。大物は40cmクラスのナマズの一匹だけだったが。
腰に挿しておいた又鬼山刀を鞘ごと取り外し、山刀を抜いた。
「ちょっと。それあの変な生き物に使ってたわよね? 食べ物に使わないで。……捨てなさいよ」
「大丈夫。持ってた薬で消毒したし」
「薬って?」
「次亜塩素酸ナトリウム。飲水を消毒するように食品添加用のものを持ち歩いてるんだよ。それにこの山刀は猟師だった爺ちゃんから受け継いだものだから捨てられないのさ」
俺の爺ちゃんはマタギだった。今の時代でマタギなんて専業じゃやってけないから親父は継がなかった。爺ちゃんが亡くなるときにこの又鬼山刀を形見に貰った。何でもこの山刀は名工であった三代目西根正剛であった西根稔氏が作られたとかでもう手に入らないらしい。
鞘は秋田杉で作られており、それ自体がまな板として使える。山刀が8寸あるので小さな魚を捌くには少し大きいので、自作した刃長7cmと短い蛤刃のハンティングナイフを取り出して捌いていく。
ハヤは腹から割き、咽頭歯を取り除き、串焼きにした。小さいものは焼いたものを鍋に放り込んでいく。味噌とその辺に生えていたネギ科の雑草の野蒜を入れて味噌汁にした。
ナマズはヌルヌルして動き回っているので気絶させないと上手く捌けない。尻尾をもち、遠心力を使って立木に叩きつける。
大人しくなったナマズを鱗をナイフの背でこそぎ落とし背開きする。スキットルに入っている焼酎と醤油、ザラメ、チューブの生姜を混ぜ煮詰めてタレを作り、身に塗りつつ火で炙る。ナマズの油が焚火に滴り落ち、それがナマズの身を燻すように焼けていく。
「……なんだか良い匂いね」
堪らなさそうに夏木さんがナマズを見つめていた。気持ち悪い魚と言っていたのだが。
確かにここ最近は碌にモノを食べていないので俺も辛抱堪らなくなってきた。
玄米を炊いていた飯盒から泡が吹いてきたので少し火から遠ざける。
「さあ、もうすぐ炊けますよ」
待つ時間で箸を二膳分、枝を削って作った。
香ばしい匂いがしてきたので飯盒を火から下ろし逆さにする。蒸らしが終わるって蓋を開けるとツヤツヤとした玄米が炊きあがっていた。
「今日の献立は、玄米ごはんにハヤの塩焼き、ナマズの蒲焼、ハヤで出汁をとった味噌汁です。ご堪能あれ」
俺は夏木さんとの間に料理を並べて食べ始める。ナマズの蒲焼の甘辛いタレが食欲をそそる。余計な油分が炙られることで落ち、適度な油を含み濃厚な味わいを見せる。
思わずがっつくように食べてしまい、夏木さんに白い目で見られてしまった。
※次亜塩素酸ナトリウム
上水道やプールの殺菌などにも使われています。アルコールで殺菌できないノロウイルスなんかも殺菌してくれます。家庭用ではハイターなどの殺菌漂白剤にも入ってますが、食品添加用には向きません。飲料水などの殺菌にはピューラックスやケンミックス4、持ち歩き用にはアクアクなんかの商品があります。ただし、寄生虫の卵には効果が薄い場合があるので注意して下さい。
※玄米
言わずと知れた日本人のパワーフード「米」。完全に精米しているとビタミン類が不足するので、食料が乏しい場合には玄米が適しています。幕末に外国人が旅行するとき、馬と日本人の籠かきとを比べて、玄米おにぎりを食べている日本人の方が持久力が上だったとの記述があったそうです。
※ハンティングナイフ
本作中のハンティングナイフはシームナイフといって鞘に納めるタイプです。ツールナイフでも捌けますが、魚をおろした内蔵だとかが隙間に入ると取りにくいし生臭くなるので別に持ってます。外見はラピン・プーッコ社のレイヨナプーッコナイフに似た作りをしています。
また、刃付きは蛤刃になっています。蛤刃とは刃の断面が刃先から峰に向かってなだらかな曲線になっていることをいう。(wikipediaより)
ベタ研ぎより研ぐのに腕が必要になりますが、刃先が長持ちし、肉離れもいいので捌くときに使いやすいです。(単純に魚を捌くなら片刃のほうが皮引きするときや三枚に下ろすときには骨に当てやすいのでやりやすいかもしれません)




