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ACT8.騎士は恋に酔う

 ブラックコーヒー片手に読むのがベストです(大嘘)

 冬も間近に迫った農園に、物体が風を斬る独特な音が連続して響き渡っていた。まだ日も登り切っていない早朝の薄蔵闇の中で、シエル=フェルミールはただどこを見るでもなく前だけを見据えている。

 握り慣れた愛用の直剣を右手一本で頭上から腰の高さにまで振り降ろすのを一度、二度、三度と数十回程繰り返し、腕に少々の疲れを感じたところで剣を左手に持ち替えて同じ動作を行う。そして左腕も疲れて来たところで最後に両手で柄を持ち上下左右とがむしゃらながらも正確に意思のままに斬撃を放つ。

 もう何年も続けている早朝の日課だ。流れるような動作で鍛錬を行う彼女の全身は、冬も直前の寒さの中でも汗に濡れている。

 シエルの恰好は普段の私服と言ってしまっても差支えない騎士団の制服とは違い、最近になって買っておいた白い半袖のシャツに青い柔らかい素材のズボンというラフで薄手のものだ。汗によってシャツが湿って身体に張り付き、機能性に優れた下着が浮かび上がっている姿はとても扇情的なのだが、残念ながら彼女自身はそれを恥じらうような乙女な性格をしていなければ、隠れて覗き見るような不届き者も存在していなかった。

 ここはランスリーの農園なのだから、ここにいるのはランスリーだけ。馬のメリーをカウントしてしまえば合計で生物は三になるが、馬に見られたといって何だと言うのか。

 更にランスリーに見られたところでどうのこうのとも思わない。むしろ見られたい。というかご褒美である。彼が自分を少しでもそのような目で見てくれるのならばアピールポイントが更に増えるということにもなるではないか。


「……ふひっ」


 気持ちの悪い笑みと声がクールの権現として巷で扱われている女性の顔面から漏れた。一般人が見れば顔を真っ青にして泡を噴きながら卒倒すること請け合いである。どこぞの学生剣士が見れば笑いをこらえようとしながらも最終的には爆笑すること請け合いである。

 シエル=フェルミールはランスリーの事になると煩悩に支配されてしまう未熟者だった。恋は人を変えると言うが、彼女の場合は人一倍それが酷いらしい。

ここで誤解してはいけないのは、普段の冷静沈着で涼やかなイメージを持たれいている彼女は決して作られた仮面の存在ではないという事だ。あくまでもこのようにして暴走しているのはランスリーが関わっているからであって、それ以外はどうという事も無く一般民衆に認知されている通りなのだからタチが悪い。

 二面性を持っているだの、真面目でありながらユーモアも理解できると言ってしまえば聞こえは良いかもしれないが、やはり物事には限度がある。ここまで別人のようになってしまってはただドン引きされるだけの結果になってしまうだろう。

 本人もそれは理解しているのだが、理解したとして何かが変わるわけでもなかった。ただそんな自分を受け入れてくれているランスリーへの恋慕が更に強まったのは、シエルが本質的にとてつもなく都合のいい女である現れだろう。

 そんな都合の良さと言うか、鍛錬に対する集中力の凄さが祟ったのか、結局のところ彼女は付近にいるその男には最後まで気付かなかった。


「あー、シエルさんや。別にやるなとは言わないけど、運動するならもう少し周りに目を配って欲しいなって思うんですよね。別に僕は目の保養になるから良いんだけど、別にさ」

「……へっ?」


 背後にそびえ立つ転移ポートとして扱われている大樹を背にして、見知った男が気まずそうに足をだらしなく放り出しながら座っている。

 ガクガクと身体中を震わせながら錆びついた機械人形のように振り返ったシエルは、顔面蒼白になりながら一歩後ずさった。


「ら、らららららララララランシュリーさんにゃんでそんなところにいるんでしゅか!?」

「うん、驚かせたのは悪かったけどちょっと落ち着こうか。何でか早く起きちゃって散歩してたら君が見えて、全然気付かないみたいだから見学してたんだけど……ごめんね」

「謝らないでください、死にたくなります」


 震えを止め、私はこの世の全てを恨んでいますと言わんばかりに無機質な眼で淡々と言い放ったシエルはその場にしゃがみ込んで地面にのを書き始めた。ブレーブスの言語とは違う全く未知の文字に首を傾げ、溜め息を吐きながらも自分の着ている緑色のコートをさり気なくかけてあげる辺りはランスリーも紳士である。

 それによって自分の浅ましさを更に実感したシエルが泣きそうになっているのには、流石に考えが追い付かなかったのだが。


「忘れてください……」


 涙声で懇願されたランスリーは苦笑し、ポンポンと彼女の頭に手を置きながら頷いて言う。


「大丈夫だよ、僕は気にしないから。戦争の時から何となくわかってたことだしね」

「えっ?」


 背中越しに伝わって来る優しげな気配にシエルは冷え切った心が溶かされていく感覚を覚えた。もしかしたら気付かれているのだろうか、自分の彼に対する想いに。

 だとしたら、もしかしたらこれは千載一遇のチャンスなのではないのか。ここで告白の一つでもしてしまえばこの人はそのまま受け入れてくれるのではないだろうか。

 よし、言ってしまおう。そう決意したシエルは勢いのままに言葉に出した。


「私は」

「シエルが剣に恋した戦闘狂いでも、僕は全く気にしないからさ」

「……えっ?」


 ギギギッと、またもブリキ人形の如く首が後ろへと動く。目に入って来たランスリーの顔には憎たらしい程の笑顔が浮かび、やはり優しげな好青年と称するべき爽やかさが張り付いている。

 はっきり言って、とてつもなく憎たらしい。


「小さな頃から剣の稽古に魔法の稽古、大変だったよね。だから剣が好きになる気持ちもわかるし、振ってると楽しくなってついにやけちゃう気持ちもわかる。だけど僕は、これからは君にもまた違った楽しみを知ってほしいと思うんだ。大丈夫、僕だってこうやって農業っていう楽しみを見付けて静かに生活出来てるんだから。シエルだってきっと」

「ランスリーさん」

「うん?」


 糸に吊られたようにして、ゆらりとシエルが立ち上がった。ランスリーに背中を向けたまま彼にかけてもらったコートをその場に脱ぎ捨て、いつの間にか地面に落ちていた剣を右手に強く握りながらもしっかりと地を踏みしめて。

 目の前に立つ存在に確かな幽鬼の気配を感じ、ランスリーは恐怖に震える身を必死に押さえ付けながら自分が何を間違ったのかについて考える。

 出て来た答えは一つだった。


「ああ、大丈夫大丈夫。僕は無い胸も割と好」

「四肢の一本や二本、持って行かれるぐらいの覚悟はあるんでしょうねぇぇぇ!!」


 朝を感じさせる鳥の群れが、全て農園から飛びさる。



     ☆



「どーしてこんな事になったんだろうなぁ……」

「ほら、集中が途切れていますよ!」


 三十分程度の地獄の鬼ごっこが行われた後、ランスリーは木刀を持っていきり立つシエルと対峙していた。気にしないと言うのならば剣の相手ぐらいはしろと怒られた彼は、仕方なく簡単な打ち合いを受けて立つ事にしたのだ。

 ランスリーは魔法の面でばかり名が売れているが、騎士団を取り仕切っているパーパスに長年に渡って鍛えられていたためにそれなりの実力を備えている。しかし、元来この剣による肉弾戦が嫌いな彼が真面目に稽古を受けていたわけも無く、あくまでもそれなりのところで止まっているのが現実だった。

 剣に生きていたシエルとの差はあまりにも歴然。実際に打ち合い始めてみて暫く経ったが、手を抜いている彼女に一方的にやられてしまっていた。


「どうしたんですか、あの時みたいにこうバーッと剣に炎を纏わせたり剣から水を出したりしてみせてください!」

「こんな木刀でどうしろっていうのさ!? あれはウォーレンだからこその芸当であって、こんなのでやったら剣が耐えられずに魔力が爆発するだけだ!!」


 ギャーギャーと騒ぎながらシエルは一方的に木刀を連続で打ち付けて行く。先程からあからさまに暴走している彼女ではあるが、まだギリギリのところで相手に怪我をさせないようにする程度の理性は残っているらしい。しかし本当にギリギリなので、ランスリーの身体には多数の切り傷が刻まれている。

 そう、ここがおかしいのだ。シエルが剣を振う度にランスリーには切り傷が増えて行く。彼女が、木刀で攻撃する度にだ。


「丸い剣で肌が切れるとはこれいかに!?」

「この身全てを剣に変える事こそがフェルミール流の神髄、やろうと思えば手刀で人を斬れだってします。私もただぼんやりと騎士をやっていたわけではありませんよ!」

「もうそれ、真剣を使ってるのと変わらないって事だよねぇ!!」


 五年前とは比べものにもならない彼女の剣は一種の旋風のように思えた。風に巻かれる度に身を刻まれていく感覚は恐ろしい。ランスリーが敵国の兵士だったとしたら、間違い無く瞬間的に脱兎の如く逃げ出していただろう。

 手刀で人が斬れるという言葉に嘘偽りは無い。シエルはとにかく動きの速さに重きを置いた鍛え方をしており、その速さは格闘が斬撃にとって変わる程にまで昇華されている。手刀とは言ったものの、本気を出せば指一本で骨を切断する領域にまで達しているのは彼女本人ですら知らない事実だ。

 実のところ、既にランスリーが持つ木刀が見るからに打ち合いを始める前より小さくなっている。同じ武器を持った相手に一方的に自分の剣だけが削られていく。そんな目の前で起こっている超常現象に、彼の精神は既に平静を保っていられないでいた。

 今すぐにでも逃げ出してしまいたいが、彼女を怒らせたのは自分なのだから自分でどうにかしなくては。だがあまりにも怖い、怖すぎる。格闘戦で人を斬るとかどんな超人だというのか。

 この場を切り抜けるには、シエルが満足のいくような力を見せる必要がある。問題はそれが今のランスリーに出来るかどうかだが、言ってしまえば無理だ。不可能だ。何故なら彼はこの五年間で戦闘訓練など一度たりともやっていなかったのだから。

 確かに魔法を使えばどうにかなるだろう。それでも魔法を極力使わないように生活している身の上であるので、やはりここで安易に頼ってしまうのはどうしても憚られる。それに魔力が拡散して畑に影響が出てしまう可能性も多分にあるのだ。

 しかし、それ以上にランスリーは思った。


(死にたくないいいぃぃ!!)


 シエルに殺すつもりが無い事などわかっている、ランスリーはわかっているつもりだ。自分が恐怖によって混乱し尽しているのも重々に理解している。理解しながらも彼はこの感情に勝てそうにはなかった。

 魔法を使わないなどという制約など知ったことか。そもそも極力、出来る限りであって全く使わないなどと誓った覚えは無い。眼前に生きている大樹に代表されるように、転移魔法のアクセスポイントだってこの国に幾つも幾つも配置されているのだ。その数は悠に五十を超える。

 思えば仕方が無いとはいえど転移魔法に頼り切った生活をしているのだから、今もまた頼ったとしてもバチは当たらない。そうに決まっている。

 一つ息を吐いて、暴走しているシエルを改めてみると酷い顔をしている。そんな顔は似合わないと思った、だからこそ既に迷いは消えて覚悟は決まった。

 五年ぶりの大立ち回り……というには細事だが、面白くなるだろうとランスリーは笑った。



     ☆



「はいちょっと失礼しますよぉ!」


 バックステップで距離を取ったランスリーが地面を強く右足で踏みつけると、強大な魔力の奔流と共に周囲の大気が大きく揺れ始めた。シエルは驚きに顔を歪めると同時に絶句し、その場で木刀を打ち込む事すら忘れて立ち尽くす。

 この魔力はシエルの全力であっても決して出す事は出来ない程の量だ。若くして魔導士に上り詰めた彼女ですら圧倒される魔力が彼を中心として円状に広がり、大樹の広場全体へと広がっていく。しかも近くにある畑には全く掠りすらしないように制御されたそれは、彼がまだまだ余力を残している事の証明でもある。

 そして同時にシエルは暖かさを思い出した。彼の操る膨大な魔力を目の当たりにしたのは五年ぶりだ、戦争の時には望まなくとも見ていたそれがまた眼前に現れている。


「ふっ、あはっ」


 シエルは自然と笑っていた。彼の魔力に懐かしさを覚えたからだろうか、それとも繊細で力強いそれに感化されてしまったのか。本人にもわからないが、それでも何となくおかしかったのだ。

 彼女はただ好きだった。彼の魔力が、そしてランスリー自身が。その魔力は全てを受け入れる海。まるで押しては返す小波のように思えた。


「それでは……粗雑な私で申し訳ありませんが、エスコートをさせて頂きましょう!」

「ふぇ!?」


 かしこまった言葉と共に肩に触れる。それだけで、ランスリーとシエルの視界は一瞬で農園の大自然から切り替わってしまっていた。

 辺り一面に広がるのは青、青、青一色。そして真下に広がっているのは雲という名の白い絨毯だ。緑とはまた違った大自然の広がりが二人の前には広がっている、空と呼ばれるそれがありありと。

 落下はしていなかった。


「たまには空の旅っていうのも良いんじゃないかな。残念ながら僕は女性の誘い方なんか知らないからこんな強引な方法になっちゃったけど、暫くのお楽しみを頂いたら幸いだ」


 シエルは言葉を返さなかった、絶大な光景に感動し見渡すのに夢中になっていたからだ。上空へ行った経験が無いわけではない。それでも精々、城の全体像が見えるレベルの高さでの話だった。だが、これは何だ。あまりにも今までと違い過ぎるではないか。

 地上から見える空とは比べ物にもならない程に美しい。澄み切った青空は一点の曇りすらも無く単色の印象だけを与え、脇に備えられた今まさに地平線から登ろうとしている陽光の白さがアクセントとなって更に蒼穹を際立たせている。絶景だと、残念ながら学にそこまで秀でていない彼女にはそうとしか表現出来なかった。

 暫くして、シエルは自分がランスリーに抱えられながら仰向けに寝ているのだと気が付いた。結界構築の部類なのだろうか、それとも風や重力を扱った魔法に類するのか。かつて戦争中も彼が使っていたこれの正体はわからずにいるが、今はどうにも気にならなかった。

 ただ、面白かったのだ。この風景も確かに面白いがそこではなく、彼の行動がとにかく面白かった。


「ランスリーさん、ハッタリが上手くなりましたね」

「いや、別に全部がハッタリってわけでもないさ。アクセスポイントを使わない転移は実際にあれぐらいの魔力を使うからね。あんなに外に見せびらかす必要なんか全然無いんだけど。……ただ、落ち着いたでしょ?」

「ええ、とてもよく」


 寝かされたシエルに並ぶようにして、ランスリーもまたその場に寝そべった。そのまま寝入ってしまいそうにリラックスした彼は転移後も地味ながらとんでもない魔法を行使している筈だというのに、そんな素振りを見せようともしていない。

 自分ならばどうなるだろうと思ったところで、自分には無理だとシエルは考えを捨てた。


「今、どんな魔法を使ってるんですか?」

「んー。空気の固形化に空気密度の操作、後は気温の調整に太陽光のシャットアウトとか他にも色々と。二回目だから身体が覚えてたけど、初めてやった時は本当に死ぬかと思った。何か寒いし息も出来ないし後から肌が痛いし。咄嗟によく全部展開したな、流石は僕」

「……よく生きてましたね」

「あっははぁ」


 ヘラヘラと笑ってみせたランスリーではあるが、ほんの少しばかりの脂汗が頬を流れたのは気のせいではなかった筈だ。軽く言ってはいるもののシエルには理解すら不可能な魔法の連続なのだから、これはもうどう反応するべきなのかもわからない。

 空には危険がいっぱいなのだと、どうやら認識を改める必要があるらしい。


「ルークに怒られてしまいますね、私の方が先にここに来てしまいました」

「ああ……あの子はまだ空を目指してる?」

「何年か前から、以前にも増してぼんやりと空を見ていることが多くなりました。それと、あの子と呼ぶのはやめてあげてください。もう小さな子供じゃないんですから」

「僕の中のルークは十二歳で止まってるよ」


 それ以上、ランスリーは何も言わなくなってしまった。やはり彼の前でルークに関する事は禁句らしい、彼の臆病で弱い部分が大きく出てしまう。

 ルークに関してはランスリー自身がどうしたいのかに任せるべきなのだろう。そう判断し、シエルは良い機会だと今までに聞けなかった質問を繰り返し続ける。


「どうして、魔法を使わないようにしているんですか?」

「今更だね」

「聞くタイミングを逃してしまっていましたから」

「ふーん」


 眠そうに欠伸をし、ランスリーはどうでも良さそうに相槌を打った。それでも少しの沈黙の後に彼は質問に答える。まるで他人事のように。


「ただ単純に、この世界に魔法が無かったらどうなるのかっていうのを試してみたかっただけさ。別に永遠に封印しようだとかそんな大仰な事を考えてるんじゃなくて、ちょっと経験してみようかなって。案外楽しかったから満足なんだけどね」

「……本当ですか?」

「もっと大きな理由だと思った? 例えば戦争によってこの魔法が溢れてる世界に絶望しただとか、その魔法の申し子である自分自身に嫌気が差しただとか。そんな事は無いさ。ただ興味があっただけ」


 嘘を言っているようには思えない、しかし真実を言っているようにも見えなかった。


「質問を変えます、何で姿を消したんですか?」

「それは……」


 ランスリーが口を閉ざす。先程の答えから既にシエルは彼の考えを予想し、今の質問を繰り出したのだ。

 話そうとしない彼に先行し、言う。


「過ぎたる力は争いを引き起こす、そして過ぎたる力は自分自身だ。そう考えたんですよね。この戦争が終わったとしても、自分の魔法がまた新しい戦争を生んでしまうと。だから力の象徴である英雄は帰還せずに未知の存在として形ではなく記憶だけに残し、名前だけで次の戦争が起こらないようにとプレッシャーをかけようとした。戦争を起こせばランスリー=ブレーブスが介入すると。違いますか?」


 息継ぎもほとんどせずに言い切った後で、シエルは自分が肩で息をしている事に気が付いた。つい熱く問い詰めるような言い方になってしまったが、自分の考えは決して間違っていないという不思議な自信が彼女にはある。

 また嫌な沈黙が空間を支配した。空はこんなにも明るく澄んでいるというのに、自分達の周りはこんなにも暗雲が立ち込めているようだ。言わなければよかったとシエルは早くも自らの行動を後悔し始めた。

 勢いに任せて踏み込もうとしてしまったのが間違いだったのだ。機会が無かったのではなく、聞くべきではないと思ってスルーしていた話題に立ち入ってしまった。これでは、またランスリーとの関係が壊れてしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。

 そんな絶望を壊したのは、ランスリーだった。


「正解、よく出来ました。でもね、それは後付けの理由なんだよ。あの時の僕は向こうの国から恨まれるのが怖くて逃げただけなんだ。軽い気持ち……っていうわけじゃないけど、戦争になんて参加するものじゃないね。いつ殺されるかもわからない生活なんてしたくなかったのさ」


 ランスリーはどこか満足気だった。自分はそんなに大きな人間ではないと、直接的にアピールして来ている。

 確かに彼は格好悪いだろう、この話が真実ならば彼は全てをほっぽり出して保身のために身を隠しただけなのだから。しかし、シエルはどうしても彼を糾弾する気にはなれなかった。それどころか、何故か大きく安心している自分がいる事に驚いていた。

 ブレーブスの第三皇子、英雄という肩書は意識していないつもりだったのだが、意識の底ではやはり彼に対する先入観があったのだろう。今の話を聞いて思ったのだ。ランスリー=ブレーブスは決して遠くにいるのではなく、自分と全く同じ弱い人間なのだと。

 それを知れた事がとても嬉しかった。そして、愛おしく思える。

 思った瞬間には覆いかぶさるようにして彼を抱きしめていた。


「シエル?」

「大丈夫です、私は知ってますから。ランスリーさんは皇子でも英雄でもない。貴方は優しい人、弱くて優しい普通の人間。そんな事は五年前からずっとわかってたのに。バカですね、私」


 子供をあやすようにして抱き寄せながら頭を撫でると、ランスリーは眠そうに目を細めた。その様が何となく可愛らしくて、シエルの笑みは更に深まっていく。


「どこに行ったって忘れません、追いかけるし追い付きます。だから大丈夫です。怖くなんてないんです。逃げたってそれがランスリーさんなんだって、私だけでも絶対に受け入れますから」

「……そうか」


 互いに無言になる。そして暫くすると、ランスリーは小さく寝息を立て始めた。その姿はとにかく無防備で、ここだけを見れば世間から逃げている隠遁者の姿だとはどうしても思えない。

 質素な生活を送っていた割には手入れの行き届いた髪の毛がシエルの鼻をくすぐり刺激する。そう言えば、この人の髪は手入れはされているが整えられてはいない、恐らくは自分で伸びて邪魔になったら切る程度にしかしていなかったのだろう。

 ならば、これではいけない。素材は良いのだから髪型を整えてやれば必ず格好良くなってくれる筈なのだ。今日の内に自分が切ってやろう。

 そんな事を考えながら、彼女もまた眠りに落ちようとした。その時だった。

 空中に横たわっていた身体が急速に地上へ向けて落下し始めた。


「へっ?」


 考えてみれば当然なのだ。今まで空中で地面にいるかのように振る舞えていたのはランスリーの魔法があったからであって、そのランスリーが寝てしまえば結果としてどうなるのか。

 答えは至極単純、全ての効力が切れて真っ逆さまに転落するだけだ。そしてこのまま地上に叩き付けられれば、惨たらしく潰れたトマトのように命を散らしてしまうだろう。

 風であったり重力の魔法を得意としていないシエルにとって、自分自身の力で助かる手段はどう考えてみても存在していない。


「ランスリーさぁぁぁぁん!! 起きてくださいヘルプミーですうぅぅ!!」


 彼女の絶叫は、地表ギリギリで彼が目を覚ますまで続けられた。

 ちゃうねん、シエルは当初の予定では本当にただ真面目なだけの人やってん。こんな変態と違ってん。

 ランスリーの考えの断片と、シエルさんマジ恋する乙女な回でした。真面目な部分は筆が重いのに暴走してるところはすらすらと文字が重なっていくのはどういうことなの?

 魔法云々やらランスリーの行動云々に関してはまた次回以降です。

 次はもうちょっと早く上げられる……といいなぁ。

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