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翌日、俺は思わぬ事態に直面していた。
(そういえば俺って、今までクラスの女子に話しかけた事なんて無いよな……)
小学時代、中学時代と、記憶の続く限りを辿ってみてもそんな記憶はない。用事がある時だけ、必要最低限を伝えるだけだった。
ましてやプライベートな、しかも何年も昔の話なんてどうやって切り出せばいいのか。
見当もつかない。
『やあ、昔、会う約束したよね?』
(どんなナンパだ……)
『君の瞳の色、ずっと覚えてるんだ』
(ストーカーか……)
などど悩んでいる間に数日が過ぎてしまったが、機会は驚くほど呆気なく訪れた。
「箒……持ってきたぞ」
「ありがとう、森野くん」
席が前後という事で、二人一組の掃除当番は彼女と同じになったのだ。
さて……どうしたものか。
機会はあれど状況はあまり変わってない。
しかもあの日放課後に話して以来、澄下さんは心なしか俺から一歩引いているように感じる。
(まあ、他のクラスメイトもそうだけどな)
どうやら俺は近寄り難いオーラを纏っているらしい。中学時代には分かっていた事だけど、性格だから仕方ないと諦めていた。
……やっぱり少し切ないけど。
何も話さないまま、黙々と床を掃きホコリを集める。
「こんなもんかな……」
大体掃き終え、チリトリを探しにロッカーに向かう。だがその中に目的の物はなかった。
「森野くん、もしかしてチリトリ探してるの?」
振り向くと澄下さんが既にチリトリを持っていた。おずおずといった様子で、胸の前あたりでちらつかせている。
「あ、うん。それだ」
「さっき箒持ってきてくれたから、お返し」
「ああ……」
会話が途切れる。
息が詰まりそうなほどの苦しく気まずい空間だ。
こういう時、改めて自分の口下手加減が恨めしく思う。もっと他人と接した方がいいよな、と痛感するのももう何度目か分からない。
放課後の教室で、箒とチリトリを持ちながら固まる二人。
傍から見れば何ともパッとしない光景だろう。
「……ぷふっ」
ふいに、息を拭く音が沈黙を破った。
そしてそれからすぐ、ソプラノの笑い声が教室中を埋め尽くす。
「はははっ……」
「す、澄下さん? どうしたんだ……?」
どうやら何か澄下さんのツボに嵌ったようで、必死に笑いを堪えようとしている。
「ご、ごめんね、くくくっ……」
申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに手を合わせている。
そんな彼女を見て、俺は不思議とどこかホッとしたような気持ちになっていた。
「我慢しなくてもいいよ」
「ふ、ふぅー。いや、もう大丈夫だよ、ごめんね」
何とか落ち着いた彼女の紅い瞳は涙でぼんやりと潤んでいた。
「やっぱりたっくんだ。ぶっきら棒な話し方、昔と全然変わんないね」
その一言がストンと胸に落ちてきた。
やっぱり、目の前のクラスメイトは……。
そう思うと、今まで溜めていた疑問が次々と言葉に変化した。
「俺達って……もしかして会った事ある?」
「うん、もしかしなくてもね」
「小さい頃はよく一緒にいた?」
「そうだね、よく遊んだよね」
「まさかこんな所で再会するなんて思わなかったけど、すごい偶然だね」と笑う澄下さん。
その面影が夢の少女とぼんやり重なる。
「そうか…………、また、会えてよかった」
「もう小学校の頃だったからね。忘れてても仕方ないなって思ってた」
たしかに教室で初めて話した時は、彼女の事は忘れてしまっていた。
あの時の俺の態度で、彼女は少しショックを受けたのかもしれない。
「ごめん、つい最近までは思い出せなかった」
「いいのいいの。ちゃんと思い出してくれたしさ」
差し出された右手。
「再会を祝して、てな感じで……」
照れ笑いを浮かべる彼女。恥ずかしいなら無理しなければいいのにな。
そう思いながらも、どこか微笑ましい気分。
幼い頃の友人との再会。その約束を果たせた達成感からか。
今までの俺からは考えられないほどあっさりと彼女の手を握った。
手を離した後の沈黙がやけに気まずい。そんな心境を悟られないように、俺は声を絞り出した。
「これで、約束は果たせたな」
横を見なくても彼女がこっちに振り向いたのが分かった。
「約束?」
「え……覚えてないか? あの日の別れ際に『また必ず会おう』って」
「う~ん。あたし、記憶力無いから。でも今回のは最悪だよね……」
ごめん、と深く項垂れる澄下さん。ポニーテールも力なく垂れさがっている。
あれは俺の記憶の一部だったとしても、あくまで夢だ。現実にはそんな約束してなかったのかもしれない。少し寂しいけど、彼女は悪くない。
「俺の勘違いかもしれないし、気にしなくていいよ。それより、これから一年よろしく、澄下さん」
「こちらこそ。あと、名前は呼び捨てでいいよ。『あやめ』で」
「えっ? 下の名前はちょっとな……」
「いいじゃん、あたしも『たっくん』って呼ぶんだし」
「そうか……分かった。頑張るよ」
「頑張るって何さ~」
こうして、掃除用具を持ったまま、しばらく二人で笑い合っていた。