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ACT10.放蕩者は再び出会う

 沈黙が部屋を満たし、隣の台所からはお茶を置いて立ち去ったサーニャが料理をする音だけが届いている。

 呆然と突っ立っているカールに対してシニカルに笑いながら、ラウルは机を挟んだ自分の向かい側にある椅子を指刺した。


「とりあえず座ったらどうだ。そう怖がるな、別に取って食いはしない」

「……その言葉、聞いた覚えがあります。十六年、もう少しで十七年前になりますか」

「ああ、そうだな。俺もいい年になった。パーパスの白髪を笑ったりも出来なくなりそうだ」


 冗談を交えて来る彼にどう反応していいのかわからず、カールは座ってからすぐに俯いた。

 目の前で笑っているラウルは、自分に生き方というものを教えてくれた恩人なのだ。それに気付かずにこの五年間世話になり続け、しかも向こうは自分がランスリーであると看破していたとは。恥を感じて顔を見れない。

 それでも、ラウルは一方的に語りかけて来ている。


「その下手な変装もやめろ。外見を変えて魔力を封じてもな、俺には通用しない。人には人の独特な気配っていうもんがあるんだ。特にお前のはわかりやすいからな」

「僕が貴方に会ったのは、七歳の頃ですよ?」

「変わらないさ。俺に抱き付いて来た、あの時の皇子様とな」

「成長したから、変わったと思っていたんです。ほら、顔もこんなに変わった」


 言うと、抑えめの光を放ちカールは姿をランスリーへと変えた。

 シエルによって整えられた少し癖の付いた青髪は、程よい長さにまで切られて清潔な印象を与えるようになっていた。髪型一つでこんなに変わると、通い妻が気が狂わんばかりに興奮していたのが印象に残っている。農作業の影響で筋肉も付き、体格はとても健康的だ。

 成長した彼を認めたラウルは皮肉めいた雰囲気を収め、懐かしそうな表情を浮かべた。


「デカくなったな。だが、変わらない。昔のお前がそのまま大きくなったみたいだ」

「考え方も変わりました、こうやって敬語も使えるようになりました。ずっと、ラウルさんが教えてくれたことを思い出しながら生きて来たんです。あの時、僕を人間だと言ってくれて、本当にありがとうございました」

「礼を言われるようなことか、それは? まあ、ありがたく受け取っておくがな。……本当に成長した。良い男になるとは思ってたが、予想以上のイケメンじゃないか」

「最近は鏡を見ていませんから、自分の顔なんてわかりません。そもそも、この顔で過ごしている時間の方が短いんです。僕は全然気付きませんでした。昔はそんな髭も無かったし、もっと筋肉質でした」

「素直に太ったと言ったらどうだ。騎士をクビになってからはもう風体に気を遣う必要も無くなったし、鍛える必要も無くなった。あの後すぐにサーニャが生まれてな、今は自由気儘な八百屋生活っていうわけだ。ああ、謝るなよ。元々俺は騎士には向いていなかったし、良い機会だったんだ。今の生活の方が気に入ってる」


 言って、豊かな虎髭を撫でながらラウルは声を出して笑った。つられてランスリーも思わず笑い返してしまう。

 ひとしきり笑った後、今度はランスリーが語りかけた。


「宿題でしたね。貴方がどうやって時計塔を駆け上がったのか。悩んだんですよ。何せ七歳の頃の事ですからハッキリとは覚えていなくて、これだって決めるのには時間がかかりました。ただ駆け上がるにしても、色々と候補はありますから。風、摩擦、結界だとか」

「ほう、その言い方だと断定したのか?」

「はい。重力、ですよね。俺と貴方にかかる重力を縦から横に変えて、時計塔の壁が下だと事象を書き変えたんです。確か、髪が地面に落ちようとしてなかったんですよ。だから、重力の方向自体が変わっているんだと思いました」

「八十点だな。同時に身の回りに結界を張っていた。落ちて来る物や攻撃を防ぐための防御結界だ。若干の隠蔽効果もあるぞ」

「それは……わかりませんでした」

「くはは、天才を欺けたか。だが合格だ、よくやったぞ皇子様」


 皇子と昔のままに呼ばれるのは嫌ではないが、今はもう成人した立派な男なのだという反抗心も生まれている。だが、四十三になっている筈のラウルと二十三のランスリーにはちょうど二十歳の差がある。子供だと侮られても仕方がないのかもしれない。

 やはり、親とはこういうものなのだろうか。親に子として接してもらえなかったランスリーは、昔から愛情に飢えている。懐かしさと共に蘇る彼に覚えた感情が高まり、心を温かく満たし始めていた。


「この五年間、どうして名乗り出てくれなかったんですか?」

「どういった経緯があったのかは知らんがな、自由を求めてお前は王城を出たんだろ。城にいた頃の知り合いである俺が名乗り出て世話をするっていうのも、違う気がした。自分の力だけで生きていけるようになるのが、お前にはちょうどいいと思ったんだ」


 確かにと、ランスリーは少しばかり納得した。自分で勝ち取ってこその放蕩だと言っていたのだから、放置して好きにさせるのは理に叶っていると思われる。

 しかし、真の意味で放置されていたわけではなかった。


「自分で掴んでこその放蕩、でしたね。でも、ラウルさんは僕によくしてくれました。農業のサポートであったり、生活の知恵も授けてくれました」

「仲の良い八百屋の主人として将来の利益を考えた結果の行動だ。別にお前の正体が何であろうと、やった事は変わらんだろうな。というか、五年前のお前は見てられなかった。下手したらそこらで野垂れ死にしそうだったぞ」

「常識の無い、温室育ちの皇子が家出をしたんです。外界の知識なんてありませんでしたし、人から逃げるようにして山に結界を張ってみましたけど、そこから先は魔法を極力使わないようにしようと決めていたので、何から手を付けていいのかすらわからなかったんです。……僕は本当に、ラウルさんに助けられてばっかりいたんですね」

「お前が努力をしたから今がある。言っただろ、自分のための努力だ。普通なら、たった五年で経営が軌道に乗る農場なんてそうは無いんだぞ」

「それでも、ありがとうございます」

「ああ、どういたしまして」


 ようやく、思い出したかのように置かれていた茶に手を付けた。農場でもサーニャがいつも淹れてくれる、飲んでいると安心する味のものだ。

 そういえばと、ランスリーは少ししてからもう一つ思い出した。


「ラウルさん。魔力を感じませんが、封印を?」


 ラウルが城にいた騎士だというのに気が付けなかったのは、その身体から魔力を一切感じられなかったのが大きな原因の一つだ。

 顔も声を覚えていなかったが、魔力の扱いに関しては天才であるランスリーは一度感じた魔力を忘れない。だから、僅かでもラウルに魔力の痕跡があればすぐ様に正体を看破していただろう。

 だが、今こうして感覚を研ぎ澄ませてみても、やはり十六年前の荒々しい奔流はどこにも無いようだ。魔力は人が生まれながらにして持っているものなので、自然と無くなる事はありえない。つまり、彼は顔を変えている時のランスリーと同じように魔力を封印しているに違いない。

 茶を一気に飲み干したラウルは、机に置いたカップを意味無く弄りながら何でもない事のように言う。


「ああ、魔力か。捨てた」

「はっ?」


 言葉の意味を理解出来ないランスリーを無視して、彼は更に言い続ける。


「自分は魔力を持っていない、そうイメージするんだ。魔力がイメージを具現化するものなんだったら、無いものとして考えてしまえば難しくもなんともない。今の俺はただの商売人だからな、魔力なんてすぎたものは必要無いだろ」

「いや、だからって、魔力ですよ。そんなに簡単にゴミでも捨てるかのように、不便になるだとかそんな問題でもありません。社会的立場、自分の過去、その他諸々。わかっているんでしょう、この国で魔力がどれほど崇められているか」

「必要か、魔力は?」


 力強い線がランスリーを射抜いた。ラウルの目には、いつか見た、あの放蕩者の色が蘇っている。


「なあ、大魔導士。魔力が無ければ人は生きていけないのか。魔力の有無っていうのは、人の全てを決定づけてしまうぐらいに重い意味を持ったものなのか? 魔法を極め、魔法のある生活を捨て去ったお前ならわかるだろ。人っていうのは、魔力が無くたって生きていければ、その分だけ精一杯に頑張れるんだ。俺達はな、魔法なんざあっても無くても変わらないんだよ」

「……魔法は、利便性があります。それこそ、人を堕落させてしまうような利便性が。今、この場でお茶を温めることだって出来る。料理だって余計な手間を省いてしまえる。そして、僕が手を伸ばして少しでもその気になってしまえば」


 実際に開いたままの右手を伸ばした。そしてそれを強く握り締める。


「僕は、貴方を一瞬で殺してしまえる」


 方法などいくらでも存在している。それこそ、想像力の尽きるまで。

 魔力の剣を作り出して喉を切り裂いてもいい。大火をおこして火あぶりにしてもいい。重力を操作して押し潰してもいい。障壁を張って閉じ込めた後、中の空気を抜いてしまってもいい。

 いや、ラウルだけではない。ランスリーは、やろうと思えばこの国の民全てを虐殺してしまえるだけの力を持っている。それが最高の魔力を持つという意味で、彼が封印を決意するに至った最大の理由でもある。


「魔力は人を殺します。命を絶つだけではなく、人間性も壊してしまうんだと僕は思います。……だから、魔力によって戦争は起こる。あんな地獄が生まれてしまう」

「お前、魔力によって戦争が起こったって」

「言えません。これだけは、どうしても言えないんです」


 五年前の戦争の真実は、王家に連なる者だけが知っている。ランスリーは、この真実をどうしても秘匿しなければならない。口外するわけにはいかないのだ。知られれば、国は傾く。


「……魔法なんて、あるべきじゃない。何度、そう思ったか」

「ああ、そうだろうな」


 また沈黙が訪れた。しかし、長くは続かなかった。


「魔力を封印して農作業に勤しんだこの五年間は、どうだった?」

「どうだったとは?」

「楽しかったとか、しんどかったとか、充実してたとか。そんな単純な感想を聞いてるんだ。別に難しく考えなくてもいい」

「それはもう、辛かったですよ。何からしていいかもわからず、とりあえず家を作ったり土を掘ってみようとしても、魔力での強化無しには木にも地面にも刃が通りません。そもそも農作業用の道具すらも無かったんですから。王宮から持って来た隠し財産は使いたくなかったし、外の世界に頼れる人なんて誰もいない。本当に、何回死を意識したかわかりませんよ」


 間髪入れずに言う。流れ始めたランスリーの言葉は止まらずに溢れ続ける。


「大体ですね、外の知識なんてほとんど無いのに突発的な衝動で出奔したのがそもそもの間違いなんですよ。あの頃の僕は何を考えていたのか、時間跳躍の魔法があるのなら戒めを破ってでも殴りながら問い詰めてやりたいところです。あの山には以前から目を付けていましたけど、広大な土地があるからって農作業をしようとするのは早計にも程がありませんか。冬は寒いし、夏は雨ばっかり降るし、本当に生きているのが奇跡ですよあんなの。一年目は凍死してもおかしくなかったんだ。二年目も二年目で、ようやく育てた作物は虫に食い荒らされるわ出来は悪いわで散々。筋力も無い、知識も無かった人間がたった五年間で一丁前の農家になれるだなんて誰が思いますか。僕ですら思いませんでしたよ、現実を思い知った時は」

「お、おう……」


 出るわ出るわの愚痴の滝。溜まりに溜まった五年間の鬱憤を容赦なく垂れ流す姿は、器の大きなラウルでさえもドン引きしてしまう程に苦し気なものだった。

 最近では話す相手も増えたランスリーではあるが、女性に対してこのような愚痴を吐くのにはやはり抵抗がある。久しぶりの男同士の会話に興が乗ってしまったのだろうか、自分が何を言っているのかもわからないままに彼は思い付いた事をそのまま口に出してしまっている。

 茶が酒だったのならば、自棄になって飲みまくっていただろう。


「まあ、何だ。酒でも飲むか?」

「頂きます! 二年目の惨状はラウルさんも知っていますよね。僕は忘れませんよ、野菜を一目見た時の貴方の苦い顔は」

「サーニャ、サーニャ! 忙しいところ悪いが、棚の奥にしまってある葡萄酒とグラスを二つ持って来てくれ。一番良いやつだ!」

「はいはーい……って、おっちゃん!? 何で顔戻してるの!?」

「いいんだよ、俺らは昔からの腐れ縁ってやつだからな。また飯の時に詳しく聞かせてやるから」

「へー、そうなんだ。面白そう、楽しみにしてるよー。……おっちゃん、もうすぐ出来上がるから飲み過ぎないようにね」


 どこか呆れたように、サーニャは盆を置くとそそくさと奥に引っ込んでしまった。

 ラウルはぶつぶつと呪詛らしき独り言を吐くランスリーを尻目に葡萄酒をグラスに注ぎ、彼に無理矢理それを握らせて乾杯をした。


「おいおい、飲みすぎるなって言われただろ」

「これでも酒には強いんです。大晦日ぐらいな無礼講でいいでしょう」

「高いんだぞ、それは。まあ、お前と飲むための物だけどな」


 一口で飲み干し、今度は自分でおかわりを注ぐランスリーは既に若干理性を失っているようだ。

 溜め息を吐きつつも諦め、ラウルはとことん付き合ってやろうと覚悟を決める。


「大層に愚痴ばっかり吐いてくれるけどな、本当にそれだけなのか? 辛かっただけなら、今ここにお前はいないだろ。放蕩者がやりたい事をやっていなくてどうする」

「そこで放蕩者っていう言葉を出すのは卑怯じゃありませんか。確かに、僕はやりたくて農業をやっています。以前は生きるためにやっていましたけど、最近は自分の意思でそうするようになりました。……作物を出荷した時、美味しいって言ってもらえた時の充実、達成感。あれが好きなんです。次はもっと良い物を作ってやろうって、そう考えられるようになったんです」

「それは、楽しいっていうのとは違うのか?」

「似て非なるものだと思います。サーニャちゃんは一つ一つの作業が楽しいって言ってくれますけど、僕にとって過程はただの苦難でしかありません。苦難を超えた後にある結果を求めているんですから」

「そうかな、俺は同一のものだと思うがな」


 何か別の物を与えるように、ラウルはランスリーのグラスに三杯目を注いでやった。


「苦労して、努力して、何かを作り出す、達成するっていうのは楽しいんだよ。過程を楽しめないのは、お前が本当の意味で今の生活を好きになれていないからだ」

「どういう意味ですか?」

「好き合い理解し合った男女がいたとして、ふと会話が途切れてお互いに何も喋らなくなった時、そいつらはどうすると思う?」

「……どうにか次の話題を見付けようとすると思います」

「若いし世間知らずだな、お前は」


 ムッとした表情を浮かべて、ランスリーは葡萄酒を飲む手を止めた。

 喉を鳴らせて小さく笑い、ラウルは遠回りにわかりやすく説明をしていく。


「沈黙を楽しむんだよ、そいつらはな。次は自分に何を言ってくれるんだろう、どんなことを話したら相手は楽しんでくれるんだろう。そんなのを考えるのが楽しいのさ。つまり、結果の前にある家庭を楽しんでいるんだ。お前はそんな経験をしたことが無いのか? もしくは、それぐらいに惚れた女はいないのか?」

「えっ。いや、まあ、惚れた相手ぐらいはいますけど」

「そうか、今の話なんだな」

「うぇっ!?」

「簡単な誘導尋問に引っかかるなよ、元皇子。これは勉強をサボったツケだ。なら今の話をそいつと自分に置き換えてみればいい。何か見えてくるんじゃないか?」

「むむっ……」


 口を尖らせ、ランスリーはこれ以上この話を広げるつもりは無いとまたグラスに口を付けた。

 そして沈黙が訪れる。諭す側は楽しみ、諭される側はただ気まずい。そんな沈黙だ。


「サーニャちゃん、良い子ですね。ラウルさんには似てません」

「外見は母親譲りだな。片親で不便な想いをさせてしまっているが、本当に良い子に育ってくれた。あれでも、性格は俺に似ているところもあるんだぞ」

「ああ。どこがかはお前が探してみろ。どうせ、長い付き合いになるんだろうしな」

「そうですね」


 今の生活を続けていく以上、ウィークス家との関わりはより深いものになっていくのだろう。今この場で正体を看破され明かしてしまったのだから、これからは隠し事も無しにあけすけな付き合いが出来るのだ。

 ランスリーがランスリーとしていられるのは、ラウル、サーニャ、そしてシエルの前だけだ。他ではカール・ベーカーとして生きている現状、気を抜けるのはこのたった三人相手だけにということになる。

 きっと、頼ってしまうのだろう。いけないと考えていても、無意識の内に。今の生活をシエルに頼ってしまっているように。


「あの子には感謝しているんです。またランスリーに、外との繋がりを与えてくれたましたから」

「あいつもそうだろうな、今のサーニャは毎日楽しそうにしている。……俺もな、お前には感謝しているんだ」


 互いに酔いが回り始めている。だから、するりと本音は零れて出て行く。


「家事をしながら、仕事の手伝い。年頃の女だっていうのに、あいつは文句の一つも言わずに家のために尽くしてくれてる。本当なら恨み言の一つでも言いたくなるような境遇のはずなのにな、あんな性格だろ。きっと今の生活を気に入っていて、俺に対する恨みなんて欠片も無いんだろうさ。だからこそ、申し訳無い」

「物事を楽しむ事に関して、天才なんだと思います。朝早くからうちに来る時も、いつも楽しみで仕方ないっていう満面の笑みなんですよ。働くのが苦じゃないんでしょうね。……まあ、時間が無いという割には、ちゃんと遊んでもいるみたいですけど。この前も、男の子と二人で買い物をしていましたし」

「ルークのことか。……って、お前、白々しい言い方をするな。ルークのことは知ってるだろ、パーパスの息子だぞ。お前の教師の」

「へいへい、知ってますよー。可愛いルークには全く似ていない厳しい御方でした」

「はっ、やっぱり嫌われてたか! 最近のあいつを知ってるか、五年経っても何も変わってないぞ。すっかり髪に白いのが混ざり始めてな、会う度に愚痴ばかり聞かせてきやがる」

「あっははぁ、細かい事ばっかり気にしていましたからね。その内に心労で倒れるんじゃないかと思っていましたよ。そうなるように悪戯をしかけて悩ませてやっていたんですけど!」

「眉下がりパーパスだ!」


 常に眉間に皺を寄せ、眉毛が下がった状態でいることから名付けられたパーパスの蔑称だ。実際に顔を思い浮かべてしまった二人は、机をバンバンと叩きながら爆笑した。

 この男共、パーパスをからかい方を熟知している。きっと、頭の中では今までに仕掛けた悪戯の数々が走馬灯のように反芻されているのだろう。


「何、ウォルコット様の話? あんまり遊び過ぎてると、また白髪増えちゃうよー」


 白髪という単語に反応して、二人の笑いは更に深まった。

 台所から出て来たサーニャは呆れたように溜め息を吐くと、机の真ん中にどかりと鍋を置く。蓋のされていないそれには手製であろうミネストローネが入っていて、食欲がそそられる匂いを辺りに撒き散らしている。


「あー、お腹痛い! そうそう、パーパスの話。サーニャちゃんはルークと仲が良いんだよね、どういった付き合いなのかな?」

「あいつはたまに飯を食いに来るぞ、確かにパーパスとは似ても似つかないクールな奴だ。良い男友達なんだろ、サーニャ」

「うえー、酔っぱらいだー。何でおっちゃんが知ってるのかは聞きたいんだけどさー、確かに良い友達だよ」

「恋人じゃなくて?」

「もしそうだったとしたなら、俺はあいつを殺さないといけなくなる」

「おおっと、ラウルさんの親バカが入りました。初代放蕩者も、家庭を持つと変わるものですねー」

「ねー、めんどくさいねー」

「お前ら……」


 今度はラウルが顔をしかめる番だった。空になった両のグラスに今度はランスリーが注ぎ、飲むようにとさり気なく誘導している。

 放蕩者と揶揄されていた元騎士ではあるが、今では子を持つ親なのだ。歳を重ねたというのも勿論あるだろうが、やはり家族には甘くなるらしい。放蕩者は、二人共に丸くなってしまった。


「そのルークだがな、お前の影響をもろに受けてるぞ。お前が二代目なら、あいつは三代目の放蕩者だ」

「えっ、それ本気で言ってますか? 五年前に別れた時には、パーパスとは違う方向に真面目な子だったんですけど」

「おっちゃんこそ本気? 真面目なルークって、それちょっと考えられないよ。ずっと学校サボってる不良だし」

「えっ、ええ!?」


 もしかしなくとも、自分のせいなのだろうか。放蕩を見せ付けるように接していたから、それを真似してしまったのだろうか。

 いや、それにしても不良になるというのはおかしい。彼は自分の意思をハッキリと持ってはいたが、自分が小であると自覚していて、大においそれと逆らうような真似はするような男ではなかった。ならば、なぜだ。やはり自分のせいか。

 ランスリーには全く想像が出来なかった。まさか、あのルークが三代目放蕩者だと。


「信じられないのなら、本人に直接聞いてみろ」

「い、いや、僕があの子に会うわけには」

「どんな理由があるのかは知らないけどな、会いたくないのなら早く逃げた方がいいぞ」

「あー、そろそろかなー?」

「は?」


 そこで、ふとランスリーは周囲の違和感に気が付いた。

 鍋の中に入っているミネストローネが、三人分にしては多くないか。先程から台所と居間を行き来しているサーニャが並べている食器が、どうして四人分なのか。それどころか、今持って来た鶏肉のソテーが明らかに四つあるではないか。

 ぞっと寒気が走った。ここにいれば、何か取り返しのつかない事が起こってしまう気がする。


「ら、ラウルさん。ちょっと僕は席を外」


 急いで席を立った瞬間だった。

 閉められていた居間の窓が大きな音を立てて開かれ、そこから転がり込むようにして人が身を投げ入れて来た。

 荒い息を吐きながら、青年は顔を上げて流れている汗を拭った。金髪の、絶世の美男子。ランスリーには見覚えがある。服屋の一角で遠目に見た、あの青年。


「すまん、ちょっとかくまってくれ。親父に追われて……」


 目が合った。顔を見合わせた二人の全ての動きが停止する。

 五年ぶりだ、だが決して見間違うものか。常に意識していた男同士の邂逅は、唐突にして必然的に訪れる。


「ルーク」

「……兄さん?」


 してやったりと笑っていたのは、ラウルだけだった。

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