表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

ACT3.騎士は英雄を想う

 平和な国の騎士団は、得てして暇になってしまうものだ。

 和平休戦という形で両国の戦争に一先ずの終止符が打たれて早五年が経つ。この間、基本的には自国の防衛を主な任務とするブレーブスの騎士団に、その武力を大いに振るう機会が訪れることは無かった。

 やる事と言えば自己鍛練に団員での集団訓練、更には王族の護衛や市街の警備等々。有事に備えるのも騎士の務めであり、それを怠る者は騎士団内に一人としていない。

 しかし、訓練漬けの毎日が五年も続いてしまうのは流石に悪影響を方々に及ぼすらしい。例えば騎士の中には慢性的なだらけ病と呼ぶべきか、平和ボケと呼ぶべきか、そんな無気力な雰囲気が蔓延している。

 無理もない。小さな犯罪は幾らでも起こっているが、ブレーブス国内は不思議な程に大きな事件に見舞われていなかった。平和ボケが連鎖的に誘発してしまうのは当然だ。

 目に見えて騎士のやる気が下がった……とまではまだ行っていない。だが、何らかの形で発破を掛ける必要があるのは確かだった。


「ふう……」


 さて、どんな事情があるにせよ任務は任務、警備は警備。同じような日々の繰り返しでも、騎士団員が街の見回りを欠かすわけにはいかない。

 たった今溜め息を吐いた女性、シエル=フェルミールもまたそんな勤めから逃れられない者の一員だった。五年前と変わらない銀のポニーテールを揺らし、彼女は今日も剣を履いて昼過ぎのクーリンガルの市街を練り歩く。

 この五年の間に、シエル自身にも様々な変化があった。それは実力が認められて魔法使いから魔導師に格上げされたりだとか、第二師団の副団長から団長へと出世したりだとか、とりあえずは上昇傾向のものばかりだ。

 外形も少女のあどけなさを更に無くし、凛々しくも完全な大人の女性へと変わっている。立ち振舞いや仕事に対する姿勢は相変わらずだ。超が付く程に真面目で、男性からの人気が高い事もまた同じ。

 女性騎士としては強さ、性格、外見、全てが完璧。それが現在のシエルに対する世間一般の評価だった。

 決して間違いではない、若干二十二にして完成された強さと外見は完璧と言える。しかし、性格までもそれに並べられるのは間違いだと感じていた。他ならないシエル自身がだ。


(今日も今日とて同じ、ですか。騎士としてはこれで良いのでしょうが……)


 真面目で忠実、果たしてそれは本当に正しいのか。彼女の中では既に何年間もこの疑問が燻り続けている。

 かつて彼女が崇拝し尊敬する者に言われた、自分の意思で生きてもらいたいという言葉。それに従って自らの意思を探し始めて既に五年、未だに答えらしい答えは見付かっていない。

 フェルミール家は騎士として名を馳せて来た名家であり、シエルもまた騎士となるべく幼少の頃から英才教育を施されて来た。だからこそ、彼女は騎士として忠実である以外に生きる術を知らない。

 探しながらも、シエルは騎士の外面を取り繕っている。世間一般に知られたシエル=フェルミールを取り繕い、憂いる自分を隠し続けている。果たして、これが本当に自分の意思で生きているなどと言えるのか。


「はあ……」


 市場を見回りながら、またも一つ大きく溜め息。今の彼女はとにかく憂鬱だった。とどのつまり、自分がどうしたいのかが全く分からないのだ。

 かつて憧れた放蕩魔導師のように、何もかもを捨てる覚悟を持てるならばどれだけ楽だろうか。


(ランスリー様に会いたいなぁ)


 事あるごとにそう考えるようになっていた。ランスリーとの直接的な付き合いは戦争の間の一ヶ月だけだったが、それでも重要な何かを与えてくれた彼をシエルは無意識の内に求めている。

 彼をしっかりと見ていれば自分の意思も見付かる、そんな確信がシエルにはある。だからこそ求め想う、しかし探しはしない。彼はそれを望まないだろうからだ。

 大魔導師は必要無かった、最後の一言が強烈に印象に残っている。


「……ん?」


 もやもやとした気持ちを抱えて平和でありながらも賑わっている市場を行くと、前方からゴトゴトと車輪を鳴らしながら荷馬車がゆっくりと進んで来るのが目に入った。

 くたびれた老馬を操るのは、どこにでもいそうな初老の男性だ。後ろの荷台には林檎が入った籠が一杯に積まれていて、一目で新鮮で美味いのだろうと分かるぐらいに赤々としている。

 珍しい、そうシエルは思った。荷物がそう多くはなく一種であるから、恐らくはどこぞの商会ではなく個人の農園。しかも護衛がいない事から、このクーリンガル付近に居を構えているのが分かる。

 地方ならば何の変哲も無い光景だろう。だが、そう農業が発展しているわけでもないブレーブスの王都で個人の、しかも林檎の量から察するにそれなりに広大な農園を持っているとは。

 実は好奇心が旺盛なシエルは面白そうなものを発見したと嬉しがり、近寄って声を掛けてみることにした。


「こんにちは、立派な林檎ですね」


「ん……っ!? こ、これはこれは騎士様。ありがとうございます、今朝方に取れたばかりの自慢の物なんです」


 話し掛けられた男性は何か慌てたように大袈裟に驚くが、直ぐに平静を取り戻し、馬車から降りて笑いながら誇らしげに礼を言った。

 シエルの今の服装は黒のズボンに白いカッターシャツ、その上に赤い上着を羽織っている。これは第二騎士団の制服で、団員は普段からこの格好だ。直ぐに騎士団の者だと分かる格好、シエルはあまり目立つのを好まないが規則なので仕方がない。

 大袈裟に驚いたのは私の顔を知っていたからなのだろう、そう自己完結し彼女は改めて言う。


「いきなり失礼しました。私は第二騎士団のシエル=フェルミールと申します。個人の農家の方が物珍しくて、つい声を掛けてしまいました」


「ええ、フェルミール様、存じていますとも。私はカール=ベーカー、郊外で農業を営んでおります」


 カールと名乗った男性は本当に一般的な人だった。特徴が無いのが特徴と言える程で、身長も顔も肉付きも全てが平均的。それでいて不自然には思えない存在感の無さがある。

 ここまで来れば逆に不自然だ、何となくそんな考えが浮かぶ。しかし何故か次の瞬間には、まあいいかと考えを流してしまっていた。


「ああ、そうだ」


「む?」


 暫く彼が営むという農園に関する話を続ける内に、シエルは唐突に何かを思い付いたように話を切った。カールが訝しげに首を傾げているが、気にせず彼女は笑って続ける。


「この林檎、差し支えなければ一つ売って頂けませんか? 話を聞く内に、食べてみたくなってしまいました」


「ほう、フェルミール様に所望されますか。私の林檎も偉くなったものだ!」


 何かツボに入ったのか、カールはそう言って大きく笑う。そしてそれは嬉しそうに荷台へと移動すると、林檎が五個積まれた小さな籠を取って呆気に取られたシエルへと手渡して来た。


「どうぞ、御代はいりません」


「えっ? いや、ですが……」


「御高名な貴女様に食べて頂けるのです。私は勿論、林檎も満足でしょう。烏滸がましくも、この街を守って頂いているお礼です」


 畏まった言い回しだ、だが笑う顔は子供のように光輝いて見える。思慮深さと子供らしさが同時に存在する不思議な感覚、外見と内面が釣り合っていないとすら感じてしまう。

 この時、シエルは目の前の男に妙な懐かしさを感じていた。全く覚えの無いカールに、求めてやまない姿が重なっている。


「ランスリー様……?」


「えっ?」


「あっ、いや何でもありません。その……ありがたく頂戴します!」


 ブンブンと首を振り、シエルは差し出された籠を慌てて引ったくる。カールは不思議そう苦笑にするが、あまり気にはしていない様子だった。


「そろそろ私は失礼致します。こいつを早く売って返らなければいけません」


「そうですか、お時間を取らせて申し訳ありませんでした。この林檎、よく味あわせて頂きます」


「そうしてもらえるとありがたい、それでは」


 頭を下げ、カールは「よいしょ」と声を出しながら馬車に登って手綱を両手に持つ。そして軽くその手綱を動かすと、老馬は仕方無いと言わんばかりにのっそりと歩を進め始めた。

 徐々に遠ざかる馬車の背を眺めながら、シエルは思う。どうしてあの男性に懐かしさを感じてしまったのか、どうしてランスリーの姿を重ねてしまったのか。

 答えは出て来そうにもない。全く違う二人が似ているなどと思うのは、一時の気の迷いだ。そう判断してシエルはふっと息を吐き、馬車に背を向けてまた見回りへと戻って行った。



     ☆



(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい、ヤバい!! 何で騎士団長のシエルが一人でこんな場所にいるんだ、何でよりにもよって僕に話し掛けて来るんだ!?)


 真顔のまま馬車を操りながらカール……いや、ランスリーはとにかく焦っていた。

 午前の授業を終えてから家に戻り、外から来たと装って週に一度の習慣である作物を売りに行こうとした結果がこれだ。何故かよく見知った顔に話し掛けられ、何故か興味を持たれ、何故か正体に気付きかけたような素振りすら見せた。

 彼の変装魔法は、使用中に他の魔法を使えなくなるという弱点こそはあるものの他は完璧で、残留魔力も無く声まで変えてしまえる優れもの。それに演技が合わされば、元の正体がバレる要素はまるで無い。

 だというのに、シエルはカールとランスリーの繋がりの可能性に辿り着いた。恐らくは直感のみで。


(とにかく、もう会わないように気を付けよう。可能性に留まってるのなら、その内に忘れてしまうさ)


 額に湧いた汗を袖で拭い、そう考えてランスリーはどうにか落ち着いた。何の事はない、疑念で終わるのならそのまま放置してしまえばいいだけだ。

 王宮で生活していた身として、彼も騎士の行動パターンぐらいは把握している。シエルのような上役がそう積極的に見回りばかりする筈もなく、少し気を付ければもう会うことは無いだろう。

 そう確信し、ランスリーは柔らかな笑顔を作り直して馬を更に進ませて行く。


「どうも、ラウルさん」


「ん……あぁベーカーさん、待ってたぜ。今日はそれ全部でいいのか?」


「ええ、よろしくお願いします」


 辿り着いた店の先では、燃えるような逆立つ赤髪の男が椅子に座って新聞を読んでいた。

 サーニャの父親である、ラウル=ウィークス。筋肉質なその肉体に男らしい虎髭を生やした精悍な顔付き、私はワイルドな男ですと外見から主張して止まない四十二歳だ。


「今回は林檎か、サーニャの話じゃブドウも作ったと聞いたが」


「お店に出せるような代物じゃありません、また来年以降に期待ということにしておいてください。そういえばサーニャちゃんは?」


「今は買い出しでな、行ったばかりなもんで帰って来るのは当分先だろうさ」


「そうでしたか、それは残念」


 話をしながらも、二人はテキパキと林檎を荷台から降ろして軒先の机に並べて行く。もう慣れきった作業だ、無駄な動きは全く無い。


「む……なるほど、前回と全く同じ味だな。相場も同じでいいか?」


「はい、逆に貰いすぎて申し訳が無いぐらいですよ」


「気にすんな、俺は物には相応の対価を払う主義だ。……それよりも、サーニャが世話になりっぱなしらしいな。あいつは迷惑掛けてないか?」


「まさか、私が助けられているぐらいですよ。迷惑だなんてとんでもない」


「そう言って貰えるとありがたい、すまんがこれからもあいつをよろしく頼む。俺も、中々あいつに構ってやれなくてな」


 サーニャがランスリーの農園に通い始めて二週間、回数で言えばもう四回になる。

 暴露当初はカールがランスリーである事に驚き混乱していたが、少し落ち着いて蓋を開けてしまえば二人の関係は何も変わっていない。不安の中で見た、「納得っちゃ納得だよなー」と笑って言ったサーニャの顔を、ランスリーは絶対に忘れないだろう。

 変わった事と言えば、農園の中ではランスリーが変装をしなくなったぐらいだ。人の侵入を制限する結界が張られているので、あそこに二人以外の誰かが入りはしない。なので、もう隠す必要が無くなってしまった。

 ランスリーにとって、サーニャは五年ぶりに現れた自分を晒し出せる唯一の人だ。今更、頼まれるまでもない。


「勿論です、逆に私がラウルさんからサーニャちゃんを奪ってしまったんじゃないかと不安で」


「くはは、んな事は無いから安心しろ。……はいよ、今日の分だ」


「ではありがたく。サーニャちゃんによろしく言っておいてください、また明後日とも」


「おう、またな」


 代金を受け取り、カールはラウルに手を振ってまた馬車を走らせ始める。林檎の売却は終わったので、後は適当に食材を買って帰るだけだ。

 二週間近くを掛けてようやく茄子を消化したカールは、今日の夕食のメニューに心を踊らせる。最近は生活スタイルの影響からめっきり草食になってしまったが、元来彼は肉食派だったりした。

 たまには贅沢をして、大きな肉を焼いて食べるのも良いかもしれない。余計な味を付けずに塩コショウとガーリック、どんな肉だろうとこれだけで間違いなく美味くなる。


「そら、メリーちゃん。早く肉屋に導いておくれ」


 善は急げと気は逸れども、相も変わらずメリーと名付けた老馬はゆっくりとしか進まない。林檎が無くなったので最初よりは速くなったような、そうでないような、これはまた微妙なところだ。

 何でもいいさ、とぼんやり考えながらゴトゴトと揺れる馬車はカールを運ぶ。思えば、こんなに充実した気分で市場に来るのは本当に久しぶりだった。

 好き勝手に生きながらもどこか空虚な日々は、彼自身が思っている以上に辛かったのかもしれない。サーニャと、ついでに馬のメリーがいる日々。孤独を望んだ筈が、いつの間にか割と楽しく暖かい毎日を繰り広げている。

 このまま、騒がしくも静かに暮らして行こう。それでも国の成り行きに興味はあるので、クーリンガルの近くからは離れずに高みの見物をしよう。ただ、もうリスクは出来る限り削るようにしよう。

 とりあえずの決意表明を脳内で済ませていると、行き付けの肉屋が見えて来た。これもウィークス家の八百屋のように個人経営で、人通りが少なめな場所に居を構えている。

 それでいて扱う肉の質は良く値段は安い、いわゆる穴場と言うべき場所だ。人目に付かないのでそうカールは自分の姿を見られることもなく、肉を買う場合は重宝するようになっていた。ちなみに店で揚げたコロッケが美味い。


「メリーちゃん、ちょっと待ってなよー」


 少し離れた空き地に馬車を止め、カールは喋り方がランスリーに戻っている事にも気付かず肉屋へと歩き出す。懐に小銭が入った袋があることも確認し、まだ見ぬ肉に想いを馳せながら彼は進む。


 ここで、もう少し冷静になっていれば気付いていたのかもしれない。


「むぐっ……これは美味しいですね、皆の分も持って帰るとしましょう。店主さん、同じ物を二十個お願いします」


「はい、ありがとうございます!」


(おい何やってるんだあいつはあぁぁぁぁ!?)


 別れた筈のシエルが、肉屋の前で嬉しそうにコロッケを食べている。任務中と思わしき騎士がまさかの買い食いだ。

 どこが真面目な騎士だと言いそうになった口をどうにか閉じて、カールは見なかった事にしようと店に背を向け、抜き足差し足で来た道を引き返そうとする。

 ここで見付かるわけにはいかない、シエルにまた会ってしまえば取り返しの付かない事になると直感が叫ぶ。肉は惜しいが逃走が優先だ。

 しかし、振り向いた先に彼女はいた。


「あれ、おっちゃん。何してんのー?」


「サ、サーニャちゃん!?」


「おっちゃんも買い物? そうだよなー、あそこのコロッケ良いもんなー」


 うんうんと何故か満足気に数度頷き、生暖かい目で突然現れたサーニャはカールを見る。やっぱり英雄も人の子だったんだと目が物語っていて、思わずイタズラが見付かった子供のような心境に彼は陥った。

 それにしてもこの状況は危険だ。サーニャには正体の秘匿をキツく言い含めてあるが、咄嗟に口裏を合わせてくれるかはどうかはあまり信用出来ない。もしシエルに二人纏めて会ってしまえば、ポロッと正体を漏らす恐れがある。

 とにかく、何としてもさっさと肉屋から離れよう。焦りながらもそう決心したカールは、有無を言わさずサーニャの手を取ろうとする。

 が、


「おや、ベーカーさん。またお会いしましたね」


「ひぃ!?」


「す、すみません。驚かせてしまいましたか」


 またも背後から掛けられた声によって、その手は妙な動きをしながら空を切った。同時にカールの口からはすっとんきょうな声が出ている。

 何時の間にか買い物を終えていたシエルは、彼が自分に気付いていなかったのだと誤解し反射的に謝っていた。右手には林檎の籠、左手には手提げ袋、どうやらコロッケが詰まっているらしい。


「うおっ、おっちゃんどうかしたのかー? ってあれ、シエル様だ」


「サーニャ、久しぶりですね。景気はどうですか?」


「へへ、上々上々。最近はこのおっちゃんのおかげで仕入れが楽になってさ」


「なるほど、ベーカーさんの取引先はサーニャの店でしたか。納得しました」


「……えっ、知り合い?」


 カールの横を通り過ぎ、シエルはそのままサーニャに話し掛けてその頭をぐしゃぐしゃと撫でていた。ただの知り合いというには馴れ馴れしい行動だ、つまりかなり親しい間柄だという事が窺える。

 だが、王宮の騎士……しかも魔導師であり団長のシエルと、ただの八百屋の娘でしかないサーニャに何の接点があるのだろうか。情報の整理が追い付かないカールに答えを出したのはシエルの方だった。


「サーニャのお店は、よく利用させて頂いているんです。このような格好ですから、あまり目立つ場所では動きづらくて」


「シエル様の場合は格好より、顔と知名度だと思うけどなー」


「もう、あまり人をからかうものじゃありませんよ」


 大衆的には納得出来るが、カールには到底納得がいかない理由だ。まさか、贔屓にする店が騎士と被るなんて不条理が罷り通るとは。

 そういえば、付かず離れずの一ヶ月の間に料理が趣味だと聞いた覚えがある。確かに食材の買い出しは必要かもしれないが、まさかこうも行動パターンが一致してしまう事はないだろうに。


「フェルミール様、三十分ぶりでしょうか。まさかサーニャちゃんが共通の知り合いとは……驚きました」


「私もです、世間は狭いですね」


 バクバクと鳴る心臓を無視しながら、カールはまた同じようにシエルと話そうと努める。それに対し、彼女が違和感を覚えた様子は無い。


「あっ、この林檎とても美味しかったです。自然に実った物は良いですね、無理矢理作った物には無い甘味があります」


「ありがとうございます。と言いましても、私は元からあった樹を手入れしただけなんですよ」


「ご謙遜を、その手入れが良かったからこそ味も良くなるんですよ」


 いやいや、いやいやと賛辞と謙遜が飛び交う。謙虚なシエルと謙虚なフリをしたカールのやり取りは、一度始まってしまえば終わり所が見付からないように見えた。

 そんな長々しい掛け合いに業を煮やしたのか、無理矢理気味にサーニャが間に割って入る。


「おっちゃんの農園は色々作ってて、野菜と林檎が良いんだよ。まっ、葡萄はすっごい微妙だったけどさー」


「サーニャちゃん、それはあまり言って欲しくないかな?」


「ふふっ、そうなんですか。野菜も頂いてみたいですね」


「ウチで扱ってるから、またよろしく!」


 ずびしっ! と右手の親指を立ててサーニャは公然と店の宣伝をする。さっぱりとしながらもあまり商売上手ではなさそうなラウルが店を続けていられるのは、娘の図太さと明るさがあるからなのだろう。

 天性の商才がある、改めてカールはそうサーニャを内心で評価した。それはシエルも同じのようで、あからさまな宣伝を笑って流しながらも微笑ましく彼女を見ている。

 と、その時。シエルの視線が一点で止まった。


「おや、首飾りですか? サーニャがオシャレだなんて珍しいですね」


(っ、マズい!!)


 サーニャの胸元、そこにはカールが渡したあの三日月形の首飾りがぶら下がっていた。これはゲートを使うための鍵だ。最近では暇があれば彼女は農園に訪れるので、当たり前のように肌身離さず身に付けている。

 そして、今の問題は首飾りにほんの少しだけ魔力が籠っている点だ。魔導師のシエルでも気付けるかどうかの微妙な量、それでもカールは気が気でない。

 もし気付かれてしまえば、魔力の質から正体がバレてしまう可能性がある。魔力にはそれぞれ扱う者によってほんの少し特色が違い、熟練した魔導師ならば気配……というよりも感覚で見分ける事が出来る。

 それが、ランスリーを知るシエルに可能ならどうなってしまうか。火を見るより明らかだ。


(サーニャちゃん、上手く誤魔化してくれ!)


 心の中でそう祈り、必死にサーニャへと視線と念を送る。その視線に気付いた彼女は小さく頷き、任せろと言わんばかりに笑う。


(通じた!)


 これで何とか誤魔化せる。そう確信して安心した瞬間に、


「このおっちゃんに貰ったんだよー」


(サアァァァァァニャァァァ!?)


 希望は打ち砕かれた。


「そうなんですか。……ちょっと見せて頂いても?」


「はい、どうぞ」


 止める間も作らずに、サーニャは呆気無く首飾りを外してシエルへと渡してしまう。そして、シエルはそれを指で弄りながら繁々と眺めている。

 それに手を出せずに静観するカールの身体中から汗が噴き出し、混乱の極地へと導いて行く。

 バレてしまえばどうなるのか、王宮総出で自分を捕獲しに来るのか、とにかくロクでもない事になるのは間違い無い。そして、最低でも今の生活は終わってしまう。

 ――魔法を使って黙らせる、そんな選択肢もあるにはある。


(……馬鹿か、僕は)


 僅かでも魔法に頼る選択肢を考えてしまった、そんな自分に激昂しカールは心中で戒める。魔法に頼らない生活を送っているのに、選択肢として考えてしまったその時点でもう愚かな間違いだ。

 無性に悲しくなり、カールは天命に任せようと心を決めた。シエルが自分を連れ戻そうとするならば、その時はその時でただ逃げるだろう。


「……ん?」


 人知れず考えるカールの前で、シエルの雰囲気が変わった。

 何かを感じ取ったような、信じられない物を見たかのような、そんな声だ。そして、三日月から視線をカールに移し、一度両方を見比べてから口を開こうとする。

 ここまでか、そう表情を変えずに覚悟をしたところで、


「良い作りですね。栽培だけではなく木彫りも作れるだなんて、尊敬します」


 シエルは眼を輝かせながらそう言った。


「えっ?」


「私も何か料理以外の趣味を持ってみたいと思っているのですが、中々……」


「……あっ、ありがとうございます。農業生活というのは空き時間もそれなりに出来てしまうので、暇な時にはよく作っているんです」


「そうでしたか。いや、羨ましい限りです」


 何事も無かったかのようにシエルは首飾りを褒めてきた、どうやら魔力には気が付かなかったようだ。慌てて話を合わせ、今度こそと安堵しながらもカールは鳴り響いている心臓を宥めて笑った。



     ☆



「皆に配っておいてくださいね」


「了解しました!」


 持ち帰ったコロッケを団員に渡し、シエルはそのまま林檎の入った籠を持って自分の部屋へと戻った。見回りは終了、本日はもう自由時間だ。

 戸を締め、籠を机に置き、流れるように彼女はベッドへとうつ伏せに倒れ込む。


「うう、ううー……どうすればいいんですか。何であんな形なんですか」


 枕に顔を埋めながらブツブツと呟き、思い出すのは初老の男性、カール=ベーカーのことだ。彼が作ったという首飾りに含まれた魔力、それにシエルは気が付いていた。

 あの魔力は、間違い無くランスリーのもの。その場で驚き叫ばなかったのを自画自賛しつつ、彼女は更に早口で引き続き独り言を呟いていく。


「ベーカーさんは、間違い無くランスリー様です。顔を変えて、隠れて、農業をやりながら近くで私達を見ていてくれました。こんなに近くにいてくれました」


 ランスリー、その名を呼ぶ度に心の中に喜びが溢れ出す。見ていると言った言葉のままに、確かに彼は姿を変えながらも自分のことを見守っていてくれた。

 出来るならば、今すぐにでも会いに行って色々な事を話したい。しかし、自分がここで正体を知ったとランスリーに言ってしまえば、彼はまた自分の前からいなくなってしまうのではないか。

 そうなってしまったら、ランスリーにはもう会えなくなるに違いない。それだけは、嫌だ。

 求めていた人が見付かったのに、そこに手を伸ばすのがどうしようもなく怖い。ランスリーとして会えなくとも、カールとして会うだけで満足しなければならないのだろうか。

 自問自答を繰り返し、シエルはいつの間にか自分が泣いている事に気が付いた。これでは駄目だと止めようとしても、涙は更に目から流れ出して来る。


「くっ、うう……会いたいです、ランスリー様……」


 部屋の壁では、赤い鞘に納められた剣が淡く光っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ