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ACT2.英雄は自由と生活の意味を知る

 大地が燃えている。

 アッシュ公国の首都であるマグヌスへと続くその道の最終防衛ラインとして聳え立っていた砦、それが一人の男によっていとも容易く陥落していた。立て篭もっていた人員はほぼ全滅、最後まで抵抗を続けていた者もこの炎によって全て燃え尽きてしまっているだろう。

 戦争が始まって三ヶ月が経過し、戦局は完全にブレーブス側へと傾いた。それもこれも一月前に突如として登場したランスリー=ブレーブスなる大魔導師の力が圧倒的だからこそだ。

 一度その剣を振るえば城は燃え、人は細切れになって吹き飛び、絶望によって敵は白旗を掲げる。しかし、誰もその降伏を受け入れはしない。ブレーブスの兵は危機としてアッシュの降伏兵を嬲り殺していた。

 上がる歓声、天地よブレーブスに栄光あれと誰かが叫ぶ。それに違和感を覚える者は誰もいない、敵は殺して当たり前なのだと誰もが認識している。

 そしてまた誰かが叫ぶ。第三皇子、ランスリー=ブレーブス万歳と。


「参加されないのですか?」


「うーん」


 そんな様子を、遥か上空から見下ろす者がいた。戦勝の宴の主役となるべき男、純白のローブに身を包んだランスリーはその場に赴こうともせず、ただ燃え落ちていく城をぼんやりと眺めている。

 魔の力によって空中に立つ彼に元気は無い。ほぼ一人の力のみでこの戦を勝ちに導いたというのに、その雰囲気はまるで敗戦の将であるかのようだ。いや、もしかすればそれ以下の状態かもしれない。


「気が乗らないな、君だけでも行ってきたら?」


「いえ、私は貴方様に仕える身ですので。貴方様が参加なさらないのでしたら、私もそうは致しません」


 ランスリーの背後には、彼と同じ年頃の一人の鎧姿の女性が控えていた。ブレーブス公国第二騎士団副団長、シエル=フェルミール。銀の長髪を根本で一括にしたポニーテールが映える優秀な魔法使いだ。

 その十七という年齢に似合わない大人びた物腰と凛々しい出で立ちから騎士団内で人気を博する彼女は、今回の戦争でランスリーの御付という任務を任されている。奔放な彼が任務を投げ出さないかという王宮内有権者の保険なのだが、悲しいかなシエルはランスリーの信奉者のため甘く接してしまい、いまいち機能していなかった。

 しかし、シエルはどこまでも真面目で任務に対して忠実な騎士なので、それでも彼から離れようとはしない。ランスリーとしても特に行動が阻害されないのならば構わないと、彼女の傍仕えをある程度は黙認していた。


「お堅いねぇ、たまには肩の力抜けばいいのに」


「今のランスリー様は、目を離すとどこかに消えてなくなってしまいそうで。危なっかしいと言いますか」


「危なっかしいのはいつものことさ、自覚ぐらいはありますよー。……まあ、助かるけど」


 おどけた様子で言うランスリーは、やはり公国の皇子とは思えない程に軽薄だ。最後の呟きが聴こえなかったらしく無反応なシエルに背を向けたまま、続けて彼は言う。


「そんな危なっかしくて不真面目な僕がこの戦争に参加した理由、君は知ってるかな?」


「噂程度には。何やら、国王陛下と取引をされたと聞き及んでおります」


「その通り。僕はね、父上に対価として自由を要求したんだ」


「自由、ですか?」


 困惑気味なシエルの声に対し、ランスリーはふっと自嘲気味に笑った。元々自由奔放なお前が更に大きな自由を求めるのか、そういった思考がありありと伝わって来るようだ。


「規律だとか、国の繁栄だとか、そんなものに興味は無い。僕を縛る称号や権力なんて糞くらえだ。だから言ってやった、この戦争に勝てばこれから先の僕の行動に文句は言わせないと」


「それは……」


「当然、国の害にはなりはしないさ。あくまでも気儘に生きたいだけでね、政治だとかに口を出す気も無い。だから僕は自分のためにこうやって戦争に参加したんだ。……君からしてみれば、理解出来ないだろうな」


 どう自由に立ち振る舞おうが、生まれ持っての権力はどうしてもランスリーの行動を抑制し阻害している。故に彼は『放蕩』を極めるために父と交渉し、溢れんばかりの力を意のままに振るい暴風雨となった。

 誰のためでもなく自分のために、あまりにも自分勝手に、人を殺すことでランスリーは自由を勝ち取り羽ばたこうと行く。そしてアッシュを滅ぼし、皇子の責務から開放される。その道に向かって突き進む。

 その筈だった。


「その……私には、それがとても素敵で羨ましい事に思えます。私も騎士としての責務責務でがんじがらめの生活ばかり。いい加減に、息が詰まりそうです」


「へえ?」


 真面目で通っているシエルのその言葉に、ランスリーは面白そうに目を細めた。あまりにも意外な言動だ、異端と扱われる彼を素敵で羨ましいとは。

 冗談で言うにはあまりにも危険すぎる事だ、彼女にそれが分からない訳が無いだろう。つまり、全て本気で言っている。思わぬ理解者の発覚にランスリーは踊る心を抑えられない。

 そんな彼の心を知ってか知らずか、シエルは更に続けて、


「ですが、今の貴方様はとても悲しそうに見えます。泣いているようにすら」


「……」


 心を抉られるかのような感触だった。あまりにも無粋で人の心に無断で立ち入るかのような言動、しかし彼女はそれを恐れずに言い切ってみせた。

 どうしようも無く図星なのだ、確かに彼の心は泣いている。


「この風景、どう思う? 体裁を取り繕う必要は無い、自分が本当に感じたままに」


 暫くの沈黙が続いた後、ランスリーは唐突にそんな質問を投げかけた。この風景というのは、勿論彼がたった今見下ろしているものだ。

 燃え盛る敵陣のあったアッシュの砦、それを酒の肴にして騒ぐブレーブスの軍勢。あまりにも違いすぎる相反した光景がそこには広がっている。

 背に伝わる困惑の気配を受けながら、ランスリーは尚もぼんやりとそれを見比べ続ける。その様子を確かめ、問を受けたシエルは恐る恐る口を開いた。


「……私には、あまりにも残酷に思えてなりません」


「残酷?」


「はい。無礼を承知で失礼致します」


「僕に構うことはない、どうぞ」


 努めて柔らかく発せられたランスリーの言葉を受け、彼女は一つ息を吐いてから続けて言う。


「貴方様の力はあまりにも理不尽です、アッシュは何も出来ないままに敗北してしまいました。それは残酷で、下で馬鹿のように騒いでいる者共もまた……」


「自分の力で勝ち取った勝利でもないのにただ喜んでいるのが信じられない、そんなところか?」


「……はい」


「なるほど」


 やはり聡明な騎士だと思い、ランスリーは小さく笑った。そして、そのまま宙に胡坐を掻いて座りながら、


「僕は結局のところ、貴族の権力を嫌いながらそれに甘えていた」


「えっ?」


「幾ら奔放に振舞ってみたとしても、与えられる物は全部自分じゃなくて権力の力によるもの。この先で勝って自由を得たとしても、それに掛かる費用は全部国持ち。これが甘えじゃなくて何て言うんだろうな」


 自身の根底すら揺るがしかねない独白に、シエルは思わず言葉を失ってしまう。しかしそんな事はお構い無しにとランスリーは身を刻むような続けて行く。


「そんな甘えを押し通そうとした結果がこれさ、人の命を理不尽に奪ってまで僕は幻想の自由を手に入れようとしたんだ」


「ランスリー様、しかし!」


「何も違わない、僕は冷酷無比な殺人鬼さ。本国でどう英雄として祭り上げられようとも、僕の中のランスリー=ブレーブスは殺戮者になってしまった。もう間に合わない、でもこれを見て気付けて良かった。気付いたのなら、これ以上は人を殺さなくても済む」


 ここで、ランスリーはまた立ち上がってシエルに向かって振り返った。目に映る彼女が驚愕する顔、そしてただ暗闇が広がるだけの曇った空。

 自分の心を表しているようだと、ランスリーは目から雫を流しながら寂しく微笑み腰に手を掛ける。そしてそこにぶら下がっていた物を外し、右手に掴んで前へと掲げた。


「これを君に持っていて欲しい」


「ランスリー様、何を」


「いいから、これは命令だ」


 その剣は、ランスリーが肌身離さず持ち歩いている宝剣だった。持ち主の魔力に呼応して切れ味を変えると言われているその剣は、この世に二本と無い貴重で国宝とすら扱われている物だ。

 赤い鞘に刀身には龍の彫刻。持つ者を龍へと昇華させるとの願いが込められたそれを、ランスリーはシエルに持てと言っている。

 そのような事が出来る筈もない、命令無視となってしまっても受け取るわけにはいかない。思わず宙を踏んで後ずさりし、シエルはただ無言でブンブンと何度も首を横に振って拒絶を表す。


「ほら、落とすなよっと」


「ひゃわぁ!?」


 しかし、あろうことかランスリーはその宝剣を投げて寄越した。慌てふためきシエルがそれを受け取った事を確認し、彼は大きく頷いて、


「そうだ。その剣は、『ウォーレン』は意思を繋ぐ。君には自分の意思を持って、自分の意思で生きてもらいたい」


「お、お待ちください一体何を」


「今は分からなくても良い。きっと、この戦争が終わった後に分かる」


 彼は笑う、その両目から涙を流しながら。


「僕は、思うがままに見ている」


 瞬間、シエルの視界からランスリーが消え去った。そのように見えただけだ、まだ彼はこの場にいる。

空中で自らを支えている飛行魔法を解除し、下へ下へと落下している。

 それはまるで、投身自殺を図ったかのようで。


「ランスリー様!!」


 弾かれたように、シエルは宙を蹴って落ちるランスリーへと降下する。左脇に剣を抱え、右手を彼に向けて伸ばしながら。

 上空百メートルの空だ、落ちれば命は無い。故にシエルは必死になって手を伸ばす。だが、届きはしない。

 そして最後に彼は、


「この世に、大魔導師は必要無かった」


 そう笑って消えた。



     ☆



「農、業、だー!!」


 朝も早く、現在時刻は午前六時。静かな山の畑には快活な声が響いていた。

 大自然の冷たい空気を吸うサーニャのテンションは異常に高い。どうやら手伝い始めのこの日を相当に楽しみにしていた様子で、カールが約束の時間丁度に迎えに行ってみれば、遅いとの理不尽なお叱りを受けてしまう程らしい。

 土に汚れても構わない服装、つまり八百屋で店員をしている時の作業着を身に纏いながら、サーニャはまず朝の山を楽しむと決めたようだ。現に、落ち着き無く畑を駆け回っている。


「ふう……」


 対するカールのテンションは低い。サーニャに急かされて普段よりも一時間早く行動をずらしているために眠気は容赦無く襲いかかり、正体の隠蔽等に関して心労は重なる。

 カールも今日を楽しみにしていたのには違い無いのだが、流石にここまでサーニャがはしゃぎ回るとは一切予想していなかった。朝焼けが妙に眩しいのは気のせいだろうか。

 隠遁生活の弊害ここにあり、ランスリー=ブレーブスは若者の妙なハイテンションに着いて行けない実年齢二十三歳だ。


「サーニャちゃん、やる事説明するからちょっと来てくれるかな?」


「おー!」


 気を取り直したカールがそう語り掛けると、サーニャは全速力で彼の前へと駆けて来た。そう大きな声を出したつもりは無かったが、やはり地獄耳という本人の言葉に偽りは無いらしい。

 ニコニコと笑いながら指示を待つ彼女の姿は、さながら尻尾を振る飼い犬だろうか。あまりにも似合いすぎていると、カールは自らの考えに蓋をして前を指差しながら言う。


「まず最初に、ここ一帯は暫く前にナスの収穫し終えた場所でね。もう葉が枯れかけてるだろう? それを耕して全部除去して、新しく野菜を育てようと思うんだ」


 サーニャが振り向いてみると、確かにそこには役目を終えて物悲しさを感じさせる、緑と茶色が混ざり合う畑の風景があった。規模としては二十メートル四方、綺麗な正方形だ。

 他にも隣には別のナス畑もあるのだが、そこの葉はまだ緑色に生い茂っている。あのようなまだ元気な手前は根も元気なので後に回し、カールはまず枯れて取り除きやすくなった方から手を付けるつもりでいた。

 実際にはやれなくはないのだが、サーニャの初仕事なので楽なものを選ぶのは当然と言える。


「へー、何作んの?」


「それをまだ決めてなくてね。候補はキャベツ、かぶ、ほうれん草かな」


「ふむふむ……ウチとしては、ほうれん草がありがたいかな。いっつも冬は品薄状態でさー」


「確かに買ってくれるのは君だからね。なるほど、ならそうしよう」


「やった」


 カールは快く了承し、サーニャはぐっと小さくガッツポーズを作った。

 このほうれん草という野菜、ブレーブス公国内では不思議な程に人気があって一般的な食材として知られている。しかし、人気があるということはそれだけ売れ行きも激しく品薄にもなってしまう。

 元々ブレーブスは農業があまり盛んな国ではなく、農業人口と商業人口の比率があまり上手く釣り合っていないのが本当のところだ。食材に関しては、休戦中のアッシュを含む他国からの輸入に頼っている。

 当然ながら輸入をするにも限度があるので、ほうれん草が無限に湧いて来るわけでもない。サーニャのような規模の小さな個人経営の店にはその輸入食材も中々に回って来ることも少なく、もしカールがそれを作ってくれるのならば万々歳だった。


「それで話を戻すと、まずはこれで土を掘り返してもらおうかな」


 言いながらカールが取り出したのは、何の変哲も無い鋤と鎌だった。鋤の刃の部分は特注の軽い金属で作られており、それ以外は木製なので非常に使いやすい一品……という設定になっている。

 真実はサーニャが扱えるように刃が魔法によって軽くされていて、本来は普通の鉄と全く同じ物だ。しかし彼女はそんな説明をすんなりと信じたようで、「おお!」と軽さに驚き喜んだ。

 良かれと思ってやった事なのだが、騙している事に対する罪悪感が生まれるのは仕方がないのだろうか。ちなみに、鎌は細工の一つもされていない市販のままだ。

 今回は転移の樹のように魔力に反応してはいないらしい。残留魔力も少量なので当然か、そう考えてカールは質問を続ける。


「まずは鎌で外に見えてる部分を刈って、それから鋤で土を掘り返して根を砕き取り除く。ついでに土から栄養を持って行く雑草も一緒にね。ゴミは全部この袋に入れてもらえればいい、後で纏めて焼くから」


「りょーかい!」


 またもカールは何処からか大量の布製の袋を取り出し、どさりとナス畑の脇に積んで行く。そして無言のままに鎌を手にして畑の入口に立ち、近くに生い茂った葉を鎌で手早く刈ってみせた。更にわざとらしく足を力強く踏んで腰を落とし、その腰をトントンと叩いて指し示している。

 その姿を見て、サーニャはなるほどと大きく頷いた。つまりは効率的な鎌の使い方をカールは実践しているのだ。


「とりあえずは上に出てる部分だけを綺麗にしてもらおうかな、掘り返す時には私も手伝おう」


「ほいほい、それまでおっちゃんはどうすんの?」


「あれの収穫だ」


 カールが指差した方向には、高さが五十メートルはあろうかという大きな常緑樹がそびえ立っていた。それは私塾の裏庭にある樹と繋がっている転移ポートで、この山において親玉的存在の樹でもある。

 今の問題はこれではなく、大樹の更に向こう側にある下り坂に設置された紫色の畑だった。サーニャがここに来て真っ先に見た、みずみずしいブドウが実ったそれだ。

 垣根のように木が並び、その樹にブドウが吊り下がっている。山の斜面を利用し五層の段々畑として形成されたそれは、ほぼ狂い無しに一定の距離を保って五十本の一つ一つが邪魔にならないようにもされている。

 もう一つ特徴を挙げるとするならば、段々になった山の斜面……その壁部分を利用して木々が固定され、伸びる方向等を矯正し倒れないように工夫されている事だろうか。

 これはこの地方で一般的なブドウの栽培方法で、カールもそれに倣って試験的に栽培を始めていた。まだ一年目の畑だ。上手く出来ているとは思わないが、それでも彼は収穫の時がとても楽しみだった。


「えー、ずるいよおっちゃん。あたしもあっちが良い」


「あれはまだ実験段階でね、色々と難しいんだ。後で味見させてあげるから勘弁してくれ」


「ちぇー」


 ぶすっと頬を膨らませ、私は不服ですと言わんばかりに小石を蹴っ飛ばしてサーニャはカールの手から鎌を奪い取る。そして颯爽とナス畑に推し入ってがむしゃらに葉を刈り落とし始めた。

 さっさと終わらせて雑草刈りをブドウ狩りにチェンジさせようという魂胆が見え見えで、子供らしい疾走にカールの頬は自然と弛む。褒美の一つぐらいも用意していいだろう、そう考えた彼は立ち去る前に一言だけ声を掛けておいた。


「終わったら次はリンゴを収穫しよう、それでアップルパイを作るのも良いかもしれないな」


「ん? ……よっしゃー!!」


 気合いの入った声を背中に受け、カールはそそくさとブドウ畑へと向かうのであった。



     ☆



「うーん、何て言うんだろ。味が薄いのとエグ味があるのと、別に不味いってわけじゃないんだけどなー」


「ふむ、まだまだ改良しないといけないか。一年目から無事に実ってくれただけでも大成功、という事にしておこう」


 時が少しばかり経過し、現在は午前十時。朝の内にやるべき事を終えた二人は、家の中で休憩を取りながら収穫したばかりのブドウを揃って試食していた。

 感想は両者共に同じで、食べれなくはないがお世辞にも美味いとは言えない。栽培に関するノウハウも無い男が作ったものなので当たり前とも言えるが、カールはあまり納得していないようだった。


「しかし、これじゃあブドウ酒作りは夢のまた夢か」


「こんなに味が薄くちゃなー、あたしはよく分かんないけど難しいんだろ?」


「そうらしいね、問題は醸造法よりもブドウの質とはよく言われるけれども」


「何年掛かるんだろうなー」


「うっ……」


 他人事なサーニャの言葉を受け、カールは机に崩れ轟沈する。王宮時代からブドウ酒好きを地で行く彼は自分で作ったそれを楽しむ事を夢としており、まだまだその夢が遥か彼方にある現実に打ちのめされずにはいなかった。

 音を立てて机が揺れ、置いてあった紅茶のカップがガタガタと自己主張をする。そんなリビングに広がる光景を見ながらもサーニャは未だ熱い紅茶を啜り、ゆったりと続けて言う。


「まあまあ、あたしも手伝うからさ。っていうかそういう育て方とか考えるのを一番やりたいんだよねー」


「……あっ、これからも手伝うのは決定事項なのかい?」


「とーぜん!」


 決めポーズにでもするつもりなのか、サーニャはまたも腰に手を当て胸を張っている。農村に手伝いが常駐するのは良いにしても、この快活な少女に恥じらいは無いのかと少し心配になってしまう。

 こうなれば仕方無いとカールはむくりと起き上がりながら懐に手を入れ、しまってあった物を取り出した。三センチ程の大きさのそれは木材を星の形に切り抜いた物で、小さく開けられた穴から細い紐が通されている。

 つまりは、ぶら下げるタイプの首飾りだ。当然ながらただの首飾りではない。


「はい、これをあげよう」


「何これ、首飾り?」


「転移用の樹……私はゲートって呼んでるけど、それを持っていれば君も一人であれを使えるようになる。使い方は、樹の前で私と同じように発動と言うだけだよ」


「おー、ありがと。でもさ、これってどういう仕組みなんだ?」


 最もな疑問だと頷き、カールは簡単な説明を開始する。


「それはブドウ畑の横にある大樹の枝を切り出してから、魔力を込めて作った物なんだ。細かい部分は割愛するけども、樹と同じ魔力を持つことによって君が樹に認められたと思ってくれればいい」


「うーん……とりあえず、これ持っとけばあたしと樹が繋がるって感じかー?」


「それで構わないよ」


 はぐらかした内容にはなってしまったが、問題は人とゲートが同じ種類の魔力を持っているかどうかという事だ。

 ゲートはそれを設置した者、今回はカール……と言うよりはランスリーでしか開けない。この樹を使った転移魔法はランスリーが独自の方法で構築したもので、彼の魔力に反応する彼専用の魔法である。

 融通が効かないと思われるかもしれない。しかし、これは少し見方を変えてしまえばとてつもなく便利な魔法だろう。

 まず、使用する時に魔力を消費しない。勿論ゲートを作る際には魔力を多く使うが、準備さえ済ませてしまえば後は樹に残留した魔力だけで数年は転移可能な状況を保ってくれるのだ。

 根本の話になるが、魔力は精神力を体内で変換して生まれるとされている。一般的に魔法使いと呼ばれる者はその精神力を変換出来る資質を生まれつきに持っていて、またそれを変換出来る量や速さも大体が生まれつきで決まってしまう。

 これによって、身分の差が出て来るのはもう仕方が無い。ブレーブス公国では可能な限り差を抑え込んでいるのだが、それでも一部では差別と言うべき事が起こってしまっていた。

 ちなみに魔法大国であるアッシュ公国では、この身分差はブレーブスの比でない。これはまた別の話だ。


 話を戻す。この魔力の大きな特徴の一つとして、少しコツを掴んでしまえば簡単に物質に力を込めるのが可能となる点がある。大きな量を注ぐのは難しい、しかし少量ならばほとんどの魔法使いが物に魔力を移す事が出来た。

 用途は非常用の魔力回復、つまり電池のように使うのがほとんどだろう。例えば水に魔力を溜めておいてそれを飲む等々、これは人によって様々だ。

 他には武器や防具の強化、これも単純に強化するだけならばそう難しくはない。付属効果を付けるとなるとまた難易度は変わり、王宮お抱えの鍛冶屋と魔法使いが協力して一から作り上げる必要があるが……長くなるので割愛しよう。

 そして今回のゲートの場合だが、これは複雑な魔法を幾つか組み合わせてようやく可能になるものだ。魔力を樹に移しながらただでさえ難しい転移魔法を発動し、その樹に力が行き渡った瞬間に結界を張って魔力が漏れないように蓋をする。

 転移魔法はそれ単体でも高難度の魔法とされており、並の魔導師でも扱いには慎重になってしまう。それに並行して様々な作業を行うのだから、その難度は想像に絶する。だが、難しい物事をやり遂げた先にはやはり良い結果があった。

 転移魔法は多大な魔力を消費するので、まず前述の通りに消費を抑えられる恩恵は大きい。そして便利な事に、このゲートは魔法を使えない者でもランスリーが手を加えれば簡単に転移が出来る。

 その条件はただ一つ、ランスリーが魔力を移したアイテムを身に付けるという事だ。ほんの少しでもいい。僅かばかりの彼の魔力さえあれば、ゲートは思うがままに反応してくれる。

 まだランスリー以外に誰も使えないこのゲートを使う許可を出した。つまりそれは同時に、彼がサーニャを信頼し農業の相方として認めた事を意味していた。


「これであたしも魔法使い! ……なんちゃって、それにしても魔法って便利だなー。何か火を起こしたりするイメージしか無かったけど」


「こういう便利なもの程に難しいんだ。戦争で攻撃魔法が使われても生活に便利な魔法が使われないのは、単純に使える魔法使いが少ないかららしい」


「へー。何て言うか、上手く行かないもんなんだな。こんなに便利なのに」


 神妙な顔をしながら、サーニャは受け取った首飾りを頭に通して下げた。作りの良い顔にそれはよく映えていて、やはりもう少し本人にその気があればとカールは少し残念な気分になってしまう。

 静かな空気が漂ったところで彼は一つ息を吐いてその考えを捨て、真面目な表情を作りサーニャを見据える。急に雰囲気を変えたカールに彼女は驚くが、それでもその目が他に逸らされる事は無かった。


「サーニャちゃん。君は、魔法を使えるようになりたいかい?」


「えっ?」


「深く考えなくていいんだ、思うがままに。もし誰かが……例えば大魔導師のランスリー様が魔法を使えるようにしてやると言って来たとして、君はそれを受けるかな? ちょっと、気になってね」


 唐突な質問だ。それを受けたサーニャは数秒間だけ呆けてしまうが、直ぐに腕を組んで「うーん」と唸りながら思考に耽り始めた。

 困惑や疑念といったものは感じられない、ただ純粋にカールの質問にどう答えようかと頭を働かせている。八百屋の娘、サーニャ=ウィークスはどこまでも純粋だった。


「魔法って、やっぱり凄い便利だよな。おっちゃんの言う攻撃魔法だって、使い方を間違わなかったら火を起こす手間が省けちゃうし、他のも手加減すれば何にでも使えると思う」


 数分間考え続けた後、サーニャは言葉を選びながらそう言う。自分の言葉とカールの言葉を拾い、自分の考えを纏めているようだ。


「そうだろうね。風を使えば物を運んだり、水を使えば井戸もいらなくなるかもしれない」


「でしょ? だからさ、使い方を考えたら魔法はもっと便利になるんだよ。今までの生活がバカらしくなるくらいにさー」


 右手で首に掛かった三日月を弄りながら、徐々にその声は快活さを取り戻して行く。まるで語るのが楽しいとでも言わんばかりに。

 これは結論が出たか。カールがそう思ったところで、


「だからいらない」


 と、サーニャはしてやったりと笑いながら言った。


「えっ?」


 その答えはカールが予想していたものとは真逆だ。彼女は魔法を望むとばかり思い込んでいた彼は、あまりの展開に思考が追い付かず今度は呆ける側になってしまった。

 そんな様子を知ってか知らずか、サーニャは更に続ける。


「あたしさ、今の生活が不便だなんて思ったこと無いよ。だって魔法を生活に使うだなんて今までに考えなかったし、頭良くないから簡単な工夫も思い付かないし。便利さを知らなかったら、それが欲しいとも思えないじゃん」


「なら、今は知っているじゃないか。君は転移魔法の便利さを知った、それを自分で使いたいとは思わないかい?」


 咄嗟にそう返したカールは、自分が何故か焦っている事にふと気が付いた。何故焦っているのかは分からない、それでも何故か妙に心がざわめいている。

 サーニャは尚も笑いながら、


「でもさ、それじゃダメだと思うんだよ。上手く言えないんだけど、魔法に頼ったらそれ以外がダメになっちゃう気がする。体も動かさなくなるし、楽しくなくなっちゃうよ」


「楽しくなくなる?」


「うん。便利でもそうじゃなくても、今の生活って楽しいんだ。しんどい事だってたくさんあるけど、それも含めて毎日が楽しい。魔法なんか使ったら、それが壊れて無くなっちゃうよ。ならあたしは魔法なんて使わなくてもいいって思う。それに……」


 そこでサーニャは言葉を切り、一つ深呼吸した。そしてじっとカールを見詰めながら大きな声で、宣言する。


「草刈って、リンゴ取って、めんどくさかったけど……あたし、今日すっごい楽しかった。こんなめんどくさいのが、またやりたいって思うぐらいに楽しかったんだ! だから、あたしはおっちゃんと一緒に魔法を使わないで農業をやりたい」


 そこにあったのは屈託の無い満面の笑みだ。十四歳の少女は今、与えられた全ての情報を自分の中で組み合わせて、こんなにも立派な答えを導き出していた。

 そしてカールは、ランスリーは理解する。自分の中にあるこの感情は嫉妬なのだと。

 ランスリー=ブレーブスが殺戮の果てに導き出した、新しく生活する中で一部以外の魔法を捨てるという結論。それにこの少女は、いとも簡単に辿り着いてみせた。それがどうしようも無く羨ましい。


「あっ、でもさ、ゲートは使わせてもらうよ。努力の可能性を広げるって言うのかな、こういうのは全然アリだと思うし」


 笑っていたかと思えば、今度は急に焦って言い訳のような事を口走っている。やはり、どこまでも純粋な少女だ。

 こんな少女に嫉妬などしてしまったのか、そう考えたカールは自然と苦笑していた。焦った自分が酷く浅ましい存在のように感じてしまう。


「今の生活が楽しい、か。全く本当にその通りだ、魔法なんて使わなくても努力して生きるのは素晴らしい。この五年間、僕はこんなにも簡単な事に気付けなかったのか」


 この瞬間、カールは全てを決心した。本人が望むのならばサーニャの魔法の資質は教えないと。そして、自分はこの少女を最後まで信頼してみようと。

 人を信じるのならば、その二人は対等であるべきだ。贖罪も兼ねた博打とも取れるその行動を、彼は躊躇わなかった。


「復元」


 言葉と共に、光がカールを包み込む。目を刺さない柔らかい光だ、それがカールを覆って姿を隠してしまう。


「おっちゃん!?」


「大丈夫」


 突如として起こった出来事にサーニャは焦るが、それでも優しく掛けられたカールの声にぴたりと体を止めてしまった。その間にも、光はカールを纏い続けている。

 変化が起こったのはきっかり五秒後だ。またも唐突に光が霧散し、中から男の姿が現れる。しかし、それは今の今までいた筈の中年、カール=ベーカーのものではなかった。

 オールバックにされた青い髪が特徴的な、不思議な気品を漂わせる青年。それがカールの椅子に座っている。


「まずは自己紹介を」


 驚愕にまみれて声も出ないサーニャを見据え、


「カール=ベイカー改め、本名はランスリー=ブレーブス。今の職業は……そうだな、しがない農業家さ」


 ランスリーは笑ってそう告げた。

 ドン亀更新(大嘘)


 えらく長くなってしまいました。向こう側のあれでもここまで長くなることはあまり無いのですが、いやはや。バラすタイミングがここしかありませんでした。

 魔法に関してはそこまで深く設定していません。物には魂が宿る、それを魔法に置き換えてみたらどうなるのかと適当に考えてみただけです。

 流石に次回は遅くなる……と思います。流石に向こうのもこれ以上放置するわけにはいきませんので。それではまた。

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