ACT6.英雄の夜は遅い
今更ですが、ランスリーの呼称は基本的にはその場の外見に合わせています。素の姿ならばランスリー、中年男性ならカールといった具合ですね。
しかし、どうしてもカールの状態でもランスリーと表さなければならない場面はどうしても出て来ています。
可能な限りわかりやすくはするように努めていますが、わかりにくい部分がありましたらご一報をお願いします。
ランスリー=ブレーブスの朝は早い。作物は一夜で劇的に成長したり問題が起こったりするもので、朝早くから点検や対処をしなければ色々と手遅れになってしまう。
手塩をかけて育てて来た我が子のような作物だ、やるからには全力で努めなければならない。朝には弱いランスリーではあるが、ここ二年間は寝坊という失態に縁は無かった。
「んあ?」
その日、ランスリーは何かが暴れるような騒音で目を覚ました。木製の窓が外からガンガンと叩かれ、更には風と水が入り交じった独特の音が家の中を支配している。
どうやら外は嵐のようだ。昨日から兆候があったそれは、寝ている夜の内に強くなっていたらしい。ランスリーが就寝したのは日が変わって相当経ってからだったので、普段通りに目覚めたとしたらまだ嵐になってそう時間は経っていないと予想された。
まだ作物に致命的な被害は与えられていないだろう、そう考えてランスリーは急いで畑へ向かおうと着替えを開始する。ふとそこで目に入ったのは、寝室の壁に掛けられた時計だ。
その長針は二の上に、短針は十の上に。現時刻は、十時十分。
「ほおおあぁぁぁぁぁ!?」
寝間着のまま、ランスリーは顔も隠さず家を飛び出していた。
☆
「何で君は、こんな時に限って来てない!?」
「あの嵐で街も大変でしたので……というよりもランスリーさん、気が付かなかったんですか?」
「昨日は色々とあって……」
時は暴風雨が嘘だったかのように静かな夜。洪水によって被害が出た街を駆けずり回っていたシエルが農園を訪れると、そこには憔悴しきった様子のランスリーがいた。
経緯は至極単純で、嵐に気付かず寝坊をして雨風の中で必死を作業をすることになってしまったというだけ。作物の被害は軽微だったが、それでも失った体力と精神力は戻って来ていないらしい。
生命線であるホウレン草が生きていただけでも、救いだろうか。
「根腐りに関してはは少ししてからしか分からないけど、大丈夫だと思……いたい」
「今から、他に何かを育てるのはどうですか?」
「考えてはいるさ、ただ今はちょっと勘弁。まず真っ先にやるべき事がある」
「それは?」
「勿論、防水対策だよ」
机に突っ伏して行儀悪く差し入れのサンドイッチをかじりながら、ランスリーははっきりと言った。勿論と言われても、農園について詳しくはないシエルにその具体的な方法は分からない。
それでも、確かに今朝のような嵐がまたいつ来るとも知れない以上、防水を行う必要があるのは彼女にも理解出来た。
「この家の裏から出て、森を三百メートルぐらい進むと川に出る。そこまで溝を掘って畑に溜まる水を逃がそうと思うんだよ」
「なるほど、道を作るんですか」
ランスリーが経営するこの農園は、破格の立地条件を得ている。
家から正面には栄養に満ちた土壌に畑が広がっていて、進めばそこは大樹を中心とした草が茂る広場。その向こうには段々畑を形成出来るような緩やかな山の斜面があり、少し降りれば急斜面に作られた山道に辿り着く。
この山道こそが一般的に使われる登山用の道だが、当然のように張られた結界の効果によって、山道から段々畑が発見されることはない。看破出来なければ、逆側の崖と同じような岩だけが積まれた壁に見えるように設定されていた。
言わば、農園は上空から見れば綺麗な半月のような形にくり抜かれた空間だ。この空間の周囲は全て、元から育まれていた大自然の木々に囲まれている。
半月の弧の中心から家、畑、大樹の広場、段々畑。この四層によって成り立つ農園を、ランスリーは何よりも価値のある財産だと自負してやまない。
大樹の魔力を辿ってこんな奇跡的な場所を発見し、家以外のほぼ全てを手作業で年単位の時間を掛けて作り上げられたこれは、間違い無く彼の宝物だった。
そんな農園の逆側、家の裏手に広がる森林の先に川があるのはランスリーの言葉の通りだが、今回は畑から川にまで道を掘らなければいけないらしい。
確かに段々畑の方向に水を逃がすのは、斜面の問題から難しさが出て来てしまう。川に向かうのは単純ながらも効果的な案だとシエルは納得していた。しかし、
「あの、魔法は使いますよね?」
「やーだね。ちょっとでも魔法を使ったら、その時点で台無しさ。僕の農園にはノー薬ノー魔法、これがモットーでございます!」
「あぁ、やっぱり……」
先程から度々視界に入って来る、昨日までは無かったリビングの壁に立て掛けかれた二つの道具が鬱陶しい。どう見てもスコップとつるはしの形状をしたそれは、やはり肉体労働を強いるためのものだった。
つまり、三百メートル……畑から測れば更に長い距離を手作業で掘るつもりらしい。こんな冬に差し掛かった寒い季節の中、男手一つで。
とんでもない時間が掛かるのは間違い無い、それでもランスリーは明らかにやる気満々だ。
「冬の、蓄えがある内に終わりますか?」
「終わるかどうか以前に、終わらせないと。どうせ何時かはやるつもりだったし、仕方無いさ。今は畑もそこまで忙しくないし、サーニャちゃんにある程度は任せればいい」
「……」
シエルとしては、ランスリーにあまり無理はして欲しくない。彼なら大丈夫だとは思うが、どうしても身体を壊さないかと心配になってしまうのだ。
この農園に出入りするようになって既に半月が経つ。この間に彼女がやっていた事といえば、ランスリーの食生活をサポートしていたぐらいだろうか。農業方面には一切関与していない。
やはり変わったとは、常々に思っていた。王宮時代にはいつも様々な事を試し行いながらも退屈そうにしていた放蕩者が、今は日々の生活を本当に楽しんでいる。
喜ばしい事なのだろう、あのいい加減な皇子がよくぞここまでといった感動すらもする始末だ。だが、だからこそ、そのギャップから来る違和感がシエルの心配を更に煽っていく。
そんな心配を察してか知らずか、むくりと身体を起こして冷めた紅茶を飲み、気だるそうにランスリーは目を細めた。
「まっ、別に今すぐ始めるわけじゃないさ。まず明日は防寒具やらを買いに行って、越冬の準備を始めないと」
「あれ、防寒具は備えてあったような?」
「君が何でウチの備えを知ってるのかは置いておいて、だいぶ前のやつだからそろそろ買い替えたいのさ。特に服なんかほったらかしだったし」
農園に人の気配が散見し始めて一月になり、季節は完全に冬へと移り始めている。当然のようにクーリンガルの周辺、標高はそう高くないとはいえ特に山の上は寒くなっていて、防寒具の仕入れは早急にこなさなければいけない任務だった。
現在も、家の暖炉はフル稼働で二酸化炭素を発生させ続けている。それでもシエルには肌寒く感じてしまっている辺り、更に冬が深まればとんでもない事になるのだろう。
「ところでランスリーさん。今日働いた分、私は明日が非番で……」
「連れて行かないよ」
「何でですか!?」
恐る恐るながらも興奮を抑えきれない様子で提案しようとしたシエルを、ランスリーは両断した。納得がいかず食い下がるが、やはり彼は首を振って駄目だともう一度言い直す。
「騎士団長様と一緒に買い物とか、私は一般人じゃありませんってお天道様に公言してるようなものじゃないのさ。僕は適当に顔を変えるから良いにしても、自分に変な噂が立ったらどうするつもりかね。シエル君?」
「あっ、そうですね。……ランスリーさんはカールを使いますか?」
「何か人を使役してるみたいで嫌な言い方だね、それ」
やれやれと苦笑いし、ランスリーは続ける。
「別にカールでも構わないんだけどさ、おっさん用じゃなくて若者用の普段着も買いたいわけで。この度、新しい顔を作ってみました」
今朝、彼が寝過ごした理由がこれだ。魔法が言葉と想像によって作り使われるのは常識的な話だが、それに費やされる想像というのは中々に難しく正確さが求められる。
例えば今回のような肉体を変化させる魔法の場合、必要になるのは寸分の狂いも無いハッキリとした変化後の肉体の姿だ。顔の一点に絞るとしても、目や口や鼻の位置、髪の具体的な長さや色合い等々、様々な要素を考える必要がある。そして作り浮かんだイメージを崩さずに、実在する人間として頭に記憶を叩き込む。
簡単と思われるかもしれないが、実はこれがとにかく難しい。絵に書かれたものではなく、リアルな人の顔を一から作り上げるのは本当に困難なのだ。実際に、ランスリーも昨晩は苦戦した。
具体的に表すと十時間、それが今回の新しい顔に費やした時間だった。ちなみにカールのように全身を変化させるとなれば当然の如く更に必要な時間は伸び、言ってしまえば二十時間。
人のイメージは時間が流れる程に消えて行くので、作業は一度に続けて行わなければならない。想像、記憶、魔法としての固定、これらを連続して飲まず食わずに行う苦労は説明せずとも分かるだろう。
大魔導士と呼ばれた男ですらこれなのだから、他がやろうとすればどうなるのか。ランスリーの魔法は彼専用なので一概に比較は出来ないが、恐らくは死人が出るレベルの作業になるとは予想される。
何にせよ、十時間は今回の魔法構築においてあり得ない程の短さだというのは間違いない。一晩で新しい顔を作った事実には、一流の魔導士であるシエルもただ驚愕するだけだった。
しかし、同時に彼女にはある悪い考えも浮かんでいる。
「ランスリーさん。保留にしていたお願い、まだ使えますか?」
「このタイミングで何さ。構わないけど……えっ、まさか?」
「私にも、顔を作って作ってください」
良い笑顔で頼むシエルを、ランスリーはただ震えながら見ていた。
☆
この世界はアンバランスだと、ランスリーは常日頃から考え続けている。魔法がいつから一般的に使用されるようになったのかなどは知る由もなければ興味も無いが、魔法が生活に大きな影響を与えているのは確かだ。
生活の大雑把な部分、特に産業の分野にはそれが散見される。更に具体的な例を挙げるならば、産業技術の発展と魔法によって作られる製品に大きな差がある事だろうか。
言ってしまえば、製品に魔法以外の技術が追い付いていない。最近になって足踏み式のミシンが家庭にも普及し始め、気軽に簡単な服程度なら誰にでも作れるようになってきた。そう、一般家庭ではそんなレベルだ。しかし店には、ミシン程度では到底作れないような上等の服が安価で売られている。
言わずもがな、それは全て魔法で生地を変形させて量産された物で、人が手で作ってはいない。変身もしくは変形魔法を構成するのには手間が掛かるのは前述の通りだが、一度作ってしまえば後は一言呟くだけで、魔力消費も少なく量産出来るという寸法だ。
ちなみにこの服を製作する職はクリエイターと呼ばれていて、主に一般の魔力を持つ者や権力を失った貴族の出身者が勤めているらしい。
そんな訳で巷には上質な服がありふれているのだが、ランスリーはあまりこれを良しとしていなかった。発展を快く思わないのではなくて、魔法に製品を依存している辺りに少し疑問を感じてしまっている。
自分が考えるべき事じゃないとも思う。それでも魔法から離れた生活を送っているので、その辺りに敏感になってしまうのは仕方がないのだろう。
「ローガンさん、ローガンさん。どうかしましたか?」
「えっ、あぁ。なーんでも無いさ」
聞き慣れない名前に反応が遅れたものの、そういえば今の自分の名前だったと思い出して、ランスリー……ではなくローガン=ウェルス厶は返事と共に大きな欠伸をした。
背格好は変化させずにランスリーのまま、顔の特徴は青いタレ目に太い眉毛。背にかかる程度にまで伸ばされた髪は茶色で、どちらかと言えば光を吸い込む暗い黒にも近いかもしれない。
その眉毛が特徴的ではあるが、総合で見れば良くも悪くもない顔と言えるだろうか。ランスリーが目指した、特徴的ながらもあまり目立たない顔に相応しい出来と言える。
そんな彼は今、いつもの馬車に揺られながらクーリンガルの表通りを進んでいた。目の下に刻まれた色濃いクマは魔法によって隠され、現在の顔色は健康そのものに見える。しかし、彼はとにかく寝不足だ。
昼下がりのクーリンガルは商業大国の名に恥じず賑わいを見せ、その喧騒も眠気を冷ますには十分。それでもうつらうつらと眠りそうになっているのは、寝不足の深刻さをよく表していた。
「すみません、つい無茶を言ってしまいました……」
「顔を作るのは幾らでもやるけどさ、今度からはもう少し時間が欲しいかな。ねぇ、シャロワースさん?」
「な、何だか凄い違和感です」
手綱を操るローガンの横に寄り添うようにして座る女性、シエルが変装した姿である白のワンビースに身を包んだシャロワース=リベラは中々の美人だ。
緑のショートヘアーに、ぱっちりとした目の上には伊達眼鏡。元の女性としての優麗さを表す美貌とは対称的に、可愛いと称される種類の外見を持っていると言ったところだろう。
彼としてはもう少し凡庸に作ろうかとも考えていたが、無意識の内にそれなりとは言えど美人の部類を作ってしまっていた。これが何を意味しているのかは、作った本人もイマイチ理解していない。
どちらかと言えば地味ではあるので、人に紛れるには何ら問題無い。
「それでラ……ローガンさん、これはどこへ向かっているんですか?」
「ヘンメルっていう、街一番の大型の服屋。質はともかく無駄に種類は豊富だから、誰にでも勧められる店ってところさ」
時刻は十一時に差し掛かろうかという辺り。作業後に少し仮眠を取ったランスリーは、外から来たのだと偽装してシエルと共にクーリンガルの大通りをゆっくりと進んでいる。
使っている馬車は普段と変わらないカールが使うそれだが、一般的な物なので偽装の必要は無い。ランスリーの愛馬であるメリーが引っ張っているのも同じで、特にこの老馬にも変装の類いは施されていなかった。
人との交流が極端に少ない以上、メリーを覚えているのは極一部の例外達のみだ。だからこそ、そもそも偽装の必要すら無いというのがランスリーの判断だった。
「それにしても凄いですね。変装魔法が、ここまで自分に違和感を与えないものだなんて」
「練り込んである認識阻害の効果が、自分自身も誤魔化してるのさ。欠点も色々とあるけど、単純な変装っていうだけなら最上級じゃないかな。いや、我ながら良い仕事をした」
「本当に他人の分まで作れるだなんて、思いませんでした」
「おーい、無茶ぶりをしたのはどこのどいつ?」
「ふふっ」
メリーの尻尾をパサパサと触って遊ぶシャロワースは、えらく機嫌が良いらしい。ついでに言うならば、ここ最近はずっとこうして笑っている。
何が嬉しいのやら、と表情に出さずに嘆息しながらも、ローガンは人の流れに逆らわないように手綱を操って行く。この辺りは既にお手の物だ。メリーが勝手に動いているというのは否定出来ないのは、悲しいところだが。
実際のところ、この放蕩英雄は通い妻もどきから寄せられる感情の正体に朧気ながら気付いていた。
半月の間、一日も欠かさずに足繁く農園に通って朝夕の食事を作り、適度に雑談をして帰って行く彼女に対し、思うところが無いわけではない。短い間とはいえ付かず離れずの生活をしていれば、行動原理はおのずと見えて来る。
彼女は何故か自分に好意を抱いているのだろうと、そう判断するのはあまりにも簡単だった。決して、彼は巷に溢れる青少年のような鈍感な男ではないのだから。
それでも、向けられる感情を無視した。諸々複雑な想いを馳せながらも、あえて鈍感なフリをして誤魔化した。そうするべきだと、考えたからだ。
「ご苦労様です。ここから先は歩行者専用道となりますの で、馬車はこちらでお預かりさせて頂きます」
「あっ、あぁ……ご苦労様です。よろしくお願いします」
どんよりとした雰囲気を出しかけたローガンに、脇から声を掛けて来た男がいた。最低限の装備を身に纏った、ブレーブス公国の一般兵だ。
この街の市場は広大故に幾つかの特別な区域も存在していて、その例の一つが車両禁止区域。名では車両と限定されているが、簡単に言ってしまえば歩行者専用道で、有名どころの店が集まる通りがこれに指定されている。
つまり、ただ単に混雑が予想される店の周囲にスペースを取る馬や荷台が近付かないように規制しているのだ。勿論、関係者等の許可を得たものはその限りではない。
更に街の様々な場所には、国営の荷物や馬車を預かる専用の広場が設置されており、多くの人はそこに荷馬車などを預けて禁止区域に入ることになる。今回の場合は、通りの入口にある門の外で兵士に呼び止められた形だった。
「それではここに御署名を……ローガン=ウェルスム様ですね、それではこちらの札をお持ちください」
「はい、ありがとうございます」
手渡された四桁の数字が書かれ国を表す判が捺された上質な紙を、ローガンは二つに畳んでズボンのポケットに入れる。彼の今の格好は黒のシャツに青っぽい上着、紺色のズボンといったところ。
少し肌寒いような気がしないでもないが、これは後で冬用の何かを買って着るつもりの配慮なので問題は無い。懐には大ダメージを受けるだろう、しかし最近は誰かさんの管轄で食費が効率良く削られているので余裕はそれなりにあった。
財布の紐を握られ始めている現実に、彼はまだ気付いていない。
「とにかく、行こうか」
「はい!」
引かれ待機場へと連れて行かれるメリーに手を振り歩き出し、二人はすぐに区域の変化を現す大きな石造りの門へと辿り着いた。門を抜けて石畳の道を行くと、周囲は更なる活気へと包まれ始める。見渡してみると、目に入るのは当然ながら様々な店だ。
それはタイムセールを行なっている雑貨屋であったり、まだ昼前にも関わらず既に人が並んでいる飯店だったり。恐らくはこのクーリンガルでも上位に位置する店が、軒並み仁王立ちしている。
とにかく、肌で感じるのは凄まじいまでの熱気だ。たどたどしくローガンの隣を歩くシャロワースは、頬を少し上気させている。この熱気にあてられてしまったらしい。
「ここに来るのは初めて?」
「あっ、はい。この辺りは管轄外で機会も無く……」
「なーるほど、それゃあ慣れないか。ふむ」
どうやら彼女は、人混みというものが苦手のようだ。人の呼吸が積み重なって生まれる独特の暑苦しさと息苦しさは、慣れていない者には辛いだろう。
昔からこの辺りを勝手にブラついていたローガンにはおよそ理解は出来ないが、それでも気持ちは察していた。そして、もう少し彼女に気を使うべきだったかという反省も同時にしている。
ならば、ちょっとだけなら許されるか。そんな誘惑に駆られてローガンは本能に促されるままに右手を伸ばし、シャロワースの左手を掴んだ。
「うっひゃあ!? ちょっ、ラン」
「ローガン。……こんな人混みだし、はぐれたら合流も出来ない。店に着くまでさ」
苦笑し、有無を言わせず優しく彼女を引っ張り寄せて、ローガンは勢い良く歩を進めて行く。自分の顔が朱に染まっている事には、気付かないフリをしておいた。
☆
「二階に女性用、三階に男性用。一階には小物が……っていうか雑貨屋か、うん」
「服屋に雑貨ですか?」
「商売の工夫ってやつさ」
目の前に広がっているのは、綺麗な赤のレンガが規則正しく積み重なって作られた巨大な建築物。広大な敷地の中に作られた三階建てのそれは、二人が目指していたヘンメルと呼ばれるそれだ。
門を通って手を繋ぎながら歩くこと約十分、変わらない人混みの中を掻き分けようやく辿り着いたヘンメルは、変わらない姿をローガンの前に晒している。所々に配置されたステンドグラスや服屋にしては豪華な正面玄関など、無駄に思えるきらびやかさは嫌みを与えては来なかった。
予想していた店の形とは全く違ったらしいシャロワースはただただ圧倒されているが、見知ったローガンからしてみればどうということもない。服屋に似合わない筈なのに、そう意識させない建造の手法、それが彼の意識を引いていた。
どちらかと言えば、大嫌いな王宮に似た雰囲気を醸し出していて不快感を覚える。という意味での意識なのだが。
そんな彼の説明を受け、シャロワースは何かを考え込んでいる。服屋に雑貨という辺りに興味があるらしい。
「さっ、ボーッとしてないで入ろう」
繋がれた手を離し、ローガンはずかずかと大股で開けっぱなしになった入口から店の中へと侵入して行く。シャロワースは温もりの消えた左手をじっと見つめ、すぐに慌ててその後を追った。
「内装は、何と言うか普通ですね」
「あくまでも庶民的な店でね、外見だけで高級感を演出してる。あれはただの印象付けさ」
「言い方に毒が含まれているような……」
「あっははー、気のせい気のせい」
見栄え良く陳列されたアクセサリー類に吊り下げられたベルト、少し奥には生活用品も見受けられる。入って直ぐ左右には上に通じる階段が設置されていて、服のみに用があるのなら一階は無視できるように考えられていた。
今回の二人の目的は、あくまでもランスリー用の冬服を仕入れる事。つまり日用品に用は無いからさっさと二階に上がってしまって良い筈で、その流れに従ってローガンも階段に向かおうとする。
しかし、
「おわぁっと!? シャロワースさーん、そっちに服はありませんよー?」
何故か、シャロワースは一度離された手を掴み返し、真っ直ぐにローガンを引っ張りながら一階の奥へと突き進む。瞳には服など目に入っておらず、ただ日用品が我を呼ぶとばかりにその進行は堂々としたものだ。
「シャ、シャロワースさん?」
「この際ですから、足りない物を買いましょう。まずは果物ナイフが古くなっていました、安物でも構いません。それからテーブルクロスに、カーテンは緑色が良いでしょうか? 勿論、代金は私が支払いますのでご心配無く。どうせなら完璧な模様替えを」
「シャロワースさぁぁぁん!?」
結局、ローガンが大荷物を担ぎながら無事に二階へ上がったのは、一時間後の事だった。
☆
「ですから、せっかくの青髪なのにそれを使わないのは勿体無いです」
「あぁ、はい。外だから青髪の話はオフレコに……」
「暖色系はいけませんね、自然色や暗めの色を組み合わせれば良くなります!」
「ソウデスネー」
どうしてこうなった。と、ローガンは心中で頭を抱えてうずくまった。
ようやくシャロワースを満足させて階を移動したかと思えば、今度は押し付けがましい服の選択地獄が巡って来ている。気が付けば、また袋が二つ増えているのは認めたくない現実だ。
「だからさ、僕のを選んでる暇があるなら自分のをですね……」
「私はまた後でじっくりと選びます。まずはこれのお会計をですね」
「いや、自分で出すから……」
「ご遠慮無く、待っていてください!」
制止を振り切って小走りに駆けて行くシャロワースの背を見送り、ローガンは深い溜め息を吐く。さっきから、ずっと同じ流れの繰り返しだ。
確かに昔ならまだしも、今現在の金銭的余裕で彼が彼女に勝てる要素は無い。騎士として上位に君臨する魔導士とただの農園営業者、差は職だけで察するべし。
申し訳なく情けないと思いつつも、ここ最近はどんどんと明るくなって来ている彼女の様子を見て、ローガンは強く拒めずに押し流されてしまっていた。
「……どーするかなー」
一方的に押し掛けられている、とはどうしても言えない状態を生み出しているのはランスリー=ブレーブスの甘えが原因だ。独りでの生活を望みそうした筈が、いつの間にか人に囲まれてそれに心地好さを感じてしまっている。
曖昧な関係には、何時か決着が訪れなければいけない。その決着がどんな形になるのか、彼には全く見えなかった。
(ハッピーエンドは迎えられない、僕がそれを望めば彼女の人生は滅茶苦茶になってしまう。だから、切り捨てないと)
そう考えてはみても行動には移せない、それどころか彼女を調子付けるような行動ばかり取ってしまう。理由は、認めたくはないが分かっているつもりだ。
自然とそうなって、
「こういうのは男の、それに歳上の仕事だ。黙って奢られてろ」
「だからさー、いっつもそれじゃ悪いって。別にそんな困ってるわけじゃないし」
「ん?」
ふと左方向から聴こえた声に反応し、思わずローガンはそちらを向く。
視線の先に立っているのは一人の少年で、女性と思わしき声の会話相手は柱に隠れて見えない。会話内容からしてどうにも耳が痛い、まさか関係の無い少年から状況にマッチした正論を言われてしまうとは。
それにしても、絶世の美男子だった。少し長めに伸ばされた金髪に、蒼い眼、横目からでもこれ以上無い程に整っていると見て取れる。歳は十五、六辺りだろうか。腰に剣をぶら下げてはいるが、一般庶民と変わらないラフな格好だ。
何となく、見覚えがある。
「まぁ……何だ、チャチな男のプライドを尊重してくれないか?」
「何それ、サボり魔ルークにもそんなのあるんだ」
「おい待て、それは関係無いだろ」
予想は確信に変わる。ルークという名にあの容姿、記憶に残る五年前よりも立派に成長した姿が目の前にあった。
近寄って抱きすくめてやりたいという衝動に支配されかかるが、どうにかそれを押さえ込む。こんな場所で醜態を晒すわけにはいけない、あまりにも人目がありすぎる。それに今更、どんな顔をして会えばいいのだろうか。
(……元気でやっているならそれでいいさ、うん。イケメンに育って何よりだ)
自分にそう言い聞かせて納得させ、ローガンはまた紙袋を掴んで立ち上がる。そろそろシャロワースも戻って来るだろう、ならばさっさと移動してしまうとしよう。考え、そそくさと場を後にしようとする。
しかし、その動きは一瞬で凍り付いた。
「いいって言ってる相手に無理矢理奢ろうとするのは失礼、一般常識だよなー」
「いてっ……」
笑いながら柱の影から出て来て、ルークの額にデコピンをかました少女が一人。これもまた、ローガンには見覚えがある。赤毛の、快活そうな子だ。
(えっ、何で?)
数少ない放蕩英雄の理解者、サーニャ=ウィークスがそこにはいた。
遅くなり申し訳ありませんでした。
グダグダと説明回、二次ばかり書いてた身としてはこんな世界観の説明が難しくも楽しくあります。
次はもう少し早い内に……と思っていますが、今のところはまだ未定です。
主人公とヒロインに名前が複数ある時点で、色々とごちゃごちゃしてしまっていますね。
どうにか工夫したいのですが、やはり難しいです。